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すべてのはじまり

「おぉう・・・マジか・・・」

 上靴からスニーカーに履き替えたと同時に聞こえてた音が変わって、外を見て思わず出た言葉だった。俺―青野 洸太(あおの こうた)―と同じように外を見た同級生達の気持ちを代弁してるはずだ。

 天気予報で昼過ぎからしっかり雨が降るとは言ってたけど、「バケツをひっくり返したような」とか、「滝のような」とか表現されるような大雨だとは言ってなかった。ましてや、「一歩前の景色すら白くけぶって見えなくなるような雨」とも言ってなかった。

 コンビニで買ったビニール傘の強度ってどれくらいだ?バスが来るまでもつ・・・よな?そんな心配をしてしまう程の大雨だ。

 一月四日、普通の高校生なら冬休み真っ只中だけど、受験生はそうはいかない。

 とはいえ、高校に来ているのは俺と同じ受験生向け特別補習受講者だけだ。特別補習は強制参加じゃない。

 塾に通ってるやつらはそっちを優先してるし、受けたくないやつらも受けてない。

 俺は塾に行って勉強しようとは思わなかったから、学校側がやってくれる特別補習をありがたく受けてる。

 だって、無料だし。気心知れた先生の授業を聞いた方が、勉強もはかどるってものだ。


「傘を持っていない者は、ここの傘を使いなさい!」

 学年主任が下駄箱の隅っこに置かれた傘立ての前に立って、声を張り上げていた。

 所有者不明の傘は、こういう時に再利用されてるんだな。知らなかった。

 追い込み時期に体調崩した原因が特別補習を受けたせいなんて、学校側からしたら大問題だろう。

 俺もここで風邪を引いて寝込んだら、笑えない。志望大学はセンター試験の点数で足切りがある。足切りされれば、二次試験を受験できない。ほんと笑えない。

 慌てて背負っていたリュックから、ばあちゃんお手製のマフラーを引っ張り出して首にぐるぐる巻いた。

 貰った時、黒いマフラーは嬉しいけど長すぎるのはなあ・・・とか思った俺のバカ。

 首元を冷やすと風邪引くからって長く作ってくれたばあちゃんありがとう。

 ものすごく首元が守られてます。


 問題集が濡れないようにリュックを前に抱えて傘を差してバス停に向かう。

 バス停まで徒歩十分。いつもはそこまで遠いとは思わないのに、大雨のせいでとんでもなく遠く感じる。

 既にスニーカーはびしょ濡れで、つま先が冷たいを通り越してチリチリ痛みだした。

 今年最初の特別補習でこんなことになろうとは。

 幸いにも冠水はしてないみたいだ。良かった。頑張れ排水溝。

 これで冠水してバスが来なくなったら、ここから帰れなくなる。

 その時は高校に戻るしかないな。

 そんなことを考えながらバス停に向かってたら、雨脚が途端に弱くなって視界が開けた。ビニール傘の向こうに、分厚いコートを着た参列者が居ることに気付いた。

 俺が使うバス停の近くに大きな葬儀場がある。葬儀場に入って行く人を見たことは何度かあったけど、葬儀場の外まで参列者の列ができているのは初めて見た。

 よく見れば、合羽を着て参列者に何とか話を聞こうとしているマスコミらしき人達がいる。有名人の葬儀でもあってるのか?

 バス停まで数メートルって所で立ち止まる。


 傘を差している女性アナウンサーがバス停を背に立ったと思ったら、俺の前に合羽を着た三人組が立ち塞がった。一人はカメラを持ってる。

 あの女性アナウンサーって、地方局のアナウンサーじゃなくて全国区のアナウンサーだよな?なんでここに?

 スタッフらしき人達が着てる透明の合羽の背中にはテレビ局の名前とマークがある。それもやっぱり全国区だよな。地方局だとテレビ局の名前が違うし。何でだ?

 そんな疑問を抱く俺をよそに、雨脚が弱まったタイミングで生中継が始まった。

 カメラに映りこみたくないし、ここで中継が終わるまで待つか。

 そう決めて少し離れた場所で待つことにした。

「・・・みよさんは、上司からのセクハラやパワハラを受けて・・・」

 聞こえてきたアナウンサーの言葉で、ここ数日テレビで大きく取り上げられているニュースを思い出した。

 有名企業に勤める新入社員の女性が、自宅で亡くなったというものだ。死因は病死。

 ただ、過労死じゃないかって報道されてる。

 自宅にセクハラやパワハラの証拠が山ほどあったらしい。残業時間は上限を優に超えてるって報道もあった。

 調査が始まったみたいだけど、最初、有名企業が隠蔽しようとしたことが火に油を注いだ。

 そのうえ、新人は一年間は人間として扱われない、研修という名の新人いじめの場が何度も行われたって証言が、元社員から山ほど出てきてて、報道は日に日にヒートアップしてる。


