表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/21

6:実は英国最高!

パリからカレー行きに乗り、今は海に面しているフェリー乗り場でチケットを買っている。フェリーは流石にユーレイルユースパスでカバーされてはおらず、おまけに鉄道においてもヨーロッパ大陸のみで英国はカバーされていないのだ。だから、この滞在の2週間に合わせてブリットレイルパスも事前に購入してあった。冷静に考えるとフェリーに乗ること自体初めてなのに気がついた。もちろん所要時間が1時間ぐらいなので2等のデッキ上である。まあそのほうが船酔いしないそうだ。船内は1等の客室以外には大きな2等席の空間になっており、沢山の座り心地が悪そうな固定イスが並んでいた。中央には飲み物や軽食が買えるスタンドもあり、フランとポンドの2国通貨で表示されていた。手持ちのフランでも買えるのだがとりあえず我慢して過ごすことにした。


ドーバーに着いてからも入国のイミグレブースがあり、パスポートを見せスタンプをもらってついに英国入国を果たした。これで、スイス、フランスに次いで人生上3つめの外国訪問となったのだ。あっという間のクルーズであったが、デッキからは確かにホワイトウォールといわれるドーバーの有名な白い崖が確認できた。そして次はドーバー駅からブリットレイルでロンドンに向かうのである。この乗り換えは難なくパスし今は車窓から緑の田園風景が流れている。牧草地に牛や羊などの家畜がまばらにいる風景ではあるが文字通り牧歌的でとても美しい景色である。そのうちロンドンが近づいてきた。『なるほど!やっぱりイギリスはレンガなんだな!』フランスは石造りの建物が多く、薄いグレージュカラーの街並みであったが、イギリスはオレンジブラウンのブリックカラーの家々なのだ。そしてやっとロンドン・セントパンクラス駅に到着した。ここで驚きとして特筆したいことがある。街中の通行時に、英国人は、次の人が来るまでドアを開けて待ってくれているのだ。これは日本では絶対あり得ないことなので驚きと共に感激してしまった。『さすが! 紳士の国』


駅構内ではイギリスのマクドナルドと言われるウインピーでチーズバーガーセットを食べた。ウインピーは日本ではあまりメジャーではないのだが、僕の大学の駅にあったためよく利用していた。トレーのペーパーマットにロンドンのアンダーグラウンドマップが描かれており、いつかロンドンに行ったら乗れるんだなと思いながら食べていたものだがそれが現実となった瞬間であった。セントパンクラス駅は駅舎のホーム部分の上に古い建築様式のガラス屋根がありまたヨーロッパ大陸とは違った趣がある。駅入り口付近の左壁面にチケットオフィスがあり、そこでラングリーミルまで特急インターシティ125のリターンチケットを購入した。


英国の場合は往復の『リターンチケット』を買うとかなり安くなるらしく、イギリスからの留学生サミーからは絶対に買うようにと念を押されていたのだった。すでにその特急が到着していたため発車までは少し早いがセカンドクラスの自由席に乗り込むことにした。そして窓際の進行方向に向かう席を確保し駅ホームの人々をぼーと眺めていた。イギリスでは通勤時間などのラッシュ時の運賃が高くなり逆は安くなるという日本と逆の発想なのである。この時間は安いため発車時刻が近づくにつれてどんどん乗客が増えほとんど満席になってしまった。


やはり予想通り若い世代を中心にイギリス人はフランス人より背が高いというのが第一印象だ。頭が小さく、手足が長く、おまけに胴も長い。そしてフランス人よりも金髪が多いとは言えないまでも、より明るめの髪色が多く目に映った。さていよいよ出発である。独特な車掌のアナウンスとともに列車が動き出した。あとでわかったことであるがこの特急はディーゼル車なのだ。どうりで先頭車両が煤けていると思った。英国はいまだにこんなディーゼル車両が多く走っているらしい。そのせいかブレーキがかかる度に焼き切れたようなキツい臭いが鼻を刺した。時刻はすでに午後4時をまわっているのだが、夏の英国は高緯度のためまだ昼間のように明るい。そのお陰で車窓からは素晴らしい風景を堪能できたのだった。この風景はドーバーから見た風景と基本的には変わらないのだが、まずは全体が綺麗なグリーンのなだらかな丘といったらいいのか?それとも起伏がある平原といったらいいのか?スイスのそれとは違った緑の牧草地の地平線が広がっている。比較すると、全く山がないというのがイギリスの風景の特徴だと思う。夕暮れ時に近づいているせいか、とは言ってもまだ全然青空なのであるが、緯度的に太陽の光の角度が低いからだろうか? 日本とは違う美しいグリーンが広がっている。このグリーンは日本ではまず記憶にないグリーンの種類なのだ。しかも特急はある程度の速さで走っているものの、視界にはそのグリーンの世界が絶えず広がっているのだった。


