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7/21

7:サリーとの出会い

この物語はSFカテゴリーにて投稿中の『光と陰-織りなす夢の形-』のプロローグです。主人公”ヒデ”の視点でソフィアとジュリアのBLANC TWINSが描かれている日記をお楽しみください。


 《あらすじ》

1980年代のある夏の暑い日に偶然上野公園で1人の金髪美女に出会う。まるでアニメフィギュアのような容姿のソフィアにノックアウトされてしまった。生まれて初めて情熱を感じるようになった理屈っぽい性格の大学生のヒデ。そして今までろくに1人で国内旅行もしたこともない彼だが、それがきっかけで夢を探すヨーロッパへの一人旅が始まった。ヨーロッパの国々で過ごすとともに異文化や価値観の違い、また真のライフスタイルというものを実感する事になる。しかし、その先には予想もしていなかったことが起こるのであった。さて異文化の果てとは一体どんなことろなのであろうか?


日本での価値観しか知らないヒデは、スイス・フランス・イギリスと放浪しつつその国のカルチャーや価値観の違いを体感し少しずつ異文化を理解し吸収していく。

そしてその異文化の果てには・・・


その先には驚くべきパラレルワールドがあったのだ。ソフィアとジュリアの謎の双子美人姉妹 Blanc Twins との関係が深まり吸い込まれるようにSF体験をしていくのだが…


モラトリアム期間にいる思春期のヒデは『いったい自分の夢のかたちとはなんなのか?』という問いかけに悩みながら自分なりの将来を模索していく。


荒廃したパラレルワールドを舞台に水陸両用の移動ヴィークルであるホバージェットでヒデと一緒に旅をする美人姉妹の妹ジュリア。彼女と一緒に行く先々で戦いに巻き込まれながら“剣姫ジュリア”に惹かれていく。

そして2人はお互い同じ価値観を持っている事に気が付き愛が芽生えていくのだが…


この2週間の滞在で、リンカーン、ヨークなどの近郊の都市を探索したり、サミーのお父さんにはアニールと一緒にダービーの丘陵地帯へハイキングに連れて行ってもらったり、昔の貴族の邸宅のチャッツワースハウスやバイロンの生家などにも連れて行ってもらった。特にダービシャーの古い石造りのコテージは雰囲気があり、可愛くカントリースタイルが好きな僕には堪らなく魅力的であった。そこは羊達が放牧されているグリーンが広がり、小さい村が川の支流沿いに佇むお伽話の世界だ。まるで時間が止まったようにも見えるが、室内やライフスタイルは今風なところが日本やフランスと比較して大きな違いがあった。田舎の人々の生活も田舎ではあるが田舎風ではなく現代的なのだ。住む場所は田舎なのにロンドンと変わらない文化的な生活をおくっているという『英国特有のライフスタイル』を経験できたのだった。


また何よりも忘れられない出会いもあった。着いた日の週末であるが、僕がたまたま葬儀の日に到着してしまったため、その週末は葬儀関係でサミーの両親は忙しく僕を構っている暇がなかったのである。そして金曜の夜にロバートが僕を車に乗せてサミーの従姉妹の家に連れて行ったのだった。そもそもサミーに従姉妹がいる事も知らなかったのだが、聞くところによると、年下で16歳だとか・・・その従姉妹はノッティンガム市内は詳しいため週末に代打として案内してくれるということになったらしい。


彼女の家は同じイーストウッドにあるので車で5分も行かないうちに到着した。サミーの両親の家もかなり大きめであるが、この家は邸宅という感じでちょっとしたマナーハウスのような造りである。ゲートが開き玄関ドアの呼び鈴を鳴らすと中から中年女性が出てきた。どうやらお手伝いさんのようで少し肌が褐色なスペイン風の女性である。ロバートと僕は彼女に誘導されてリビングに通され、大きなチェリーブラウンレザーのチェスターフィールドソファに案内された。少しして両親が現れお母さんがロバートにハグしお父さんは握手をした。3人ともとても親しい関係だということが一目でわかったが、お母さん同士が姉妹なのだと言う。なるほどそう言われれば何となく似ている気もするが、言われなければ気が付かない種類の姉妹である。


