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2:スイスにて

この物語はSFカテゴリーにて投稿中の『光と陰-織りなす夢の形-』のプロローグです。主人公”ヒデ”の視点でソフィアとジュリアのBLANC TWINSが描かれている日記をお楽しみください。


 《あらすじ》

1980年代のある夏の暑い日に偶然上野公園で1人の金髪美女に出会う。まるでアニメフィギュアのような容姿のソフィアにノックアウトされてしまった。生まれて初めて情熱を感じるようになった理屈っぽい性格の大学生のヒデ。そして今までろくに1人で国内旅行もしたこともない彼だが、それがきっかけで夢を探すヨーロッパへの一人旅が始まった。ヨーロッパの国々で過ごすとともに異文化や価値観の違い、また真のライフスタイルというものを実感する事になる。しかし、その先には予想もしていなかったことが起こるのであった。さて異文化の果てとは一体どんなことろなのであろうか?


日本での価値観しか知らないヒデは、スイス・フランス・イギリスと放浪しつつその国のカルチャーや価値観の違いを体感し少しずつ異文化を理解し吸収していく。

そしてその異文化の果てには・・・


その先には驚くべきパラレルワールドがあったのだ。ソフィアとジュリアの謎の双子美人姉妹 Blanc Twins との関係が深まり吸い込まれるようにSF体験をしていくのだが…


モラトリアム期間にいる思春期のヒデは『いったい自分の夢のかたちとはなんなのか?』という問いかけに悩みながら自分なりの将来を模索していく。


荒廃したパラレルワールドを舞台に水陸両用の移動ヴィークルであるホバージェットでヒデと一緒に旅をする美人姉妹の妹ジュリア。彼女と一緒に行く先々で戦いに巻き込まれながら“剣姫ジュリア”に惹かれていく。

そして2人はお互い同じ価値観を持っている事に気が付き愛が芽生えていくのだが…

朝が訪れた。すでに8時を回っていたであろうか?熟睡してしまった。 外は明るくおまけに快晴である。行動日初日も天気に恵まれて幸先がいい。すでに彼女らは起きてシリアルの朝食を済ませており、キッチンでお皿を洗っているところだ。お互いに「おはよう! よく眠れた?」という挨拶を交わし、「よかったらテーブルにあるシリアルを食べてね!私たちはこれから仕事に行くから。部屋の鍵を渡しておくから外出する時は戸締りお願いしますね!」と言って出て行ってしまった。 


そうそう彼女達の職場はこのビュルの市内にあり、ソフィアは駅近くのヘアサロンでドレッサーをしており、ジュリアは掛け持ちらしいのだがカフェレンストランでホール担当をしている。そのカフェレストランの一つが市内にあり、このマンションから駅までの道のりの途中にあるとか。よかったらランチにでもよってねと言われているのでそのうち行きたいと思っている。では記念すべきヨーロッパ初日の今日はどこに行くのか?だが、日本にいるときにすでにプランは立ててあり、スイス滞在期間は2週間あるので行きたいところはほぼ回れるだろうと思っている。まず今日はスイス連邦の首都ベルンに行こうと思う。こことは違ったドイツ語圏であるのが楽しみだ。


その前にマンションから駅までの散歩の楽しみがある。徒歩圏内ではあるが旧街地からは少し離れた住宅地の中に彼女らのマンションはあった。この辺りは住宅地として比較的新しく建設されたような雰囲気もあるが、市街地に向かう途中旧市街には可愛い小径が残っている。家々からはヨーロッパの観光写真でよく見る夏の綺麗な花々がぶら下がり、道も綺麗に手入れがされている歴史を感じる石畳である。それはまさに夢に見たヨーロッパの小径だった。その光景とこの空気感が織りなす体感が心地よい。僕はその土地土地の体感というものがあると思うのだが、その体感での記憶を呼び戻すことが多い。この空気感は子供の頃に毎年定期的に滞在していた奥日光の夏の朝のヒンヤリとした体感の記憶に似ている。強い日差しが刺す中、空気はひんやりとしていて清涼感がありとても気持ちが良いのだ。やはり標高が高い場所だからだろう。スイスと言えば僕の中では緑の丘が連なり後方に雪を頂いたアルプスがそびえているイメージが強いが、スイスも奥日光もよく考えてみると冬は雪景色となるので生活には不便なのかなとも思うが、夏に限って言えばまさに理想の美しい土地だと感じる。将来はこんな土地で生活するのもいいのかなと思いながらビュル駅についた。