国土は日本よりも小さいはずなのに土地が平らなせいで有効面積がめちゃくちゃ広いんだなと実感した。日本の国土の場合は山が8割で残り2割の平地を奪い合っているイメージであるが英国ではそれが逆転しているのだ。まず山というものが見当たらないのだ。そして合間に町があり農家が点在している。基本的にその他は牧草地や広大な畑のようである。たまに都市部に入りまた列車は抜けていく。つまり都市部と農村部が完璧に分かれている構成で、ダラダラと隙間なく繋がっている日本の風景とは全く違ったものであった。狭いのに広いということなのであろう。


そしてヨーロッパ大陸の国々と比較すると大陸の都市は歴史的に都市国家から成り立っているため、必ずと言っていいほど教会を中心に街が形成されており、すべての住宅と生活機能がその中に組み込まれ農地がその周りを取り巻いているという風景だ。ここイギリスでは行政や商業の集積の街機能は存在するのだが住宅地というエリアが別途構成されている。つまり農家の場合は郊外に居宅がありその周りに農地が広がっているのだ。またこういったスタイルがアメリカの住宅環境の雛形になったのだと思う。そして日本もお手本としているため馴染みがある風景にも思えた。


そうこうしているうちに幾つかの都市を抜けてそろそろラングリーミルが近づいてきたのだった。アナウンスが入りリュックを背負って車両の端のドアまで移動する。この特急は降りるときには自分でレバーを下げて開けないとならないのである。それがいいのか?悪いのか?今の所判断はつかないが、パリのメトロ以外自分で列車のドアを開けるという行為はしたことがなかった。開かなかったらどうしようという一抹の不安も過ったが無事降りることに成功した。


ついに終着駅ラングリーミル駅に到着した。本当はノッティンガムシャーのノッティンガム駅に行くのがメジャーなアプローチなのだろうが、サミー曰く、たまにラングリーミルに止まるインターシティーがあるから、そこからバスに乗れば彼女の自宅まですぐなのだとか。幸運にもそのたまに止まるインターシティーに乗ることができたためラングリーミル駅に降り立つことができたのだった。ここは無人なのかな?と思えるぐらい小さな田舎の駅である。そして先ほど列車の窓から見えていた緑の丘の真ん中にある駅でもあった。先を急ぐためすぐさま駅を出てまずはサミーが言うバスストップを見つけた。言われた通りのバス停でしばし待ち予定通り乗り込む事ができた。『途中で停めてくれるからイーストウッドのチャーチストリートまでとドライバーに言ってくれ』と言うので、その通り乗車時に英語でドライバーに伝えた。どうやら通じたようだ。しばらく乗ってからここだよと親切に教えてくれたのでバスを降りた。


ここはイーストウッドという町のほぼ中心部になるようだ。確かに正面の少し先に王冠のような形をした塔を持つ教会が見えている。やっとイーストウッドまで辿り着いたのだった。すでに午後6時をまわっていたが、イギリスの夏時間ではまだ明るい。本音を言うとパリからここイーストウッドまでの道のりを一日でこなせるのか実は不安であったものの、トーマスクックでは乗継的には繋がっていたためトライしてみたのだった。結果的には物凄く疲れ果ててしまったものの大幅な遅延もなく大縦断は大成功となった。2日分の行程を1日に圧縮できたため費用と時間を短縮できて得した気分にもなっていた。さてさてあとは最後のフィニッシュだ! サミーが描いてくれた物凄く簡単な地図を片手に彼女の実家まで辿り着けば本日のゴールとなるのだ。そして10分ぐらい歩いた先についにそれらしき家を発見した。総2階建てのかなり大きな邸宅で、もちろん赤煉瓦でできた建物であった。それはチャーチストリートに面してはいるが閑静な住宅街の中に佇んでいた。


