初雪とお社様
「雪姉ちゃん、あれなぁに?」
妹の冬菜が指す方を見ると、真っ白な小さい粒がほろほろと降っていた。
「あれは・・・雪、かな?」
「雪姉ちゃんとおなじだぁ!」
6歳の冬。
私は初めて「本物の雪」を見た。
「雪姉ちゃんみてみて!雪さん、およいでる!」
泳いでる・・・?
よく見ると道路に落ちたばかりの雪が風に吹かれて、ユラユラと動いていた。
「まてまて〜!ふゆなも一緒にいく〜!」
「あ、まって!冬菜!お庭から出ちゃダメだよ!」
私の声が聞こえていないのか、冬菜はどんどん庭を離れ裏山に入っていく。
「冬菜!ダメ!山に入ったらダメ!」
山には・・・山にはお社様がいるから!
*
「雪、今日は暖かいからお庭で遊びましょうか」
私が4歳、冬菜が1歳の時、お母さんとよく遊んだ。
お母さんは冬菜を抱えたまま、庭を走り回る私を見守っていた。
「お母さん!あっちにはなにがあるの?」
私が山の方を指して、そう尋ねると、お母さんは困った顔をした。
「1人で入ってはダメよ?あの山にはお社様がいて、子どもを隠しちゃうの。とっても怖いお方だからね?」
お母さんは私に強く言い聞かせた。
でも違う。
あっちには『なに』があるのか聞いたのに。
数日経って、私はまた山を見ていた。
何か聞こえる・・・。何か見える・・・。
気になった私は無意識に山へ向かっていた。
山は外から見るよりとても暗かった。
見渡す限り、木しか無く、数十分歩いただけで、迷子になってしまった。
「お母さん!お母さんどこ?・・・くらいよ・・・こわいよ・・・」
お母さんにダメと言われたのに来てしまったから、きっとお社様に怒られてしまったんだ・・・。
ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・。
「おい、人の子、何してるんだ?」
私がグスグスと泣いていると、どこからか声が聞こえた。
「だれ・・・?」
「・・・名など無い」
顔を上げると、白い着物の男の子が立っていた。
さっきまで確かに誰もいなかったはずなのに、その子は元からそこにいたかのように私を見ていた。
「あ、あの・・・!わたし迷子になっちゃって・・・その」
「そんな事は分かっている。ここにはよく子供が迷い込む。その度に俺は一人で来るなと叱っているのだが、・・・なぜ来た」
「何か聞こえたの・・・見えたの・・・」
そういうと、その子は大きな溜息をついた。
「またアイツらか・・・」
そして上を向き大声で叫んだ。
「おい、ゆきんこ!また人間を連れてきたな?」
その声に応えるように、白い球がふわふわと集まってきた。
「人の子、これだろう?お前が見たやつは」
「う、うん」
白い球・・・ゆきんこは私のところにも集まってきて、「遊ぼう」「一緒に」と語りかけてくる。
間違いなく家から見えた「なに」だった。
「・・・この子たちは?」
「『ゆきんこ』だ。本来雪国に住まう妖怪だが、コイツらははぐれ者だ。しかも赤ん坊だから、まだ己で雪国へ行くこともできない。・・・ここに住み着いて、もう20年になるな。人間、特に子供が好きでな。遊び相手によくさらってくる。迷惑な事だ」
迷惑と言いながらも、その子はゆきんこを手に乗せて遊んでいる。
「コイツらもあと数年経てば雪国に旅立てるくらいにはなるだろう。もう暫く山には入らぬよう、他の子らに注意しておいてくれ」
「でもお母さんはお社様が子どもを隠してるんだって・・・本当はゆきんこのイタズラなのに。お社様怒らないかな?」
私の言葉にその子は笑った。
「そうだろうな。俺がそう伝えるように、あの子らには言った。そうか、20年・・・お前はあの子らの子か・・・」
その子は私に向き直ると、「着いてこい」と言って歩き出した。
山を登り、奥へ奥へとどんどん進んでいく。
暫くすると、小さな社が見えた。
「俺の社だ」
「え・・・?じゃあ、あなたが・・・」
「あぁ、この山の主、お社様と言われている者だ」
不思議と納得できた。
見た目に似合わない話し方。
突然現れたように見えたのも、最初から私の近くにいただけだったのだと分かった。
「お前に渡しておく物があってな。えーと・・・ああ、あった」
お社様が社から取り出したのは、『真っ白なリボン』だった。
「お社様、これは・・・?」
「あの子の忘れ物だ。返しておいてくれ・・・お前の母に」
『あの子』って・・・お母さん?
