創造者と破壊者
私は、平和を求めて戦った。
けれど、世界は私を怪物と呼んだ。
守った人々は怯え、
命じた者たちは処分を望んだ。
だから私は、孤独を選んだ。
平和は、与えられるものじゃない。
創るものだ。
夜、街に不穏なざわめきが走る。
兵器の移動音。無数のライト。
国軍が集結していた。
私を追っているのか。
それとも、私から逃げているのか。
……どちらでもいい。
「サルパ発見!包囲を!」
声が上がる前に、私は消える。
透明な刃となり、隊列の中心へ滑り込む。
何十もの銃口が向けられる。
震える手。私を恐れる目。
ひとりが叫ぶ。
「君は……何者なんだ!」
私はゆっくりと姿を現す。
「平和を創る者」
その答えに、誰も動けない。
「終わらせてみせる。すべての争いを」
その一言が、世界を戦場に変えた。
砲台がこちらへ向く。
数秒後には、私の体を穿つだろう。
「苦しむ必要はない」
その言葉に、震えが走ったのは兵士たちの方だった。
私は姿を消す。
彼らの視界から“平和”が消える。
構える間もなく、一陣の風が横を抜ける。
次の瞬間、兵士たちは倒れていた。
苦悶も、叫びもなく。
静かに、安らぐように。
「もう戦わなくていい。
争いは終わったよ」
私は一歩、前へ。
戦車が砕け、砲弾を積んだ車両が音もなく折れた。
ただの作業。
ただの 平和のための処理。
「楽になって」
優しい声で告げるたびに、世界は静かになっていく。
私は正しい。
だって、私が止めれば
争いはなくなるのだから。
国旗が、音もなく燃えていた。
私が守ってきた国。
私が信じてきた国。
それが、沈黙しはじめていた。
「もう……いいよね?」
私に銃口を向けた兵士たちは、
返事の代わりに引き金を引く。
弾丸は空気に溶け、地面へと落ちていく。
私はそっと両腕を広げた。
『この国に、
争いは必要ない』
その言葉が、風に乗って街を包む。
橋が折れ、ビルが沈み、砲台が音もなく消えた。
悲鳴は上がらない。苦しみも無い。
国は平和になった。
私が、争う力を奪ったから。
「ほら……静かでしょ?」
その微笑みは、見る者すべての心を凍らせた。
私は振り返らない。
平和のために…
焼け落ちた街の匂い。
その向こう側で、なぜか甘い匂いがした。
「……この匂い……知ってる」
心臓のない胸が、ひどく熱い。
まるで、息をするみたいに。
湯気。暖かいテーブルの灯り。
影が寄り添う二つの椅子。
君が帰ってくるだけで、ここは平和になるんだ
優しい声が、思い出の底から浮かび上がる。
手のひらの温度。
右手薬指に感じた硬い感触。
「……だれ……?」
あの日の笑顔が、名前を呼ぼうとしている。
私の、たった一人の平和。
世界がどうなろうと、この記憶だけは壊れない。
そのはずなのに。
顔は、思い出せない。
声も、かすれる。
「会いたい……」
気づいた時、私の頬を一つの雫が落ちた。
兵器には、涙なんて要らないのに。
涙が落ちた場所に、黒いひびが走った。
路面でも、大地でもない。
世界そのものに。
「……会いたい」
その願いが、身体の奥で爆ぜた。
空気が歪む。光が千切れる。
そして
私の足元が、消えた。
次の瞬間、見たことのない街の上に立っていた。
夜。
高層ビルの街灯が
星みたいに瞬き、車が蟻のように走っている。
「ここ……どこ……?」
ここでも、
誰かが争っている。
誰かが泣いている。
手が震える。
私が行けば、その争いは終わる。
けれど、それは後でいい。
今は…
たったひとりを探したい。
「あなたは……どこにいるの……?」
再び足元が歪む。街の光が引き裂かれる。
私は跳んだ。世界中のどこかにいる
私の平和を探して。
街が変わっていく。
国も、文化も、空気の色まで違う。
何度跳んだだろう。
争いの火は、どこにでも燃えていた。
でも……
ある建物の前で、私は立ち尽くした。
看板に描かれた文字。
《café Sorriso》
見覚えのある響き。
扉を押して入ると、静かな厨房の片隅に、一枚の写真が飾られていた。白衣姿の男性。鍋を振りながら笑っている。
その笑顔を見た途端、胸の奥がちぎれそうになった。
「……あなた……」
指先が写真に触れる。触れた瞬間、頭の中で光が走った。
ただいま
おかえり