やっと到着ということでフィニッシュの呼び鈴を押してみた。サミーのご両親が出てきたら何と自己紹介しようかとイメージしながら待っていたのだが・・・暫く間をおいたが反応がない。少し焦った。確かにこの日の夕方頃に特着することをサミーには言ってご両親にも伝えてもらっているはずなのだ。スラントして開く窓が少し開いているから、全くの不在ではないようにも思える。玄関ポーチの前にある低い石塀の上に腰を掛けて暫く待つことにした。


閑静な住宅地の中にある家々の並びなのでこの時間は人通りがない。はるばるパリから来たというのに、『もしご両親が帰ってこなかったら・・・』と思うと途方に暮れてきた。そういう場合はいったいどうする? 旅行者用にはマイナーな町なのでもちろんガイドブックには載っていない・・・先ほどバスを降りた時の交差点にパブらしきものがあったがその上階に『イン』という看板もあった。その場合はそこに行って聞いてみようか?と思いながら20分ぐらい座っていた。


すると向こうからジャガーのXJ6がゆっくりと近づいてきたのだった。サミーからはお父さんは日本贔屓で車もホンダのセダンに乗っていたりとセダン好きな話は聞いていたのだが・・・このジャガーはもしかしたらそうであろうか?と思いスッと立ち上がった。ウインカーを出して左に車を寄せてきて僕の手前で止まった。ドアを開けて男性が降りて僕に近づいてきた。「あなたはヒデカズですか?」と聞かれた。「はい!そうです」と喜んで答えた。その男性の顔がサミーに似ているのでお父さんであると確信した。「ごめん ごめん 今日来るのはわかっていたのだけど、急に義父が亡くなって葬儀があったんだ。」と不在だった理由を説明していた。「どのぐらいまったのかな?」、「いえいえ20分程度ですよ。」と答えて「初めまして!宜しくお願いします!」と言いながらお互い握手を交わした。


車庫を開けてまず車をガレージに停めた後今度はお母さんが降りてきた。お母さんも笑顔で近づいてきて、再度お父さんにしたと同じように「初めまして!ヒデカズです。宜しくお願いします!」と挨拶をした。お母さんも「よくいらっしゃいましたね!」と言いながら握手をした。しかしよかった。これで今晩は路頭に迷うことは無くなったのだ。そして日も暮れてきた。


玄関ドアを開けて中に入ると、一面にワインレッドの絨毯が敷かれており大理石のスイスの住宅とは全く違っていた。そして家庭の暖かさも感じた。今は夏であるが、全く日本のような暑さを感じず、フランスよりもやはり緯度が高い分気温も低く感じる。冬となるとかなり冷えた気温となるため住宅内に暖炉と絨毯が必須なのであろうと推察した。


 まずリビングに通され3人掛けのソファに座った。コーヒーテーブルを挟んで1人掛け用のソファが2つある。暖炉が部屋の中心に位置しており、反対の壁面はベイウインドウが1つ繊細なレースカーテンで飾られていた。そして窓の近くにはオルガンがあり、付近にテレビもあるが、テレビ様風にリビングの中心に陣取っている日本のお茶の間とは違い部屋の中心は暖炉様であった。やはり同じマホガニー材でコーディネートされたおり暖炉上の棚にクラウンダービーの陶器が並べられていた。


まずティーを頂いた。イギリスではいわゆる紅茶はあたり前のようにミルクが入ってくるのだ。レモンティーもあるにはあるらしいがミルクティーを飲まない少数派の人が特に夏場に飲むものらしい。僕とお父さんが諸々話している間にお母さんは夕食を準備していた。日本にいるイギリス人とは何度も話した経験があるが、イギリスでネイティブなイギリス人とこんな長い時間話したのは初めてである。日本にいる外国人は日本人慣れをしているため、わかりやすく話してくれたり、意識的にゆっくり話してくれるのだが、現地の人はもちろんネイティブスピードである。そもそもお父さんはゆっくり話す方のようで、お陰でほぼ話の内容は理解できた。サミーからも聞いていたが、この町イーストウッドには小説『チャタレイ夫人の恋人』で有名な作家D .H.ロレンスの生家があり、日本からの研究者やファンが結構訪れるそうなのだ。そして日本人の大学教授の友達も数名いて、この家にしばしば滞在するらしい。『1人が京都に住んでおり、また琵琶湖の近くのお寺の住職をやっている友人もいるらしい』というような話を聞いていた。このお父さんは明るい人柄で博識でもあり色々な事に興味がある方のようだ。というより知らない人や外国人と会話するのがとても好きなように思える。


