87.回想~凄惨~
八重樫の回想回です
コーヒーカップの鋭角から現れた異形―【ティンダロスの猟犬】が捕食者の眼を向ける。八重樫は即座に距離を詰めると、武道を伴った強烈な蹴りを放った
「フッ!」
「クギャ!?」
【ティンダロスの猟犬】はそのダメージで硬直!
「【宝を、武器を、兵糧を収める穴蔵の扉を開け】《倉庫》」
八重樫が魔術を詠唱すると頭上の空間に穴が開き、そこから一丁のショットガンが落ちるとそれを掴んで怯んだままの【猟犬】に銃口を向けて容赦なく引き金を引いた!
【猟犬】の体を大して拡散していない散弾が抉る!
頭部に当たる大部分と肩らしき部分が吹き飛んだ【猟犬】は、直ぐに漂う蒼い靄を吸収する様にして再生すると、悲し気な悲鳴じみた鳴き声を上げて近くに落ちていた別の破片の鋭角へと慌てて逃げて行った。その姿はもはや【猟犬】というより【負け犬】だった
その時、玄関の方から扉が開く音が聞こえ、八重樫は音の正体を確認する為に部屋を出て玄関へと向かう
直角に折れ曲がった廊下を曲がり玄関を見ると、その先には先程の飯島の部屋かそれ以上に異質な光景が広がっていた
先ず玄関の扉の手前には、扉を開けた【片山美奈子】がいた。そしてその向こう、玄関の外には同じ容姿の人物、何処からどう見ても【片山美奈子】としか呼びようのない人物が立っていたのだ
八重樫は一瞬、玄関の扉の先が鏡になっているのではないかと錯覚した
瓜二つ
生き写し
一卵性双生児の姉妹
それらの言葉が頭に浮かぶ。それ程までに似ている上に偶然か、将又必然なのか全く同じ白いワンピースを着た二人が向かい合って立っているのだ
だが、外に立つ【片山美奈子】には、内に立つ【片山美奈子】と決定的に違う場所があった。それは右腕だった
外に立つ【片山美奈子】の右腕は地獄めいた臙脂の不格好な肉塊へと変質しており、その様は怖気を模った様な臓物じみた物だった
「…やっと見つけた」
その言葉と共に、外に立つ【片山美奈子】はその肉塊じみた巨大な右腕を、重量など感じさせない自然な動きで容易く振り上げると、内に立つ【片山美奈子】へと振り下ろし、叩き潰した
断絶魔の一声すら許されずに内に立つ【片山美奈子】は赤い血肉と白い骨の破片を周囲に撒き散らして圧殺される。変わり果てた【片山美奈子】だった物からは先程、この家に入る時に感じ取った臭いがより濃密になって漂う
「な、な…っ!?」
外に立つ【片山美奈子】の後ろからそんな混乱に満ちた言葉にならない声が聞こえる。八重樫がそちらに目を向けると、肉塊と化した右腕の向こうに如何にも不良といった風貌の二十歳前後の青年が青い顔を困惑に歪めて立っていた
「…ぁ、…ァア…」
ふと潰れた【片山美奈子】が立っていた血だまりから微かな声が聞こえた気がした。八重樫がそちらに注目すると、潰れた肉片が未だに脈動し、不格好な触手や口、焦点の合わない眼を形成してあらぬ方向に伸ばし、動いていた
通常の、常識的な人体なら到底あり得ない光景、しかし八重樫にはそれらを見て矢張りと納得出来ていた
「…あ…つ、お…」
「……まだ生きていたの?」
外に立つ【片山美奈子】は、飛び散った肉片が形成した乱杭歯の不格好な口から発せられた掠れる様なか細い声に眉をひそめる
「【偽物】の癖に、【出来損ない】の癖に、さっさと死んでよ」
何処か苛立たし気に僅かに険の籠った声で冷たく肉片を見下ろすと、右腕が変質した巨大な肉塊で飛び散った肉片を何度も、何度も執拗に叩き潰す
その様子は何処か必死で、何かを振り払う様に何度も、何度も、何度も、繰り返す
「…あ…つお…。あつ…ぉ…」
それでも尚、それに抗う様に肉片はその活動を停止しない。潰れた部分を硬質な物が砕ける音と粘着質な水音を鳴らして無事な部分が吸収し、声帯と発する為の口を優先的に構成して人ならざる音域で只ひたすらに必死さを感じさせる様な、或いは縋る様な悲痛な響きを伴った声を上げる
「あつお、あつ、お、あ…つ…」
「ッ!いい加減にしろ!!」
苛立ちが頂点に達した様に外に立つ【片山美奈子】は大声を上げて怒鳴ると、一層右腕に力を込めて思い切り叩き付ける
地を震わせる重い一撃に、遂に声が停止する痙攣する肉片は何かを形成しようとして途中で中断すると、虚空を掻く様に蠢いていた触手を、まるで何か、或いは誰かに手を伸ばす様に家の中へと伸ばすと、力が抜ける様にダランと床に落ちて、完全に生命活動が停止した
「ふぅ」
外に立つ【片山美奈子】が息を吐くと共に肉塊が収縮を始める。名状し難き臙脂の肉塊は、ものの数秒で白く華奢な女性の細腕へと変化した。その姿は普通の人間と変わりなく一瞬、白昼夢でも見ていたのかと思うが、白いワンピースに付着した返り血や玄関に飛び散った血肉の咽る様な悪臭が直ぐにそれが現実の物であると告げている
「さぁ、少し汚れてしまったけど家に入って」
外に立つ【片山美奈子】は振り返ると背後に立つ一連の出来事で固まった不良っぽい青年と、顔立ちがよく似た兄らしき白いシャツを着た青年に声を掛ける
