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4/21

4:パリ観光

この物語はSFカテゴリーにて投稿中の『光と陰-織りなす夢の形-』のプロローグです。主人公”ヒデ”の視点でソフィアとジュリアのBLANC TWINSが描かれている日記をお楽しみください。


 《あらすじ》

1980年代のある夏の暑い日に偶然上野公園で1人の金髪美女に出会う。まるでアニメフィギュアのような容姿のソフィアにノックアウトされてしまった。生まれて初めて情熱を感じるようになった理屈っぽい性格の大学生のヒデ。そして今までろくに1人で国内旅行もしたこともない彼だが、それがきっかけで夢を探すヨーロッパへの一人旅が始まった。ヨーロッパの国々で過ごすとともに異文化や価値観の違い、また真のライフスタイルというものを実感する事になる。しかし、その先には予想もしていなかったことが起こるのであった。さて異文化の果てとは一体どんなことろなのであろうか?


日本での価値観しか知らないヒデは、スイス・フランス・イギリスと放浪しつつその国のカルチャーや価値観の違いを体感し少しずつ異文化を理解し吸収していく。

そしてその異文化の果てには・・・


その先には驚くべきパラレルワールドがあったのだ。ソフィアとジュリアの謎の双子美人姉妹 Blanc Twins との関係が深まり吸い込まれるようにSF体験をしていくのだが…


モラトリアム期間にいる思春期のヒデは『いったい自分の夢のかたちとはなんなのか?』という問いかけに悩みながら自分なりの将来を模索していく。


荒廃したパラレルワールドを舞台に水陸両用の移動ヴィークルであるホバージェットでヒデと一緒に旅をする美人姉妹の妹ジュリア。彼女と一緒に行く先々で戦いに巻き込まれながら“剣姫ジュリア”に惹かれていく。

そして2人はお互い同じ価値観を持っている事に気が付き愛が芽生えていくのだが…

翌朝 ついにスイスにお別れをしてパリに向かう日を迎えた。昨晩姉妹もすでに荷物をパッキングし大きめのリュックに詰め込んであった。ソフィアはいつものようにピンクのティーシャツとデニムのミニスカートにスニーカーというスポーティーなスタイルで、ジュリアはブラックタンクトップにグレーのスリムデニムパンツとスニーカーというクールなスタイルで対照的である。日本の女子のようないわゆるオシャレはしていないのだが、どちらともナチュラルでスタイリッシュに見えた。僕はいつものピンクのポロシャツに流行りのミラノパンツ型ジーンズ、そしていつもの移動用の大きなリュックを背負い3人で歩いて駅に向かった。


僕らはローカル線に乗りローザンヌまで行きパリ行きのTGVに乗り換えた。今回初めて世界最速の列車の車内に足を踏み入れたのだが、インテリアカラーはフランスらしくセンスよくシックにまとまっている。席は左側に1列で右側に2列の配列であるため僕が1人席で姉妹が同じ並びの2つ席に座った。もちろん2等の自由席だ。フランス国内に入るとTGVは速度を上げて行った。前からTGVが世界最速な理由はフランス国内の土地が平らで気兼ねなく飛ばせるからだとは聞いていたのだがまさしくその通りであり、見渡す限り緑の放牧地を路線が突っ切っているのだった。


ソフィアが気を使って食堂車まで皆のコーヒーを買いに行ってくれた。言うまでもなくカフェオレであったがそれなりに美味しかった。結構な騒音があるため、期待していたような会話に花が咲くということはなく結局僕らは3人ともそれぞれの時間を過ごしていた。2人は小声で何か喋っていたが、僕は1人席のためガイドブックのフランスページのパリを見てこれからのプランを考えていた。わいわいと楽しく3人でパリまで行くイメージを持っていたのだが、全く違う現実となってしまったのが残念であった。しかしあの晩はなんだったんだろうか? あれから彼女は何事もなかったかのようにあの夜に関しては触れてこないのだ。まるで夢であったかのように。もしかしたら酔っていたから夢だったのかもしれないとも思い始めていた。しかもその真意を確かめる前にパリについたら一旦お別れとなってしまうのだ。同じホテルに泊まることにはなるのだが、行動は別行動にて姉妹2人で何か用事があるようなのだ。そして車窓からの風景は緑の草原から家々が並ぶ街の風景に変わってきていた。パリが近付いてきたのだろう。ローザンヌ駅から約4時間でパリのリヨン駅に到着した。


予定ではメトロでカルチェラタンに移動するつもりであったが、彼女らが、「3人だからタクシーで行こう!」というので、それもそうだなと思いタクシーを捕まえてもらった。やはりフランス語が話せる人が一緒にいると何かと心強いし便利である。予約したホテルのアドレスをドライバーに伝えてルノーヴァンテアンのタクシーが動き出し、初めて観るパリの風景が広がってきた。まるで街全体が石でできたお城のようである。あっという間に到着し降りたところがそのホテルの前であった。サンミッシェル通りから1本入ったエコール通りのホテル街の一角にある安ホテルなのだ。