そしてお手伝いさんがティーを出してくれた。その両親とロバートはナチュラルスピードで色々と話しており、やはり早すぎるとついて行けないところもあるが、概要は週末の葬儀関係から始まり、日本から来た僕の話や、娘が日本で楽しんでいるらしいというような事柄だったと思う。このリビングは歴史を感じられる内装でアンティークガラスのシャンデリア、部屋の正面の真ん中に陣取っているファイアープレイスが一番それを感じることができた。またマルーンカラーのペルシャ絨毯が敷かれており、家具類のウッドは全てアンティークマホガニーでできている。まさに僕がイメージする英国の客間であった。日本ではリビングの真ん中に陣取っているテレビ様もない。そして格子の入った小さめの窓がエントランス方向に向かって2つあった。この作りからすると多分ジョージアンスタイルの邸宅ではないか? お手伝いさんはやはりスペイン人でカルメンと言うらしい。この家族はスペイン・コスタブラーバのカレラに別荘があり夏のみならず休暇があれば、しょっちゅうカレラの別荘に行っているらしくそこで知り合ったのだとか。


お母さんがお手伝いさんに『娘を呼んできて』みたいな事を言って、カルメンは屋敷の奥に消えて行った。どんな娘がでてくるのだろうかと少々心配したが、そもそも16歳なので、もしかしたら明日は子供のお守り的なことになるのでは?とそちらのほうが心配にもなってきていた。そしてそうこうしているうちに奥の方から2人の姿が見えてきた。日本の蛍光灯の白熱光に慣れた僕の目には、この間接照明の光はかなり暗くリビングに入ってくるまではよく見えなかった。そしてそのお嬢さんの姿を確認できる距離になった時点でとにかくびっくりした。身長は僕より少し低い165センチぐらいだと思う。ショートカットのヘアスタイルに細身で足が長い輪郭がまず目に入った。疑いもなく子供を想像していた僕の目を見事に裏切ったのであった。『これが16歳なのか?』と驚きのあまり身体が固まってしまった。そして目鼻立ちが整った少し面長の卵型の顔である。スイスのソフィア姉妹とは少し雰囲気が違い僕の中ではアングロサクソン的な顔立ちであった。髪はブロンドまでいかないブラウンの範疇で瞳の色はブルーに見えた。着ている白地チェックのシャツブラウスの下に隠された胸は輪郭的に大きめに見え、ブラウスをハイウェストのブラックスリムデニムにタックインしているため、ウエストがシェイプされヒップのカーブはとても綺麗に見えた。例えて言うと、彼女も顔が小さいフィギュアのような人形と言う表現がピッタリであった。


そしてこちらに近づいてきたので僕もソファーから立ち上がった。「初めまして、サリーです。」と歯に噛んだような小さな声で自己紹介があり、手を出してきたので、僕もそれに答え握手をして「初めまして、ヒデガズです。ヒデと呼んでください。」と自己紹介をした。このリビングは屋敷の奥まで続く廊下の空間から一段下がった所にありステップが2段あった。ソファーセットは4人が座ってすでに埋まっていたため、サリーはゆっくりと歩いてそのステップに腰をおろしたのだった。今そこに座っているのは予想していたような子供ではなく、まさに僕好みの小柄ではあるが、すでに外見は大人になっている人形のような女性であった。通常はこういった綺麗な白人女性を前にすると興奮のあまり血が身体中を巡りいてもたってもいられなくなる衝動に駆られるのであるが、何故かサリーとの出会いはそうではなかったのだ。自然に起こった出会いのような雰囲気で、まるで人生の螺旋階段の中ですでに組み込まれていたような出来事にも感じたのだった。


明日のノッティンガム案内の内容を僕以外の4人で詰めているようである。話が終わって僕とロバートは退場することになり「有難う!おやすみなさい!」と言い手を振って別れた。彼女は打ち合わせ中はとても静かで話に頷いていただけであったが別れ際には笑顔で手を振ってくれた。何故か解らないが、これは運命的な出会いでありどういう関係かは分からないがサリーとは長い付き合いになるような予感がした。


そして翌日になった。

サリーと2人で路線バスにてノッティンガム市内に向かった。この日のサリーのいでたちは普通の16歳の女の子のように、流行りのブリーチされたアイスブルーのデニムジャケットに同じデニムウォッシュのスリムパンツであった。パンツにインしたのはロイヤルブルーのサテンブラウスである。このルックスはとても印象的で今でも目に焼き付いている。まさにサリーの妖精のような雰囲気をうまく演出しているコーディネートであった。本当に人見知りをするようで、バスの中では隣同士で座ったのであるが僕が話さなければなかなか口を開いてくれないと言った風であった。『まあ16歳の高校生なのだから僕のような外国の大学生と話すのは初めてだろうし無理もないのかもしれない。』僕から積極的に学校の話などを振ってみたのだが残念ながら簡単な答えしか戻ってこなかった。そうこうしているうちに40分があっという間に過ぎヴィクトリアセントラルバスステーションに着いた。


