この目で判れ?これ以上は無理なので、婚約破棄でお願いします。
今年最初の投稿です。
本年もよろしくお願いします。
「ミッチェルぅ。今ね、人気のカフェでね、見た目も可愛いケーキがね、あるって聞いてね、ロッティ行きたいの」
「ああ、可愛いねロッティ。もちろん、いいよ。今から行こうか」
「うん!嬉しいぃ」
王立学院の中庭を、仲のいいカップルが蕩けそうな笑みを向け合いながら歩いて行く。
「まあ、またですわ」
「ご婚約者のクレア様が何もおっしゃらないからって」
「恥も外聞もない女って怖いよな」
「ガースンの気が知れない」
そしてそれに伴い、周りは眉を顰めて囁き合う。
「ねえ、クレア。本当にいいの?」
「クレアも、クレアのお家も対処する方法を考えているのは知っているけど、あれはどうにも許し難いわ」
そんななか、クレアの友人であるエイミーとアナは、校門へと向かうふたりを平静な目で見つめるクレアにそう声を掛けた。
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫よ。あの状態になって、もう一年以上も経つのですもの」
優雅に微笑みつつ、クレアは婚約者であるミッチェルの視線を思い出す。
甘え、自分に縋り付くように歩くガーン男爵令嬢ロッティを優しく抱き抱えながら、クレアを見る瞳が雄弁に語るもの。
この目で判ってくれるよな?
初めてその瞳を向けられたのは、もう一年以上も前のこと。
その時には、政略とはいえ良好な関係の婚約者であったクレアは、彼の本心を知ろうと努力した。
何か、事情があってガーン男爵令嬢の傍に居るのなら力になりたい、と。
しかしミッチェルは説明することなしに、何故かおどおどしたり、時に居丈高になったりしてクレアが接近することを拒否し、ならばと父侯爵からミッチェルの父であるガースン伯爵に話をしてもらったところ『学院に居るときくらい、好きにさせてやってほしい。やがて、身分が上の令嬢と婚姻して肩身の狭い思いをするのだから』との返事を貰った。
あれで終わった、って感じよね。
政略なのはお互い様だ。
それなのにガースン伯爵にそう言われ、クレアの家族は静かに切れた。
『いいじゃないか、クレア。クレアも好きにしていい、ということだ』
『格上の我が家との婚姻が苦痛なら、今すぐ婚約破棄してさしあげればいいのでは?』
『いえいえ、母上。今すぐではクレア有責とされかねません。もう少し泳がせましょう』
父、母、兄が悪い笑みを浮かべ言うのを、クレアは嬉しい思いで聞いた。
ひとりで悩むこともなく、あんな、おどおどとクレアを排するような意気地も甲斐性もない男と結婚することも無い。
クレアが感じた自由は、思い切り新鮮な空気を吸い込むかのような、心地のよさと安心感だった。
それからクレアは、父に付いて本格的に領地経営を学び始めた。
侯爵家を継ぐのは兄ハロルドだが、ハロルドはその優秀さを買われ、王太子の側近として詰めている。
そして、相手有責とはいえ婚約破棄となるクレアが、この先新たに他貴族との婚約を結ぶのは難しい。
そのため、ハロルドが侯爵位を継いだ後、実質領地を治める代理領主を、クレアとやがて一族から迎えるその伴侶が務める許可を国王に求め、受理されると共に国王からある説明があった。
それは、国王が第三王子に命じたという、とある内容。
ガーン男爵令嬢ロッティは、禁忌である魅了を扱っている可能性があるため、魅了効果排斥の装置を学院に設置したこと、学院生全員が身に着けている校章にも、小型の魅了効果排斥装置を組み込んだこと、そのうえで魅了が効いていないことを悟らせないため第三王子に魅了にかかったふりをするよう命じたこと。
けれど、相愛の婚約者がいる第三王子にその役を負わせるわけにはいかない、とミッチェルが代わりを引き受けたらしいこと。
『代わりを許すなど、口にした覚えは無い。だが、オースティン嬢には辛いことになってしまい、申し訳ない』
国王はそう言って謝罪の言葉を述べたが、その話を聞いたクレアも、その他のオースティン家も皆笑顔で陛下に謝罪いただくことではない、と答えた。
つまりミッチェルは、相愛でない婚約者の私などより、第三王子を選んだ、と。
でも、それならそれで、そう言えばいいのに。
良好だったとはいえ政略だったのだから、と、思うクレアの横で、両親も兄も同じ笑顔、つまりはミッチェルに完全に見切りをつけていて、今更驚くことも響くことも無かったので、その後の話も早かった。
ハロルドを王太子の側近に望む国王も王太子も、オースティンの領地については心配があった、と、クレアが伴侶と共に代理領主となることを喜んでくれた。