ホテルに入ると左側にカウンターがあり外国人バイト風のコンシェルジュが立っていた。ホテルといってもバックパッカー用の安ホテルであるから、もちろん彼は制服も着ていないし一応シャツとスラックスはダラシなく着ていた。ソフィアがチェックインをしてくれて、僕らはエレベーターで3階に向かったが、このエレベーターは年代物のため驚いた。まさしく50年代の映画に出てくるような鉄格子の外ドアを手で閉めるタイプのものであった。中に入ると内側のドアも閉めて、行き先の階の年期が入ったボタンを押すと動き出す仕組みになっている。パリでは古い建物が多いため改装できずに今でもこういったレトロなエレベーターを使っているらしいのだがとても趣があっていいと思う。3階に着いて僕は303のため通路の左側へ彼女らは308のため右側へと一旦ここで2人とハグしてお別れをした。彼女らは急いでいるようで手を振りながら投げキス付きの「じゃまたね!ヒデ!」という笑顔がパリでの最後の姿となった。しかし彼女らのパリでの予定はいまだに不明である。


鍵を開けて部屋に入った。1泊4千円弱ぐらいの宿泊費の部屋なので狭いと思っていたのだが意外に広かった。しかし床がガタきているようで歩くと中央が軋んで少し下がるのである。窓から外を見てみると通りを行き交うパリジェンヌの姿がよく観察できるためロメオ&ジュリエットバルコニーに寄り添いながら映画の中のワンシーンのような雰囲気も楽しむ事ができた。そしてリュックの中の着替えをタンスに下げてからベッドに飛び込んで少しゆっくりした。マットのバネは柔らかくこれもまた真ん中が少し凹んでへたってはいるが寝心地は悪くなさそうである。そうだ彼女らはランチを取らないので忘れていたが、時刻はそろそろ午後2時になろうとしていた。


早速行動を開始した。まずはサンミッシェル通りに出てカルチェラタン界隈を散策しようと思い、パスポートとトラベラーズチェック、コンパクトカメラそしてガイドブックを小さめのショルダーバックに詰め込んで出かけた。パリはスリが多いという前情報があるため、なるたけ外国人観光客に見えないように、そして金を持っている日本人に見えないようにと心掛けていたが、その心配はいらなかったようだ。僕の外見の雰囲気はまずは日本人にはみられたことがない。そして決してお金持ちにも見えないからだ。広い意味でアジア系だが無国籍ぽいというのが友人たちの見立てである。


まずは両替所を探し、トラベラーズチェックをパリの2週間滞在で使いそうな金額のフランスフランに両替した。外国では現金がないと何もできないためこの両替は僕の外国旅行では到着後最初の重要ミッションとなった。次はサンジェルマンでまずはカフェを探しランチをとるのがミッションであるが、カフェは至る所にあり選ぶのが難しいぐらいだ。そんな中混み合ってはいなくて、外の席に座って気持ちが良さそうなカフェを選んで席についた。カフェでは小さい丸テーブルにヴィクトリアン調の背もたれが付いた小さい丸椅子とが定番セットである。ギャルソンが来たのでパリでもカフェオレとハムサンドを頼んでみたが、そうそうパリのカフェでは注文時に支払う決まりなのだ。


ギャルソン達の動きを眺めているとバゲッドに挟まれた生ハムのサンドイッチとカフェオレがきた。パリのバゲットとカフェオレはスイスのよりも美味しいと思う。通りを行く人々を眺めゆっくりと過ごしや後チップ用の小銭をテーブルに置いてカフェを出た。チップの文化には慣れていないので計算が煩わしいし、常時小銭を用意していないとならないため感激が多いヨーロッパのカルチャーの中でもこれだけは不合理だと感じた。


そしてシテ島に向かうのだが、まずはカルチェラタンにあるリュクサンブール公園とやらを一度は見たいと思い真っ先に向かってみた。そしてパリ第5大学を横目で見ながら歩きセーヌ川が見えてきたため河畔に沿いモンテベロ通りへ右折した。この河畔のペデストリアンを眺めるとガイドブック通り画家達が集い絵を売っていたり、観光客の似顔絵を描いていたりと、なんとなくパリに来たんだなーという実感が沸いてきた。


