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4.裏山

 玄関で靴を履いてたら、ドタバタと足音がした。

 振り向かなくても分かる。こんなに足音をさせるのは、家族で一人しかいない。

 母さんだ。

「洸ちゃん、どこ行くの!?バイク!?バイクで出かけるの!?」

「出かけない。気分転換に裏山行ってくるだけだよ」

 お玉片手にそわそわしてる母さんに行ってきますを言って、玄関のドアを閉めた。

 俺がバイクで出かけようとすると、絶対に後ろに乗りたがる母さんは息子の俺を溺愛してる。自分で言うのもなんだけど、溺愛っぷりがひどい。

 嬉しいとは思うけど、少しずつ子離れして欲しいと思ってる。

 子離れに時間がかかってもいいけど、隙あらば頬にキスしてくるのだけは早くやめて欲しい。


 口癖のように「孫の顔が早く見たいから早く結婚して欲しいような・・・でも、洸ちゃんが他の女の子の物になっちゃうのはやだ!」って言ってるけど、悩む必要はないと思う。

 俺には結婚どころか恋愛のれの字も出てこないから。

 青野家は代々結婚が早い家らしい。祖父母は十八で結婚、翌年には俺の父さんが誕生。二年後に伯母さんが、その三年後に叔父さんが生まれてる。

 両親に至っても同じように十八で結婚、翌年には俺が誕生。じいちゃんの両親も早く結婚したそうだ。

 まあ、俺は正反対を地で行ってるけど。恋愛したいと思ったことがない。

 たぶん、毎日が充実してるからなんだと思う。

 それに今は受験で手一杯でそれどころじゃない。


「行ってらっしゃい!気を付けてねえ!」

 大音量に驚いて振り向くと、仁王立ちした母さんが全身を揺らして手を振ってる。お玉片手に。

 大げさすぎるのはいつものことだ。ひらひらと手を振って裏山に向かう。

 母さんは、某デパートの凄腕バイヤーだ。

 務めてるデパートの催し物の中継の時に地元の情報番組に出てる。その時はキリっとしたビジネスウーマンだけど、実際は全然違う。結構天然だ。

 会社の人達も母さんのテレビ向けの猫被りを重宝してるらしく、母さんは凄腕バイヤー兼メディア対応も担ってるらしい。


 テレビに出てる母さんを見るたびに、「あの人って本当に俺の母親だっけ?」と思うことがあるのは秘密だ。

 落差が激しすぎて、同じ顔の人が二人、同じデパートに勤めてるんじゃないかと疑惑を抱いた時期もあった。

 父さんと母さん、正反対でよく結婚したよな・・・とよく思う。

 父さんは家具職人で静かな人だ。家族の中で一番無口で、暴走する母さんを一言二言で落ち着かせる魔法を使える人でもある。

 母さんが父さんに猛アタックして口説き落としたらしい。

 ほんとに仲のいい夫婦で、将来俺もこうなれればいいなと思ってたりするのは、照れくさくてさすがに言えない。


 家の玄関から右に曲がって、家に沿って歩いて、角の所でまた右に曲がる。十五段ほどの低い階段を上ると、竹を切り出して立てた棒が左右に1本ずつ差してある。

 十センチごとに印が付けてある竹は、ここからが裏山だっていう目印であり、積雪の高さを測るためのものだ。積雪が三十センチを超えると、裏山には入山禁止になる。俺だけじゃなく、青野家全員だ。

 雪山では何が起こるか分からないし、当然と言えば当然の対応だ。ただ、今までに何度か一メートル以上の積雪があったけど、雪が落ち着いてから見に行っても、雪崩が起きたりは一切ない。それでも、一応、そういう決まりを作ってある

 。今年の冬は一時的に寒さが厳しかったりしたけど、暖かい日も結構あったからか雪は積もっては解けてを繰り返してる。裏山には陰になってる所に雪が残ってるくらいだ。

 裏山の入り口に立って、深呼吸を繰り返す。

 俺が大好きな裏山は、小さな頃から何一つ変わらない。


 小さい頃の俺が大好きだったものは、同い年の子どもが好きな電車のおもちゃでも、戦隊モノのおもちゃでも、ブロックや将棋なんかでもなく、『裏山』だった。

 『裏山』っていう呼び方は家族の中で使われてる通称で、二世帯住宅の青野家の後ろにある山だから、裏山。ものすごく安直だけど、分かりやすくていい。

 約三十年前、この裏山付きの土地を買ったのは、じいちゃんだ。

 俺の父方の祖父である青野 清治郎は、妖怪に心奪われた人間である。幼い頃に、河童を見たそうだ。本人がキラキラした目でたまに話してくれる。

 学校帰り、川にぷかぷか浮いてるところを見たんだとか。近付こうとしたら速攻で逃げられたそうだ。

 それからというもの、妖怪について書かれた本を読み漁った。

 そして気付く。

 妖怪に関する本を買うにしても、妖怪ゆかりの場所を訪ねるにしても、ものすごくお金がかかるということに。


 そのことに気付いたじいちゃんが何をしたのか?