更に、第三王子とその婚約者一族は王太子の座を狙って画策している向きがあるといい、それに協力しているミッチェルとの婚約破棄についても後ろ楯となることを約束してくれた。
『王太子殿下には仕えたいし、でも領地は大切だし。本当、クレアが領地を見てくれるなら安心だ』
兄ハロルドは嬉々として言い、両親も、可愛い一人娘を手放さなくて済む、と喜んでクレアに領地の事を細かに説明してくれるようになった。
そうこうするうち、王立学院での生活も最終学年後半を迎え、クレアは勉学や友人との仲を深めるのに楽しく忙しく、いつしか婚約者が居るという事実さえ忘れそうになっていた。
「クレア。卒業パーティで、君との婚約破棄を発表する」
そんな時、腕にロッティをぶら下げたミッチェルにそう言われ、クレアはそういえば未だ婚約破棄していなかった、と思い出す。
「ミッチェル様ってばね、卒業パーティ用にってね、ドレスをね、ロッティに買ってくれるのぉ」
巨大な胸をミッチェルに押し付け、自分のことを名前呼びしてガーン男爵令嬢が惚気る、その隣で、その身体を優しく抱き寄せつつも、ミッチェルの瞳が、判ってほしい、とクレアに訴える。
相変わらずの『この目で判れ』ね。
はいはい、貴方に事情があるんだろうな、ってことは最初から判っていましたよ。
それでも、視線だけですべて判る、とか、黙って見守る、とか無理なので、秘密は守りつつ理解しようとしたのに、完全拒否したじゃないですか。
案外、ガースン伯爵の言った『学院にいるときくらい、自由に』ってのが本心なのでは?
魅了にかかったふり、とか言っても、それだけじゃなく、王太子殿下に良からぬことを考える第三王子の側近候補とか、我が家の敵じゃないの。
第一、一年以上も、ふたりは学院で堂々とこのように過ごし、婚約者としてのクレアを貶め続けたのだ。
どんな事情があろうとも、その事実は変わらない。
それなのに、今も尚クレアに向けて来る『この目で判れ』
クレアとしては、いい加減にして欲しいと思う。
「いいな、クレア。卒業パーティで」
「何故そのような、公開処刑のような真似をされなくてはならないのですか。両家間で書類を作成すれば済むことです」
「く、クレア」
「なんでしょう?ガースン伯爵令息」
だから、その判ってくれ視線は煩いだけなのよ。
何かあるなら説明して、って幾度も言ったわよね?
まあ、魅了だけならともかく、第三王子を王太子にしたい、なんて計画、言われても困るけど。
焦ったようにクレアを見つめるミッチェルの横で『やあねえ。婚約破棄されるなら何処でも一緒じゃなぁい』とロッティが甘えた声を出す。
「いずれにせよ、婚約破棄は承りました」
「待ってくれ、クレア!」
やっていられない、と、くるりとふたりに背を向け歩き出せば、ミッチェルが懸命に呼びかけて来る。
けれども、視線だけで振り向いたクレアに見えたのは、相変わらず密着体勢のふたり。
それはもう、度を越した熱愛カップルにしか見えない。
はあ。
一体、何がしたかったのだか。
一体何の時間だったのか、と、大きなため息を吐き、それでも婚約破棄という言葉をもぎ取ったクレアは、父の元へと急いだ。
「お父様。卒業パーティで、婚約破棄を発表すると言われました。ですがそれだけとは思えませんので、そこで何かするつもりなのだと思います」
そうクレアに報告を受けたオースティン侯爵は、すぐさま動いた。
結果判ったのは、第三王子が卒業パーティで勝手にロッティの魅了を暴き、更にガーン男爵家は密輸を行っており、王太子もそれに関与していると断罪する予定だったということ。
「ほう。ガーン男爵家の密輸に王太子殿下が関わっていらっしゃる、どころか黒幕である、と。しかも密輸に利用している港を運営している貴族も関連している、と仰る。因みに、それは何処の港でしょうか」
「それはもちろん、最大の貿易港の」
揚々とそこまで言って、第三王子は青くなった。
国内最大の貿易港を有しているのは、オースティン侯爵家。
そして自分が今、話をしているのはオースティン侯爵本人。
つまり今、港の保有者本人に向かって、密輸に関連していると断罪してしまったのだ。
確たる証拠も無いのに。
「殿下はそれを、卒業パーティで口になさるおつもりだった。それが、どういうことかご理解していらっしゃいますか?」
国王、王妃、王太子が揃った話し合いの場。
既にクレアとの婚約破棄に応じたガースン伯爵は、その身を小さくしてとどまっている。
「侯爵こそ、そうやって居丈高に訴えて誤魔化そうと」
「殿下に情報をもたらしたのは、ご婚約者の父君、スキナー伯爵ですね。では、こちらの資料をご覧ください。より精密なものとなっておりますので」