暫く眺めていたが、その先のシテ通りへと左折しノートルダム寺院へと向かった。するとゴシック建築の左右非対称の塔がアイコンのように見えてきた。ススけてはいるがやはり圧倒的な存在感があり素晴らしい。今まで見たスイスの教会建築とは違って外から見ても中に入ってもスケール感が違う重厚で荘厳な雰囲気を感じた。やはりステンドグラス越しに入ってくる光は幻想的で美しいと感じた。教会それぞれの意匠があるので、これだけでも見る甲斐がある。せっかくなけなしのお金で入場料も払って入ったので、その雰囲気を目に焼き付けながら写真にも収め証拠写真としたのだった。そしてノートルダム寺院が僕の人生上初めて見た『歴史的に有名なゴシック建築』となったのだ。本当にステンドグラスは美しくて奥が深い。僕の西洋文化への憧れの1つのアイコンであると同時に、今まで日本で作られたものや写真は見てきたのではあるが本物を見ると歴史の蓄積を感じることができる。そもそもゴシック建築とは、その建築様式のお陰で屋根を高くできることになり上へと広がる空間を確保できるようになったのだ。そこに大きなステンドグラスが登場し、キリスト教のストーリーが絵で表現できるようになったため文字がわからない一般民衆にも理解できるようにしたのが始まりだ。日本の仏教建築に関しても日光の東照宮などは造形美が素晴らしいが、やはりカトリックの荘厳な建築空間と比較するとレベルの差を感じざるをえない。それが木と石の文化の違いなんだと感じた。


この後はシテ島界隈やセーヌ河畔を散策しながらまたカルチェラタンに戻ることにした。僕は今流行りのアイビーなどのトラッドファッションが大好きで、アメリカのアイビーリーグのファッションやイギリスの大学生のカレッジファッションに憧れていたのだった。可能であればアメリカかイギリスに留学したいとは思っていたが、なんせ母子家庭のためそんな学費や生活費を出せる余裕もなく、その代わりに今回の旅行に踏み切って少しでもヨーロッパのカルチャーを吸収しようと思ったわけだ。だからここカルチェラタンは学生が多いエリアのため学生達のライフスタイルを垣間見られると期待したのであるが、夏休みのためほとんどそれらしき人には遭遇することがなかったのがとても残念であった。


散々歩き回って夕暮れ時になったため後ろ髪を引かれるようにホテルに戻ることにした。ただ夕食をレストランで食べるお金がない。パリまで来てフランス料理を食べないのも非常に悔しいとは思うのだが貧乏旅行なので致し方ないと諦め食料品が売られているスーパーを探したのだった。前情報だと日本と違ってスーパーなどの生活感が出るものは裏道にあるらしいとのことでホテルの裏手に入り探してみたところ、やはり案の定それらしいグロッサリーショップ店を発見したのだ。今の僕には食を楽しむよりは残されたお金で可能な限り多くの国々を回りたいという願望が勝り、グロッサリーショップでいかにも不味そうなビニール入りの4つのロールパンとフランスぽい肉料理を堪能できそうな缶詰で手を打った。それと飲み物はボトルのガスウォーターだ。このガスウォーターは大の好物で日本ではなかなかお目にかかれないためヨーロッパに来てからは必ず飲んでいる。岩を舐めているような感覚と喉の渇きが癒えてとても良い。そして部屋に戻る途中でなんとパンテオンも発見したのだった。それもなんとホテルの裏方に佇んでいた。すでに暗くなっていたため、詳しくは鑑賞できなかったのだが確かにパンテオンだった。なんとなく感動しながら意外と想像よりは小さかったのには驚きでもあった。


部屋に戻り早速今日の締めくくりとして一人だけの夕食にした。年期が入った木製机にガスウォーターとパンを出して缶詰は持ってきた缶切りで開けた。冷たいままだとあまり美味しそうには見えなかったため洗面台にお湯を張り缶詰を浮かせ温めてみた。まさにバックパッカーの食事ではあるが、キャンプのようでもありそれはそれなりに楽しむことができた。ついに最後までパリではレストランで夕食を食べるということはできなかった。そのおかげで時間は最大限に使えたため、歩き回りながら旧市街の構図を頭に入れ込み、中心部であれば地図なしでも歩き回ることができるほどになっていた。しかもパリのメトロパスで移動し大体の路線も頭に入っていた。いまだに覚えることができない東京と比較するとパリ旧市街は小さいんだなと実感したと同時に、便利さ故複雑に組み合わせて混雑を誘う東京都内の路線よりは、シンプルなパリのメトロのほうが人々の生活には優しいのかもしれないとも思った。


ご存知の通りパリは地区的に特徴があり、パリジャンやパリジェンヌ達はそのエリアに合ったライフスタイルで日々過ごしている。今回の旅行はあくまでも観光なので、本当の意味でのパリの生活を垣間見ることはできなかったのは残念であった。しかしながら、現在このヨーロッパ大陸の生活文化のベースはフランス文化圏中心に形成されていることが体感できたのは良かった。ロンドンではなく実はパリがヨーロッパ大陸の中心地なのである。やはりかつてのブルボン王朝の繁栄の歴史により、多くのものがフランス発信されており今日まで色濃く影響しているということに気付かされたのだった。


遂にパリ初日にあのツインズと別れてからは一度も会うことがなかった。一体どこに行っているのだろうか? ただ連絡を取る術もないためできるだけ気にしないように心がけた。そんな日々を送っているうちにパリ以外にもどこかに行って比較したいと思う気持ちが芽生えて来てしまい、試しにストラスブールやリヨン、南仏のマルセイユまで足を伸ばしてみる事にした。


80年代に初めて行ったパリの記憶です。行かれた方いかがでしょうか?

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