第10話 私が選んだ場所で
朝日が、フェリクス王宮の窓から差し込んでいた。
今日、私は最後の選択をする。
謁見の間には、昨日と同じ顔ぶれが揃っていた。両国の国王、重臣たち。そして——父の姿もあった。
ヴィルヘルム・フォン・アルトシュタイン公爵。私を見捨てた人。継母の言いなりになって、実の娘を断罪の場に放り出した人。
目が合った。父は何か言いたげな顔をしていた。後悔だろうか。今さら、そんな顔をされても困る。
「ノエル・フォン・アルトシュタイン」
エルステリア国王の声が響いた。
「帰還命令を出した。公爵家の娘として、祖国に戻る義務がある」
私は一歩前に出た。
「陛下。発言の許可をいただけますか」
「……許可する」
深く息を吸った。心臓が早鐘を打っている。でも、声は震えなかった。
「私は18年間、エルステリアで『悪役令嬢』として扱われてきました」
広間が静まる。
「身に覚えのない罪で断罪され、国外に追放されました。あの日、私は初めて自由になりました」
父の顔が歪んだ。
「私の母はフェリクスの出身です。私はこの国で店を開き、自分の人生を歩んでいます。ここには、私を信じてくれる人がいます。私を必要としてくれる人がいます」
レオを見た。彼は無表情だったけれど、その目は真っ直ぐに私を見つめていた。
「私は——フェリクス王国の民として生きることを選びます」
ざわめきが広がった。エルステリア側の使者たちが顔を見合わせている。
「公爵家の娘が、他国に帰化すると?」
「はい」
「それは——」
「認める」
フェリクス国王が立ち上がった。
「ノエル・フォン・アルトシュタインは、両国友好に多大な貢献をした功労者である。その母セレスティアもまた、三十年前、和平のために尽力した英雄であった。その娘の帰化を、フェリクス王国は喜んで認める」
エルステリア国王は沈黙した。何か言おうとして、でも言葉が出ないようだった。体面を保とうとした帰還命令が、こうもあっさり覆された。
「そして——」
フェリクス国王が続けた。
「我が息子より、申し出がある」
レオが前に出た。黒と金の正装。王子としての威厳を纏った姿。でも、その目は——私だけを見ていた。
「ノエル」
彼は私の前に立った。そして、跪いた。
広間が息を呑んだ。王子が、跪いている。
「俺は、お前を愛している」
心臓が止まりそうだった。
「最初は任務だった。監視対象として、お前を見ていた。でも、いつからか——お前のことしか考えられなくなった」
レオの声は静かだったけれど、広間の隅々まで届いていた。
「お前の作る菓子が好きだ。お前の淹れる紅茶が好きだ。お前の笑顔が好きだ。お前が誰かを助けようとする姿が好きだ。お前の全部が、好きだ」
涙が溢れた。止められなかった。
「俺の伴侶になってほしい。共に歩んでほしい。——俺と、結婚してくれないか」
返事は、考えるまでもなかった。
「はい」
声が震えた。でも、はっきりと言えた。
「私も、あなたを愛しています。喜んで、あなたの伴侶になります」
レオが立ち上がった。その顔には、今まで見たことのない——笑顔があった。
広間に拍手が響いた。フェリクス側から始まり、やがてエルステリア側にも広がっていく。
---
「ノエル」
式典の後、父が近づいてきた。
「私は……お前に謝らなければならない」
「今さらですね、お父様」
声は冷たくなった。自分でも驚くほど。
「ヴィオラに騙されていた。お前の母のことも、お前のことも——」
「お母様は、あなたを愛していました。私も、あなたを父として慕っていました。でも、あなたは継母を選んだ」
父の顔が歪んだ。
「だから、私も選びます。私の人生を、私の居場所を、私が愛する人を」
振り返らなかった。
「さようなら、お父様」
それだけ言って、私は歩き出した。後ろで、父が何か言っていた気がする。でも、聞かなかった。
もう、過去に縛られない。私は前を向いて生きていく。
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王宮の庭園。夕暮れの光が、花々を金色に染めていた。
「疲れたか」
隣にレオがいた。正装を少し崩して、いつもの彼に近い姿になっている。
「少しだけ」
「座れ」
石のベンチに並んで座った。二人きりの、静かな時間。
「あの求婚……練習したんですか?」
「……誰に聞いた」
「なんとなく」
レオは目を逸らした。耳が赤い。
「兄上に、何度もダメ出しされた。『もっと気持ちを込めろ』だの、『目を見て話せ』だの——」
「ふふ」
笑いが込み上げた。あの堂々とした求婚の裏に、そんな努力があったなんて。
「笑うな」
「ごめんなさい。でも、嬉しくて」
レオは私を見た。金色の瞳が、夕日を映している。
「俺は、お前に相応しい夫になれるか分からない。王子としての務めもある。お前を寂しくさせることもあるかもしれない」
「大丈夫です」
私は彼の手を取った。
「私には、店がありますから。あなたが忙しい時は、お店で待っています。美味しい菓子を焼いて」
「……ああ」