なるほどスイスぽい雰囲気のある田舎の駅である。駅前には小さなロータリーがありタクシーが数台停まっていた。事前にトーマスクックで時刻表は調べてはあったが、念のために駅ホームでも時刻表を確認してみた。

ここから初のユーレイルユースパスを使用するわけだが、使用説明では車掌に見せて確認印をもらうということであったので乗車してからの手続きとなるのだろう。ヨーロッパでは時刻表の付近にどの電車がどのホームに入ってくるという案内があるのだ。これは日本にはないシステムなので最初は戸惑ってしまうが、まあ慣れれば意外と合理的でわかりやすい。次に行き先が書いてあるボードを確認したところ、なんとすでにその列車は到着しホームに入っているらしいのだ。しかしよく見ると貨物車両である。『えっ 本当にこれでいいのか? 間違ってない?』と思いながら指定されたホームに向かう。電車というよりはディーゼル車両でその後に続くのはやっぱり貨物車両であった。不安になりながらもホームを歩いていくと最終車両2車両は客車であった。なんと驚く事に乗客・貨物混合列車なのである。そして1両はファーストもう1つはセカンドだ。もちろん僕はユーレイルユースパスだからセカンドの2等席になる。

 

この車両の席は半々で向かい合っている。車酔いをする僕はいつものことであるるが進行方向を考えて前向きになる窓側席に座った。すでに何人か地元の人らしき乗客がいる。これが初めてのヨーロッパの鉄道なのだ。出発時刻になってさすがスイス!時刻通りに発車した。しばらくすると制服を着た車掌が切符の確認に回ってきたので僕はユーレイルパスを見せた。OK OKと言う反応であったが、スタート時点で車掌の印が必要とあったので、それを説明しスタンプを押してもらった。『これでパスはOK! 一安心だ。』 『今日からこのパスで2ヶ月の間ヨーロッパのどこへでも行けるのである。』と考えると心が躍り、まるで自由なんだと思うと頭の中に無限の可能性が広がった。今のところはスイスの後はフランスへ、そしてすでにアポがあるイギリス。またヨーロッパ大陸に戻りフランスからイタリアに行き、さらに時間の余裕があれば是非スペインにまで足を伸ばしてみたいとは思っている。


さあここでなぜ僕がこんなにもヨーロッパがこんなにも好きなのか?を話してみたい。

そもそも母子家庭に育った僕は、母と一緒に母の姉がいる実家で育った。そしてこの家族は純和風の家庭であるが、当時流行っていたいわゆるオードリーヘップバーンが出てくるような50年代の洋画が大好きな家族でもあった。そのため僕も幼児期から欧米の洋画を日常的に観ながら育ったせいなのか、白人の女性に対して特別なエモーションというか憧れと美しさを感じるようになっていた。そしてその価値観が僕の美的感覚のスタンダードとなってしまったのだった。よって異性に対する感覚も日本人的ではない。わかりやすく言うと『外国人専門→ガイセン』である。それに気づいたのは、中学生の頃であり、クラスや学校の女子学生達にはあまり性的な興味を感じたことがなかったのである。自分でもすでに物心ついている時期なのにおかしいとは思っていた。それなのに近所の駄菓子屋の自動販売機に貼ってあったコカ•コーラのポスターには異様に反応したのだ。そのモデルはブロンドの健康的なティーンエイジャーでトレーシー・ピータースという金髪女性だった。


それからはブロンドの女性の写真を見ると異様に反応し、中学時代の英語の授業で知ったカントリーロードを歌っているオリビア・ニュートンジョンを見た時にはあまりにも綺麗なお姉様で一瞬呼吸が止まってしまったほどであった。こんなきっかけで僕のガイセンが発覚したのである。そしてその女性観は今も変わらず貫かれている。またその習性は、まさに映画『プレデター』の赤外線探知機のように人混みに紛れている外国人女性を瞬時に発見できるほどの特技でもあるのだ。感覚的には、他の日本人と違い外国人女性を見るときは、認識レベルが違った色調で見えるために視界内で目立つのである。その特技が成り立つ理由をあれこれ自分なりに分析してみた結果、たわいない事ではあるが、多分骨格の違いを見分けるのではないかという持論に落ち着いている。

 