ノッティンガムの中心地のヴィクトリアセンターからブロードマーシュショッピンセンターやノッティンガムキャッスルを案内してもらった後、イギリスで一番古いと言われている洞窟を利用して造られたパブ・イーオールドトリップトゥエルサレムというところで休憩を取った。その後この辺りの特産品であるハンドメイドレースのノッティンガムレースマーケットを見たり、この町の出身であるポール・スミスの直営路面店を見たりしながらノッティンガムローヤルホテルの中にあるレストランに到着した。


ノッティンガムで1番人気でセレブ御用達でもあるレストランでのランチタイムだ。確かに満席である。事前に予約してくれていたため2人席に案内された。僕はラザニアに本当はコーヒーを頼みたたかったのであるがここはイギリスだと思いティーを頼んだ。案の定サリーもラザニアにティーだった。やはり英国人は若い子に至るまで、日本の緑茶のようにとにかくティーが一般的なんだなと実感した瞬間であった。そして趣味の話、サミーの影響で日本に興味があるようなので日本の食べ物の話やカルチャーの話などをしてひと時を過ごした。彼女はゆっくりと話してくれるので会話は分かりやすく、僕の英語も伝わっているようであった。サリーは助っ人として僕を案内してくれているのであるが、僕的には、若い綺麗なティーンの女の子とまたデートができたような気分になりとても楽しい一日を過ごすことができた。この後またバスでサミーの家まで送ってもらった。そして誰もいない家に上がりサリーはティーをサーブしてくれた。僕は今日のお礼として日本から万が一のために持ってきていた扇子をプレゼントすると、彼女はその場で開けてくれて「すごーい! いい匂い!」「実物は初めて見ました。大切に使いますね!」と珍しく目が輝き笑顔で言ってくれたのだった。そのまま2人でゆっくりとティータイムを楽しみながいろいろなお話をしようと思っていたのだが、この後用事があるということでお茶を飲んだらすぐに帰ってしまったのだった。『もしかして避けられた?』と少し残念ではあったが、今日のノッティンガム観光は思い出に残る一日となった。


2週間の英国ステイはそろそろ終わりが近づいてきていた。僕はおさらいの様にもう一度単身にてバスでノッティンガムに行き、当時流行りのファッションブランドである『ネクスト』の店でシャツとセーターを買った。8月ではあるが日本の初冬ぐらいに寒くなってきておりこのままだと風邪をひきそうだったからだ。安くはないブランドなのでバックパッカーとしては結構思い切りが必要であったが、なんと言ってもトラッドファッションの本場で今流行りのネオトラッドブランドの戦利品は日本でも自慢できるものであったからだ。これで僕の大きめのリュックサックも目一杯になってしまった。そしてロバートにも車でノッティンガム名物ロビンフッドの森にも連れて行ってもらった。サリーとノッティンガムキャッスルに行った時もロビンフッドの銅像がたっていたが、それに因んだフットボールチーム(サッカー)もあり、ロビンフッドの伝説が色こく残るエリアである。森自体はオークの森で樹齢何百年という大きなオークの巨木が生い茂っている森を想像していたのだが、意外と小さめの木々が間を空けて並んでおり少し拍子抜けしてしまった。もしかしたら奥に行けばイメージ通りのこんもりとした森があるのかもしれないが、今回は森の入り口で森の雰囲気を味わうだけとなった。次回もしここを訪れることができたらさらに森の奥まで冒険してロビンフッドの時代に思いを馳せてみたいと思った。


ついにイーストウッドをそしてサミーの家を去らなければならない日を迎えてしまった。名残惜しく寝室として使わせてもらった2階の部屋で荷物をまとめていた時、サミーのお母さんが僕を呼ぶ声がした。何事かと思いすぐに下に降りて行ってみると、なんとサリーのお父さんとサリーがそこに立っていた。


今日発つと聞いて餞別としてノッティンガムレースのハンカチを渡しに来てくれたのだった。僕はその場で紙に日本の住所を書いて「もし日本に興味があれば、なんでも聞いてほしい。僕の住所を書いておいたので是非お手紙送ってね。」と言ってその紙を渡した。そしてその親子は帰って行ったが、初めてサリーに会った時に感じたように何故かこれでお別れのような気はしなかった。『そうか、避けられたわけではなかったんだ』と思えて幸せな気分になっていた。


