5.よーこ
一人裏山探検を始めて一年が経とうとしても、裏山は最高の遊び場だった。
当時の俺は「ぼくがおとなになるまでに、うらやまたんけんおわらないかも」と本気で思っていた。とんでもない広さの裏山だし、今日はもう少し先に行こうと思っても、全然進まなかった。
だってさ、途中でアリの大群やカマキリの赤ちゃん、バッタにセミに見たことがない虫たち・・・と心惹かれるものが多すぎたんだ。
そして六歳の誕生日の翌日、俺の装備は格段にレベルアップした。
誕生日プレゼントは何がいいかと尋ねられて、迷うことなく「うらやまたんけんでつかえるアイテム!」と答えた。
じいちゃんばあちゃんからは雨でも濡れない完全防水のリュックサックとコップなしで飲める水筒を。両親からは歩きやすい運動靴と、ちょっとやそっとのことでは破けない青のかっこいい軍手と、アナログの腕時計をプレゼントされた。
手に入れたアイテムをしっかり装備して、いつも通り朝から裏山探検を始め、探検中に拾った枝を持って歩き回っていた。
裏山の中でも特にお気に入りなのが、岩が椅子のように点在している場所で、そこに腰かけてばあちゃんお手製のお弁当を食べるのが日課になっていた。
一年の間にアナログ時計をばっちりの読めるようになってたから、プレゼントされたアナログの腕時計で時間を確認した。もうすぐ十二時になるところだった。
お気に入りの場所に向かおうとしていたけど、空が気になって木の間から空を見ようと後退りしていた。
そしたら、ぽふんと何かにぶつかった。
なんだろうって振り返って驚いた。
透き通るような真っ白な肌、大きな目は薄赤茶、桜色の唇、ミルクティーのような色をした長い髪を揺らしている美女が俺の顔を覗き込んでいた。
びっくりしながら、「がいこくのひとだ!」と叫んだら、真っ白なワンピースを着た美女はくすりと笑った。
「へえ。ぼうや、私が見えるのね」
「え、にんげんじゃないの?」
まじまじと見られて言われた言葉にぽかんとしたけど、口が勝手に動いた。
その言葉に一瞬驚いた顔をした美女は俺の前にしゃがんだ。
「人間ではないわね。私は狐」
「きつね?それじゃ、どうぶつ?ばけられるの?!」
じいちゃんが狐は化けられるんだって言ってたことをしっかり覚えてたからそう言ったんだけど、あれっておとぎ話なんじゃなかったの?って、すごい混乱してたんだよな。
「動物でもないわね」
「・・・それじゃ、もののけ?」
「物の怪とは違うわ。妖よ」
「あやかし!!」
混乱してるのに、何故か口からはポンポン言葉が出てくるし、妖って聞いて、嬉しかったのを覚えてる。
冷静に考えれば、もっと慌てても良かったのに、目の前にいる美女に見とれてたんだろうな・・・
「あら、妖を知ってるの?」
「じいちゃんがくわしいの!」
「・・・ああ、もしかして、時々、妖さーんって言ってる人かしら?」
じいちゃんは時間があれば、「妖さん!いらっしゃるなら、姿をお見せください!」と言いながら、裏山の中を歩き回っているらしい。その話をばあちゃんから聞いてたし、裏山探検中の俺も何度かその声を聞いてたけど、ふざけてるんだと思ってた。
「たぶんそう」
頷くと、妖が俺の頭をそっと撫でて笑う。
「面白いから時々見に行ってるんだけど、全然気付かないのよね、あの人」
「そっかあ・・・でもなんでぼくはみえてるの?」
「それはきっと、ぼうやの目が特別だからよ」
「とくべつ?」
「そう。たまーにいるのよ。私達妖や他のモノを見える目を持つ人間がね。私がそういう人に会ったのは、五百年生きてきて十人目ね」
くすくすと笑う妖の言葉にほんと驚いたんだ。六歳になった俺の目の前に、五百歳の妖だよ。びっくりだろ?