二人の声が、確かに響いた。
「会いたい……今度こそ」
手を伸ばした、その時。
「サルパ。
やっと見つけた」
背後から、聞き慣れた優しい声。
白い腕章の男が立っていた。
その笑みは、以前より少しだけ歪んでいた。
「安心して。
君を、平和のために使わせてもらう」
優しさの顔をした鎖が、闇のように近づいてくる。
私の平和を、奪いに。
「……邪魔しないで」
彼女の影が揺れる。
空気が悲鳴をあげる。
世界と、愛が、衝突する。
次の瞬間が、争いの地平線を越えていく。
「邪魔しないで」
私は写真を握りしめた。
声が震えていた。
「サルパ、君は誤解している」
男は一歩、近づく。
その目は、優しさをなぞりながら
底に冷たい数字を宿していた。
「平和は一人の感情で成り立たない。
世界の均衡が必要なんだ。
君一人の行動が、それを壊す」
それは正しい。
でも私には、それが間違って見えた。
「均衡のために、
私を殺すつもりなんでしょ?」
男のまぶたが、ほんのわずか揺れた。
「犠牲は……必要だ」
「私は犠牲じゃないっ!!」
叫びが、店内の空気を裂く。
次の瞬間…
男の姿が、消えた。
空間が軋む。
力がぶつかり合う。
音なき戦いが始まる。
目に見えない刃がすれ違い、
棚の皿が一瞬で粉に砕け散る。
「君の力は、平和に必要なんだ!
だから制御させてくれ!」
「私の平和に、あなたはいらない!」
空気がねじれる。
男の腕章が裂け、血が飛んだ。
一歩で距離が消える。
私は男の胸元を掴み上げる。
「私の平和は、ひとりの人から始まるの!」
男の目に怒りと怯えが混ざった。
「愛を……平和と呼ぶな!」
サルパは静かに答えた。
「同じだよ」
次の瞬間、男は壁を突き破り、外へ吹き飛んでいた。
カフェのガラスが雨のように降り注ぐ。
サルパは震える指で写真を胸に抱く。
彼を失いたくない
その想いだけが、破壊を加速させる。
店内の静寂に、ガラス片がチリ…と音を立てた。
手の中の写真をもう一度見つめる。
男の手元に写るプレート。
刻まれた文字。
《Chef Award —
International Cuisine Contest》
そこに記された小さな国旗。
位置と色。
記憶の底が揺れる。
この国に、一緒に行ったことがある
料理の香り。
弾ける笑い声。
君の料理は、きっと世界を笑顔にできるよ
夫の声が、かすかなノイズからはっきりと形を取る。
「ここじゃない……彼は、この国にいる」
その国は、既に戦火に包まれていた。
黒煙が上がる映像が、店の壊れたモニターに映る。
銃声と悲鳴が、遠くから響く。
夫はまだ、争いの中にいる。
「私が行けば……彼は救われる」
足元が淡く歪む。
また一つ、光が裂ける。
世界のどこかで、私の平和が待っている。
世界の色が入り乱れた。
何度目かの瞬間移動の後、砂と血の匂いが肌を刺す。
砂漠に囲まれた街。
遠くでミサイルが尾を引き、建物が削られていく。
「ここに、いるんだよね……」
私は歩く。兵士たちが銃を向ける。
撃たれるより先に、兵士たちが沈んでいく。
眠るみたいに。争いを忘れるために。
「もう守らなくていい」
戦車が砂に崩れ、銃声が止まり、街が静かになっていく。
平和は、静寂から始まる。
その時、生き残った料理人が
私の姿を見て叫んだ。
「あんたの旦那なら、避難キャンプに連れて行かれた!」
避難キャンプ。
つまり、まだ生きている。
「ありがとう」
兵士に向けた時と違う声が出た。
心の奥にあった、柔らかさが震えた。
愛が確かに息をする。
足元の空気が歪む。
すぐに跳ぼうとしたその時。
「サルパ!」
砂埃を切り裂いて、
裂けた空間から兵士たちが溢れ出した。
先頭には…
あの男。
白い腕章は薄汚れていたが、
笑みだけは綺麗なままだ。
「やはりここだったか。
愛は、愚かだな」
「黙れ」
私は兵器らしく、冷たい声で答えた。
「君を世界の平和に組み込む。
抵抗は許さない」
男の号令と同時に、
包囲網が閉じる。
砲門が一斉に火を噴く。
だが、砲火の全ては
私に触れる前に消えた。
「邪魔するな。
私は、会いに行く」
地面が光に裂ける。
もう止まらない。
争いも、愛も、私も。
世界は私を追う。
私は一人を追う。
平和は愛から生まれる。