ということでガイセンの僕としては今回の旅行では、外国の文化に触れ鑑賞するということ以外に外国人女性との出会いも期待にしているのだ。そもそもこの冒険旅行に関しては数年がかりで準備をしてきた。どんな目標でも入念な計画を立てるまではいいが、いざ実行となると足がすくむ場合もある。今回実行に移せた要因としては、大学受験に失敗し、第1希望の大学に行けずに滑り止めの大学に甘んじて入学したことに起因する。あの時は正直腐っていた。『人生すでに敗北』という劣等感が強く、とりあえず、ヒマなので大学にでもいくか?的な投げやりな人生を歩み出していたのだった。


東京都心部から離れた場所にある新設校舎で、初年度は朝が早い1限もあるため、通学は無理ではないかと判断し大学近くの安アパートに下宿した。そのアパートは2棟あり、別の棟には同大学同学部の同級生も下宿していた。僕は軽くバンドをやっていたので、その彼とは話が合い大学での最初の友人となったのだ。彼は80年代に流行っていたUKロックが大好きで、セミアコのエレキギターを愛用していた。学生生活のスタートとして、彼と音楽好きな奴らも数人集まり、大学の軽音サークルにも参加することになった。大学は附属高校があるいわゆる有名私立大学の1つではあったので、イメージ的には6割ぐらいはいくつかある附属高校からの進学生だった。この付属からの進学組がすでにまとまったグループを築いているため、そこに一般入試組の僕らが溶け込めるはずもなく、外部からの学生同士で親交を深めていたのだった。取りあえず授業料を払っているので授業には真面目に出席し、大学のカフェテリアは、そのイツメンで集まってランチを取ったりと我々の集合場所となっていた。


そんな学生生活が始まったある日の夕方、最終時限の講義が終わり、たまたま一人だったため暇つぶしに新設の広いキャンパス内を探索していた。その時あるものを発見したのだった。なんと学部棟でないオープンスペースで学部を超えた英会話のクラスがあるではないか? どうやら単位とは関係ない無料の授業らしい。たまたま今日からスタートしていたようで興味本位で外から覗いてみることにした。すると大学の事務スタッフの方が出てきて興味あるなら参加していきなよというので、まあ特に用もなかったので教室に入り参加することにした。まず驚いた事が、『えー、綺麗な外国人の先生!』と、もちろんガイセンの僕はすっかりいつの間にか魅了されていたのである。その先生は20代後半ぐらいだろうか?金髪で80年代に流行っているメンズライクな刈り上げのテクノショートカットのヘアスタイルだった。小柄でスリムそしてその日はミニスカートで大きなぶら下がりピアスをつけていてとてもファッショナブルな出立ちだった。そしてこの日は僕の人生上忘れられない日となった。なぜなら人生上初めて外国人しかもブロンドの綺麗な大人の女性と英語で話したのだから。授業は大学のピーアールの一環で運営しているらしく授業料はない。しかも綺麗な外国人の先生と話せるといった、僕にとってはまさに夢のようなひと時であった。そして気付くと僕の体は初めてアドレナリンが出ているぐらい興奮していたのだった。『この経験は麻薬みたいなものだな。将来こんな気持ちになれる仕事をしてみたいよな!』と初めて強い願望が出てきたのだった。また悟ったこともあった。僕は外国人の白人女性と話すとこんなにも幸せな気持ちになるんだという発見である。このクラスは通常の授業よりも真面目に通い英会話もメキメキと上達していった。先生とも親しくなり、代々木上原のアパートに車で送ったりもした。それから僕は人が変わったように学生時代を『外国人の知り合いを作る』というモチベーションに明け暮れていったのだった。


次はソフィアに出会った夏の後の2年次の出来事である。大学に着たイギリスからの留学生達の話だ。それはオックスフォードとシェフィールドの日本語学科の20名ぐらいの学生達だった。まずは大学主催のカフェテリアでの歓迎会に出席したのだった。もちろん男女混合であるが、ヴィジュアルが良い女子学生も結構いた。大学の計らいで一通り全員と挨拶したのち、ケータリングをつまみながらのフリートークとなり、なるたけグループ単位で盛り上がるような雰囲気を作りながら反応が良い女子学生数名をマークして積極的に話しかけた。しかしあの英会話の先生には本当に感謝している。あの時英会話ができるように鍛えていなければ、この日は緊張のあまり話しもろくにできなかったであろう。何人かの留学生男女と親しくなり連絡先も交換した。この時代は、彼女らのホームステイ先の電話番号だけが唯一の窓口である。そして彼らの中のノリがいい女子学生と一番親しくなれた。彼女はサミーと言ってシェフィールド大学からの留学生であった。しかしボブという男子学生といつも行動を共にしているようで、周りの友人に聞いてみたところカップルではないかということであった。まあそれは少し残念ではあったのだが、友達は多いほう方に越したことがないので大歓迎である。