「ごひゃくねん!あやかしってながいき!?」
「それは妖によって違うわね。私は妖孤の中でも長生きなのよ」
「よーこ?」
「狐の妖のことを妖孤と言うの」
「へえ!おねえさん、ものしり!」
「ふふふ。ありがとう。ぼうや、その目のことは誰にも言ってはダメよ」
「・・・どうして?」
首を傾げながら、子どもな俺は、せっかく特別な目を持ってるなら、みんなに言いたい!じいちゃんは妖が居るって知ったら、喜んでくれるかも!と素直に思ったんだ。子どもだからね。
「特別な目、というのは、人から怖がられることの方が多いの」
「こわがられるの・・・?」
「ええ。もしも、幽霊が見えるっていう人が居たら、すごいって思う?」
その言葉で、俺は少し前にあった真夏の心霊特集なるテレビ番組を思い出した。
この写真のここに幽霊が!というナレーションと共におどろおどろしい音楽が流れて何かがドアップになった瞬間、目にも止まらぬ早さでテレビのチャンネルを変えたのは他ならぬ俺だった。
じいちゃんに「いい所だったのに!」って言われたけど、その番組が終わるまで、リモコンをリュックサックに入れて背負い続けたのはしっかり覚えてる。
だから、当時の俺にとって幽霊=怖いものという印象がとてつもなく植え付けられていた。
「・・・ゆうれい・・・こわい」
「でしょう?それはね、ぼうやの目にも言えるの。だから、誰にも言ってはダメよ。ぼうやがもっと大きくなって、その目の事をちゃんと分かったら、自分で伝えたい人を選んで伝えるといいわ」
励ますように俺の頭を撫でた妖孤は、ぎゅうっと俺を抱き締めて微笑んだ。
「それまではこの山でたくさん遊んで、たくさん学ぶといいわ。私が教えられることは何でも教えてあげる」
「なんだか、よーこ、おかあさんみたい」
俺がポツリと零した言葉に、妖孤は一瞬目を丸くして何度か瞬きを繰り返したと思ったら、遅れてポタポタと俺の顔に水が落ちてきた。
なんだろう?と不思議に思って妖孤を見て心底びっくりしたんだ。
妖孤の目から涙が溢れ落ちてたから。綺麗な目が溶けるんじゃないかって心配になるほどだったし、大人がこんなに泣いてるのを見たのは初めてで、パニックになった。
「よーこ?どうしたの?どっかいたいの?!」
「・・・違う・・・ちがうわ・・・っ」
妖孤が俺の頬に頬をくっつけると、妖孤の悲しい気持ちが流れ込んできた気がして、俺の目からも涙が零れた。初めて声を上げずに泣いて、そっと妖孤を抱き締めた。
そしてこの時の俺は物の怪の中に、悪霊が含まれることは知らなかった。
後になって、妖や物の怪の言葉の意味をきちんと知って、「物の怪が見えるってことは悪霊も見えるってことだから、幽霊が見えるんじゃ・・・」と顔を引きつらせることになるのだけど、それはまた別の話だ。
はあっと息を吐き出すと、真っ白になった。寒い。寒いのは好きだ。重ね着すればなんとかなるから。
暑い方が耐えられない。涼しくなるまで脱ぐなんて出来ないからなあ。ここ数年は、空調服を買おうか悩んでる。結構本気で。
妖も動物と同じで、冬場は活動が鈍くなる。だから、裏山を歩いても、妖と遭遇する率がぐんと減る。
妖孤と出会ってから、俺の目は能力が開花したらしく、妖が見えるようになった。
今までに妖を見たのは自宅周辺と裏山が多い。他の場所ではあまり見たことがない。人が居る場所に妖はあまり居ないらしい。物の怪は居るらしいけど、幸いなことに一度も見たことがない。
妖怪という言葉は、妖と物の怪の総称だ。
大雑把に分けると、妖力という不思議な力を持つのが妖で、妖力を持ってないのが物の怪なんだそうだ。例外はあるらしいけど。
妖力を使って操る術を妖術という。見せてもらったことがあるけど、魔法みたいな物だった。妖怪によって得意な妖術は違うそうだ。
妖は元々、人間以外の動物や物が力を得て変化した存在で、人間や妖と意思疎通ができる。