そして、愛は破壊を連れてくる。
カフェの壊れたモニターが突如明滅した。
海外放送。緊急ニュース。
『特報。生体兵器サルパによる、
複数国家壊滅事件について』
映し出されたのは、私が救えなかった国々。
私が救ったつもりだった国々。
「……壊滅……?」
静寂は平和じゃなかった。
ただの死だった。
『国連安保緊急声明。
サルパを人類の敵と認定。』
言葉が、世界の結論が、私の心に杭を打つ。
私は、世界に敵とされた。
その瞬間、施設の外から轟音が走る。
ドローンの群れが、ビルの影を埋め尽くしていた。
「……っ!」
追われている。
逃げなければならない。
会わなければならない。
足元が揺れる。
もう迷っている暇はない。
愛だけが、私を導く。
「待ってて……必ず迎えに行くから」
世界中の銃口を背に、私は跳んだ。
次の瞬間。
避難キャンプの外縁に立っていた。
砂に埋もれたフェンスの向こう。
悲鳴と祈りの交差点。
そこに、あなたがいる。
フェンスの向こう。
避難民の列。泣き声と怒号と、埃の風。
その混沌の中。私は、見つけた。
ひとりの男性が、倒れた子供に水を渡しながら、必死に笑顔を作っていた。その笑い皺。揺れる肩幅。わずかに震える指先。
間違えるはずがない。
「……っ、あなた……!」
声が勝手にこぼれる。
彼が顔を上げた。
時間が止まる。
目が合った瞬間、世界の音が全部消えた。
「……サルパ?」
その一言で、私の膝が崩れた。
会いたかった。
会いたかった。
会いたかった。
名前を呼ばれるだけで、生き返れた気がした。
彼は駆け寄り、拳の跡が残る手で、
私をそっと抱きしめた。
あたたかい。
「遅くなってごめん……」
私の声が震える。
涙が止まらない。
「でも……やっと会えた」
「帰ってきてくれたんだな」
彼の手が、私の背中を優しく撫でる。
私は、やっと平和に触れた。
世界中が銃口を向けても、この腕の中にだけは、
凪のような静けさがある。
抱きしめた腕の中。
彼の鼓動が、私の静寂を温めていた。
このまま時間が止まればいい。
そう願った。
けれど。
彼の体が、震えた。
「サルパ……」
彼は私の頬に触れ、その指先がかすかに冷たい。
「お前は……もう、戦わなくていい」
優しい言葉。
なのに、私の心臓のない胸が激しく脈打つ。
戦わないということは、平和を諦めるということ。
私は気づいてしまった。
彼がそばにいる限り、きっと私は迷う。
きっと私は弱る。
そして、世界は戦争をやめない。
「ごめんね」
涙が彼の肩に落ちて、そのまま溶けた。
「あなたがいれば……私は平和を壊せない」
彼が目を見開いた瞬間、
私は彼を抱きしめる腕に力を込めた。
優しく
眠らせるように。
争いを忘れさせるように。
彼の鼓動が止まった。
世界が一度、息を失った。
「ありがとう」
最後にもう一度だけ、彼の髪に触れた。
これで、私は迷わない。
目を閉じても、涙は止まらない。
でも、その涙が落ちるたび、大地が砕けた。
国々が、次々と
静かになっていく。
争う声は、全て消える。
世界は、平和になった。
たったひとりの犠牲で。
「愛してる。ずっと」
世界を滅ぼした最後の言葉は、
祈りのように優しかった。
街は沈黙し、空すら鳴りを潜めた。
風が瓦礫を撫でる音だけが、生き残った生命の鼓動みたいに響く。
サルパはただ、歩き続けていた。
守るべき人も、壊すべき敵も、もうどこにもいない。
世界は争いを失い、同時に脈も失った。
「平和になったよ。あなたの言った通りに」
腕の中には、もう彼はいない。
でも、温度だけがまだ指先に残っている気がした。
泣く理由も、笑う理由もない。
けれど、涙は勝手に頬を伝う。
「これでよかったんだよね……?」
答える声はない。
それでも彼女は歩く。
壊れた都市の中心へ。
かつて二人で夢見た未来の、その墓標へ。
平和を創るために壊し尽くした世界。
最後に残ったのは、自分ひとり。
サルパは夜空を見上げた。
一番星が、まるで彼の目のように瞬いている。
「もしもう一度会えるなら。
そのときは、ちゃんと笑ってみせる」
風が優しく頬を撫でた。
それが返事だと信じて、彼女は前へ進む。
愛した人のいない世界でも、
歩き続けることが、彼への平和になると信じて。




