2.幼馴染と一生の思い出
「こたあああっ!!」
「ぐぁっ!」
帰りのホームルームが始まるからと席に座ろうとしたら、教室内に響く大きな声と共に、背中に受けた衝撃で呻き声が出た。あまりの衝撃に息が詰まる。それなのに、ぎゅうぎゅうと締め上げるように後ろから抱き締められた。
「和樹!俺を殺す気か!!」
怒鳴りながら振り向いて視線を下に向けて固まった。
「こたぁぁぁぁぁ!」
顔ぐっちゃぐちゃだな。
まずはそれしか思い浮かばなかった。
「・・・あー・・・分かった。分かったから落ち着け。ちょっと離れろ」
目から鼻から水を流して俺に抱き着いてるのは、幼馴染の白田 和樹だ。
和樹と俺の付き合いの長さを言葉にすると『保育園から高校までずっと一緒。ただし幼稚園は除く』って言い方になる。俺が幼稚園に行かなかったからだ。
和樹に幼稚園に行かないって言った時は、ギャン泣きされた。「こたくん、ぼくといっしょにようちえんいこうよおおおお」って泣きながら抱き着かれて、離れようとしなかった。
仕方なく和樹が泣き疲れて寝るまでそのまま待ってたんだよな。
和樹が住んでるのは町の中で、俺は山の中とも言える場所に住んでるから、子どもの足では遊びに行けず、幼稚園生になった和樹から毎日のように電話がかかって来てたな・・・
たまに和樹の母親である莉子さんに連れられてうちに来ては、「こたくぅぅぅんん!」って全力疾走で俺に抱き着いてきた。
それを見た母さんは「ロミオとジュリエットみたいね」って笑ってた。違うから。
小学校の入学式では俺に会えた嬉しさで泣き出して、俺の手を握って放さなかった。
名前順で座るはずが、和樹が手を放さないから隣に座らされたっけ・・・入学してからは、隣にぴったりくっついて離れなかったし、俺が和樹の世話を焼くのが当たり前になってた。
和樹は自分の世界に入ると、言葉足らずになったりするし、突然どっかに行ったりする。そんな和樹と一緒に居る時間が長い俺は和樹が言いたいことも、どこに行ったかも何となく分かるようになってた。
だからなのか、小学校六年間、中学三年間、同じクラスだった。
どうやら申し送り書に【白田 和樹の面倒を見れるのは青野 洸太のみです】と書かれてたらしい。
そんなまさかと思って中二の時に担任に聞いたら、そっと目を逸らされた。本当だったらしい。
高校では高三でクラスが別れたし、申し送りはなかったんだろう・・・でも、クラスは隣・・・・申し送りがあったんじゃないか?と疑ってる。
卒業前に担任にそれとなく和樹の事を聞いてみよう。
「和樹、離れろ」
もう一度声を掛けると、ぐずぐず泣いてる和樹が俺の背中から離れる。
リュックの中に入れてあるフェイスタオルを引っ張り出して和樹の顔に押し付けて拭いてやるけど、涙はボロボロ零れ続けてる。
何でこんなに泣いてるのか分からない。
教室中の視線がこっちに向いてることに気付いて、前を見ると担任と目が合った。
和樹を俺の席に座らせて、隣に立つ。間髪入れずに俺の腰に抱き着いてきた。
「すみません。ホームルーム始めてください」
「ああ、そうする」
迷いなく答える担任は、高一の時は俺、海野、和樹の担任だった。
だから、和樹のことも分かってるし、こうなった和樹が俺から離れないことも経験済みだ。
連絡事項をいくつか伝えられ、今日の日直の号令で挨拶をすると、担任が和樹を見て俺を見て頷いた。
後は任せたってことですね。分かります。頷くと、担任がさっさと教室を出て行って、クラスメイトも半分くらいが帰って行く。
前の席の海野は体ごとこっちを向いて笑みを浮かべてるし、佐竹に至ってはマフラーで口元隠して目をギラギラさせてる。
・・・お前ら、似た者同士だよな・・・
呆れながら腰をぎゅうぎゅう締め付ける和樹の頭を優しく叩く。
「和樹、何があった?」
「ぼく、やったんだ!」
俺から離れて顔を上げた和樹の目は真っ赤だし、頬も真っ赤だ。でも、その顔を見て気付いた。
悲しくて泣いたんじゃなくて嬉しくて泣いたのか。
「・・・なにを?」
「しけん!」
「・・・うん?」
「こた、と、いっしょ!」
ひっくひっく言いながら言われた言葉をインプットしてぐるぐると考えて・・・まさか?と思った。いやでも、それ以外ないよな?和樹が塾に行きだしたのは知ってたけど、そのためだったのか?
