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薄曇りの空が、まだ眠りの名残を纏った村を優しく包んでいた。
陽が昇る前の静寂——鳥の声もなく、風もひそやかに息をひそめるその時間。
イリアは自宅の玄関前に立っていた。背には支度を詰めた革の鞄。そして胸元には、あのペンダント。
誰にも気づかれぬよう、早朝に村を出ようとしていたのだった。
ドアノブに触れる瞬間、ふと今まで住んでいた家の室内を見回す。
(……行ってくるね。)
心の中で、そう呟いたときだった。
ふと、あの夜のことが蘇る。
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「村長…自分のことを、もっと知りたい。……そのために、外へ出ようと思うんです。」
そう口にした自分の声は、どこか震えていた。村長の家の囲炉裏の火は、ぱちぱちと静かに音を立てていた。
「……そうかい。行くんさな。」
しばらくの沈黙のあと、村長は目を細めた。その瞳には、どこか寂しさと、どこか嬉しそうな色が混じっていた。
「懐かしいのぉ…。昔、村の外れで倒れてたお前さんが、今は自分の足で外に飛び立とうとしておる。」
ほっほっほっ…
小さく笑う村長の声は、少し震えていた気がした。
「村長…。」
「止めはせん。……けど、気をつけなされ。女1人ので旅に出るなんざ、物好きか…余程のバカかだ。」
「そうしたら私、バカかもしれません。」
「ほう、じゃあ合ってるな。」
村長はクックッと笑ってから、ふいに真面目な顔に戻った。
「旅に出るのは構わんよ。……ただ、村長権限を使おうかのぉ。」
「…村長…権限…ですか。なんですかそれ…」
「ほっほっほっ…。イリアよ、旅というのは全て一人でこなせばならん。食料や水も己で調達し、野宿もザラじゃ。そして何より娘一人で旅に出るなど、命を捨てにいくようなもんじゃ。」
「……はい。分かってます。でもっ…!」
「そこでじゃ!先ずはこの村で練習を身支度を整えなさい。これが村長権限じゃ。」
ドヤッとしている村長を横目に、彼女は目を丸くした。
「…とまぁ、すぐには旅に出ずに、身の回りの整理をしなさい。すぐにでも真実を知りたいという気持ちも分からんでもないが。」
「整理と言っても…私にはあまり私物といえるものがありません。あの家も村長が用意してくださったものですし。」
イリアは思わず眉をひそめたが、村長は気にする様子もなく続けた。
「村の外れのところに…ボロボロで今にも倒れそうな家があるじゃろ。そこを訪ねなさい。そいつはの…」
村長が言い出したその名に、イリアは思わず首を傾げた。
「え、あの人?……なんか、ちょっと変わった人ですよね……。」
「そう。変人だ。じゃがな……」
村長はニヤリと笑って、懐かしむように言った。
「あいつ、実はワシの悪友での。昔はよくコテンパンにされたわ。まだ右肩が痛むくらいにはな。」
「まさか、そんな……」
「ふふ、見かけで判断するなよ。あいつの拳は本物だ。道理も、ちゃんと心得ておる。稽古の合間に妙な薬草茶とか出してくるかもしれんが……まあ、それも込みで良いやつだ。じゃが…」
──何故家を修復してくれんのじゃ……アイツは…
頭を抱えるその姿に、イリアは思わず笑いをこらえた。どうやら、頼りにはなるが手のかかる人物らしい。
「お主が本気で旅に出るなら、あいつの元でひと月だけでも習っておけ。無駄にはならん」
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──パキリ。
足元で、小枝が割れる音にイリアは我に返る。
朝の空は少しずつ薄青へと変わり、空気にほんのりとした冷たさが混じる。
(怖くないと言えば嘘になる。でも、もう進むって決めたんだ。)
風に揺れる髪を指先でまとめ直し、イリアは歩き出した。
遠く、まだ見ぬ空の向こうへ。
「行ってきます。」