実はその時、あの英会話の先生の影響で密かにヨーロッパ旅行を計画していたのだった。そのためアルバイトで軍資金を貯めており、まだラフプランではあるが次の夏休みに行くつもりにしていたのだった。そしてサミーと話していると「イギリスの中部にあるノッティンガムに実家があって、うちの両親は日本から人が来るのを楽しみにしているんですよ。『チャタレイ夫人の恋人』で有名なD. H.ロレンスの生家があるから、その関係の人達がよくうちに遊びに来るんです。」「もしイギリスに来るプランがあるなら是非うちに泊まりに来てくださいね!」という信じられないラッキーなオファーを受けたのだった。全くそんなことを期待していなかったのだが、驚きと共に今の境遇に感謝した。


そして人生不思議である。あの時自暴自棄な気持ちでキャンパスをふらついてあの英会話の先生に出会わなかったなら、こんなストーリーには発展しなかったのだろう。もし第1志望の大学に入学していたなら、『俺ってば天才!』的な感じでガンガン日本のソサエティーの中でエリート街道を突き進んで行く道を選択したのだと思う。あれは今から思うと『神の見えざる手』であったのかもしれない。そして話しは戻って、その後は留学生達とホームパーティーを開いたり、サミーとボブと交流したりして翌年を迎えた。そして知らず知らずに英会話力も増していた。


そんな回想をしながらベルンに着いた。ここまでの車窓からの眺めはまさにスイスという風景である。緑の丘が連なり、家畜が点在しており、やはり空港から見た風景と同じように小さな丘のてっぺんにはとんがり屋根の教会があって、教会を囲むように薄いオレンジグレーの家々が丸く取り巻いていた。しかし少し違うのがドイツ風だということだった。村々はどれも小さくまさにお伽話の世界のような風景である。この風景を見られただけでもとても幸せな気分になりヨーロッパに来た甲斐があると感じられた。続いて他にはジュネーブ、ローザンヌ、ルツェルン、モントルーなども1人観光してみた。

初めて見る外国それも夢に見たヨーロッパの街並みに感動しながらも、日本から来た旅行者には見えないようにガイドブックを隠して地図やコメントを参考に歩き回った。


こういった1人観光の日々を過ごしていたのだが、ある朝口数が少ないジュリアが「今日はグリエールにバイトに行くから行きに車で連れて行きましょうか?」と親切に誘ってくれたのだった。グリエールと言えば、聞いたことがる。ガイドブックによると有名なグリエールチーズという山羊チーズの産地でありショップも沢山ある町のようだ。「えっほんと!?有難う行きます!」ということでなかなかないジュリアからのお誘いは貴重である。早速お願いし2人でプジョーで出発した。またもや女性が運転する車の助手席に座り良い気持ちであったが、ジュリアはソフィアと違ってやはり当然ながら車内でも口数が少ない。しかしながらジュリアを弁解すると、そのソフィアと対象的なところが魅力とも言えるのだ。『もしかしたらそういう佇まいのせいで、クールなイメージが透き通る肌に2乗され美人度数がソフィアを上回るかもしれない』と2人を比較する空想に浸りながら山道を越えてグリエールに向かった。


なるほど、この車はツインズ2人で使っているらしい。

まあソフィアは街中で仕事をしているから基本的には通勤は徒歩であるし、ジュリアもグリエールで働く時以外は徒歩なので主にお出かけ的な用途が多いのだろう。駐車場に停めて2人でショップが並ぶ中心エリアへと向かった。ジュリアはチーズがメインのギフトショップでアルバイトをしているようだ。「じゃここだから、帰りは気をつけてね!」とにっこりスマイルして去っていった。別れ際のなかなか見れない彼女のスマイルの一撃は脳裏から離れなかった事も付け加えておきたい。そして僕はこの付近のショップを見て周り、メインエリアのお城も見学しガイドブックを見ながら一通り見て回った。あまり高そうに見えないカフェでランチも取った。昼は出かけた町でランチをとることにしているのだがあまり所持金がないため基本的にサンドイッチ的なものになる。そしてやはりフランス語圏なのでカフェオレだよねということで毎回カフェオレを頼んでいるのだ。サンドイッチといっても日本でイメージする柔らかい食パンに挟んであるものではなく、例えばハムチーズサンドを頼むと半分のバゲットの真ん中を切り、そこに生ハムとチーズを入れ挟んだものが出てくる。最初はパンの硬さに口の中が戦争状態であったが、何度も食べていると味わいがあり意外と慣れてきた。安めのランチメニューがあれば魚以外のものでトライしてみたが、このエリアはフランス文化圏だけあり、味付けのベースが必ずクリームやチーズベースである。


