3.うわさ
「ちょっと顔貸して」
バイクのエンジンを停止するなり、そう言われた。
バイクに跨り、ヘルメットも外してない状態の俺に詰め寄ってくる作り笑顔の佐竹。固まる俺。
俺のバイク置き場にもなってる自転車置き場には、朝補習を受けるために登校してきた生徒が結構な人数いるのに、お構いなしだ。
周りに居た生徒が何事かとこっちをちらちら見てるけど、佐竹は全然気にしてない。
「顔貸そうにも、朝補習始まるだろ」
「そうなんだけど」
「・・・昨日より落ち着いたよな?」
「もちろん。昨日は取り乱してごめんなさい」
頷いた佐竹の頬がうっすらと赤くなった。これは恥ずかしがってるんだろうな。
話し方も普段と一緒だし、大丈夫そうだ。
「なら、ブロック解除しておく。直接話すのは放課後で」
「分かった!」
メッセージアプリのことだとすぐに理解したらしい佐竹が、スキップしそうな勢いでさっさと学校に向かうのを見送ってほっと息を吐き出した。
自分の考えが甘かったことを数分後に思い知った。
メッセージに溢れる佐竹の思い。土下座スタンプが山ほど送られてきて、「ありがとうございました!」の嵐だった。
ちらりと佐竹を見れば、満面の笑みでサムズアップ。
あいつは全然落ち着いてない!!
『落ち着かないなら、もう一回ブロックする』
そう送ったら、今度はごめんなさいの嵐だった。謝罪は一回で十分だから落ち着いてほしい。そう思ったけど、そうはいかなかった。
原因は和樹だ。
俺断ちしていた和樹は、今までの時間を取り戻すかのように俺達の教室に来るようになった。
授業の合間の十分休みにも来ようとするから、それはやめろと宥めて帰らせると、落ち着いてない佐竹の目は猛獣が獲物を見つけたような目になっていた。いつも以上にひどかった。
昼休みに弁当片手にやって来た和樹は俺にべったりだし、海野も面白がって和樹を構い、俺がそれを注意して・・・佐竹が言ってた【三人のわちゃわちゃ】が、約八か月ぶりに披露された訳だ。
【三人のわちゃわちゃ】が久しぶりに見れた佐竹のテンションは上がり続けた。
結果、どうなったか?
「ゆーこ、どうしたの!?大丈夫!?」
佐竹と仲が良い鈴木が甲高い声を上げて、教室に居た生徒が一斉に佐竹を見てぎょっとした。
「え、なにが?」
本人は自覚してないらしく首を傾げてる。遅れて佐竹の鼻から流れた血を見た瞬間、体が勝手に動いた。
「佐竹、体に触るぞ」
声を掛けて、体に触れて前かがみになるように椅子に座らせた。
「あおのく」
「鼻血が出てるんだよ。とりあえず一旦止めてから保健室な」
鼻血の止め方を思い出しながら佐竹にゆっくり説明する。
言った通りに呼吸をしてもらって自分で鼻を押さえてもらうと、血が止まった。良かった。
「保健室連れてくから、抱き上げていいか?」
「・・・うぅ。おねがいします」
よく見れば、佐竹のスカートが血まみれだった。これで連れて行くのは可哀想か。それに、抱き上げたらスカートの中が見えるかもしれないな。
ブレザーを脱いで、佐竹のスカートに掛けてから抱き上げる。
「和樹と海野、鈴木も悪いけど掃除頼めるか?俺も戻ったら手伝うから」
「うん!」
和樹がいい返事をして、海野と鈴木も頷いたのを確認して教室を出た。
保健室で手当てを受けた佐竹は、そのまま保健室で休むことになった。
先生に「どう見ても寝不足だし、一時間くらい寝てから戻りなさい」と言われたからだ。
ベッドに入った佐竹に、次の授業の先生には保健室で休んでることを伝えておくと言ったら、鼻血の原因は興奮しすぎたからだと本人から教えられた。
「私、興奮しすぎると昔から鼻血が出るのよ。ここ最近は全然出てなかったから油断してた」
苦笑いで言われた言葉に乾いた笑いしか出なかった。
その興奮の理由が【三人のわちゃわちゃ】だって分かってるからな。
「お前に鼻血を出させないためにも、昼は違う所で食べた方がいいだろうな」
「大丈夫!これは昨日今日と興奮しすぎただけだから!あまりにも素晴らしいことが立て続けに起きすぎて、キャパオーバーしただけだから!土日でしっかり堪能して消化するから大丈夫!」
力説する佐竹にほどほどにしとけよとだけ言って保健室を出た。
保健の先生から「佐竹さんが興奮しすぎるほどのことって何があったの?」って聞かれたけど、笑顔でスルーしておいた。馬鹿正直に話せる訳がない。
何とかそれで逃げ切って、教室に戻って床に着いた血を掃除した。
ブレザーを佐竹に貸したままだったと気付いたのは、五限が始まって、背筋が冷えてからだった。寒さと戦ってたおかげでいつも転寝してしまう数学の授業をしっかり聞けたけど、寒さに負けて、授業が終わるなりすぐに保健室に向かった。
ちょうど教室に向かってる佐竹と会って、ブレザーを返してもらって教室に戻って来た。
並んで歩きながら、「また興奮したら、今度こそブロック継続、昼は移動する」って忘れずに伝えておいた。
俺としては鼻血を出したクラスメイトを保健室に連れて行っただけ。だったけど、周りはそうは思わなかったみたいだ。