 亡くなった女性社員は地元がこっちだってどっかのニュースで言ってた気がする。それで葬儀がここで行われてて、わざわざ全国区の女性アナウンサーが来てるのか。

 雨脚が強まり、視界が白くけぶって、雨の音しか聞こえなくなる。

 口から漏れ出た息が真っ白のまま数秒消えずにそこにあった。目茶苦茶寒い。

 しばらくするとまた雨脚が弱まって見えたのは、女性アナウンサーとスタッフ達が道路に止めてあったワゴン車に足早に乗り込んだところだった。数秒後、ワゴン車は走り去って行った。

 生中継はいつの間にか終わったらしい。


「・・・なみだあめ?」


 やっとバス停に向かえると一歩踏み出そうとしたら、少し離れた場所から小さな声が聞こえた。

 目を向けた先に居たのは、参列者の列に居る暖かそうなふわふわのコートの下に黒いワンピースを着たまだ三、四歳ぐらいの小さな女の子だった。

「そう。神様がね、みよちゃんが死んじゃって悲しいよって泣いてるんだよ」

「みよちゃん?しんじゃったの?みよちゃん、どうしていないの?おかぜひいたの?ママ、パパ、みよちゃんどこ?」

 コートを着た父親らしき人に抱き上げられているその子は、大きな傘を差す母親にそう言って首を傾げてる。

 まだ死んだという言葉の意味が分からないんだろう。

 母親も父親もどう言えば伝わるだろうって思案してるのが伝わってくる。


「あのね、みよちゃんとね、こんどいっしょにおはなみするんだよ!やくそくしたんだもん!」

 にこにこと笑う女の子の言葉に耐え切れなくなったのか、母親は嗚咽を上げながら片手で顔を覆ってしまった。

 女の子の声が聞こえた参列者の顔が歪んで、部外者である俺の顔もつられて歪んでしまう。

 その約束はもう、叶わない。

 どんなに会いたいと願っても、誰も会うことは出来ない。


「もう、会えないの・・・どんなに、会いたくても、みよちゃんには会えないの」

 母親が諭すようにそう言うと、女の子の目が大きく開かれ、みるみるうちに涙が零れ落ちた。

「あえるもん!みよちゃんとやくそくしたもん!みよちゃん!みよちゃん!!」

 雨の音と共に女の子の泣き声がその場に響き渡り、参列者からも泣き声が零れ始める。それを聞きながら、息を吐き出す。


 なあ、神様。

 涙雨を降らせるぐらいなら。

 どうして女性を助けてやらなかったんだ。

 天候さえ自由に出来るなら、女性を上司から助けてやることなんて簡単だろ?

 それなのにどうしてそうしなかったんだよ!!

 ニュースでしか知らない女性のことを思ってるのに、ふつふつと湧き上がる怒りが胸を覆い尽くしていく。

 そのことにハッとして自分と周囲の状況を見て固まった。

 真っ黒な綿毛のようなものが、土砂降りの雨が打ち付ける地面に積もり始めていた。


「・・・あ・・・っ」

 ダメだ。これはダメなものだ。直感で分かった。

 周りを見れば、体にそれがくっついている人、口から涙からそれを出す人・・・大小さまざまな形の物が雪のようにその場に降り積もっていく。

 泣いている女の子からはその黒い綿毛は一切出ていなかった。

 何でだ?そう思えたのは一瞬で、みるみるうちに増えていく真っ黒な綿毛に目を奪われた。

 このままじゃ、この黒に覆いつくされる。それはまずい。

 そのことにゾッとした次の瞬間・・・それでもいいかと思った。


 彼女が死んだんだ。

 だから、俺も・・・

 そこまで考えた時、小さなシャンという音がした。次第に音は大きくなって、シャンシャンと絶えず聞こえてくる。音のした方を見て、驚いた。

 道路を挟んだ向かい側、随分遠いし雨も降ってるのにはっきりと見える。


 一纏めにされた長い黒髪を左肩から前に流し、真っ黒な目の長身の男。全身黒づくめの和服姿で、髪を結ぶゴムだけが銀色だ。

 その男の前には、巫女のような恰好をしている赤い髪と金色の髪の子どもが居た。

 歳は泣いてる女の子と変わらないくらいだ。

 赤い髪の子どもの手には、平安時代のお姫様が持ってるような扇が握られている。扇の左右から出ている紐は、赤と金の紐。

 金色の髪の子どもの手には、巫女が何かの儀式で使う柄のついた鈴を持っている。その柄の先には赤と金の紐がぶら下がってる。


 ぴょんぴょんと跳ねながら、追いかけっこをするようにぐるぐると男の前を回っている二人が手を上げ下げすると、シャンシャンと鈴の音が響き、扇の紐がふわふわと舞っていた。

 にこにこと笑いながら、跳ねては追いかけるを飽きもせず繰り返してる。

 その様子を見ていると、視界の下から光の玉が現れた。

 なんだ、これ?

