21
──ほんの、少しだけ。
そう自分に言い聞かせて目を閉じたつもりが、意識はすぐに遠のいた。
そして、目を覚ました時には──
教会の中の光は、もう琥珀のような夕暮れ色に変わっていた。ステンドグラスの影が長く伸び、教壇にゆらゆらと揺れている。
「……えっ、うそ、寝ちゃってた……?というか寝すぎ…?」
イリアは慌てて身を起こそうとしたが、その動きを止めたのは、自分の肩にかけられていた“何か”だった。
「…?何これ…上着?」
柔らかく、少し重たい布の感触。それは明らかに、自分のものではない。サイズも、生地も──男物の上着。
誰か、いたの……?こんな廃教会に、まさか管理人なんて……?
そんな疑問が頭をよぎった時…
「──やっと起きたのか?」
「?!」
声がした。
低く、けれど不思議と冷たさのない声。静寂の中で突然響いたその一言に、イリアは肩をびくりと震わせた。
恐る恐る声のした方向を向くイリア。
視線の先には、夕暮れの逆光に浮かぶ、ぼんやりとした人影が1人──教会の窓枠に腰かけていた。
「誰…ですか?」
(なに、この空気……)
逆光に目が慣れてくると、少しずつ輪郭がはっきりしてきた。
筋骨隆々な体格に、くせ毛のある髪──そして、手に何かを持っている…?
あれ…?
「それ…!私の手帳…!!!」
「?あぁ、これ?ちょっと拝借してるよ。中身色々と書かれててごちゃごちゃしてたけど…面白かったよ?」
「返して…!それは大切なものなの!」
リトから貰った大切な手帳、それを目の前のソイツが勝手に読んでいたのだった。
イリアは立ち上がり、手を差し出す。その瞳は真剣だった。男はそんなイリアの様子を、どこか面白そうに見つめる。
「ふーん……“大切なもの”ねぇ。」
「……っ、お願い、返して…!」
静かに、けれど切実に告げるその声に、一瞬だけ、男の目が揺れたように見えた。
──でも、すぐにいつもの調子に戻る。
「……うーん、でもこれ、なかなか興味深いんだよね。君の字、読みやすいし。」
「っ……!」
何かを押し殺すように、イリアは唇を噛んだ。
「だったら──せめて教えてよ。何を書いてるの? 旅の記録?調べ物?それとも……誰かへの手紙?」
男は軽い調子でそう言いながら、くるりと手帳を指で回した。
「言う必要、ないでしょう。……関係ない人には…。」
はっきりとした拒絶の言葉。それに、男の目がすっと細まる。
「──なるほどねぇ。そういう子か。」
「……っ!」
「分かった、今日は返さない。けど、明日またここで俺と会ってよ。それまではこの手帳、預かっておくから」
男はそれだけ言うと、ひらりと窓枠から飛び降りる。そのまま踵を返して教会を出ていこうとしたのだった。
「あ、そうそう。それと…」
そう言って、男はポケットから何かを取り出すと、それをそっとイリアの足元に投げた。
「っ、これ……?」
拾い上げると、それは薄く折りたたまれた紙片だった。開いてみると、手のひらサイズの古びた紙。でも、その端に──初めて見る印のようなものが印刷されていた。
それは燃え上がる炎の中、二振りの剣に挟まれるように描かれた、唸る狼の横顔だった。今にも咆哮を上げそうなその姿には、不思議な威圧感が宿っていた。
(……なに、このマーク……。)
「あの…」
イリアが何かを言いかけたその瞬間──
男の声が、それをかき消すように響いた。
「それにしても…1度目はナンパされて、2度目は誰もいないところで爆睡をかましてる。君…どれだけ命知らずなの?」
───面白い子だね…じゃあね。
「ちょっ…!って、1度目はって……あっ…!!」
まさか、あの時助けてくれた男性…?