「こたと会えないのはすっごく悲しいけど、僕がんばるね!」
涙目でそう言われたのは、ゴールデンウィーク明けだった。受験のために塾に行くから、俺には会わないって宣言に来た。
「別にお昼は一緒に食べてもいいんじゃない?」
俺の横で和樹の宣言を聞いてた海野がそう言ったら、首を振られた。
「こただちしてがんばるっ!」
そう言い残して去って行った和樹を見送ったクラスメイトからは生温かい視線を、海野と佐竹からは満面の笑みを貰った。俺も逃げたくなった。
それからは本当に会わなかった。
毎年夏休みは週に三日はうちに来てたけど、今年はもちろんゼロだったし、クリスマスも年末年始も会わなかった。もちろん、携帯で連絡も取らなかった。たまに学校で顔を合わせても、和樹はそそくさと逃げてた。
そこまで徹底してやってるし、和樹が希望の大学に受かればいいなと思ってた。
でもまさか・・・
「・・・塾行ったのは俺と同じ大学に行くためか」
「うんっ!!」
満面の笑みを浮かべられて、驚く。
和樹は俺に異常に懐いてるんだよな・・・恋愛的な意味ではもちろんない。和樹が今まで好きになったのは、全員女の子だった。
俺に対しては家族と同じ扱いなんだと思う。和樹が長男だから、俺に甘えたくなるんだろう。そう言うと周りがものすごく納得する。
「兄と弟」って茶化されるのは日常茶飯事だ。
高ニの時の修学旅行で俺と海野、和樹でグループを作って東京観光、夢の国で遊んだ。興奮しすぎた和樹が鼻血を出して手当てしてたら、「こた兄ちゃん!」と周りに呼ばれた。
和樹が「僕もそう呼ぼうかなあ」ってにこにこして言ったけど、もちろん却下した。
何が嬉しくて同い年の男に「こた兄ちゃん」なんて呼ばれなきゃいけないんだ。
そもそも、「こた」呼びを止めろって言って、早十年。和樹は一向に止めようとしない。
「青野、どういうこと?」
海野が首を傾げてる。まあ、さっきの会話で分かれって方が無理だよな。
「和樹が塾行ってたのは、俺達と同じ大学行くためだったってことだ」
「え・・・カズ、下から数えた方が早くなかったっけ?」
「だな」
試験前には各教科の担当教師から俺が呼び出されて、「くれぐれも白田 (くん)をよろしく」と念押しされたのは一度や二度じゃない。それぐらい成績が悪かった。
「頑張ったんだね、カズ」
驚いた海野がそう言うと、和樹がえへへと照れ笑いして海野が和樹の頭を撫でた。海野は和樹のことだけはカズと下の名前で呼ぶ。
「カズの方がカズには似合ってるから」っていう理由だった。よく分からないのに、何故だか納得した。
・・・ギラッギラした視線を感じるけど無視だ。それよりもちゃんと和樹に確認しておこう。
「センター試験の結果が足切りラインより上だったんだな?」
「うんっ!!」
志望大は国立で、センター試験の点数で足切りがある。
大学が設定した点数より低いと、二次試験が受けられない。
俺も海野も何とか足切りをパスしただろうことは自己採点した段階で確信したし、担任からもこのまま志望大に出願してもいいってお墨付きをもらったのが二日前だ。
きっと和樹は今日、担任から知らされたんだろう。たぶん、担任は何度も確認してたから時間かかったんだろうな・・・その気持ちはよく分かる。
和樹には失礼だけど、俺だったら五回以上確認する。今までの和樹の成績の悪さを知ってるから。
「そうか。良かったな」
「おどろいた?」
「ああ、驚いた。ほんとに頑張ったんだな」
目の前にいる和樹が目をキラキラさせてこっちを見てくる。これはあれだな・・・
「よしよし」
もうすぐ十八になる男の頭を撫でる十八の男。周りにどんな目で見られてるのか・・・って不安になるけど、和樹は拗ねると面倒くさい。それなら、撫でる方を選ぶ。
「一緒に出願しに行くか」
