88.回想~捜索~
捜索回です。グロイ表現があります。ご注意ください
リビングを出た八重樫は一階を探索していた。暫く廊下を歩き回っていると如何にも怪しい地下へと続く階段を発見した。
周囲を見回して誰もいない事を確認すると先が見えない程暗い階段をゆっくりと降りていく。一段一段下りていくごとに僅かに悪臭が強くなっていく。
やがて最後の一段を下りて所々赤黒く汚れた錆び付いた鉄扉のノブを回して押し開けた。
ブチブチと何かが千切れる音と何か液体が滴り壁を流れる音が聞こえると共に、ムワッとした生暖かい狭い空間で濃縮された悪臭を伴った空気が外に流れだす。
その悪臭は死体特有の死臭ではなく、生々しい血液と肉が化膿した臭いが混ざった碌な設備も整っていない中世の不潔な野戦病院内の様な悪臭だった。
腰に下げた光量の強い懐中電灯を取り出して中を照らす。
照らされた先は一面の赤だった。それは床だけでなく壁や天井までもを覆って脈動をしていた。床を這い、伸縮する幾つもの肉片は傷ついた血管から体液を零し、生きる為に鼓動する。
そしてその肉片達は一個体ではなく一群である事を直ぐに理解する事になる。何故ならば肉片達のいずれにも衣服の残骸らしき布の破片が癒着しているのが見えた為だ。
このような惨状を通常の平穏の日常を生きる者達と比べれば見慣れている八重樫ではあるが、此処にいる者達が何でどの様な事が起きたのか容易に想像が付き、堪らず吐き気を覚えて空いた手で口元を押さえる。
その時、懐中電灯の明かりに反応したのか肉片の一つがガラスに傷を付ける様な不快で高い音を発し始める。それは直ぐに音声を発する為に必要な器官を形成すると、文字通り命を削る様に血反吐を吐きながら声を作り出した。
それと共に他の肉片達も発声器官を形成すると共鳴する様に同じ言葉を高さや抑揚が様々に発し始める。
【敦夫】と。
人間の物とかけ離れた悍ましい声音で肉片達は想い人の名前を奏でる。
八重樫の精神を犯す様な狂気の合唱に思わず一歩後退ると、背後に気配を感じ振り返った。その先、階段の上には上限まで注がれた液体がなみなみと揺れる赤いポリタンクとライターを持った【美奈子】が立っていた。
灯油の臭いを漂わせる【美奈子】は忌々し気に語り出す。
「そいつらはね。【美奈子】の姿にすらなれなかった【出来損ない】。オリジナルから抽出した記憶を定着させ培養した、【美奈子】の人格を持つだけの哀れなごみ屑。そんな貴女達が汚らわしい声であの人を呼ばないで」
語りながら下に降りた【美奈子】は八重樫の横を通り過ぎると、癇癪を起した様に肉片の一つを思い切り踏み潰す。しかし、それに構わず肉片はただひたすら【敦夫】と声を出し続けた。
「チッ!…八重樫さん、こいつら燃やすから上で待っていて。じゃないと酸欠になるよ?」
「……分かった」
数秒の沈黙の後、八重樫がやや不満を滲ませた返事を返すと階段を上っていく。その間に【美奈子】は室内に灯油を撒き散らすと、ライターを着火した。
「消えて」
心胆から凍える様な冷たい声でそう言うと火の付いたライターを投げ入れる。忽ちの内に室内全体に炎が燃え広がると阿鼻叫喚の悲鳴と絶叫が響いた。
しかし、その中に一つ異質な声音も混じっている事を階段の上に立つ八重樫は確かに聞き取った。それは只ひたすらに様々な声で奏でられる【敦夫】という名のみで作られた歌だった。
そのひたすらに一途な想い人への歌は不気味さや悍ましさを超えて、一周回って穢れ無き純粋さと美しさを感じさせるものだった。
「何よ、何なのよ。【出来損ない】の癖に馬鹿みたい」
そう言って階段を上がる【美奈子】は苦々し気に顔を歪ませ、腹立たし気にそう吐き捨てた。
二人がリビングに戻ると苛立たし気に足を組んで、組んだ腕を指先で叩く冬治と、スマホを見ている大也が扉の開く音に反応してこちらを見る。
「どうだった?」
「地下室を見つけたが碌な物が無かった」
「それ以外何かなかったのか?」
「少なくとも一階と二階に【敦夫】はいなかったよ」
「外に行ってみるか」
「そうだね。聞き込みをすれば何か分かるかもしれない」
短い情報交換と方針の決定を終えると四人は廊下に出て玄関に向かう。玄関の手前には叩き潰された【美奈子】の残骸があり、それによって扉が閊えて完全には閉じなくなっていた。
「せめてこれを片付けて扉を閉まる様にした方が良いだろう」
「これの片付けを俺達がするのか?冗談じゃないぞ」
「僕一人で良い。先に出てくれ」
八重樫の言葉にどうする気なのかという疑問を貼り付けながら、極力残骸を踏まない様に避けて外に出る兄弟と構わず踏みつけて外に出る【美奈子】を見送った八重樫は扉を可能な限り閉めると、小さく何かを呟くと右腕を黒く発光する触腕に変化させ、伸ばすと残骸を撫でた。
触腕が通り過ぎた後には僅かな血溜まりがあるだけになった。八重樫が血溜まりの上を歩いて外に出ると三人の視線が集まる。
「早くねぇか?」
「適当な部屋に移動させただけだからね」
「それにしては汚れていない気がするぞ?」
「どうでもいいじゃないか。それより早く【飯島敦夫】を探そう。余り時間は経っていないからそう遠くに行っていないと思うが…」
「おい、何でお前が仕切ってんだよ?」
「こう見えてもそれなりにこういう特殊な事態には慣れているのでね。それよりもそろそろ食事にしよう。もしかしたら【飯島敦夫】が見付かるかもしれない」
「そうだね。早く移動しよう。近くのファミレスで大丈夫かい?」
「あぁ。僕の車がある。席も空いているし乗ると良い」
「助かるよ」
八重樫の車に乗って四人は近くのファミレスに移動した。正午にはやや早い時間だからか混んではいるものの大して待つ事はなく店内に入る事が出来た。
「ドリアにでもするか。君達は?」
「マルゲリータピザにでもするよ」
「ステーキだ」
「あれを見てよく肉を食えるものだ。君は?」
「八重樫さんと同じで良いよ」
注文を終え、頼んだ料理が運ばれて机に並べられると、各々が好き勝手に食べ始めた。ふと八重樫が【美奈子】を見ると戸惑った様にスプーンを持ってキョロキョロと三人を見回していた。
「どうした?」
「食べ方分からない」
「は?普通に掬って食うだけだろ?」
八重樫は【美奈子】の言葉の意味を考える。
(記憶喪失、或いは知識が欠落しているのか?)
