第8話 真実を映す光
それは、店を開けて間もない朝のことだった。
レオが血相を変えて飛び込んできた。いつもの無表情ではない。眉間に深い皺が刻まれている。
「まずいことになった」
「何が——」
「継母が動いた。両国に偽造文書を送りつけた」
心臓が冷たくなった。
「偽造文書……?」
「『ノエルの実母セレスティアは、エルステリアの国家機密をフェリクスに売ったスパイだった』という内容だ。署名入りの証言書、取引記録、全て揃えている」
全身から力が抜けそうになった。母が、スパイ。そんな嘘を、証拠まで揃えて——。
「嘘よ。全部嘘。お母様はそんな人じゃない」
「分かっている。だが、文書は精巧だ。通常の検証では真偽が判断できない」
レオは拳を握りしめていた。
「これが事実として認められれば、お前は『スパイの娘』として両国から追放される。俺の庇護も、届かなくなる」
目の前が暗くなった。ここまでやるのか。継母は、どこまで私を追い詰めれば気が済むのか。
「俺も調べた。偽造文書を作った者の証言を掴んだ。だが——」
「だが?」
「法的な証拠としては弱い。『言った』『言わない』の水掛け論になる可能性がある」
どうすればいい。母の名誉を守るには、どうすれば——。
その時、胸元のブローチが、かすかに温かくなった気がした。
母の形見。銀の台座に紫水晶。ずっと身につけてきた、唯一の繋がり。
「レオさん」
「何だ」
「このブローチ……前に、何か調べていましたよね」
レオの目が、わずかに見開かれた。
「……気づいていたのか」
「調べた、とおっしゃっていました。母のことを。このブローチについても、何か知っているのでは」
沈黙が流れた。レオは私を見つめ、それからゆっくりと口を開いた。
「お前の母の家系には、『真実の魔法』の適性を持つ者がいた。そのブローチは——真実を映す魔道具だ」
「真実を……映す?」
「所有者が真実を強く求めた時、過去の出来事を映像として映し出す。希少な魔道具だ。王家や大公家の家宝級の」
知らなかった。このブローチに、そんな力があるなんて。
「使えるか」
レオが聞いた。
「使い方は分からない。だが、お前の母が持っていたなら、お前にも適性がある可能性がある」
「やります」
迷いはなかった。
「母の名誉を守るためなら、何だってします」
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その日の午後、フェリクス王宮。
証拠検証のために設けられた場に、両国の要人が集まっていた。継母の送った偽造文書が、テーブルの上に広げられている。
「この文書の真偽を判定するため、特別な方法を用いることを提案する」
フェリクス国王が宣言した。
「セレスティア・フォン・シュテルンの遺品である魔道具を使用し、真実を明らかにする」
エルステリア側の使者たちがざわめいた。偽造文書を送ったのは継母だが、この場には継母本人はいない。代わりに、彼女の息のかかった者たちが並んでいる。
「ノエル・フォン・アルトシュタイン。前へ」
名前を呼ばれ、私は進み出た。手が震えている。でも、ブローチを握りしめると、不思議と落ち着いた。
「真実を」
心の中で強く念じた。
「お母様の真実を、見せてください」
ブローチが光り始めた。
紫色の光が溢れ出し、部屋全体を包み込む。私の視界が一瞬白くなり——そして、映像が浮かび上がった。
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三十年前の光景だった。
若い女性が、両国の使者の間に立っている。銀色の髪に紫の瞳。私によく似た——母だ。
『どうか、剣を収めてください。これ以上の犠牲は、誰も望んでいないはずです』
母の声が響く。彼女は必死に両国の橋渡しをしていた。スパイなどではない。和平のために奔走する、一人の外交官の姿がそこにあった。
映像が切り替わる。
今度は、見覚えのある屋敷。公爵家の書斎だ。継母が、数人の人物と話している。
『この女を証人に仕立てなさい。金は払う。ノエルが聖女を虐めたと証言すればいい』
断罪の夜、私を告発した侍女たちの顔があった。継母が、金貨の入った袋を渡している。
『邪魔なのよ、あの子は。セレスティアの娘というだけで、目障りで仕方がない』
さらに映像が変わる。
継母が、偽造文書を作成する者に指示を出している。
『セレスティアがスパイだったという証拠を作りなさい。完璧に。両国を騙せるくらいに』
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映像が消えた。
部屋は静まり返っていた。誰も、言葉を発しない。
「これが……真実です」
私は声を絞り出した。
「私の母はスパイではありません。和平のために命を懸けた人です。そして、私を断罪した証言は——全て、継母に買収されたものでした」
エルステリア側の使者たちの顔が青ざめている。言い逃れはできない。両国の要人が、全員目撃した。
「ヴィオラ・フォン・アルトシュタイン」
フェリクス国王が、厳かに言った。
「証拠の偽造、証人の買収、冤罪の捏造。これらの罪により、彼女の処分をエルステリア王国に求める」
エルステリアの使者は、何も言い返せなかった。
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会場を出た瞬間、膝から力が抜けた。
魔力を使いすぎた。ブローチの光が消えた時から、体が重い。視界がぐらぐらする。
「ノエル!」
倒れかけた体を、誰かが支えた。温かい腕。レオだ。
「馬鹿が。一人で抱え込むな」
「ごめんなさい……でも、これしか方法が——」
「分かっている。だから、怒っているんじゃない」
レオの声が、耳元で響いた。いつもより近い。
「俺が……心配したんだ」
「心配……?」
「お前が倒れたらどうしようかと、ずっと——」
「任務、だから……?」
聞いてしまった。聞きたくなかったかもしれない答えを。
レオは私を見下ろした。金色の瞳が、揺れている。
「任務じゃない」
「え?」
「俺が、お前にいてほしいからだ」
心臓が跳ねた。
「俺は——」
「殿下!」
兵士の声が響いた。レオの言葉が途切れる。彼は舌打ちをして、振り向いた。
「何だ」
「緊急の報告です。聖女マリアベルが宣言を出しました」
「宣言?」
「『和平調印式において神託を下し、ノエル・フォン・アルトシュタインの罪を明らかにする』と」
血の気が引いた。聖女が、まだ——。
「……分かった。下がれ」
兵士が去ると、レオは私を見た。さっきまでの柔らかい表情は消え、厳しい顔に戻っている。
「聖女が動く。最後の賭けに出るつもりだ」
「和平調印式で……?」
「ああ。両国国王が臨席する場で、お前を断罪しようとしている」
また、断罪。何度繰り返せば気が済むのだろう。
でも——。
「逃げません」
私は、レオの腕の中で、真っ直ぐに彼を見上げた。
「今度こそ、終わらせます。聖女の嘘を、全部」
レオは私を見つめ、それから小さく笑った。笑顔、と呼べるほどではない。でも、確かに口元が緩んでいた。
「……ああ。一緒に終わらせよう」
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夜、店に戻って、一人でブローチを見つめた。
継母は失脚した。偽造文書は無効になった。母の名誉は守られた。
でも、まだ終わっていない。聖女がいる。私を「悪役令嬢」として断罪しようとする者が、まだ残っている。
そして——。
レオの言葉を思い出す。「任務じゃない」「俺が、お前にいてほしいからだ」。
あの後、何を言おうとしていたのだろう。邪魔が入らなければ、彼は何を——。
頬が熱くなる。今は、考えている場合ではない。
和平調印式。両国国王が臨席する、歴史的な場。そこで、全てが決まる。
「お母様」
ブローチを握りしめた。
「力を貸してください」
紫水晶が、月明かりを受けて静かに輝いていた。




