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抜けるような晴天の朝だった。
もうそろそろ秋の気配が来ても良いのに、と思う。
「やあ」
銅像に背中をもたれかけながら、真鳥が右手を上げる。
「私服姿も美しいね、シーラ」
「お世辞はいいから」
「僕がお世辞を言うと思う?」
まあ、それは、思わないけれど。
「……待たせたかしら」
「ん、ああ、一時間くらいかな」
「いっ……!」
「楽しみすぎて、ちょっと早く着いちゃった」
「ああ、そう……」
少し呆れつつ、ふと見ると、彼は首から大きなカメラをぶら下げていた。一目で高価だとわかるレベルのものだ。
「何、そのカメラ」
「ああこれ? いいでしょ。ちょっと高かったけど、これから必要になるからね」
「風景でも撮るのかしら」
「シーラを撮るに決まってるじゃないか!」
「……」
案の定。
「シーラのその美しい翼を記録に残しておきたい、そう思うのは当然のことだよ」
「やめて、恥ずかしい」
「後でデータ送ってあげるよ」
「いらないから!」
乗り込んだ電車はほとんど満員だった。
私は電車が嫌いだ。翼のせいで座席には座れないし、立っていてもその大きさで周りに迷惑がかかる。露骨に舌打ちをされたこともある。私は何も言えずただ翼をすくめるばかり。自分はこの世の中にとって邪魔な存在なのではないかとすら思えてしまう。
「大丈夫?」
真鳥が小さくささやく。
「顔色悪いけど」
「何でもないわ。気にしないで」
目的地までは十五分ほど。それだけの辛抱だ。
……と。
不意に、尻のあたりに何かが押しつけられる感触がした。一瞬、後ろの人の体に当たったのかと思ったが、その感触が肌をなで回すように動き始めて私は凍り付いた。
あきらかに、人の掌だ。
痴漢に遭遇するのは初めてだった。
私は身動き一つとれずに固まる。
どうしよう。
ただ体を触られるだけのことが、こんなにも、怖い。
「ねえ」
唐突に真鳥の声がした。先ほどとは違い、はっきりとした大きな声だった。
私に投げかけられているのかと思った。が、真鳥の視線は私を通り越したその後ろに向かっていた。
「ねえおじさん、せっかく触るんだったらお尻じゃなくて翼にしたら?」
真鳥は朗々とそんな台詞を放った。いつもと変わらぬトーンで。いつもと変わらぬ微笑みで。
臀部から圧迫感が消え、ようやく私の石化が回復する。恐る恐る後ろを振り向くと、初老の男性があからさまな困惑の表情を浮かべていた。
「翼の方がよほど触り心地いいのに、どうしてお尻を触るのか理解できないな」
周囲の視線が真鳥と、男性に集まっている。
「ねえ、どうして?」
そこで電車が停止した。駅に着いたのだ。男性は何も言わず、逃げるように降りていった。「あらら、行っちゃった」
真鳥はつぶやいて、私の方を見る。
そして、歯を見せてにこっと笑った。
それから私たちが一日をどう過ごしたか、詳しく述べる必要はないと思う。
翼人服専門店で白のワンピースを買ったり(さすがに安物を選んだ)、ランチに熱々のピザを食べたり(一時間以上並んだ)、カフェで自家焙煎のコーヒーを飲んだり(真鳥は砂糖をしこたま注ぎ込んでいた)、まあそんな、ありきたりな内容だ。
「ねえ、シーラ」
夕暮れの陽が射す中、私たちは公園の芝生に並んで座っている。
「何よ」
「そこに立って、翼を広げてみてくれない?」
「ええ?」
「一度きちんと見ておきたいんだ」
「……」
私は憮然とした顔で立ち上がる。そして紅い太陽を背に、ゆっくりと翼を広げた。シルエットが長く長く、遠くの果てまで伸びている。
「これで良い?」
「最高だね」
真鳥はとびきりの笑顔。おもむろにカメラを構え、シャッターを切った。
結局、その一枚しか真鳥は写真を撮らなかった。