 簡単である。自分で会社を立ち上げて、とんでもなく有名な企業にまで育て上げた。

 ものすごい人気のホワイト企業だ。社員さんに気持ちよく働いてもらうためにと育児休暇制度は随分前に取り入れてるし、企業内保育園は完備、残業しなくても、基本給が他の企業よりずいぶんいいらしいし、関連企業への支援金も出し渋らない。

 そのおかげなのか、就職希望者数が毎年とんでもない数らしい。離職率が低いため、中途採用もなかなかないそうだ。

 そんな大企業を築き上げた原動力が妖怪の研究を飽くことなくし続けるために!なんだから、人間ってすごいよな・・・

 もちろんそんなこと、テレビや雑誌では言ってない。じいちゃんは言いたいそうだけど、周りが黙ってろ!と固く口止めしてるらしい。

 まあ、大人の世界はいろんな事情があるんだろう。


 数年前に後進に道を譲ると社長を退任した。

 じいちゃんとしては「後は好きにやれ!」ってすっぱり辞めるつもりだったらしいけど、社員さん達から「お願いですから!後生ですからあああああああ!!」って泣いて縋られたらしく、相談役兼会長に渋々就任した。

 たまに会社に行っては社員さんの相談に乗ってるらしい。社員さんからは「いつでも現場復帰していいですから!」って耳がタコになるくらい言われてるらしいけど、じいちゃんは華麗にスルーして妖怪研究に没頭してる。


 どこに行くのか言わずにフラっとどこかに行ってしまうじいちゃんを、家族は好きにさせてる。というか、止められる訳がない。

 連絡がつかないなんてこともざらにあるから少し心配だけど、そういう時は秘書の村沢さんに聞けば分かるんだよなあ。村沢さんはじいちゃんの居場所をしっかり把握してるんだ。

 じいちゃんは「村沢からは逃げられる気がしない・・・」って遠い目をして言ってたっけ。俺もそう思う。

 無表情で「会長の居場所ですか?全て把握しております」と仰る村沢さんには頭が上がらないし、絶対に敵に回さないって思ってる。裏の会長って噂されてるってじいちゃんから聞かされてたし、そう思ってるから。

 ある時、母さんが「村沢さんって裏のカイチョーサマなんでしょ!」って言ったら、「そう噂されていることは承知しております」って普段笑わない村沢さんがにっこり笑って言った途端、その場の空気が凍り付いた。

 それ以来、青野家では村沢さんは裏の会長だと思ってるけど、絶対に口にはしない。

 触らぬ村沢さんに祟りなし。だ。


「手つかずの状態でここまで整っているなんて!きっと何かの力が働いている土地に違いない!」

 案内してた不動産会社の社員が説明する横で、初めて山を見たじいちゃんは大興奮したそうだ。

 色んな木が生い茂り、中には樹齢百年を超えたような木も点在してる立派な山。手つかずの山なのに、子ども一人でも歩き回れるほど歩きやすい。

 不動産会社の社員は、「すぐに購入します!」って実印片手に迫ってくるじいちゃんの興奮ぶりに顔を引きつらせて後退ったらしい。

 運転手として付いて行っていた村沢さんがばあちゃんに伝えたその話は、笑い話としてたまに話題に上ることがある。俺が生まれる前の話だけど、じいちゃんの興奮っぷりは簡単に想像できる。


 じいちゃんが心躍らせる裏山は、やんちゃで好奇心の塊だった子どもの俺にとっても魅力的な存在だった。

 じいちゃん、ばあちゃん、両親全員が働いてるから、俺は生後数か月で保育園に入れられた。保育園に連れってくれるのはじいちゃんかばあちゃんで、お迎えは両親のどちらかだった。