人間を脅かしたり、悪さをしたりする妖もいれば、人間と仲良くしている妖もいて、人間と共に過ごしている妖も一定数いるらしい。
人間同様、妖同士でも権力争いやらがあるらしい。
強い妖と弱い妖の判断基準は妖力量だそうだ。妖力の量が多ければ強い、少なければ弱い。
妖同士は相手の妖力が見えるらしい。妖力が見えない、感じられない人間じゃ見極めるなんて到底無理ってことだ。
物の怪は元々、人間以外の動物、物、人間も含む悪霊などが力を得て変化した存在で、意思疎通ができない。
そして、人や妖怪に対して攻撃的なものが多い。
攻撃的な物の怪に出会ったら最後。逃げるか戦うしかない。
今までに攻撃的な妖怪に一度も出会ったことはないし、出来れば一生出会いたくない。
だからこそ、祈ってる。これ以上、人の居る所では目に見えないモノが見える能力が発揮されませんように!って。
基本的に妖怪は自然の中で生活して、人間の前に姿を現さない。野生動物と似たような生き方らしい。
人が居る場所にいる妖怪は、人に攻撃的な妖怪の可能性が高いそうだ。妖怪が見えなかったら、目も合わないし、攻撃される可能性はぐんと減るらしい。
「目が合った瞬間に攻撃対象に認定されるかも」なんて聞かされて、そっか、まあ何となるだろ!とか思えないだろ!
物の怪に至っては、意思疎通できない・出会ったら最後、逃げるか戦うしかないっていう仕様だぞ!?
・・・まあ、攻撃的な妖も交渉に応じてくれる可能性は低いよな・・・
だからこそ、この目が発揮されないことを心から祈っている。
色んな所に行って妖怪を見ておいた方が今後のためにもいいんじゃないかって勧められてるけど、それでエンカウントしたらシャレにならないだろ!と、逃げ回っている。
でも、そうも言ってられないんだよな・・・大学は高校よりも人が多い場所にあるし。
行動範囲が広がれば広がるほど妖怪に出会う率も上がる。だからといって、引きこもる気はさらさらないけどさ。。。
・・・妖怪が見えないようにする方法とかないのか?
調べてみるのも一つの手かもしれない。でも、じいちゃんには聞けないよな。
じいちゃんに聞いたら、同時に俺が妖怪が見える目を持ってるってばらすことになるんだし。
それはだめだな。うん、じいちゃんに頼るのは却下だ。妖の知恵に頼るしかないか?
そんなことをつらつら考えながら、裏山の目的地に向かう。
裏山にはとにかく色んな木が生い茂ってる。
小さい頃に図鑑を持って歩き回った時には、こんなのも生えてる!って大興奮するだけだった。子どもだからね。ただ純粋に驚いて感動してるだけで良かった。
でも、成長するにつれて、おかしくない?って思い始めて、改めて図鑑片手に裏山を歩き回った。
結果、見なかったことにしよう、誰にも言わないでおこう、そっと胸にしまっておこうって遠い目になった。
だってさ、植生違う木が、隣に並んで生えてるんだぞ?
片や『熱帯地域で見られる』木で、片や『暑さに弱く、寒い地域でしか育たたない』木が仲良さげに生えてるんだぞ。どう見てもおかしいだろ。まあ、木以外にもおかしいものは存在する。
マンゴーが生って、その隣でリンゴが生ってるし、高原地方にしか咲かないはずの花や、この国では見ることが出来ないはずの花が、綺麗に咲いてる。
青野家の大人四人は、おいしいと口にして、綺麗な花に目を細め・・・全くもってその異常性に気付いていない。
植物学者が大興奮しそうな状況だと理解してるけど、口にするつもりはない。本能が誰にも言うなって言ってる気がするから。
でもやっぱり、おかしいだろ・・・って突っ込んでしまうのはやめられない。
目的地に着くまでに今まで見たことがなかった花を調べて、やっぱりこの国の花じゃなかったと知識が増えたので、良しとしよう。
お読みいただきありがとうございました。