そうこうしているうちに夕食ができてダイニングルームに通された。先ほどのリビング、このダイニングルーム、そしてキッチンは独立した別の空間にある。多分2階に4部屋ほどあるのだろうか。またイギリスの邸宅に必ずある広いバックガーデンがキッチンから見渡せた。ダイニングルームの家具もマホガニーでコーディネートとされていた。お母さんからも日本人が好きで歓迎してくれている気持ちが伝わってきた。この僕の歓迎の夕食では、美味しいチキン料理を頂き話題は僕の日本での趣味やサミーの日本での生活がメインだった。やはり両親として異国にいる娘を心配しているのだろう。


予定ではこのご両親に2週間お世話になるのである。とても良い方々で安心した。英国滞在一日目であるが、予想したような人種差別は全くといっていいほど受けていない。パリでも感じなかったが、人々の目を含めるとむしろイギリスの方が僕がいても自然な雰囲気がある。東洋系では日本人は少ないものの中国系の方々が結構いるので抵抗はないのだとも思えるし、そもそもアフリカ系やインド系も多く、人種に関して意識している風が全くないように感じた。それよりも自分達との違いに関して逆に評価しているような印象さえも受けた。イギリス人の中では個性というものが人格形成上重要な要因であり、そこが画一化された価値観の社会に押し込められた日本とは180度の違いを感じる。『あの人 個性的で変わっているよね!』ということが褒め言葉になる社会なのである。僕はそういった社会の方が生きやすいのではないかとも感じていた。


その日から2週間何から何まで本当にサミーのご両親にはお世話になった。スイスの姉妹にもお世話になったが、イギリスのこのお宅にいるとなぜか日本に帰ったかのような安堵感を感じた。それはこのご両親が日本贔屓だからなのか?それともイギリスそのものがそういった安心感を感じる第2の故郷的な場所なのか?多分どちらも混ざっている感じがした。何故ならばスイスやフランスで感じた異国感というものがこの英国ではあまり強くは感じられなかったからだ。人々が誰でもフレンドリーで優しい雰囲気もある。そもそも同じ島国で日本は歴史的にも社会制度を真似ているからなのか? 理由は不明であるが半分ぐらい日本の雰囲気に似ているのだ。違っている半分の要素は日本と全く反対な価値観のところである。長い島国の歴史で培われた控えめなコンサヴァティブなカルチャーと大英帝国を形成した個人主義のアグレッシブな部分が程よく混ざってこの国の現在のカルチャーが形作られている。それが僕の中では心地よいと感じられるのであろう。出発前に抱いていたイギリスのイメージとは180度違っていたので驚きでもあった。

 

結局イギリスでは人種差別というものは微塵も感じられなかった。だが同じ時期にロンドンに留学したり、長期滞在した日本人の知人と体験談を話した時には、彼らの中には差別されたと感じた者もいたようだ。何故だろうか? そもそも僕のルックスといえば、まずは日本人に思われることの方が少ない。それは白人に近いハーフ的な風貌ということではなく何故か無国籍に映るようなのである。よく言われるのが、『香港の俳優みたい』とか『日経アメリカ人みたい』とかである。いわゆるアジアの血が入っている広い人種の中に僕のポジションがあるようだ。特に目の色が黒ではなく瞳のふちがグリーンがかったブラウンであることが、もしかしたら国籍不明にしている要因かもしれない。そして目が大きめで目線が強いとも良く言われる。鼻もアジア系では大きめで低くはない。日本人の特徴の中ではいわゆる縄文人の遺伝子が強いタイプなのかなとも思う。しかしながら日本人ぽくないという印象は、おそらく風貌よりは立ち居振る舞いや仕草など、生活の中で培われる雰囲気がそうさせているのではないかというのが持論である。子供の頃から西洋に憧れていたせいか、食生活もライフスタイルも自分で可能な限り洋風にしていた。多分欧米の人々はそれに親近感が湧いて同胞意識が芽生えるのでないかとも思う。それとある程度英語が話せるためか皆さん気兼ねなく話しかけてくれるし、僕を外国人として意識していない感もある。特に英国では植民地などからの様々な民族の移民が多く、そもそもアングロ・サクソンではない多数の人々が英国籍として生活しているわけだからそれと同じことなのだと思った。


