夜鳴きの森
勝手口が、ギィ……と軋む音を立てた。
その一音が、ログハウス全体の静寂を震わせる。
伊吹と雪花は、互いを不安にさせないよう、何も言わなかった。
無言のまま、肩を寄せ合って部屋へ戻る。
扉を閉める音が、やけに重い。
「……ねぇ雪花」
伊吹が小さく呟いた。
「一緒に寝ていい?」
普段の明るさが消えた、か細くてすがるみたいな声だった。
「うん、こっちおいで」
雪花は微笑んで、自分が半分入っている布団の端を、無言でめくり上げた。
伊吹が、冷えた体でするりと滑り込んでくる。
二人は同じベッドに潜り込んだ。
暗闇の中で、伊吹の腕が雪花の体を包む。
それは甘さじゃなく、ただ“生きてる確かさ”を確認する抱擁だった。
お互いの肌の熱が、薄い布一枚を隔ててじわ、と混ざり合う。
「……こわいね」
「うん。でも、大丈夫。二人なら」
言葉を交わすたび、胸の鼓動が少しずつ落ち着いていく。
雪花は静かに目を閉じた。伊吹の息遣いが耳のすぐそばで聞こえる。
同じシャンプーの匂いが、さっきの獣の匂いよりも濃く、二人を包む。
同じ恐怖を共有しているのに、なぜか心が温かかった。
夜が深まり、薄明かりだけが部屋を照らしていた。
伊吹は浅い眠りの中で、雪花の寝息を聞いていた。
穏やかで、平和な音。
まるで嵐の前の静けさのように、心地よい時間が流れる。
その瞬間――。
ガシャァンッ!!
耳をつんざく破壊音。
窓ガラスが弾け飛び、重い何かが部屋を揺らした。
空気が爆発したような衝撃。
「な、何!?」
伊吹は反射的に雪花の上に覆いかぶさって、その体をかばっていた。
「雪花、起きて! 外、なんか来た!」
「……え? え?」
寝ぼけた声が震える。
だが、伊吹の表情を見た瞬間、雪花の顔から血の気が引いた。
「……伊吹、こわい……」
雪花の手が、伊吹の腕を掴む。
その冷たさが、現実を突きつけた。
恐怖は終わっていなかった。
伊吹は唇を噛み、雪花の手をぎゅっと握る。
「大丈夫。……絶対に離れないで」
二人はベッドを抜け出し、リビングへ向かった。
床板のきしみが、まるで誰かの足音みたいに聞こえる。
息が浅くなり、心臓の鼓動が耳の中で響く。
伊吹はドアノブに手をかけ、雪花を振り返った。
「開けるよ」
雪花は震える唇で頷く。
ドアを開いた瞬間、息が止まった。
数時間前まで整っていたリビングが――壊されていた。
窓は粉々、テーブルはひっくり返り、椅子が壁に突き刺さっている。
まるで、見えない巨大な獣が暴れたみたいだった。
「きゃあああっ!」
雪花の悲鳴が爆ぜた。
次の瞬間、伊吹は雪花の膝裏と背中に腕を回し、強引にその体を抱え上げた。
「きゃ……んぐっ!」
声にならない悲鳴を上げ、雪花は伊吹の首に必死でしがみつく。
伊吹のTシャツから、アドレナリンと恐怖が混じった、生々しい汗の匂いがした。
雪花の体が小刻みに震えている。
その震えが、伊吹の腕にも伝わる。
二階の部屋に飛び込み、ドアを閉めて鍵をかけた。
息を切らしながら、伊吹は背中でドアを押さえる。
「……大丈夫、雪花。もう、大丈夫だから」
その声も震えていた。
伊吹自身も怖かった。けど、雪花の前で崩れるわけにはいかない。
雪花は、まだ伊吹に抱きしめられたままうつむき、手を握りしめて小さく震えていた。
伊吹はその頭を、自分の肩口にぐりぐりと押し付けた。
雪花の髪の匂いと、涙の生温かさを感じながら、耳元で囁く。
「……怖いよね。私も、ほんとは怖い。でも、私たち、二人でいるじゃない! 一緒にいれば、何とかなる。絶対」
雪花の瞳に、一瞬だけ光が宿った。
「……うん。伊吹となら」
その言葉が、どんなおまじないよりも強かった。
二人は身を寄せ合い、夜明けを待つ。
ガラスの割れた窓から、風が鳴る。
その音が、泣き声にも笑い声にも聞こえた。
外では、森の木々がざわめいている。
まるで、見えない何かが――ふたりを囲むように。