最初のうちはクリームソースもチーズも大好きなため楽しんで食べていたのだが、これが毎日となると実のところ少しうんざりしてきてしまってのだった。日本では和食が好みではなく、洋食をメインに食べてきた僕ではあったが、流石に毎日クリーム漬けとなると感覚がおかしくなってきてしまう。だが、それがこのエリアの人々のスタンダードなんだなと思うと、人間の味の尺度には色々な物差しがあることに気付かされた。小学校時代の先生で北海道出身の方がいて、お米を牛乳でといで炊いていたという話を聞いた時には信じられない気持ちで一杯であったが、まさにそういうことなんだなといきなり思い出したのだった。


こんな味の場面では、観光で来た日本人達は「やっぱり日本食の方が美味しいわよね!」であったりとか、「日本の洋食の方が美味しいわよね!」的な発言をするのが目に浮かぶ。そして挙げ句の果てには、「世界中の料理が全て東京では食べられて、それも現地の料理より美味しいし。やっぱり日本の食事は世界一だわね!」ということになる。しかもイタリアンでも日本のイタリアンの方が美味しいという図々しい暗黙の日本基準が出来上がり、日本人は日本基準を世界基準のように扱っているような気がする。この場で思ったことは、日本人には『醤油ベースの和食で培った日本人の味』という尺度はあるが、ここの人々は僕がうんざりしたクリームベースの味が当たり前であり彼らの味の尺度なんだと感じた。冷静に考えると当たりまえのことではあるが、日本人が好きな味付けの尺度と現地の人が好きな味付けの尺度がそれぞれ存在し、その土地を堪能するにはその土地の味付けを尺度として理解し愛でるのが本来の姿であると感じた。


帰りは自力で電車で帰った。もちろんトーマスクックの時刻表を確認し余裕を持ってグリエールの駅に向かったのだが道すがらもの凄い腹痛に襲われしまった。そもそも胃腸が弱く、おまけにランチにグリエールチーズを食べたのが原因なんだと思う。なんせヤギのチーズであるし、しかもそこで作った殺菌がされていないフレッシュチーズだからだ。なんとか駅に到着しトイレに駆け込んだ。腹痛のなかローカルな電車に揺られながらビュル駅に戻り、彼女らのマンションへの道を小走りに急ぎトイレに直行したのだった。今回は、日本から持ってきていた常備薬に助けられたが、この一件で頭痛薬・胃腸薬・風邪薬等々は旅での必需品であると身をもって経験できたのだった。


基本的に僕の食事はというと、朝は彼女らのシリアルを頂き、昼は外出先でランチ、夜はジュリアのレストランでとるという食のパターンになっていた。彼女らは料理が苦手で好きではなく、僕が来た初日だけは頑張って料理をしてくれたようだ。その日は早く戻り、ソフィアも早めに帰宅したので、久々に近所のレストランに食べに行こうということになった。『これはもしかして2人のデートなのか?』と思いながら期待を膨らませて外出した。歩いて2、3分で到着したのだが、彼女の行き付けなのか?それともこの付近の人々は皆顔見知りなのか?みんながみんなソフィアを知っているようである。すでにほぼ満員でレストランといよりは近所のカフェといった雰囲気で小さい丸テーブルが並んでいる。若い男女で溢れている中、僕らは1人の若い男性が座っているテーブルに相席となった。また彼も彼女と親しいようで、フランス語で何やら盛り上がっていた。でもどうやら彼氏的な存在ではなさそうでソフィアに揶揄われている感じである。