サミーのお父さんはよくインドなど外国に仕事で行っていたらしい。部下にアニールというインド系イギリス人がおりよく自宅にも遊びにきていた。インド系の風貌とは背はそれほど高くはないのだが、大体頭部が小さかったりと身体の内訳が小さく細く華奢な感じの人が多い印象を受けた。家庭ではヒンドゥー語を話しているのだろうか? 

 

だいたいにしてその訛りが英語に含まれているため僕には少し聞き取りにくい。サミーの両親はとくに訛りや方言がないために双方向に会話ができるだが、そもそもノッティンガムシャーは方言がきついエリアらしいのだ。しかしそれは英国全土に及んでおり全体的に地方はその地方独特のダイアログやアクセントという訛りがあり英国人でも理解できない場合が多いのだという。地方のみならず首都のロンドンにおいてもコックニーと言う下町訛りの方言もある。


いわゆる日本でいう皇居を取り巻く山手エリアという場所に紐づく共通語というものが存在しないらしいのだ。フランスの場合は日本と同じ感覚で、パリとそれ以外というエリア感覚が存在するらしいのだが、英国はこれとは違って特殊なようだ。それは昔からの王侯貴族による統治による階級社会が影響しているように思える。そもそもの土着民族である英語を使用していなかったケルト系民族がイングランドの周辺地域に存在しているのも訛りの要因でもあるのだろう。


要は、英国人曰く、なんと『どの程度の教育を受けたかにより話す言葉が違ってくる』らしいのだ。確かにオックスフォード大学やケンブリッジ大学のいわゆるオックスブリッジ卒の人達が話す言葉は似ている。まあこれを日本に当てはめると関西弁を話す東大卒はいないと言うことになる。英国はそういった意味ではある意味怖い社会でもあるのだ。何故なら話す言葉でその人間の教育水準がわかってしまうからなのだ。


それ以外にも日本人としては驚きが多い。まず『平等感覚』だ。聞くところによると、当時の義務教育の学校制服における平等という概念が日本よりも革命的に進んでいる。とりわけ日本の場合はたいがい制服が紺色と一色に指定されており、それ以外の色は言語道断で如何なる理由があっても認められないというのが相場だと思う。英国の場合は、『それだとネイビーが嫌いな子供は可愛そうである意味公平ではない』という主張が認められる。要は嫌い度数をも測り、色に対する価値観が違う子供達にも可能な限り寄り添う社会なのである。そのためネイビー、グレーやグリーンなど幾つかのカラーが選択肢として用意されるらしいのだ。


これを聞いたときは、『さっすが、英国! 民衆が自ら自由を勝ち取らなかった日本人とは、社会文化的 特にヒューマニズムの面ではとても先に行っているんだな』と思ったのだ。しかし 現在の英国では、そういったことは国が経済的に成長するための足かせになっているようにも思えるのだ。また人道的支援や差別がない社会を理想とする人々が多いため移民や難民を沢山受け入れてきている。フランスからはボートに乗った難民がとめどなく入ってきており、イギリスの友人には「英国のパーマネントビザをとりたければ、ゴムボートで来ればいいよ!」と冗談で言われるほどだ。


