白百合の祝福15
ゼナおばさんが帰った後、私はベッドで横たわるエレナ先輩をジッと見つめ、思わず唇を噛んだ。
「エレナ先輩はこんな小さな体で、何度も、何度もこの国を救ってきた、それなのに……」
以前、私は偉大な母の重圧に押しつぶされそうになり、ままならない状況に焦りを感じて、先輩に八つ当たりした。
今にして思えば、とてつもなく愚かで恥ずべき行為であり、以前の自分を殴り倒してやりたい気分である。
そんな事を考えながら自己嫌悪に浸っていると、エレナ先輩がふと目を覚ました。
「目が覚めましたか?気分はどうですか、痛いところはありませんか?」
「ここは……」
エレナ先輩はボーッとした様子で、ムクリと起き上がる。
「店の控え室です、エレナ先輩はしばらくの間、気を失っていたのですよ」
「そう、ママ……じゃなくて騎士団長は?」
「帰りました、ゼナおばさんは上からの命令で仕方がなく先輩を連れ戻しにきたらしいです。
でも先輩の意志を尊重したい、と言って帰って行きました。司令部の方には上手く言っておくとのことです」
私の話を聞いたエレナ先輩はベッドの上で目を閉じ、しばらく無言のままうつむいていた。
何か思うところがあったのか、しばらく考え込んでいたが、独り言のようにボソリと呟く。
「そうなんだ、敵わないなあ……今の私なら勝てると思ったのに、強いなあママは……」
そう口にした彼女の顔には悔しさや怒りなどは感じられなかった、どこか寂しそうで、嬉しそうでもあった。
「ゼナおばさんは、ロデリアが攻めて来るまでにまだ少しは余裕があるだろうから、それまでに対策を考えると言っていました」
「そう……」
私はエレナ先輩に対して、何をどう話していいのか言葉を探していた。
ゼナおばさんからも〈エレナと仲良くしてやってほしい〉と頼まれ〈任せろ〉と返事はしたものの
今の先輩にかける言葉が見つからない、とてつもない十字架を背負った彼女にどう接したらいいのかさえわからないのだ。
そんな私の様子を見て何かを悟ったのか、エレナ先輩は私の顔を覗き込むようにして語りかけてきた。
「もしかして、私の事をママから聞いた?」
「えっ、いや、その……はい」
また気持ちが顔に出ていたらしい、これ以上誤魔化すのは無理だと判断し、素直に認める。
「どのくらいのことを聞いたの?」
「えっと、女神の祝福によりその力を得た事、その力を使えば使うほど寿命が縮む事
先輩の体が成長していないのは延命措置のために呪いをかけ、成長を抑制している事……です」
「そうなんだ、ママは全部話したのか…私よりずっと信頼されているみたいだね」
「そんなことはありません、ゼナおばさんは先輩のことを……」
私が慌てて反論すると、エレナ先輩は優しい表情でこちらを見た。
「優しいね、リアちゃんは」
「やめてください、私は優しくなんかありません。そもそも優しさで言っている訳ではないですよ‼」
エレナ先輩は嬉しそうに微笑み、ゆっくりとベッドから起きあがろうとした。
「もう少し寝ていた方が……」
「大丈夫よ、限界まで闘う前に負けちゃったから、まだ体は動くわ」
彼女の言葉一つ一つが胸に突き刺さる、私にはそれ以上かける言葉が見つからなかった。
「リアちゃん、少し付き合ってほしい所があるの」
「えっ?あっ、はい」
先輩はベッドから起き上がると、そのまま部屋を出た。私は言われるがままついていく。
「どこに行くのですか?」
「いい所よ」
店を出て、十分ほど歩いた所で先輩はふと立ち止まった。
「ここ……ですか?」
「うん、ここが私の一番好きな場所」
そこは村が見渡せる小高い丘だった。周りには木以外の何もない、爽やかな風が通り抜け、土の匂いを運んでくる
先日の戦闘が嘘のように、のどかで温かな場所という印象を受けた。
「ここはね、この村が一望できる場所なの。ここに来ると私は幸せな気分になれるの」
エレナ先輩は心の内を打ち明けるようにしみじみと語り、両手を広げて村を見下ろす。
すると、下で大きな荷物を抱えた少女が通りかかり、エレナ先輩を見つけ声をかけてくる。
「エレナちゃ〜ん」
「あっ、マリナちゃん、今日はお母さんのお手伝い?」
「うん、この後も私が洗濯するのよ」
「偉いね、頑張ってね」
「うん、じゃあ、バイバ〜イ」
先輩が手を振りながら見送ると少、女は嬉しそうに去っていった。
「仲がいいですね」
「うん、まあね。マリナちゃんのお母さんは今、妊娠していてね、来月出産予定なの。
マリナちゃん〈もうすぐお姉さんになるんだから〉って、張り切っているのよ」