「うん!」
「二次試験対策もちゃんとしろよ。それで・・・和樹のクラスのホームルームは聞いてきたんだよな?」
「うん!」
さっきと変わらない笑顔だけど、分からないわけがない。どれだけ長い付き合いだと思ってるんだ。
「お前・・・ホームルーム前に担任に言われて、そのまま教室から飛び出してここに来たな?」
「・・・う」
そっと目を逸らしてこっちを見ようとしない和樹の頭を、片手で掴んで顔を上げさせた。
「和樹」
「だって、今までずっと、こただちしてたんだよ!はやく会いたかったんだもんっ!!」
ウルウルと目を潤ませて俺の腰に再び抱き着くと同時に「ぐふっ」と離れた場所で声がした。佐竹だな。
「二次試験はちゃんとがんばるから!今日はこたから離れたくないっ!!」
しっかり腰に抱き着いた和樹の頭をつい撫でてしまった。またも「ぐふっ」という声がした。無視だ。気にしたら負けだ。
「お前の気持ちは分かったけど、ちゃんとやることはやれ。担任の所行って、今日の連絡事項聞いてこい」
「・・・ひとりで?」
「・・・俺もついてってやるから」
「こたすきっ!!」
立ち上がった和樹が真正面から俺に抱き着いてきた。好きなようにさせてやって佐竹を見てドン引きした。
佐竹の目からとめどなく涙が零れてた。数分前の和樹と同じくらい泣いてる。
兄弟みたいに仲が良い他人を見て、変な方向に妄想してるやつは中学時代からいた。
一番の理由は和樹が女の子顔負けの可愛い顔立ちをしてるからだと思う。女子からは「かずちゃん」と呼ばれてて仲が良い。
和樹には妹が三人居るから、女の子の扱いも慣れてる。まあそのせいで「友達」として認定されてるらしく、和樹が告白しても、「友達にしか見れない」というお断りの言葉を毎回貰ってた。もちろんそのたびに慰めた。俺はどう見ても男だし、和樹は下手すると女の子みたいに見えるからな・・・そういう風に見えるんだろう。
スキンシップが多いのも色んな憶測を呼んでるのかもしれない。
さっきみたいに頭を撫でるのをねだったり、後ろから抱き着いてくるなんてしょっちゅうだ。止めろって言っても、和樹にはそれが普通だから、なんで?と首を傾げられる。もう諦めた。
妄想したいやつはしとけばいい。そう思ってたけど・・・俺と目が合うと、泣きながら敬礼してきたのは佐竹が初めてた。
佐竹、お前はすごいな・・・よく分からないけど、そう思った。
その後は和樹と一緒に職員室に行って、和樹の担任に二人で頭を下げて連絡事項を聞いた。
笑いながら「白田くんは青野くんのことが大好きだものね」と言われて変な顔になったのが分かったけど、何も言わずに頷くだけにしておいた。
隣でにっこにこしてる和樹を遠くから涙目で見てる先生方には、きっちり頭を下げておいた。全員、和樹の成績に頭を悩ませてた先生だったからな・・・
「青野 (くん)のおかげだ。本当にありがとう」
一斉に頭を下げられて、後退りしたのはしょうがないと思う。まさか先生からお礼言われて頭下げられるなんて思いもしないだろ。怖かった。
俺のおかげだとは思いませんけど、力になれたなら良かったですと言ったら、何故か泣かれた。なんでだ。
「バイク・・・」
「だめだ」
捨てられた子犬の顔でこっちを見てくる和樹に首を振る。見つめ続けたら負ける。それは何とか阻止しないと。
『学校の行き帰りは二人乗り禁止』
バイク通学を許可するにあたって、学校と約束したことだ。バイク通学を許可されたのは俺だけだし当然だろう。
通学以外では二人乗りは目を瞑ってくれてる。ほんとありがたい。
だからこそ、約束は守る。
「はなれたくないのにっ」
「・・・分かったから泣くな」
バイクに跨って和樹の頭を撫でてると、自転車置き場の隅からこっちを凝視してる目と目が合った。
涙目で敬礼するなっ!!