俺と佐竹の関係が噂されてるらしい。と知ったのは、和樹が俺の家に泊まりに来た週末が明けた月曜日だった。
『青野が鼻血を出した佐竹に優しく触れて血を止めさせて、スカートの中が見えないようにブレザーを貸してお姫様抱っこで佐竹を保健室に連れて行った。そのうえ、戻ってくる佐竹を迎えに行った。どうやら付き合ってるらしい』
噂の内容を海野から聞かされた俺は首を傾げるしかない。
「鼻血出したやつを抱き上げて連れて行くなんて普通だろ?歩かせてまた鼻血が出たら大変だし、佐竹のスカートは血だらけだったし、スカートの中が見えるなんて可哀想だろ。迎えに行ったんじゃなくて、ブレザー貸したままだったのを思い出して保健室に向かってたら戻ってくる途中だった佐竹と鉢合わせしただけだ」
そう言ったら、海野が微笑む。なんだそのにやけた笑みは。
「俺、青野のそういうとこ好きだよ。友人として誇りに思う。ほんと、青野って無意識でやらかすよね。カズのこと言えないよ?」
「・・・絶対に褒められてないことは分かったけど、そこまで言われるようなことしたか?」
「してるね」
「・・・マジか」
「うん」
いつもは見せない真面目な顔で断言されて、ぐうの音も出なかった。
「佐竹は誤解されて困るやつとか居るか?」
噂の当人だし、今日は佐竹も交えて俺、海野、佐竹で話をしてる。
若干、佐竹の目が怪しい感じになってるけど・・・大丈夫そうだ。
「私は誤解されて困る相手なんていないし、このままでも大丈夫よ。受験勉強に集中したいから、噂話は勝手にどうぞって感じだし」
「それなら、佐竹のお言葉に甘えて放置でいいか?人の噂も七十五日って言うしな。その頃には卒業してるし、俺も誤解されて困るやつはいないしな」
「うん。それで大丈夫。女子には私から誤解だってことは伝えておくから、少しずつ噂も消えると思うわ」
「青野に代わって、おれが男には伝えとくよ」
「頼んだ。それじゃ、そういうことで」
「ええ!」
いつもより少し声が高い佐竹の様子に笑って、解散した。海野が席につくなか、佐竹が俺にだけ見えるようにサムズアップする。
佐竹はいついかなる時も、ブレなさすぎる・・・と呆れたのは言うまでもない。
噂されても、俺達のすることは変わらない。勉強するだけだ。
志望大の願書は和樹と海野と一緒に出しに行った。和樹の両親から「くれぐれも一緒に出願して!」とお願いされた。
私大の入学願書の提出を忘れかけたと聞いたから、一人で出願させるのが不安だったんだろう。
そんなこんなであっという間に一月三十一日、登校最後の日を迎えた。
二月一日から、三年生は自由登校になる。
二次試験対策で結構な頻度で学校に来ることになるとは思うし、卒業式前の登校日もある。
でも、クラスメイトと一緒に授業を受けるのは今日で最後だ。
数日前から各教科の担当教師から「私の授業は今日で最後です」という言葉を何度も聞いた。
時間割によっては四日前に最後の授業を迎えた教科もある。
女子や先生が目を潤ませてるのを見たせいかもしれないけど、高校生活もあと少しなんだなと実感して、寂しくなった。
今日は四限までが授業で、昼休みを挟んで本来は五、六限目の時間で『三年生を送る会』が行われる。
下級生が特技を披露したり、部活で出し物をしたり、色々だ。
「青野先輩!」
海野と一緒に講堂に向かってたら、声を掛けられた。振り向いた先に居たのは、よく知ってる後輩だ。
「松岡。どうした?」
「あの・・・お話が」
もじもじした松岡が俺を見て、海野を見た。
海野に用事か。そう思って下がろうとしたら、背中を軽く叩かれた。
「青野、俺は先に行ってるから。席は確保しとくから大丈夫だよ」
一、二年は出席番号順だけど、三年はクラスごとに座る場所が指定されてて、その中でならどこに座ってもいいらしい。
友達と並んで楽しめるようにっていう配慮らしい。
「ああ、頼んだ。ここだと人が多いから、自販機の所に行くか」
「はい」
講堂近くにある自販機近くにはベンチも設置されてる。
死角になってるから、知ってる人が少なくて、サボったりするのにもってこいの場所らしい。海野に教えてもらった。
その場所を目の前の松岡に教えたのが俺だ。
松岡とは一学期、二学期と同じ委員だった。立て続けに同じ委員をした訳じゃない。
一学期は風紀で、二学期は図書だった。
偶然で二度も同じ委員になって、顔を合わせて驚いた。同じ当番日になることも多かったし、結構話してた方だ。
松岡は大人しくて引っ込み思案ではあるけど、きちんと話せば芯が強い女の子だった。
長い髪が風で揺れるのを見ながら、松岡と向き合う。
どうした?と声を掛けたけど、松岡は視線を彷徨わせて、深呼吸を繰り返してる。
・・・まさか佐竹と同じようなことを言われるんじゃ・・・
そう思った時だった。
「あの!」
「うん?」
「青野先輩と佐竹先輩は付き合ってるんですか!?」
頬を真っ赤にした松岡の言葉に首を傾げる。
・・・今なんて言われた?