ついに2週間お世話になったサミーの両親に深く感謝とお礼を言って、ロバートが車で2週間前に降り立ったラングリーミル駅まで送ってくれた。熱い握手を交わしてから僕は駅のホームへと向かいホームから見えるイギリスの綺麗な田園風景にお別れを言い目に焼き付けのだった。『しかし本当にお世話になったな。しかも良い思い出が沢山できて、旅行者でありながらイギリスの一般的な生活も体験できたし、ライフスタイルという概念や文化の違いをリアルに体験できたな。』と独り言を言っている自分がいた。ライフスタイルと言えば、ロバートに言われたことが心に残っている。内容はこうだ「日本人はホイールベースが長い車ほど価値がある車であるという概念が強いようだが、イギリスではそういったことよりも自分のライフスタイルにいかに合う車を見つけるか?という目利きによる車選びにセンスが現れるんだよ。」と言われたことだ。要約すると、日本はバブル経済でベンツSクラスに乗ってナンボ的な価値観があった。そういった情報は多分サミーの家を訪れる日本からの訪問客より感じ取っていたのだろう。どんなライフスタイルを持っていても車は印籠のようにベンツSクラスという価値観に文化レベルの幼稚さを感じていたのだろうと思う。確かにライフスタイルという概念自体、今の日本には正確には理解されていないのかもしれない。分かりやすい例を挙げると、それは『うちはアウトドアのライフスタイルなんだけど、車は一番ステイタスが高いベンツのSクラスなんだ』ということになり、英国人としては『なんでレンジローバーじゃないの?』ということになるのだと思う。


インターシティ125がホームに入ってきた。そうそうこの列車のドアは自分で開けるのだと思い出し、急いで2等車両まで走りドアを開けて乗り込んだ。乗客がまばらなため窓際の席に座り最後の美しい緑の風景を心に刻みながらロンドンに向かった。

そして約2時間でロンドン・セントパンクラス駅に到着した。最後に1泊のロンドン観光日を残していたため、パディントン駅前の安いB&Bに泊まり可能な限りセントラルロンドンをアンダーグラウンドを使いながら見て廻った。ビッグベン、国会議事堂、バッキンガムパレス、ロンドンブリッジなどの観光名所を網羅し記念写真にも収めた。またボンドストリートやオックスフォードストリートなどの繁華街も歩きハイドパークも少し散策してからハロッズに入った。1日の観光ではこれが限界だろうと思い、体力と相談してこの最終日はこれで手を打つことに決めた。


ロンドンを1日観光してパリの旧市街と比較してみると首都としての大きさの違いを実感できた。パリ旧市街はメトロなしでも頑張れば自分の足で移動できるサイズなのに対してロンドンではそれは無理だと感じた。アンダーグラウンドで目的のエリアまで移動してから歩かないと20代前半の僕でも流石に足がもたない。今回は資金の都合で乗れなかったのだが、ダブルデッカーのロンドンバスとクラッシックなデザインのロンドンタクシーは便利そうであり、またロンドンの街の風情も創り出している。歴史的な建築物を含めてパリと比較すると圧倒的に赤煉瓦の建物が多くまたそれとは対照的に近代的なビルも多い。全体的には石造りの建物が多いパリよりもシャープで未来的なイメージも強く、それと比例して人々のファッションもカジュアルでラギッドだ。所謂ブリティッシュトラッド的なビジネスマン風な男性も多いが、それ以外はパリよりもベーシックでスタイリッシュ、女性もレザージャケットなどメンズライクなアクティブなスタイルだ。ロンドンの女性は今まで見てきたヨーロッパ大陸の女性とは少し違った雰囲気を持っている。


これがラテン系民族とアングロ・サクソン民族のカルチャーの違いなのだろうか?ラテンよりも長身ということもあるが、それを言うならゲルマンそしてスカンジナビア系もそうであるのだが、またそれとも違った雰囲気があるのだ。特に細身の女性は上品さと透明感があって僕好みでもある。生まれながらに持った外見状の特性と生まれてからの家庭教育での品の良さが立ち居振る舞いに滲み出ているのだと思う。男性も品があって礼儀正しい。以前から聞いていた『紳士の国 英国』を身をもって体験できた。『不思議の国のアリス』や『ピーターラビット』等英国を代表する物語が出てきた背景も納得できるし、本当にヒューマニズムの国なのだなと実感したのであった。


旅行回想シーンが続きましたが、そろそろ場面がかわってきますよ!!

その変化をお楽しみに!

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