もふ13 もふもふと尊いつるつる
翌日の午後、アンドレアはレアルに伴われ城の写字室へ訪れた。
レアルが写字室の重い扉を開けると、中は防腐剤と思われるハーブの香りで充満しており、大きな獣人に見合った両手で抱えないと持てないような大きさの本が、これまた巨大な書架にびっしりと並んでいた。
これならお婆さんになっても読書に苦労しないわ。
アンドレアは開かれたままテーブルに置かれている本の大活字を見て思った。
「賢者セルバンテス、以前よりご所望のアシスタントを連れて参りました。」
レアルの呼びかけに、
「奥にいるよ。」
との声を頼りに、二人は書架で迷路のようになっている部屋の奥へと進んで行った。
智慧者で名高いエルフ族のレアルをもってして、賢者と言わしめるセルバンテスとは、何者だろう。
アンドレアは、床につくほどの髭を持つ気難しい老人を思い描き、緊張して背筋を伸ばした。
「おお、こちらでしたか。お仕事の邪魔をして申し訳ありません。」
レアルは主人のドン・サンチェスに対するとも劣らぬ慇懃な礼をする。
レアルの視線の先に在る、来客にも手を休めずに黙々と仕事に打ち込む賢者セルバンテスの姿にアンドレアは目を見開いた。
この方が、この方が、賢者セルバンテス……!
そこには、真っ白な身体に、角のまるい三角の耳、雫のような形の大きな黒目、そして、鼻と口が×の字を作って顔の中心に集まっている、イタチのような生き物が、『つる〜ん』、という擬音がぴったりの動きをして、巨大な羊皮紙の上を行き来しながら文字を書いている。
と、
尊い……!
アンドレアは思わず胸元で両手を組んだ。
「早速だが、あっちのを頼む。」
賢者セルバンテスは、相手が首領の側近であろうが妃であろうが、態度を変えることはない。
誰に対しても飄々と、つるんつるんと我が道を行く。
「かしこまりました、賢者様。」
目を潤ませ拝むように眺めるアンドレアに、賢者セルバンテスの叡智への畏怖と尊敬を感じ取ったレアルは、やはり俺の人選は正しかったと満足し、二人を残し部屋を後にした。
ʕ•ᴥ•ʔ
「今日は貸本屋さんの依頼で少女向けの恋愛小説の写本をしていました。
とっても面白いお話なんですけど、守秘義務があるからお話できませんの。」
「ふうん、賢者セルバンテスはそんな仕事も請け負ってるのか。」
いつもの夜のお手入れの時間、アンドレアとドン・サンチェスはそんな会話をしていた。
二人の安らぎのひとときではあるが、今日は仕事が立て込んでいたらしく、ドン・サンチェスはブラシを当ててもらいながらレアルの持ってきた書類にサインをしたりしている。
「まずはそう言ったもので読書習慣の裾野を広げていくのだそうです。」
「なるほどなあ。」
などと適当に相槌を打つが、どうやらドン・サンチェスの関心は他にあるらしい。
「ところで、魔術書はもう見ましたか? 賢者セルバンテスの所有するご禁制の魔術書は首領の俺ですらちゃんとした理由もなく中身を見る事のできない貴重な書物なのですが。
噂によれば、その書物に……。」
ドン・サンチェスは、コホン、と、咳払いをした。
「俺のこのボサボサの毛をエスカミーリョみたいなカッコいい短毛に変えると言う呪文があるらしく…… もしも、いや、もしもの話だが……チラッとでもアンドレア姫が見る事ができたなら……その、どんな呪文だったのか……。」
「奥方様にご禁制の本を盗み見るよう促すなど、首領である貴方が何と言う事をおっしゃるのですかっ!」
「ひっ!」
アンドレアが口を挟む前に、側近レアルの怒号が飛んできてドン・サンチェスはびくっと毛を逆立てた。
「だって、だって、毛質を変える呪文がご禁制にする程の魔法か?」
「そう言う問題ではありませんっ!」
ダークエルフの怒れる姿は、銀色の目を釣り上げ、髪を逆立て、牙まで覗かせ、魔王さながらだ。さすが魔族だけの事はある。
それに引き換え、我が君、ドン・サンチェスは、同じ毛を逆立てるにしても、しっぽが三倍になっているし、背中の毛はたてがみのようになっており、耳を寝かせてプルプル震え、可愛い、いや、可哀想になってくる。
アンドレアは昼間、賢者に感じた以上の尊さを愛する夫に抱いた。
「レアル様、私の大切な旦那様をそんなにいじめないで下さいな。せっかくきれいにしたのに、最初からやり直しではないですか。」
そんなふうに言っている割にはアンドレアはなぜか嬉しそうにドン・サンチェスの身体にブラシを当て始めた。
こんな風に逆立ってしまったらなかなか元に戻らないのに、アンドレア姫は文句も言わずにぼさぼさの俺のお手入れしてくれている。
優しい人だ、俺は果報者だ。恐ろしいレアルとは大違いだ。
ドン・サンチェスは我が身の幸せを噛み締めた。
全く、あまり甘やかさないでいただきたいものだ。
レアルは溜め息をついた。
しかし、幸せそうに鼻を上げ、大人しくブラシをかけられているドン・サンチェスに、今日のところは勘弁しておいてやるかと考えた。
主君の幸せは家臣の幸せでもあるのだ。
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次章は、ざまあ、転生といったテンプレっぽい要素を扱ってみたくて書いてみた閑話休題の番外編が三話ほど続きます。お楽しみいただけるかちょっと心配ですが、お読みいただけたら嬉しいです。
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