「こうやって食べるんだ」
「う、うん」
八重樫はそこまで考えると手本を見せる様に声を掛けて食べてみせる。【美奈子】はそれを見てスプーンを不格好に握りながら恐る恐る食べ始めた。
自分の予想のどちらなのか尋ねたいが、下手に地雷を踏んで多くの人がいる場でのリビングの二の舞になる事は避けたい。
「…半分位、か」
【美奈子】が一度辺りを見回して小さくポツリと呟く。八重樫がどういう意味なのか尋ねようとした所で【美奈子】が食べ終えた皿にスプーンを置いて立ち上がった。自分も那智兄弟も食べ終えている以上、込み合う時間帯に何時までもこの場に留まるのは迷惑になるだろう。八重樫は後で聞く事を決め、席を立った。
四人が八重樫の車に乗った後、八重樫はエンジンをかけながら尋ねる。
「それで君達はこれからどうする?」
「どういう意味だ?」
「日が暮れたら家に来るか?多分、彼女が逃がしてくれないだろ?」
冬治はバッと【美奈子】を見る。そして納得した様な苦々しい表情で絞り出す様に答えた。
「…頼む」
「分かった。後、連絡先を共有しよう」
「そうだね」
八重樫が差し出したスマホの電話番号とメールアドレスを那智兄弟は記録する。
「君は良いのか?」
「私、そんな物持ってないし」
「そうか」
連絡先の登録を終えた後、八重樫は車を走らせた。
「…貴方達は【沼男】って知っている?」
走り出して暫くした所で助手席に座る【美奈子】がそう尋ねた。
「何だそれ?」
「確か思考実験の一つだったかな?【ある日、沼の前で雷に打たれて死んだ人間と全く同じ成分構成で完全な記憶を保持し、受け答え等も完全に同一の沼から現れた物は同一人物と言えるのか?】って内容だった筈だ」
「そうだよ。貴方達はどう思う?」
「…俺は違うと思う。俺は此処に一人しかいねぇよ」
「俺は同じだと思う。オリジナルは既にこの世に存在しないんだ。それを知らないならそれは同一人物と呼べるのではないか?」
「貴方は?」
「僕は…分からないな。実際に見ていない以上何も言えない」
「そう」
そういう【美奈子】の横顔は何かを考え込んでいる様に感じられた。その後、暫く辺りを捜索したものの【飯島敦夫】の手がかりらしき物は見つからなかった。
「見つからなかったな。今日は此処までにしよう」
「そうだな」
夕暮れに赤く染まった空を見て、信号待ちをしていた八重樫は那智兄弟と【美奈子】にそう声を掛ける。大也が肯定の返事を聞いて車を走らせようとした八重樫と、その後ろに座る大也の二人の耳に焦りと恐怖が混ざった上擦った声が聞こえてきた。
「…おい、止めろ!来るな!来るな!ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
突如、近くの薄暗い路地裏から聞こえてきた絶叫に八重樫と大也の顔が強張る。
「おい、今の!」
「あぁ、行くぞ!」
八重樫は直ぐに近くの縁石の近くに車を停めると、車から飛び出す。遅れて大也達も出て路地裏に向かう。微かに何かを咀嚼する様なグチャグチャという水気混じりの音が聞こえ、それが止んだかと思うと暫くして、そこから高校生くらいの青年と少し若い妹らしき少女が手を繋いで楽し気に笑いながら現れた。
「今日のご飯は何?」
「そうだなぁ。ハンバーグにでもするか」
「わ~い!」
八重樫は青年の声に何か引っ掛かる物を感じたが、それよりも先に路地裏を見る事が先決だと直ぐにそれを頭の片隅に押し込めた。
路地裏に辿り着き八重樫がスマホの明かりで照らした先には、明らかに致死量に達しているであろう鮮血の水溜まりが波紋を浮かべて広がっていた。