しかし、そのヒューマニズムが招く現象は宗教の多様化にも挙げられる。そもそも英国の国教はキリスト教の英国版である英国国教会であるが、移民の多くはキリスト教徒ではない。そのためそのヒューマニズムと人種差別撤廃により国のお金でモスクを建てたりもしているのである。昔から『郷に入っては郷に従え』と言う諺があるように、僕も外国に行く場合はその感覚が当たり前だと思っていた。しかし彼らは違うのである。ヒューマニズムと言う素晴らしい概念に基づく社会の将来は一体どうなっていくのであろうか? 真逆の国家である権威主義国家と対比するには、ギリシャ時代のアテネとスパルタの戦いが思い浮かぶのだが、これからの将来も自由を重んじたアテネが勝つという勝ちパターンが当てはまるのだろうか?と深く考えなければならないと感じた。


サミーの両親の家にはかれこれ2週間もお世話になり毎日朝食と夕食を頂いた。しかもお母さんのジェシカが作る料理は美味しい。毎晩「チキンかポークもしくはビーフのどれがいい?」と聞かれ、ビーフは高いから悪いかなと思いチキンを多くお願いしていたのだが、なんとイギリスでは、チキンが一番高いということをあとで知ったのだった。所変われば品変わるのだ。イギリス滞在中に、レストランやパブそして家庭料理を一般的なイギリス人と同じように食べて思ったのだが、『イギリス料理はうまい!』という結論に達した。これは観光客としてではなく、イギリス人と同じような生活体験ができた事により分かったことなのだ。日本で聞いていたのは『イギリスの料理は不味い』ということであったが、いったい誰がそれを言い出したのだろうか? イギリス料理はかつての大英帝国がなせる技でもあり、肉や野菜の素材そのもののクウォリティを活かし世界から集めた香辛料で味付けをした物が多く日本のタレ文化とは違った焼き加減の食文化なのである。日本料理の尺度はイタリア・フランスと同じソース文化圏なのだと思った。


僕は味覚も含めて5感の感覚が敏感なので幸い微妙な違いを感じとる事ができる。だがしかしその前に味の尺度を決める『ものさし』の基準が国によって違いがあることを理解しておかなければ正当な評価ができないというのが持論だ。イギリス料理は誰がなんと言ってもおいしかった。多分マズイという風評?ができたのは、最初に観光ツアーでロンドンに行った日本料理の味はわかる日本人が、例えば観光客相手にやっている『外国人が経営する日本料理屋』みたいなイギリス料理を食べて『うまくない』と思ったのだろうと推察する。イギリス料理の特徴としては、食材の鮮度や質が問われるため、そういった観光客相手のレストランでは有りがちな現象であると思った。


またこれも我々日本人とは異なる概念になるのだが、英国の学校の教科書でも都心は労働者階級が住み上流階級は郊外の田舎に住むとあるらしく、日本では当たり前の『憧れのミヤコ』感覚は存在しないのである。確かに貴族階級などの上流階級と言われる人達は田舎に大邸宅を構えファームを持ったりと悠々自適な生活をしている。リンカーンシャーにあるドディントンホールに行った時の話である。ファームレストランがあり、そこで採れたオーガニック食材を料理し出してくれる。入ってみると、付近のお金持ちの若奥様方がテーブルを囲んでいた。夏のため大花柄プリントのロマンティックなドレスを皆さんが着用されており、アクセサリー類も高価なものを付けている。カントリースタイルではあるが、その年のトレンドが盛り込まれた新しいデザインでもあった。そこまでは、まあよくある話だと思うのだが、僕が感激したのは奥様方の足元であった。乗馬で使うような泥の中を歩いても全然平気そうな乗馬用レザーブーツを履いているのだ。それもそのプリントドレスとうまくコーディネートされており綺麗でスタイリッシュだっだ。まさに一つの上流階級のステイタス的なスタイルアイコンなのであろう。


こういったスタイルはまず日本ではお目にかかることはできない。自然と共存することを美徳とする国民性がこういった田舎讃美と階級社会とをシンクロさせた憧れの価値観を形作っているのである。だが、ここでまた日本の感覚と全く違うところは、そういった階級という概念は存在するものの、どの階級も『俺らが偉い!』とお互い思っているところだ。そういった感覚によって職種ごとの『スト』が頻繁に起こるのだとも感じたのだった。


理屈屋のヒデはイギリス滞在で感じた事柄を細かくダイヤリーに書き留めた。

少々マニアックではあるが、コレが、コレからの冒険の着眼点となって行くのであった。


80年代のイギリスに行った方コメント下さい!!

本当に良かったです!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