第6話 夜会のダンスは誰と踊る
銀色の封蝋が押された招待状が、テーブルの上に置かれていた。
「フェリクス王家主催の夜会。お前宛てだ」
レオが淡々と言った。いつもの窓際の席。いつもの時間。でも、今日の話題はいつもと違った。
「王家主催……私が、ですか?」
「『和平の功労者の娘』として、だそうだ」
母のこと。レオが調べてくれた、母の真実。それが公式に認められたということなのだろうか。
「でも、私は追放された身です。こんな場に出ていいのかどうか——」
「お前の店は、すでに社交界で話題になっている」
レオは紅茶を一口飲んだ。
「『非公式の外交の場』とまで言われ始めた。身分を気にせず入れる店で、両国の要人が顔を合わせることもあると」
言われてみれば、最近は身分の高そうな客も増えた。エルステリア訛りの商人と、フェリクスの貴族が、同じテーブルで茶を飲んでいることもある。意図したわけではないけれど、そういう空間になっていた。
「公式の場で顔を売っておけ。お前の立場が安定すれば、妨害も減る」
「レオさんは……来るんですか?」
「俺も行く」
「護衛として?」
レオは答えなかった。ただ、少しだけ目を逸らした。
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夜会の日。
ローザ夫人が貸してくれたドレスに身を包み、私は王宮の大広間に立っていた。深い紫の生地に、銀の刺繍。胸元には母の形見のブローチ。髪は編み上げて、うなじを見せるスタイルにした。
大広間は、エルステリアの王宮とは雰囲気が違った。白い大理石の床、高い天井、海を描いた巨大なタペストリー。開放的で、どこか自由な空気がある。
「緊張しているか」
隣にレオがいた。黒を基調とした夜会服。質素なデザインだけれど、仕立てが良いのは分かる。彼が着ると、どんな服でも様になる。
「少しだけ」
「堂々としていろ。お前は招待客だ」
音楽が流れ、人々が動き始めた。私は壁際に立ち、様子を窺った。視線を感じる。「あれが追放令嬢か」という囁きも聞こえる。でも、エルステリアの断罪の夜とは違う。蔑みより、好奇心のほうが強い。
「ノエルさん」
声をかけられて振り向くと、ローザ夫人がいた。隣には、見知らぬ貴婦人が何人か。
「ご紹介するわ。皆、あなたの店の噂を聞いて、会いたがっていたの」
「はじめまして。ノエルと申します」
深く、優雅に一礼した。公爵令嬢として叩き込まれた所作。錆びついていないことを確認して、少しだけ安心した。
貴婦人たちは思ったより友好的だった。店の話、菓子の話、母の話。質問に答えるうちに、緊張が少しずつほぐれていく。
「あら、素敵な話し方。フェリクス語、とてもお上手ね」
「母に教わりました」
「セレスティア様のお嬢さんですものね。あの方には、私の祖母も助けられたと聞いているわ」
母の名前が、こんなふうに語られるのを初めて聞いた。エルステリアでは、継母が来てから、誰も母の話をしなくなった。でもここでは、母は「恩人」として記憶されている。
不思議な気持ちだった。祖国では「悪役令嬢」として追放され、敵国では「功労者の娘」として迎えられる。どちらが本当の私なのだろう。
いや、違う。どちらも本当の私だ。ただ、見る人が違うだけ。
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音楽が変わった。ダンスの曲だ。
紳士たちが淑女の手を取り、フロアに出ていく。私は壁際で見ているつもりだった。踊る相手もいないし、目立つ必要もない。
「踊れ」
横から手が伸びてきた。レオだった。
「え?」
「お前を守るために近くにいる必要がある。踊っていれば自然だ」
「それは……護衛のため?」
「……任務だ」
また「任務」だ。でも、彼の手は温かかった。差し出された手を取り、フロアに出る。
周囲の視線が集まった。囁き声が聞こえる。でも、不思議と怖くなかった。レオの手が、しっかりと私の腰を支えている。
「姿勢がいいな」
「公爵令嬢でしたから。ダンスは必修でした」
「そうか」
音楽に合わせて、ステップを踏む。レオは無口だったけれど、リードは的確だった。彼の体温が、近い。
一曲目が終わった。普通なら、ここで手を離す。礼をして、別れる。それが作法だ。
でも、レオは手を離さなかった。
「……もう一曲」
「え?」
「踊れ」
周囲がざわめいた。何かがおかしい。でも、何がおかしいのか分からない。レオの表情は相変わらず無愛想で、読めない。
二曲目が始まった。
「お前は」
レオが、小さな声で言った。
「この国にいたいのか。祖国に帰りたいのか」
唐突な質問だった。でも、答えは考えるまでもなかった。
「私は、自分で選んだ場所にいたいです」
「……そうか」
レオの表情が、一瞬だけ緩んだ。笑顔、とは言えない。でも、いつもの無表情とは違う、柔らかいもの。
「ここは、私が選んだ場所です。追放されたから来たのではなく、私が残ることを選んだ場所」
「……そうか」
同じ言葉を、彼は繰り返した。でも、その声は少しだけ温かかった。
曲が終わった。今度こそ手を離すかと思ったら、レオは私の手を引いて、フロアの端に連れていった。
「水を取ってくる。ここにいろ」
「あ、はい……」
彼が去った後、ローザ夫人が近づいてきた。扇で口元を隠しながら、でも目は笑っている。
「あの方と二曲も踊るなんて……。ノエルさん、やるわね」
「え? 二曲踊ることに、何か意味が……?」
ローザ夫人は目を丸くして、それから小さく笑った。
「あら、ご存じないの? まあ、いいわ。そのうち分かるでしょうから」
意味深な言葉を残して、夫人は去っていった。何のことだろう。分からないまま、私はレオが戻るのを待った。
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夜会も終盤に差し掛かった頃だった。
「失礼」
声をかけられて振り向くと、見覚えのある紋章が目に入った。エルステリア王家の使者。
「ノエル・フォン・アルトシュタイン様ですね」
「……ええ」
「聖女様が、あなたの帰還を望んでおられます」
心臓が冷たくなった。聖女。マリアベル。私を断罪した人。
「私は追放された身です。帰る国はありません」
「お言葉ですが、聖女様の神託により、あなたの帰還が必要とされております」
神託。また、その言葉だ。
「追放を命じたのも神託なら、帰還を命じるのも神託ですか」
皮肉が口をついて出た。使者の表情が強張る。
「聖女様のお考えを疑うと?」
「私はただ、事実を申し上げているだけです」
緊張が走った。周囲の視線が集まる。フェリクスの貴族たちが、成り行きを見守っている。
「……いずれにせよ、お伝えすべきことは伝えました」
使者は一歩下がり、冷たく言った。
「王太子殿下が、直接お迎えに参ります。近日中に」
その言葉を残して、使者は去っていった。
王太子。エドワード殿下。私を断罪した人が、迎えに来る?
「ノエル」
レオの声がした。いつの間にか、隣に立っている。
「……聞いていましたか」
「ああ」
「私、どうすれば……」
言葉が続かなかった。帰りたくない。あの国には、もう何もない。でも、王太子が直接来るなら、断れるのだろうか。
「大丈夫だ」
レオの手が、私の肩に触れた。
「お前が嫌だと言うなら、誰にも連れ戻させない」
その声は静かだったけれど、揺るぎない強さがあった。
「……信じて、いいですか」
「ああ。俺を信じろ」
窓の外では、フェリクスの夜空に星が輝いていた。
でも、嵐が近づいているのが、分かっていた。