「お社様、お母さんもここで迷子になったことがあるの?」
「あぁ・・・でも迷子になったという事実以外何も覚えていないだろうがな」
「・・・?」
私がポカン、としているとお社様が私に渡したリボンに触れた。
「これを持って山を下れ。自ずと帰れるはずだ」
手元を見ると、リボンがほんのりと光っていた。
これで帰れる・・・。
「もう、帰らないとダメ・・・?」
私の言葉にお社様はキョトンとした表情を見せた。
「帰りたいのだろう?」
そうだ。私は帰りたい・・・はずなのに。
なぜかそれがとても辛い。
まだここに居たい。お社様と居たい。
「お社様・・・私まだここにいたい」
「・・・お前は母と同じことを言うのだな。そのリボン、実は忘れ物ではなくてな。お前の母が、俺に忘れられまいと置いて行ったものなのだ」
これが・・・お母さんがお社様に残した思い。
何も持たずに家から出てきたことを、今更になって後悔した。
そして、そのまま泣き始めてしまった。
「お、おい!なぜ泣く?どこか痛めたのか?」
突然泣き始めた私にお社様はとても慌てていた。
あぁ、お社様はとても優しい。
とても暖かい。
だから、離れることがとても悲しい・・・。
「お社様とはなれたくないっ!帰りたくない!」
駄々を捏ねだした私を・・・お社様は嬉しそうに見つめた。
「お前は歳の割に大人びていると思っていたが・・・やはり子どもだな。安心した」
そう言って、お社様は私の頭をぽんっ、と撫でた。
その手は・・・大人の手だった。
驚いて顔をあげると、白く美しい人が微笑んでいた。
「泣き止んだか?」
「・・・うんっ」
「・・・お前があの子の子なら、俺との繋がりが欲しくて泣いていたのだろう?」
「・・・でも、私何ももってない」
お社様は暫く考えた後に私に聞いた。
「お前、名前は?」
「・・・雪」
「そうか」と、言うとお社様はゆきんこの1匹に手をかざした。
するとゆきんこは嬉しそうにお社様の手の周りを飛び、やがて白くてふわふわな髪飾りとなった。
「雪、お前にこれをやろう」
「これは・・・雪?」
「そうだ。お前の名と同じ『雪』だ」
私はそれをぎゅっと握りしめた。
お社様は、私をその大きな懐でぎゅっと包んでくれた。
「大丈夫だ、雪。お前とはそう遠くない内にまた会える。だから、母に会うまでは泣かずに真っ直ぐ帰るのだぞ・・・」
・・・気づけば、お社様もゆきんこもいなくなっていた。
私は手元に残ったリボンと髪飾りを握りしめ、ゆっくりと山を下った。
下って行くと懐中電灯を持った大人たちが私の名前を呼びながら探していた。
「お母さん!」
と、私が叫ぶと、お母さんの懐中電灯が私を照らした。
「雪!!」
お母さんは私に駆け寄り抱きついた。
「あぁ、良かった無事で!痛いところは?怪我はない?」
「大丈夫・・・お母さん、言いつけ守れなくてごめんなさい」
「そうね・・・それは後でお説教ね。でも今は、無事で良かった・・・」
そう言ってお母さんは泣き出してしまった。
私もつられて大泣きしてしまった。
帰宅後、「近所にお礼してくる」と言ってお母さんは出ていった。
冬菜はお母さんの背中、お父さんもお仕事・・・今度こそ1人になってしまった・・・。
・・・あれ?
さっきも1人だったはずなのに・・・
さっきは・・・山で迷子になって、リボンと髪飾りを貰って・・・誰に?
・・・何で迷子になったんだっけ?
『なにか』が見えて・・・それを追いかけて・・・『なにか』って何?
あぁ、でも・・・
『山に入ってはいけない。お社様が怒ってしまうから』
これだけは伝えなきゃ・・・
考え込んでいる内に、私は眠ってしまっていた。
その時の夢は、何か温かいものを手放してしまったような悲しさで、眠りながら泣き続けていた。
会いたい・・・会いたいよ・・・
翌朝、お母さんに、何も覚えていないこと。
ただ、山にはもう入るな、と誰かに言われたことを伝え、白いリボンを渡した。
「雪・・・これ、どこで」
「分かんない、でも、これが帰り道をおしえてくれたの。それにこれ、お母さんのでしょ?」
お母さんは「あぁ、ありがとうございます・・・」と言って、私と白いリボンをぎゅっと抱きしめた。
お母さんが誰にお礼をしているのか、何故こんなに嬉しそうなのか・・・何も分からなかったけれど、ただその温かさを感じながら、『誰か』を思い浮かべていた。
*
「冬菜!行っちゃダメ!」
私の方が足は速いはずなのに、冬菜との距離がぐんぐん開いていく。
お母さんに・・・いや、お社様がお怒りになる前に冬菜を連れ戻さないと!
