01話 始まりはいつも突然
突然、頭が叩かれた。
微睡みから目を覚ますと、視界の端に嫌な顔が見える。
「おはよう、ノア。
私の授業で眠るなんていい度胸だな」
「げっ。
ノーデン先生……おはよう、ございます」
「今日の授業内容、完璧に言えるか?
もし言えたら、居眠りのことは不問にするぞ」
俺はゆっくり周りを見回した。
木で造られた校舎。静かな教室。
周囲の生徒の視線は俺に釘付けになっている。
大変だ、何も覚えていない。
恥をかくのは好きじゃない。
晒し者にされている気分で、顔から火が出そうになった。
でも、よく考えれば、寝ていた俺も悪い。
俺が寝るくらい退屈な授業をしていた先生は、当然、もっと悪い。
仕方ない、正直に答えよう。
「えーと……
わかりません……」
気まずい雰囲気の中、先生に視線を送る。
先生はしばらく俺を見ていたが、やがて大きなため息を吐いた。
「ノア、店の手伝いが大変なのはわかる。
でも、授業を聞いてないとテストで赤点をとるぞ?
学校卒業できなきてもいいのか?」
「あー……
えーと……それは、困る。
困ります」
「……はぁ、今日の授業内容をまとめておくこと。
来週チェックするから、それまでにな」
先生が言い終わった瞬間、鐘の音が聞こえてきた。
街の中心にある、ブレスタワーの鐘の音だ。
1時間に1回、タワーの鐘は鳴る。
この音が聞こえてきたということは……
「今日はここまで。
気をつけて帰るように」
そう言い残し先生は教室から出ていった。
同時に、生徒たちは皆、親に餌をねだるひな鳥のように声を上げ始める。
どうやら、助かったらしい。
「あーあ、また恥かいちゃったよ」
「これで通算50回目の居眠りだな、ノア」
後ろから声がしたので振り向くと、ジャックが立っていた。
もう荷物をまとめたらしく、手で『帰ろうぜ』と俺を誘っている。
「わざわざ数えなくてもいいじゃんか
大体、眠くなるような授業をする先生が悪いんだよ」
「居眠り10回ごとに奢る。
誰かさんとの約束だったと思うんだが。
まぁ俺としては、居眠りするたびに奢って貰えるから、良いことしかないけどな」
「うっ」
10回ごとに奢るっていうのは俺が決めたルールだ。
あまりにもよく居眠りするので、罰を決めようと思って自分で決めた。
それでも居眠り癖は治らず、今日で50回目。
「早速だが今日、ノアの喫茶店に寄らせてもらうぞ」
俺の家は、喫茶店だ。
店主のジョンさんと、その娘ソフィア。
そして俺の3人で店を回している。
ジャックとは俺が10歳の頃からの付き合いだから、彼の思惑はなんとなくわかる
明らかにソフィア目当て。
「お前絶対ソフィア目当てだろ」
「別にそうじゃない
早めに奢ってもらいたいだけだ」
「はぁ……
まぁいいけど。
次は絶対に寝ないからな!」
「期待はしてないぞ
むしろ、寝てくれることに期待しておく」
荷物をまとめ、席を立つ。
学校を出て大通りに入ると、いつもより人が沢山いるように感じた。
やけに人工太陽の光が眩しいように思える。
でも今はどうでもいい。
なけなしのお小遣いを使ってジャックに奢るのか……
いつもなら足取り軽やかな帰り道が、今日は足取り重い。
「ふてくされるな。
お前が自分で決めたことだろ。
それに、自業自得だ」
「まぁそうなんだけどさ。
奢ってやるってんだから、少しは態度をなぁ」
「ソフィアさんと一緒に住んでるってことで、そんなの帳消しだ。
美人なハイエルフと一緒に暮らせるなんて、ノアには勿体ないくらいだ」
「それは……運がよかっただけだよ。
孤児だった俺を拾ってくれたジョンさんに感謝しないと」
「そうか……
ソフィアさんもノアも孤児だったな」
「あぁ、8歳の時だな。
森で倒れてたとこをジョンさんに助けてもらったんだ。
なんでか知らないけど、8歳より前の記憶もないし。
拾ってくれたジョンさんには感謝してもしきれないぜホント」
「……ソフィアさんも?」
「んー、詳しくは知らないな。
でも、俺より前に拾われたって言ってた」
「……すまない
変なこと言って」
「謝るなんて柄にもない。
別に気にしてねえよ。
それより、何を飲m――」
「そこのキミ」
大通りを歩いていると、突然声をかけられたような感じがした。
沢山の人の声があるのに、妙にその声だけが浮いて、俺の鼓膜を震わせた。
横を見ると、怪しげな路地の手前に小さな露店がある。
「あれ、今、俺に声かけました?」
「ノア、やめとけ」
声の主は、どうやらこの露店の店主らしい。
カウンターの上に、見たことのない円盤と、カードの束が置いてある。
円盤には何かの絵と、文字、そして数字が描かれている。
「そう、ワタシがキミに声をかけた
ワタシは占い師。
キミの、未来が観えた」
「未来……ねぇ」
店主はレースのついた帽子を深くかぶっており、表情が見えない。
やけに冷たく、透き通るような声の持ち主であることだけがわかった。
「始まり。
そして、力」
そう言うと占い師は、カードの束から一枚を抜き取り、俺に手渡した。
「このカードは?」
「キミの未来を、観たカード。
ワタシにとっても、初めての未来」
カードには女性と、獅子のような獣が描かれていた。
それが何を示すのか、俺にはわからない。
「これを、俺に?」
「ご武運を」
俺はカードをしまい、首を傾げつつもその場から歩き出した。
後ろをついてくるジャックの表情は見えない。
カードを受け取ったときに触れた店主の指が、凍えるような冷たさだったことだけが、妙に俺の心を揺さぶっていた。