ビクッと全身を震わせた不良っぽい青年が身を翻して駆け出そうとした瞬間、右手が一瞬で細い触手へと変わり、青年の手首に絡み付いた
青年は振りほどこうと抵抗する様子を見せるが、直ぐに無駄だと理解したのか青ざめた顔に絶望の色を浮かべておとなしくなる。もう一人の青年もその様子を見て全てを諦めた表情を浮かべていた
【片山美奈子】はもう一人の青年の手首にも触手を伸ばして絡み付かせる
玄関に広がる血肉の水溜まりを気にする様子も無く歩く【片山美奈子】に連れられて二人の青年が恐る恐る玄関に足を踏み入れる。【片山美奈子】は八重樫の事が視界に入っていないかの様に通り過ぎると、先程まで八重樫がいた【曲線】に支配された部屋を見て呟く
「やっぱり敦夫は逃げちゃったか」
そしてこの時、初めて八重樫に視線を向けると、八重樫に向かって口を開く
「しょうがないから貴方にも協力してもらおうかな?」
「…良いでしょう」
僅かな沈黙の後、静かに同意すると、【片山美奈子】は笑みを浮かべる
「じゃあ、リビングに行こうか。座って話そう」
そう言って歩き始める【片山美奈子】の後に続いてリビングに移動すると、【片山美奈子】は二人に巻き付けていた触手を外すと席を勧める。青い顔をしたままの青年と共に黙って席に座ると、【片山美奈子】は八重樫の隣に座って話し始めた
「私は【飯島敦夫】って人を探しているんだけど誰か何処にいるか知っている?」
「し、知らねえよ!」
「俺も知らない」
「…先程まであの部屋で彼と会っていた。しかし部屋から駆け出した後は知らない」
「…そう。彼はまだ【美奈子】を作っているのかしら?私が【美奈子】として完成している事に気付いていないのね」
「おい!さっきから何なんだよ!?さっさと解放してくれよ!」
「落ち着いてくれ」
不安感から吼える青年に掛けた八重樫の言葉に、不良っぽい青年は激高して八重樫に掴み掛らんばかりに身を乗り出すと喚き散らす
「落ち着けだと!?こんな訳分からねぇ状況で落ち着ける訳ねぇだろ!?」
「だが、話が進まなくては何時まで経ってもこのままだぞ?」
八重樫の落ち着いた言葉に青年はグッと黙り込むとドカリと椅子に座り直した
「所で貴方は最初からこの家にいたが何者だ?」
「此処の家主に呼び出された者だ。君達は?」
「俺は探偵業を営んでいる那智大也だ。隣のこいつは弟の冬治。【三門学園】の学生で助手をしてもらっている。此処に来たのは【血溜まり事件】を調べている時にそこの女に依頼されたからだ。全く、とんだ貧乏籤だぜ」
【血溜まり事件】
最近メディア等で騒がれている不審事件だ。明らかに致死量の血液がばら撒かれているにも関わらず、誰の物か不明で、死者の報告もない事から話題を呼んでいる。分かっている事と言えば複数人ではなく、確実に一人分である事だ
これは正式に警察が発表している事で、更に行方不明者とも合わない事も分かっている。当然既に見つかっている誰かしらの死体から抜き取った物でもない
「成程。それで【片山】さんだったかな?さっき潰されたあれは何だ?君は何だ?」
「あれは只の【出来損ない】だよ。分かっていると思うけと人間じゃないよ。私が【本物】なの」
「本物だと?テメェも同じ化け物だろ?」
「心外だわ。私は【美奈子】よ。それ以外の何者でもない」
確固たる意志を持って【片山美奈子】はそう言い切る。しかし八重樫には無理に強くした様な声音から、此処にいる者に伝えるというよりも寧ろ自分自身にそう言い聞かせている様にも感じられた
「…そう言えば彼がいなくなる前に『あんな物、【美奈子】じゃない』と言っていたが…」
「ッ!どうして!?どうして分からないの【敦夫】!?私が!私こそが【美奈子】なのに!!」
八重樫がふと漏らした呟きに次の瞬間、目の前のテーブルが轟音と共に縦に砕け散る。テーブルを粉砕した【片山美奈子】の拳が木製の床を陥没させ、砕けた破片で傷ついたのか床の木材を【片山美奈子】の拳から流れ出た血液が赤く染める
錯乱した様なその姿は何かを振り払う様であり、駄々を捏ねる子供の様でもあった。三人が呆然と見ている内に落ち着いたのか、肩を揺らして少し乱れた息を整えると落ち着いた様子で口を開く
「貴方達には【敦夫】を見つけて捕まえてくれればいいわ。報酬は必ず払う」
その言葉に弟の冬治が縋る様な眼差しで兄を見る。大也は弟を見返すと、瞑目して首を緩やかに横に振ると、【片山美奈子】の方を向き了承の返事をした
「分かった。依頼を引き受ける」
「貴方は?」
「引き受けよう。個人的にも今回の件は気になる事が多過ぎる」
「そう、じゃあ私はちょっとやる事があるから此処でゆっくりしていてね」
【片山美奈子】は八重樫の言葉に満足げな何処か妖艶な笑みを浮かべると、立ち上がってリビングから出ていく
「今の内に逃げようぜ!」
「いや、止めた方が良い。あれは敵対する意思を感じなかった。協力している内は安全だろう」
兄弟が話している内に八重樫は立ち上がるとリビングを出ようとする
「おい、あんた何処に行く気だ?」
「調査だよ。何処かの部屋に隠れているかもしれないからね」
八重樫はそういうとリビングを出て行った