「それに——」
少し、悪戯心が湧いた。
「レオさんの淹れた紅茶も、飲んでみたいです」
レオの目が丸くなった。
「俺の……?」
「はい。あなたはいつも、私の紅茶を飲んでくれるでしょう? 私も、あなたの淹れた紅茶が飲みたい」
沈黙が流れた。レオは真剣な顔で考え込んでいる。
「……一生かけて練習する」
「大げさですよ」
「本気だ。お前に『世界一うまい』と言わせてみせる」
「それは——」
言いかけて、言葉が止まった。レオの顔が、近い。
「レオさん——」
「あの時、俺が言っただろう」
「え?」
「『世界一うまい』。あれは本心だった」
覚えている。あの日、彼は自分の言葉に驚いて、照れて逃げた。
「あの時から、お前のことが気になっていた。認めたくなかったが」
「任務、だと思っていたんですよね」
「ああ。馬鹿だった」
「馬鹿なんかじゃありません。私も、気づくのが遅かったですから」
レオの手が、私の頬に触れた。温かくて、少しだけざらついている。剣を握る手だ。でも、こんなにも優しく触れてくれる。
「ノエル」
「はい」
「愛している」
返事の代わりに、目を閉じた。
唇に、温かなものが触れた。
柔らかくて、少しだけぎこちなくて、でも——幸せだった。
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数ヶ月後——
「いらっしゃいませ!」
ミラの元気な声が、店内に響いた。
「月下の茶房」は今日も繁盛している。テーブルは満席に近く、焼きたての菓子の香りが店中に漂っている。
「ノエル様、奥のお客様にパウンドケーキを!」
「はい、今行きます!」
エプロンを締め直して、厨房から出る。
窓際の席には、いつもの人がいた。黒髪に金の瞳。質素な私服姿のレオ——いえ、今は「レオナルド殿下」と呼ぶべきなのかもしれないけれど、店の中では「レオさん」だ。
「お待たせしました」
「ああ」
パウンドケーキと紅茶を置く。レオは相変わらず無表情だけれど、ほんの少しだけ口元が緩んでいる。
「今日の菓子は?」
「新作です。蜂蜜とレモンのパウンドケーキ」
「……期待している」
「感想、聞かせてくださいね」
「ああ」
そっけない返事。でも、私にはわかる。彼なりの愛情表現だ。
「ノエル様ー! 伯爵夫人がお呼びですー!」
「はい、今行きます!」
忙しい。でも、幸せだ。
自分で選んだ場所で、自分で選んだ人と、自分の力で生きている。
窓の外では、フェリクスの青空が広がっていた。
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夕方、店を閉めた後。
レオは帰らず、片付けを手伝っていた。もう何度目か分からない。「手伝う」と言って、勝手にテーブルを拭き始めるのだ。
「レオさん」
「何だ」
「幸せです」
手が止まった。振り向いた彼の顔は、少しだけ赤い。
「……急に何だ」
「言いたくなっただけです」
レオは目を逸らした。でも、その口元は確かに笑っていた。
「俺もだ」
「え?」
「……幸せだ。お前といると」
今度は私が赤くなる番だった。
「もう、そういうことは——」
「お前が先に言ったんだろう」
「それは——」
言い返そうとして、唇を塞がれた。
ああ、もう。この人は、本当に——。
でも、悪くない。
悪くない、どころじゃない。
最高に、幸せだ。
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夜、店の二階の窓から、星空を見上げた。
隣にはレオがいる。二人で並んで、同じ空を見ている。
「ねえ、レオさん」
「何だ」
「私たち、これからどうなるんでしょうね」
「どうもこうもない。俺はお前と生きていく。それだけだ」
シンプルな答え。でも、それが嬉しかった。
「お店は続けていいですか?」
「当然だ。俺の茶を飲む場所がなくなる」
「ふふ。レオさんの淹れた紅茶、まだ飲んでませんよ?」
「……練習中だ」
「楽しみにしてます」
レオの手が、私の手を握った。温かくて、大きくて、もう震えていない。
「ノエル」
「はい」
「ありがとう」
「何がですか?」
「俺を、選んでくれて」
胸が熱くなった。
「私こそ。選んでくれて、ありがとうございます」
星が瞬いている。月が静かに輝いている。
私は今、自分で選んだ場所にいる。自分で選んだ人と。
これからも、きっと色々なことがある。楽しいことも、大変なことも。でも、この人となら——乗り越えていける。
「さて、明日も早いです。そろそろ——」
「もう少しだけ」
「え?」
「もう少しだけ、こうしていたい」
レオの腕が、私の肩を抱いた。引き寄せられて、彼の体温を感じる。
「……いいですよ」
目を閉じた。
幸せな夜だった。
幸せな、これからの始まりだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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