 家に帰って来るのは、延長保育もされて十九時過ぎ。少しだけ裏山を探索したいと言っても、許可されなかった。

 たまに家族のだれかの休みに合わせて保育園を休んだ日は、裏山探検を朝からした。

 もちろん家族同伴で、しっかり手を繋いで歩くことを約束させられた。保育園が休みの日でも、裏山には絶対に誰かと一緒に行くことって約束させられて、不満だった。

 目の前には歩き回ったことがない場所が山ほどあるのに。一人で探検したい。

 だから一人で遊びに行った。

 朝早く、こそっと自分の部屋から抜け出した。隠しておいた洋服にささっと着替えて、裏山に直行。数十分後には捕獲され、四人からこんこんと説教された。

 今でもあの日のことを思い出すと、肝が冷える。


 それからは、じいちゃん達に一人で裏山に遊びに行かせて欲しいとお願いし続けた。

 そのかいあって、五歳になったら裏山に一人で遊びに行ってもいいと許可が下りた。嬉しくて泣いた。

 それなのに、両親は五歳から幼稚園に行かないかと提案してきた。

 今なら分かるけど、親としては裏山に夢中になってる俺を心配したんだと思う。コミュニケーション能力は小さい頃に養った方がいいとも思ったのかもしれない。

 でも五歳の誕生日を心待ちにしていた当時の俺は、そんな親の思いに気付くわけもなく、「何でそんなこと言うの!?」と泣き喚き、全力で拒絶した。

 その結果、全身に蕁麻疹ができて、寝込む羽目になった。

「うらやまたんけんしなきゃいけないから、ようちえんはいかないっ」

 ベッドの住人になってべそべそ泣きながらそう言ったのを今でも覚えてる。

 そんな俺の頭を撫でながら、父さんは「洸太は父さんの血を濃く継いでいるんだな」って笑ってた。

 その言葉を聞いて、「じいちゃんといっつもいっしょにいるからね」って返したら、じいちゃんは嬉しそうに笑ってた。


 五歳の誕生日を迎えた日、俺はやっと一人裏山探検に出発した。

 突然一人裏山探検は危険だからと、その日までちょっと離れた所で見守ってもらう予備探検をしてたから、山歩きにもある程度慣れていた。

 ばあちゃんが作ってくれたお弁当と水筒、予備のタオル、合羽、ミニ懐中電灯をリュックサックに入れ、ネックストラップが付いたGPS付きのこども携帯を首から下げて、帽子を被って軍手をはめて。

 首元にはしっかりタオルを巻いて、足元は歩きやすいように運動靴。

 じいちゃんに虫除けスプレーを全身にかけてもらって、裏山に直行。

 とにかく楽しい一人裏山探検が始まった。

 今日は裏山で何があったとマシンガントークで毎日話す俺を、四人は温かい目で見守ってくれていた。たまの休みには、みんなで裏山に行って、裏山の恵みを持って帰ってはバーベキューをしたりした。

 大きくなってから知ったことだけど、俺が一人裏山探検を始めるにあたって、家に誰もいないのはまずいからってばあちゃんが仕事を辞めて専業主婦になった。

 俺の我儘に付き合わせたことを知って、心の底から謝った。


「洸ちゃんがきっかけではあったけれど、仕事をしすぎて体調を崩してたのよ。清治郎さん達からも少し休んだらどうかって言われてたから、ちょっとお休みさせてもらったわ」

 そう言って笑うばあちゃんは、俺が小学四年生になると同時に専業主婦を辞めた。

 全国各地で裁縫教室と料理教室を開いて楽しそうに働いてた。

 二年前、自分の時間を楽しみたいからって、近場の裁縫教室と料理教室以外は閉めてしまった。ただ、どっちも生徒がいっぱいで、教室数を増やして欲しいって希望がかなりあるらしい。

 二年前に裁縫教室と料理教室を閉めたのは、俺が受験生になるからだったんじゃないかと思ってる。受験が終わったら、ちゃんとお礼を言わないとな・・・

 俺が大学に行き始めたら、また働き出すかもしれない。

 その時には、俺に出来ることは協力しよう。


 我が家の大人達は、揃いも揃って仕事大好きだ。それは見てて思う。四人共、自分の好きな仕事をしてる。

 両親共働きで、じいちゃんばあちゃんに育てられたようなもんだ。って言ったら、同情の眼差しを向けられたことがある。

 でも、俺はちっとも悲しいと思ったことはないし、両親を恨んだこともない。行事のたびに仕事休んで顔出してくれてたし、仕事のことを家に持ち込んだことは一切なかった。

 一緒に居る時は、俺を可愛がってくれてるって感じてたし、愛情も感じてた。

 一人ぼっちで寂しいとか感じたこともないしなあ。保育園に行けば、和樹がべったり傍に居たし、家では誰かが一緒に居てくれたから、一人になる時間なんてなかったもんな。

 特にじいちゃんが傍に居てくれて、暇さえあれば俺に色々な話をしてくれた。

 じいちゃんの大好物である妖怪の話は、古い本を見せながら絵本を読み聞かせるように話してくれてた。

 だから俺、それがほんとに絵本で、おとぎ話か何かだと思ってた。


 目に見えないモノがいるなんて、思ってなかったんだ。

 でも、ほんとに目に見えないモノがこの世界に存在して、自分の目が他の人間と違うって知ったのは、一人裏山探検を始めて一年、六歳の誕生日の翌日だった。

 その日のことはしっかり覚えてる。

お読みいただきありがとうございました。

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