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謎は残る、そして

 エンジン音を響かせて、電車は夜の山間をゆっくりと進んでいた。

 窓の外は真っ黒で、時折ちらつく民家の灯りだけが現実を思い出させた。


「眠い?」

 伊吹の問いに、雪花は小さく頷いた。

 張りつめていた心がようやく緩み、まぶたが落ちていく。


「肩、貸すよ」

 伊吹の肩に頭を預けると、ほのかな温もりが雪花を包んだ。

 土と汗と、伊吹の匂い。さっきまでの恐怖の匂いが、今は世界で一番安心する匂いになっていた。

 電車のリズムと伊吹の体温が、心臓の鼓動と重なっていく。


 ――まるで世界が、二人だけになったみたいだった。


 やがて雪花は眠りに落ち、伊吹はその汗で少し張り付いた前髪をそっと撫でた。

「もう大丈夫。全部、終わったんだ」

 その言葉を、誰に向けて言ったのか――自分でもわからなかった。


 そのとき。


 視界の端を、黒い影がよぎった。

 伊吹は反射的に窓の外を見た。


 ――暗闇の中、何かが走っている。


 四足のようで、二足のようで。

 光の届かない闇を裂くように、異形の影が電車を追っていた。

 木の枝をなぎ倒し、泥を跳ね上げながら、ありえない速度で並走している。


「……まさか」


 赤い目が、ぱっと光った。

 電車の中の二人を、じっと、見つめている。

 それは、あの“鬼”だった。


「雪花っ、起きて!」

 伊吹は肩を揺さぶった。雪花が目を開き、窓を見て息を呑む。


「嘘……まだ、追ってくるの……!?」


 電車の速度が上がる。

 だが、鬼の走る音が、どんどん近づいてくる。

 ドシン! ドシン! という地響きが、電車のガタゴト音に混じり始めた。


 伊吹は車掌室の扉を叩いた。

「お願いです! もっとスピードを!」

「これ以上は無理だ!」

 車掌の叫びは悲鳴に近かった。


 ガシャァン!


 一番後ろの車両の窓ガラスが砕け、風が吹き荒れる。

 次の瞬間、鬼の巨大な腕が車体を掴み――電車が、横転した。


 衝撃。

 世界がひっくり返る。

 金属が悲鳴を上げ、火花が散る。


「雪花っ!」

 雪花が自分の腕の中で、ぐったりと倒れていた。

 伊吹はとっさに彼女を抱きしめて、床に転がっていた。


「生きてる……? 雪花! 返事して!」

 伊吹は雪花の頬を強く叩いた。

「……ん……っ、伊吹?」

「大丈夫! よかった……!」


 二人は割れた窓をよじ登り、外へ飛び出した。


 夜の山。

 闇しかない。

 空には月も星もなかった。


 背後から――グルルル、という獣の咆哮。

 あの生臭い腐敗臭が、すぐそこにいる。


「逃げて!!」

 二人は手を取り、必死に走った。

 枝が頬を裂き、雪花の薄いパジャマ代わりのTシャツが、茨に引っかかって破れる。

 靴が泥に沈んでも、止まらなかった。


 鬼の声が、確かに背後で、楽しそうに笑っていた。


 どれだけ走ったかわからない。

 息が切れ、足が限界を迎えた頃――

 伊吹は小さな洞窟を見つけた。


「あそこに!」

 二人は飛び込み、身を寄せ合った。

 狭い空間で、お互いの荒い息と、恐怖で早鐘を打つ心音だけが響く。


 外から、足音。

 土を踏みしめる重い音。


 鬼の指が、洞窟の入口をなぞった。

 岩肌を削るような爪音が響く。


「もう……だめ……」

 雪花が泣きながら伊吹の腕にすがった。

 伊吹のTシャツを、爪が食い込むほど強く握りしめる。


 伊吹はその手を握り返す。

「大丈夫。私がいる」


 けれど、自分の声が震えていた。

 伊吹は、雪花を自分の背中側に隠すようにして、洞窟の奥に押し込んだ。


 フゴォォ……

 鬼の息が、洞窟の中に吹き込む。

 獣と腐敗臭が混じった、生暖かい風が、二人の頬を撫でた。


 鬼は、そこに二人がいることを、わかっている。

 ただ、遊んでいるだけだった。

 

 ――そして、静寂。


 夜が明けた。

 気づけば鬼の気配は消えていた。


「……いなくなった?」

「たぶん」


 伊吹と雪花はふらつく足で外へ出た。

 朝日がまぶしく、鳥の声が響いていた。

 まるで、何もなかったかのように。


 数時間後、二人はふもとの町へたどり着いた。

 携帯が通じたとき、涙があふれた。


 警察に保護され、事情を話した。

 鬼のことも、脱線した電車のことも。


 だが――。


「そんな電車、運行記録にありませんよ」

 警察官の言葉に、二人は顔を見合わせた。


「でも、確かに乗ったんです! 終電で……!」

「この路線、十年前の土砂崩れで廃線になってます。……あなたたちが乗ったっていう、その時刻にね」


 静かな事務所に、風の音だけが鳴った。


 それから数日後。

 新聞には、小さな記事が載った。


 山中で脱線した列車が発見される。

 車両は老朽化が激しく、運行停止から十年以上が経過していた。

 なお、車内からは、身元不明の古い白骨死体が見つかった模様。


 記事を見つめる雪花の手が震える。

「ねえ、伊吹……あの電車って……あの車掌さんって……」


 伊吹は答えなかった。

 ただ、雪花の肩を抱いて、静かに言った。


「もう……考えるのはやめよう。生きて帰れたんだから」


 外では、春の雨が静かに降り始めていた。

 窓ガラスに映る二人の姿。


 伊吹は、雪花の震える肩を抱きしめた。

 雪花は、伊吹の腰に強く腕を回した。

 もう、お互いしかいない。

 お互いだけが、あの恐怖を「本物」だと知っている。


 その背後――

 濡れた窓越しに、赤い“目”が一瞬だけ、光った。

 『みぃつけた』と、言うように。

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