女性店員編 10話 運命のキーホルダー
店内に設置してある時計の針は5時30分を指している。
今日の彼は私のレジに来てくれなかったが、彼の健在な姿を見れただけで幸せ。
そう、焦らず成り行き任せでいいのだ。
15時からの2時間限定のタイムセールの影響か、お客さまが途絶え休止中のレジがある状況で、レジ係は暇な時間帯に掃除やゴミの回収などの仕事を任せられることもある。
私のレジも休止中の札を貼りレジから離れ、何か仕事が無いかと売り場をウロウロしていた。
ふと約10メートル先のサービスカウンターへ視線を向けると、ひとりの男性客が周りをキョロキョロしながら立ち留まっていた。
彼だ。
さっき買い物に来ていた彼、なぜそこに居るのだろう?
そんな疑問はさておいて、私は一目散で彼の居場所へ小走りで向った。
立場的にいつも彼を待つだけで、自発的に接客することはできないもどかしさ、けれど彼は何か用件があってサービスカウンターに居るのだから、仕事上堂々と彼に接することができる。
こんな千載一遇のチャンスは棒に振れない。
同僚に先を越される前に私が行く使命がある、急げ!私。
ふー、間に合った。
私はサービスカウンターの中に入って彼の正面を向き、緊張して心臓がドキドキしながらも、彼と目を合わせて彼からの言葉を待った。
好きな男性が目の前に立っていると自然と心が穏やかになり無意識に表情が緩んでしまい、ちょっと恥ずかしい。
彼は
「あのー、鍵を無くしてしまったんですけど、届いてませんか?」
と、尋ねた。
自慢にもならないが、お客さまの落し物の応対は数え切れないほど場数を踏んでいるので、人見知りの私でも自信を持って接客ができる。
「どのような鍵でしょうか?」
と、尋ねると
「原付の鍵でエレキギターの形のキーホルダーです」
と、言った。
「今から確認しますので少々お待ちくださいませ」
と言って、急いで忘れ物保管箱の中を探し始めた。
「どうもすみません、よろしくお願いします」
今、彼は私の近くで私のことを見てくれている。
少々お待ちくださいとは言ったが、少々どころかこのまま時間が止まってしまえばいいのにと思った。
店員とお客さまの関係ではあるが、今はふたりだけの時間なのだ。
無我夢中で探したが、保管箱の中にエレキギターのキーホルダー付きの鍵は見当たらなかった。
Kスーパーの接客マニュアルのひとつで、落し物が見つからない場合は、お客さまに同意の上、名前と電話番号を伺い、見つかり次第に当日か後日に連絡するようにと指導されている。
私は彼の手元に5センチ四方の白い紙とボールペンを置いて
「まだ届いていないようなので、お名前と電話番号をお伺いしてもよろしいでしょうか?もし届いたら連絡いたしますので」
と、お願いした。
彼は綺麗でしなやかな指先でボールペンを持ち
E本S弘 090 ××××-○○○○
と、白い紙に書いた。
Kスーパーで初めて彼と出会って一目惚れしてから約2年が過ぎ、初めて彼の名前を知ることができたことに感動と達成感を覚えた。
お客さまの個人情報を利用することは接客業において不謹慎であり一歩間違えれば違法行為なので、決してやってはならないことは重々承知だけど、彼の名前を頭の中にしっかりと叩き込んだ。
私は嬉しさのせいか?自然に込み上がる笑顔で
「ありがとうございます。では近くでお待ちいただけますか?店内でも構いませんよ」
すると彼もニコっとした表情を見せて
「では僕、駐輪場で待ってますね」
と言い、出口へ向って行った。
その後、私は彼の無くした鍵を探すために店内を一周したが、それらしき物は落ちていなかった。
サービスカウンターに戻り、さっき散らかした落し物保管箱を整頓していると
推定70代の男性客が
「店の入り口の手前に落ちてたよ、鍵」
と、私の手元にポイっと投げるように置いて、そそくさと去っていった。
「あのー、お客さま」
と呼びかけたが、そのお客さまは私の呼びかけを無視して出口から姿を消してしまった。
手元にはギブソンのレスポールのギターのキーホルダーが付いた鍵が置いてある。
これは紛れもなく彼の鍵だ。
さっき彼から伺った電話番号に電話をかけようとしたが、あれからまだ10分ぐらいしか経っていないので、もしかしたら駐輪場で待っててくれてるかも知れない。
電話で伝えるより実際に会って直接渡したい。
「7番行ってきます」
と、私は近くにいた同僚に声をかけた。
「7番に行く」とはKスーパーの隠語で、店外に出ますという意味である。
日が暮れ空は薄暗いが、駐輪場のほうに視線を向けると、3センチほどの全体像にしか見えない距離だが、こちらを向いて立っている彼の姿を瞬時に認識できた。
そもそも周辺には人は誰もいないので彼に間違いない。
彼の近くまで小走りで向かい、彼と50センチほどの近くまで接近して私たちふたりは
足のつま先から頭までお互いに真正面で向かい合っていた。
「お客さま、お電話するのは失礼だと思い直接持ってきました。これですよね?」
と、許される嘘をついて、鍵を彼の手元に差し伸べ彼の手のひらにそっと乗せた。
その時、彼の手のひらに私の指先が触れ、あまりの心地よさでドキドキしてしまっていた。
彼は申し訳なさそうに頭を下げながら
「本当に助かりました。お忙しいところごめんなさい」
と、感謝の言葉をいただけた。
なんて誠実な人なんだろう。
私も頭を下げて
「いえいえこちらこそお待たせしてすみません。それと、さっきのお名前の紙、個人情報なのでお返ししますね」
と言い、彼の名前と電話番号が書かれた白い紙を渡そうとすると
彼は手を出さず、ほんの短い沈黙が訪れた。
「そ、その紙、店員さんにあげます」
私は思いがけない彼の言葉にドキっとしてしまった。
これってもしかして?まさか
彼を好きになってから何の進展もなく約2年が過ぎ、ちょっとは私のことを意識してくれてるのかな?と感じたことはしばしばあったが、私は何処にでもいるただのスーパーのレジ打ちで、彼には何とも思われていない確率の方が遥かに高いはず。
私は思わず
「え?」
と、声を発してしまっていた。
すると彼は
「個人的にです。もし迷惑でしたらゴミ箱に捨てちゃってください!」
と、おっしゃってくれた。
個人的?ということは、良い意味に捉えていいのだろうか?
店員とお客さまという壁を乗り越えて、外で接点を持ちたいという嬉しいメッセージなのか?
勘違いかも知れないけど、信じよう、私の直感。
「あ、はい!大切にします。捨てるなんてとんでもないです!」
私は彼に会釈し白い紙をエプロンのポケットに忍ばせ、心臓が破裂しそうなほどドキドキし赤面した顔を彼に見られるのが恥ずかしくて、くるりと背中を向け早足で店内に戻った。
チャンスやきっかけは、いつどこで訪れるか予想もできない。
私が売り場をウロウロしてるときに彼がサービスカウンターに来てくれたタイミング、鍵を届けてくれた推定70代のお客さま、そして彼の落し物の鍵を敢えて駐輪場に直接届けに行ったこと。
何気ない分岐と行動が運命を交差させるのだ。
今日の出来事は必然だったのかもしれない。
今夜、彼に電話しよう。
女性店員編
おわり。
女性店員編を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!