 光の玉の正体を探ろうと下を向くと、真っ黒な綿毛がパチンパチンと小さな音を立てて消えた。かと思えば、いくつかは光の玉になり空に向かって飛んでいく。

 この世のものとは思えない光景だった。


 それなのに、周りの誰もそのことに気付いていないらしく、鼻を啜ってる音が聞こえてくるだけ。

 ・・・もしかして俺だけに見えてるのか?

 参列者の一人に聞いてみようかと思ったけど、不躾すぎるうえ、変な顔をされるだろうなと何となく分かった。

 きっと俺だけだ。

 小さな頃から他人には見えないモノが見えてしまう。

 こういう時は、焦らず、ただ見守ればいい。何かすると、こっちにとばっちりが来るかもしれない。それだけは避けないと。

 そう考えて、ただその光景を見守る。山ほどあった真っ黒な綿毛が足元から無くなって、男と子ども二人が居た場所に目を向けて、ああやっぱりと納得した。

 目を向けた先にはただの電柱があるだけで、そこには誰も居なかった。


「・・・狐、か?」

 雨はいつの間にか止んでいた。

 見上げた空に、数分前までは何をしても無くならないだろうと思える程重くたれこめていた黒い雲は一つもない。ただひたすらに柔らかな日差しが濡れたアスファルトを優しく照らしてる。

 狐の嫁入りかとも思ったけど、すぐに否定する。

 あれは、日が照ってる時に狐の花嫁を乗せた神輿が通る場所で雨が降るんだったはず。それに、狐の嫁入りなら、嫁入り行列ができるって教えてもらった。それもなかったし、やるとしても俺達の前にわざわざ現れたりなんて・・・

 そこまで考えて、ふっと息を吐き出した。

 これもきっと、妖の気まぐれだろう。

 そう結論付けたタイミングで、バスが向かってくるのが見えた。慌ててバス停に向かって乗り込んだ。


 もわっと温かい風を感じて、ほっとした。体の芯まで冷えてる気がする。

 年始だからなのか空席が目立ってる。ありがたく座ってさっきの光景を思い出す。

 ・・・今日の事、話してみよう。きっと、何なのか教えてくれるはず。

 そこまで考えて、一気に眠気に襲われた。瞼が重くなるのに任せて意識を手放す。

 約一時間半後、自宅の最寄りバス停名が遠くで聞こえて、慌てて停車ボタンを押してバスを降りた。


「危なかった・・・!」

 我が家があるのは県庁所在地がある市内だけど、「え、同じ市内なの?」と家に遊びに来た同級生に驚かれる程の田舎だ。

 一つ先のバス停はバスで二十分かかる場所。

 乗り過ごして一つ先のバス停で降りたら、帰りのバスは・・・日・祝日ダイヤだと、七時、十二時、十七時の五時間に一本のはず。

 家族は全員出払ってる。乗り過ごしたら、急な上り坂と下り坂を歩いて帰るしかない。ほんとに危なかった。

「今度雨が降る前に、傘、買い替えないとな」

 約三年間を共に過ごしたビニール傘は、もう引退した方がいいらしい。

 今日の大雨で気付いたけど、傘を差してるのに、内側に雨が降ってたんだ。

 ポタ、ポタって雫が落ちてきてた。これはちょっとまずい。傘が傘の機能を果たしてない。


「・・・お疲れ、相棒」

 右手に持ったビニール傘に声を掛ける。入学式の数日後、突然の雨に降られて、学校近くのコンビニに駆け込んで買ったビニール傘だった。

 それ以外の思い入れはないはずなのに・・・なんだかちょっと手放しがたくなってしまう。いや、でももうお疲れだしな。

「約三年間、ありがとな」

 そう声を掛けて、家路を急ぐ。

 晴れても俺のスニーカーは乾いていない。

 つま先の冷たさはなくなったけど、靴下がびっちょりで気持ち悪い。早く脱ぎたい。

 その気持ちで頭がいっぱいになっていて、気付かなかった。


 その時にはもう、この世のものとは思えない出来事も、光景も俺の頭から消え去っていることに。

お読みいただきありがとうございました。

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