私はお守り・・・『雪の髪飾り』を付け直し、山へ向かった。
全速力で来たのにも関わらず、山にはいる頃には冬菜を完全に見失っていた。
「冬菜!!冬菜ーー!!」
私は死にもの狂いで冬菜を探した。
お社様に冬菜を隠される前に・・・いや、既に隠されているから見つからないのかもしれない。
徐々に落ちていく陽の光に焦りながら、私は山の中を走り回った。
しかし、辺りが真っ暗になっても冬菜は見つからなかった。
「冬菜!冬菜っ・・・」
私は冬菜の居場所も、帰り道も分からなくなり、その場に泣き崩れた。
あぁ・・・冬菜はお社様に隠されてしまったんだ・・・
ごめんね・・・冬菜・・・
走り回ったからか、泣き疲れたからか、私の意識はそこでプツンと途切れた。
「ねぇ、この子って」
「あぁ、2年前の!」
「姉妹の御守り付けてる!」
何かの声が聞こえる・・・
重たい瞼を少し開くと、白く光る小人が私を囲っていた。
「だ、誰・・・?」
私の声に小人たちは嬉しそうに飛び始めた。
「久しぶり!雪ちゃん!」
「・・・?」
久しぶり?
私は記憶にない小人たちに戸惑った。
「私たちは『ゆきんこ』だよ!」
小人たちの1人がそう名乗った。
『ゆきんこ』・・・
『――『ゆきんこ』だ。本来雪国に住まう妖怪だが、コイツらははぐれ者だ。しかも赤ん坊だから、まだ己で雪国へ行くこともできない。・・・ここに住み着いて、もう20年になるな。人間、特に子供が好きでな。遊び相手によくさらってくる。迷惑な事だ』
ふと、『誰か』の言葉を思い出した。
「あ!あの時のゆきんこ?」
「そうだよー!人型になれるようになったの!」
「じゃあもう・・・雪国に行けるんだね・・・」
嬉しいはずなのに、少し寂しい・・・
「雪ちゃん・・・?」
「ううん!大丈夫、なんでもないよ!良かったね、仲間のところに帰れるね!」
そういうと、ゆきんこ達はまた嬉しそうに飛び回っ―――てる途中で慌て始めた。
「ゆきんこ?」
「・・・雪ちゃんって、2人いる?」
私が・・・2人・・・?
「い、いないよ!私は1人だよ!・・・あ、妹ならいるよ?」
「妹・・・妹ちゃんだ!2年前の雪ちゃんそっくりな子がいたから先に連れて行っちゃった!」
すると、いきなりゆきんこ達が私の袖をつかみ、有り得ない速さで飛び始めた。
目の前が大雪に覆い尽くされ、見えなくなり・・・次の瞬間には、あの社の前に来ていた。
「お、おい人の子!2年前より幼くなっているではないか!それに俺が渡した髪飾りはどこにやった?」
「かみかざり〜?冬菜しらないよ〜?」
そこでは冬菜を私だと思い込んで話しかけるお社様の姿があった。
その光景が微笑ましくて、嬉しくて、私は「ふふっ」と、笑ってしまった。
その声に気がついたお社様が私の方に振り返った。
そして、私の髪飾りを見つけ叫んだ。
「・・・雪?お前が雪か!」
「はいっ!2年振りです、お社様!」
お社様は私の方に走り寄り、あの時と同じように私をぎゅっと抱きしめた。
顔も、姿も忘れても、この温もりだけは私の記憶に残り続けていた・・・。
「お社様っ・・・」
「全く・・・泣き虫なところは変わっていないのだな」
そう言ったお社様の目にも、うっすらと涙が見えた。
やっと見つけた・・・ずっと会いたかった・・・
お互いに居場所も分かっていたのに、織姫と彦星よりも会えなかったこの期間はとても長く、とても寂しかった。
「雪姉ちゃん?」
冬菜の声に我に返り、慌ててお社様から離れた。
「何だ?恥じることもないだろう?お前もまだ子どもなのだから」
「冬菜の前ではお姉ちゃんじゃないとダメなんです!」
私の言葉に、お社様とゆきんこ、冬菜までもが笑いだした。
「わ、笑わないでください!」
「いや、すまない。2年前よりは大きくなったな」
・・・でも、何故今更呼ばれたのだろうか
「あぁ、呼んだ理由がまだだったな・・・。しかしまぁ、これも無かったことになる」
・・・?
「なに、ゆきんこを雪国に向かわせようと思ってな。別れの前にお前を呼ぼうと思ったんだが・・・。人の子1人間違えて連れて来れないようでは、まだ行かせられんな」
「ええーー!ダメなの、主様・・・でも、まだいっか!雪と冬菜と遊びたいし!」
そう言って、ゆきんこ達はまたフワフワとどこかへ行ってしまった。
「さて、雪・・・と冬菜だったか?今後はいつでも来て良いぞ。お前たちの母とも話がしたいしな」
「え、いいの・・・?」
「あぁ、いつでも来い。ゆきんこ達に案内させよう・・・迷子にならぬようにな」
「うんっ!」
私はこの冬・・・永遠に消えぬ、雪を見つけた。
もう忘れない。
もう離さない。
大事な冬の温かさを・・・