英語が話せるということで、彼と僕の2人が取り残され、ソフィアは他の友人知人の席を回っている。彼はすでに食事を済ませたところで最後にミネラルウォーターを頼んだところだ。そして来たものに驚いたのだが、グラスに水と白い柔らかそうなものが水を吸収したクラゲ状になって浮いていた。彼が「マジかよーこれ!」みたいに迷惑そうに笑っていたので、中身を尋ねてみたところなんと女性用のタンポンであったのだ。スイスって日本からのイメージだと牧歌的で素朴で品行方正なイメージでしかなかったのだが、このタンポンを見てからその印象がガラリと変わった。結構対異性に関しては開放的であり日本より遥かに性教育に関しても先進国であることが理解できたのだった。彼を中心にそのカフェの人々と軽く英語で会話を交わしながら久々に大勢で楽しい時間を過ごすことができた。僕も食後にカクテルを飲んだが、ソフィアもタパス的につまみながら何杯かのんでいた。そして僕らは10時を回ったころ部屋に戻って行った。「今日は楽しかったよ。誘ってくれて有難う!」と感謝し、先に僕がシャワーを浴びさせてもらい寝室に戻った。いつもは朝に彼女らが仕事に行ってからシャワーを浴びているが、今日はカフェでのタバコの煙が気になるので寝る前にシャワーを浴びたかったのだった。


今夜はヨーロッパにおける本当の意味でのカフェの役割というものを少し齧ることができたような気がした。ギリシャ・ローマ時代から都市国家というフレームで発展してきたヨーロッパであるが、確かにイタリアでもフランスでもスペインでも特にラテンの国々では『カフェ』があらゆる町に存在する。それもその街の公共の1機能を担ったような存在となっているのだ。住民達の触れ合いの場というよりも、街の台所と言った表現がしっくりくる。イギリスにも近い存在のパブがあるが、そんな役割の場所は果たして今の日本にはあるのだろうか? 日本は戦後急速に欧米文化を取り入れて行った。特にアメリカのライフスタイルの影響が強いのだと思う。そして核家族化によりこれまでの日本の家族の形を変えてしまった感がある。ここでは特にカトリックの家族に感じる『強い家族愛同胞愛』というものを再認識して同時に驚きを感じたのだった。  

 

その晩から嬉しいことにソフィアは事あるごとに僕を誘ってくれるようになった。次の日は午後休だったので、近くのモレソン山の沢まで自然をハイキングしようと誘ってくれたのだ。車で近くの森に行き森の中に入って行った。そこは山の中の綺麗な沢で小さな滝があり、澄み切った水が澱みを作っており小さな魚たちが泳いでいる。彼女はスリムで筋肉質な体をしている。この日もデニムのショートパンツを履いていた。金髪をポニーテールにして、ティーシャツにスニーカーのカジュアルなスタイリングである。そういったシンプルで肌の露出が多い格好が健康的でナチュラルなイメージととても似合っているのだ。「よく1人でここにくるんだよ。こういう場所って好き?」と聞かれた。「もちろん!僕も自然の中は大好きだよ!」と答えながら2人でじっとその澄み切った澱みを眺めたり深い森の香りを嗅ぎながらしばらく森とシンクロしていた。しばらく自然のエネルギーをチャージしてから、また山道を引き返し車まで戻った。ある意味、ジュリアではなくソフィアにもこういった一面があるのか?と少し驚きであった。


そして、そのまま軽くドライブしながら買い出しのために地元スーパーにも寄ってから帰宅した。夕食は今日買い出しした食材でソフィアがスープを作ってくれたのだった。そう最初の晩に僕が失言してしまってから彼女は料理をしていなかったのだった。今日は機嫌がいいのだろうか? また3人でテーブルを囲み白ワインを飲みながら色々なことを話した。ジュリアとは前回グリエールに行ってから、彼女が働いているレストランで注文をお願いするだけでそれ以外の会話はなかったのだが今日は少し会話ができた。とはいってもソフィアとは対極であまり自分から話そうとしないのだが彼女も今日行った沢が好きだとも言っていた。まあヨガもやっているからスピリチュアルなことが好きなのだろう。銀髪のショートボブで透き通るような白い肌、そしてスピリチュアルときたらイメージとしてはとてもまとまっている。そうそう今更気づいたのであるが、彼女達は化粧を全くしていないのだ。


スイスを観光してそろそろ10日が経つが、町で見かける若い女性でさえもあまり化粧気がないのに気がついた。逆を言うと日本の女性の方が化粧にこだわる習慣があるのだろう。それは江戸時代の白粉から来ていることなのであろうか? それとも欧米化の段階での刷り込みで化粧が必須と誤解しているのだろうか? よく僕が子供のころは「殿方の前に出る時はスッピンじゃみっともないでしょう!」という会話を耳にしていたし、結婚して妻の素顔を見た事がないという旦那もいるとかも聞いていた。そういった日本女性の化粧に関する話をしながら、ジュリアは日本に行ったことがないため、日本に関する四方山話をして久々に3人で楽しい夜を過ごした。


本編もシーズン3まで完結済みです!

こちらもチェックお願い致しまーす!!

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