俺が付き合ってる?誰と?佐竹と?俺が?付き合ってる?
「松岡、それは絶対にないぞ」
きっぱりはっきり否定する。
あの噂、下級生にまで届いてるのか。三年の中だけで噂されてるのかと思ってたけど違ったらしい。
今から否定するのも・・・時間かかりすぎるか。
「付き合ってないんですか!?」
「ああ」
「でも、先輩、お姫様抱っこで佐竹先輩を運んだって」
「それは事実だよ。でも、鼻血を出したのが佐竹じゃなくて松岡だったとしても、俺はああしたよ」
誤解されないように松岡の目を真っ直ぐ見つめてそう言うと、松岡の顔がより一層真っ赤になった。
「松岡?どうした?」
「何でもないですっ!あの、その、そうだろうなって思ったんですけど、みんなが噂してて・・・!」
「みたいだな。下級生まで知ってるとは思わなかった。俺も佐竹も、人の噂も七十五日だろうって放置することにしたんだ。どうせ卒業するし」
「・・・それはそうですけど、否定はした方がいい気がします」
「みたいだな。松岡のおかげで、下級生まで噂が回ってることが知れて良かったよ。ありがとな」
「ひゃっ!」
「あ・・・悪い。いつもの癖で」
松岡の短い悲鳴で我に返った。
和樹にするみたいに頭を撫でてしまった。申し訳ない。
「いつもの癖って」
「幼馴染の白田 和樹によく頭撫でろってねだられるんだ。それでつい。ごめんな」
「いえ!全然、大丈夫です!私の頭でよければいつでもどうぞ!」
「ありがと、でも、綺麗な髪だし、傷付けたくないから、触るのは控えておく。そろそろ戻るか」
「あ、はい!」
嬉しそうに笑う松岡と連れ立って講堂に向かう。
「・・・なんか嬉しそうだな?」
そう尋ねると、松岡がふふふと意味深に笑った。
「何があった?」
「別に何も!あ、あの先輩!」
「なんだ?」
「私、友達に噂は嘘だって言っておきますね!」
「助かる。ありがとな」
「はい!」
にこにこ笑う松岡と講堂の入り口で別れて、海野を探す。
「あ、青野、こっちこっち!」
「・・・カオスすぎるだろ」
手を振る青野の右隣には佐竹。青野の左隣は空席で、そこに座れってことらしい。
空席に左隣に和樹が居た。違うクラスの和樹がなんでここに?と海野に目で聞いてみると、首を傾げて微笑まれた。理由を話す気はないらしい。まあいいか。
佐竹のキラキラ目をスルーしておく。それにしても・・・海野の仕業だな。
「話し終わったの?」
「終わった。噂の確認だった」
「・・・ふうん。そっか。そっか・・・勇気出なかったか」
「そっかの後に何か言ったか?」
ボソッと何か言った気がするけど、聞こえなかった。聞き直してみると、「なんでもない」とはぐらかされた。
こういう時の海野は聞いても答えてくれないから、諦める。
「今まで、ありがとうございました!受験、頑張ってください!」
生徒会長がマイクを持って声を張り上げる。
三年生を送る会は、隣でぐずぐず泣く和樹を慰めて、佐竹の目力と戦う羽目になったけど、色々な出し物のおかげで楽しかった。
こうして俺達三年にとって最後になる、生徒会主催の学校行事は無事に終了した。
お読みいただきありがとうございました。