ああ。
お父様ってば容赦ない。
何とか奮起しようとした第三王子を、容赦なく潰す。
その資料を先に見ていたクレアは、どんどん顔色が悪くなっていく第三王子を黙って見つめた。
第三王子を王太子とし、自身の娘を王太子妃にしようと画策したスキナー伯爵だが、その財力はともかく、家格は弱い。
しかも、同じように港を有しているだけに思えるオースティン侯爵家の繁栄は、止まることを知らず、面白くない。
そこで思いついたのが、王太子もオースティン侯爵家も一緒に破滅に追い詰めるということだった。
浅はかだったのは、自分が実際に犯している罪をそのまま、オースティン侯爵家が行っているように見せかけたことだろう。
尤も、深く物事を考えることの無い第三王子は、ガーン男爵家と王太子が密輸に関わっている、という話だけを聞いて、これで自分が王太子だと盛り上がり、ガーン男爵を確実に捕らえる為にもロッティを離すな、とミッチェルに命じ、ミッチェルも、自分が新しい王太子の側近間違いなし、と、喜んでそれに応えたのだという。
しかしその行動は彼等にとっては完全なる無駄であり、しかも実際に罪を犯していた黒幕は、第三王子と婚約関係にあるスキナー伯爵家だったのだから救いようも無い。
「ああ、そうだガースン伯爵。例え第三王子殿下が関わっていたとはいえ、我が娘が精神的苦痛を一年以上に渡って受けたことは変わりませんからな。ガーン男爵家ともども、慰謝料を請求させてもらいます」
お父様。
お父様の方が、悪役のようです。
話し合いが終了し、漸く解放されると大きく息を吐いたガースン伯爵に、微笑み言った父の目が少しも笑っていないどころか、獲物を追い詰めた猛獣のようだと思い、クレアはひとり苦笑した。
「あのふたりが居ない、ってだけで平和ねえ。空気が澄んでいるわ」
しみじみと言ったエイミーに、アナも笑顔で答える。
「本当に。クレア、お疲れ様でした」
「何だか色々あったけど、私は何もしていないのよ」
振り返れば色々嫌な思いはしたものの、自分は本当に何もしていない、とクレアは苦笑する。
私がしたことといえば、ミッチェルの様子がおかしくなって、それでも目が何かを訴えているから、事情があるんだろうな、って思って、何とかしようとしたことくらいだったものね。
それも、最終的にはお父様にお願いしてしまったし。
まさか、第三王子とその婚約者の家が王太子、王太子妃の座を狙っていて、ミッチェルもそれに加担しているなど、クレアには想像もつかなかった。
ましてや生家が密輸の罪を被せられそうになっていたなど、思い返すだけで自分を殴りたくなる。
あんな、のほほんとしている場合じゃなかったのよ。
もっと実力を付けて、お父様やお兄様の足を引っ張らないようにしないと。
そう決意するクレアに母は『もっと肩の力を抜いて』などと笑顔で言ってくれたが、そんな母も父の片腕として頼られているのを知っているクレアとしては、素直に頷いている場合ではないと思える。
「ああ、もうすぐ卒業式ね」
「ね、パーティのドレスはどんなのにした?」
明るい声で話すエイミーとアナの会話に混ざりながら、クレアはふと思う。
罪を暴かれたスキナー伯爵家とガーン男爵家はお取り潰しとなり、令嬢ふたりは当然のように退学となった。
第三王子とミッチェルも、王太子を陥れようとした罪に問われ、謹慎の身となっている。
卒業パーティかあ。
最後に会った時、ミッチェルはクレアと婚約破棄をするつもりなど無かったのだと言っていた。
『ロッティが、かなりクレアを意識していたから。ああしてクレアの前で婚約破棄とはっきり言葉にすれば、安心すると思った。あの時だけの話だったんだ』
安心、ねえ。
それに、今ここに至っても、ロッティと呼んでいるところで駄目駄目じゃない?
私がどう思うかなんて、どうでもいいみたいだし。
『クレアなら判ってくれると思ったのに、残念だよ』
部屋を出る間際、心底残念そうに言われ、クレアは凛と微笑んだ。
『判らなかったから、共犯者にならずに済んだのだからよかったわ。家にも迷惑をかけるところだったもの』
その言葉にミッチェルの顔が歪む。
未遂だったとはいえ、王太子に対し牙をむいたのだ。
しかも知らなかったとはいえ、スキナー伯爵家がオースティン侯爵家に罪を被せようとした件にも関わってしまっている。
『こんなことなら、クレア嬢の申し立てをもっと真剣に聞くのだった』
そうガースン伯爵が嘆くも既にして遅く、沈み行く船が再び浮かぶことは無い。
この後、代理領主としてその伴侶と共に様々な改革を行ったクレアは、常に対話を大切にし、代理領主としても、ひとりの女性としても、幸福な生涯を送ったという。