まるで自分の事のように、嬉しそうに語る彼女の姿を見て、私は言葉が出なかった。
「ベラおばさんの畑では、〈都から仕入れた、新しい芋の収穫が待ち遠しい〉って、ワクワクしている。
ジャクソンさんの家では、〈馬が怪我をした〉って、毎日ウチの店に薬を買いに来ている。
マクロンさんの家では、三歳の男の子と二歳の女の子がいて、いつも兄弟喧嘩ばかりしているから心配だと言っていた。
ハウゼンさんは最近足の調子が悪くて、畑仕事が辛いってこぼしている……」
村を見下ろしながら噛み締めるように話すエレナ先輩。そして丘の先まで歩いて行くと、目一杯背伸びをして、再び語り始める。
「私はママのようになりたくて必死に戦ってきた。でも頑張れば頑張るほど、周りからは浮いちゃって、嫌われちゃったよ。
子供のころからあこがれていた白百合騎士団に入れたけれど、すぐに追い出されていまって……
私は何のために戦っているのか、そもそも何のために生きているのか、わからなくなっていたの。
もう何もかもがどうでも良くなって、自暴自棄になりかけていた時、この村に来たの。
この村の人達は私を暖かく迎えてくれた、普通の女の子として接してくれたの。
もちろん事情を知らないというのもあるけれど、私にはそれがすごく嬉しかった。
私はこの村が好き、ここが私の世界の全てなの。
国の行く末とか、人類の未来とか、そんなのはもうどうでもいい。
どうせもうすぐ死ぬのなら、この村の人達のために死にたいよ」
その言葉にはとてつもなく重みがあった。私の目には、エレナ先輩の小さな背中がとても大きく、そして悲しく映った。
この人は私と同じような境遇にありながら、私より遥かに大きな十字架を背負い生きてきた。私だったら耐えられるだろうか?
「エレナ先輩は悔しくないのですか?ここまで人々の為に命を削って戦ってきたというのに、こんなひどい扱いを受けて……」
私はやりきれない思いをそのままぶつけた。
「当時は少し悔しかったよ、でも今はそうでもない。事情を知らない人たちにしてみれば
私を疎ましく思う気持ちはわからなくもないからね」
先輩は背中を向けたまま答えてくれた。怒りも悲しみもない、淡々とした口調が彼女の本心である事を伝えてくれる。
「先輩は……怖くないのですか?もうすぐ死ぬのが……」
私は思い切って聞いてみた、随分と踏み込んだ質問ではあったがどうしても聞かずにはいられなかったからだ。
「怖くはないかな。人間は必ず死ぬ訳じゃない、それが少し早いか遅いかの差だよ。
人生は、どれだけ生きたか?じゃない、どう生きたのか?だと思っているから、でも……」
エレナ先輩はこの日初めて言葉を詰まらせる。
「死にたくはないよ……この村に来て、初めて生きる喜びを知った。
人の暖かさを知ったの。生きることが楽しいと思えたの。
マスターやミランダ、そしてリアちゃんと会えて、本当に私は……」
声を震わせ、絞り出すように語るエレナ先輩のその後ろ姿に、思わず涙が込み上げてくる。
でも、一番辛いはずの彼女自身が泣いていないのに私が涙を見せるわけにはいかない。
だがそんな思いとは裏腹に、目からは涙がとめどなく溢れ出してくる
今、先輩に振り向かれたら、涙でぐしゃぐしゃになっている私の姿を見られるだろう。
私は咄嗟に先輩に近づき、その小さな背中に力強く抱きついた。
「えっ、何?」
少し驚いている先輩を尻目に、私は力一杯、思い切り抱きついた。
それは泣いている姿を見られたくないという思いもあったが
感情が溢れてきてそうせざるを得なかった、というのが偽らざる気持ちだ。
「ちょっ、ちょっと苦しいよ、リアちゃん」
「我慢してください、もう少しだけ、もう少しだけこのままで……」
私は必死で平常を装ったが、感情が溢れ出してしまっている声と
抱きついた背中を涙で濡らす感触で私が泣いている事はバレバレになっていた。
「なんで、リアちゃんが泣いているのよ」
「泣いていませんよ」
「いや、泣いているじゃない」
「泣いていないと言っているじゃないですか、先輩が……エレナ先輩が涙を見せていないのに……
私が泣くわけにいかないじゃないですか、だから泣いていません」
「何よ、それ……意味わかんないよ……」
私たちはお互いの顔を見ることなく号泣した。体の水分が無くなってしまうのでは?と思えるほどに泣いた。
今まで生きてきた人生でこれほど泣いたことはないだろう。
思い切り泣いて、少し落ち着いた私達はお互い涙でぐしゃぐしゃの顔を見せ合いながら、少し笑った。
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