「週末、お前んちに泊まりに行くから、それで我慢してくれ」
早く話を終わらせるためにそう言ったら、和樹が首を振る。これぐらいじゃ納得しないか。
「僕がこたんちに行ってもいい?」
「いいけど、なんでだ?」
「だって、こたがうちに来たら、こたを独り占めできないもん」
「ぶっはあ!」
和樹が頬を膨らませて言ったと同時に、盛大に噴き出す音が自転車置き場に響いた。
これはさすがに無視できない。
キョロキョロと辺りを見回した和樹が佐竹を見つけて、俺の腕を掴んだ。
「・・・ねえ、こた、あの子ってこたのクラスの学級委員さんだよね?」
「・・・ああ。佐竹だ」
「さたけさーん!どうしたのー?」
和樹が手を振りながらそう聞くと、佐竹が頬を真っ赤にした。あれは照れてるんじゃなくて、喜んでる。目力がすごい。
「いつも見守ってる白田くんが私に話しかけてるんだけど!しかも、青野くんの腕掴んだまま!」とか思ってそうだ・・・それが分かってしまう自分に気付いて、愕然とした。
佐竹の思ってることが分かってしまった原因は、佐竹から山ほど送られてくるメッセージのせいだろう。
数日前、佐竹と連絡先を交換した。今後の同窓会のためだ。
三学期の学級委員は同窓会委員も兼任してるから、教えなきゃいけないのは決まってた。何人かは拒否したらしいけど、俺は別にいいかと思って教えた。
教えたのが間違いだったって気付いたのは、数時間後だ。
スマホのメッセージアプリに、いかに俺達のわちゃわちゃが素晴らしいかを立て続けに何通も送ってきた。
二次試験前に何やってんだ・・・と思いながら、送ってくる分は好きにさせることにした。あまりの熱の入り方に読まずに放置したらますますヒートアップしそうな気がして、試験勉強の合間に息抜きしつつ読んでる。
自分のことだと思わなければ、読むに堪えないってことはなかった。既読が付けば佐竹は満足するのか、静かになるし。
目に余るようになったら、問答無用でブロックするつもりだった。
だから問題ないと思ってたけど、今まさに実害が発生し始めてると思い知った。
たった数日で、佐竹が何を思ったか分かるようになってる。これはマズイ。絶対にマズイ。
佐竹が腐女子でも何でも気にしないけど、俺はそっち側に行くつもりはない!佐竹の仲間になってたまるか!!今日の出来事もメッセージで送られてくるはずだ。
家に帰ったらブロックしよう。そうしよう。
そんな俺の気持ちに気付いてもいない佐竹がすうっと息を吸い込んだと思ったら・・・
「ごちそうさまですっ!一生の思い出ですっ!!」
大音量でそう言って、泣きながら走り去った。
「・・・ごちそうさまってなに?」
「・・・・・・さあ?」
首を傾げて俺を見る和樹にならって、俺も首を傾げる。俺は何も知りません。そういうことにしておこう。
「一生の思い出って?」
「・・・佐竹にとっては素晴らしい物を見たんじゃないか。あいつのことは気にしないでやれ。涙もろいんだ」
そう返すのが精一杯だった。
「そうなんだ?僕も見たかったなー」
佐竹が見たものを探すようにきょろきょろしてる和樹の頭をそっと撫でた。
ちょっと気持ちが落ち着いた。
お読みいただきありがとうございました。