86.出会いの回想
とあるシナリオの影響を受けた部分が多々あります。その為、削除されるかもしれません
身を焼く様な怒りを目の前の仮面の人物に感じながら、八重樫の脳裏にある記憶が蘇っていた。
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八重樫がその女性に出会ったのは数奇な運命の悪戯とでもいうべき物だった。
今から二年前の夏の終わりが近付いた頃、とある昔馴染みの飯島敦夫という男に『話がある』とメールで彼の家に呼ばれた。
暫く交流の無かった故に、昔話か同窓会でも開く話でもするのかと思いながら添付された地図の住所へと車で移動して、チャイムを鳴らすと、中から出てきたのは少し癖のある長い黒髪を腰辺りまで伸ばした、ノースリーブの白いワンピース姿の見知らぬ女性だった。
身長は低く、顔立ちも美しいというよりは可愛らしい少女と表現するべき女性で、三十代を過ぎた飯島の娘と言われれば信じてしまいそうな程に若々しかった。
その女性は一礼すると、玄関へと戻る。その後をついていく様に家の中へと入ると、埃に混ざって言いようのない悪臭を八重樫は感じ取った。臭いを掻き消す様に至る所に芳香剤が置かれているが、空間そのものに染み付いた様な悪臭を拭うには力不足であると言えるだろう。
話を聞いてみれば名前は【片山美奈子】と言い、飯島の彼女で数年前から同棲をしているらしい。祝福する感情と僅かばかりの嫉妬が綯交ぜになった複雑な感情を抱きながら廊下を歩き、話を聞いてみるとどうも最近は情緒が不安定で、片山にも会おうともせず自室に引きこもっている事から不安になっていたそうだ。
八重樫が来た事で気分が晴れるのではないか期待している事を口にしたところで、飯島の部屋に繋がる木製の扉の前に辿り着く。片山は一礼して「敦夫をお願いします」と言うとゆったりとした足取りで去っていった。
八重樫はノブに手を掛けゆっくりと押し開けると、その先にある目の前に広がる光景に思わず脚を止めた。
そこは異様な部屋だった。机や椅子、本棚に至るまでの室内にある全ての物は【角】が削り取られ、部屋の至る所の隅は何かを塗り込んで極限まで【角】が取り払われた部屋だった。【角】という概念が消失し、全てが【曲線】に支配されていた。
この奇妙な部屋の主である飯島は、部屋の中央に置かれた小さな円卓の向こうで白い陶器のコーヒーカップを持って、中身を飲みながら静かに鎮座していた。
飯島は随分と憔悴した様子でかなり窶れており、服に隠される事無く見る事の出来る、骨と血管が浮いた、皮膚がかさつきささくれ立った手や痛々しいまでに頬が痩けた顔色は、ずっと此処から出ていない所為か、何等かの重い病気だと言われれば直ぐに信じてしまいそうな程にかなり不健康な青白さをしていた。そしてこちらに向けられる濃い隈を浮かべる双眸は落ち窪み、病的なまでに虚ろで、果たしてこちらをちゃんと認識しているかすら定かでは無かった。
「飯島、久し振りだね。随分と瘦せたんじゃないか?」
「…あぁ、よく来てくれたね」
八重樫は内心の動揺を決して表に出す事無く、努めて平静を装って飯島に声を掛けて、扉を大きく開けたまま中へと脚を踏み入れる。飯島はそれに応える事無く歓迎の言葉を述べると、ぼんやりとしていた顔に薄ら笑いを浮かべ、手招きをして向かいにある椅子に座るよう八重樫に促す。
「…なぁ、八重樫。人は何故死ぬんだろうか?」
「何故だって?それは寿命があるからだろう。或いはふとした出来事で簡単に壊れてしまう程に脆いからじゃないかい?」
八重樫が椅子に座った事を確認してから発せられた問いに、八重樫が困惑を隠す事が出来ずに思い付いたままに答えると、飯島は笑みを深めてまるで声の大きい独り言の様に話し出す。
「あぁ、そうだ。人間は脆い。だから簡単に死ぬ。例えばそう、車で轢かれた程度でも簡単に死んでしまうんだ」
「…飯島、君本当に大丈夫か?病院に行った方が良いんじゃないか?」
八重樫の心配する声等まるで聞こえていないかの様に飯島は空虚な洞穴の如き闇を湛えたかの様な光の無い開かれた瞳孔を揺らしながら嗤い、すっかり冷めきった様子の珈琲を啜りながら続ける。
「…だから俺は【死】を超越する手段を探した。【死】を克服すべく、この世の理に叛逆する方法を探した
…幸いというべきか手元には多額の資金があった。だからこそ冒涜的な忌むべき知識が記された資料や希少本の数々を手に入れる事はそう難しい事ではなかったよ
そして俺は狂気たる【混沌】との接触に成功した!」
「っ!?」
不穏な話の流れとトランス状態に陥った様な飯島の姿に、八重樫の背筋に猛烈な怖気が走る。
八重樫が思い切り立ち上がった事で、ガタリッ!と音を立てて椅子が後ろに倒れる。飯島はそれに構う事なく興奮した様子で何度もコーヒーカップを啜り、自分の世界へと入り込んで吠え猛る様に語り続ける。
「【彼】の語ったこの世の【真実】は、俺の中に存在した矮小な常識を容易く打ち砕いた!人智を超えた醜悪にして忌まわしき知識群の数々に、俺はそれらの底知れぬ深淵の知識に確かな希望を見たのだ!!」
何度も啜られたコーヒーカップの中には既に珈琲等一滴も存在していない。にも関わらずそれを気にする事なく執拗に何度も空のコーヒーカップを傾ける様は正しく狂人であった。
「【彼】に教わった幾つかの呪文を使用し、先ずはユゴスの者と接触した。彼の者は人類のそれと比べ物にならない程の高度な外科手術能力を持っていた。しかし、如何に彼らでも死者の蘇生は不可能だった
続いてイスの者と接触した。精神交換をする彼らとの接触は容易だったが、彼らは【死】という概念に無頓着だった故に、死者を蘇らせる事そのものを理解出来なかった。目の前が暗くなる思いだったよ
だが、彼らとの接触によって得た【時間】に関わる知識を利用して遺体を再生させる事に思い至った。その後に再び【混沌】と接触し、取引の末に《時間遡行》の魔術を得たが、それが思わぬ事態を招いたんだ」
そこで一度言葉を切ると、忌々し気に顔を歪めて、この時初めて口から大きくカップを離すと傾ける。その手は何かに怯える様に小刻みに震えていた。
「【時空の闇】に近付き過ぎた。その所為で忌まわしき【猟犬】に付け狙われる羽目になり、この部屋に引きこもる羽目になった!
俺は即座に結界を張って【猟犬】の奴が簡単にこの家に侵入する事が出来ない様にした。しかし、そんな物は所詮気休めにしかならない事は分かり切っていた
だが俺は奴に追い詰められながらも遂に【死】を乗り越える方法を見つける事に成功したのだ!」
飯島の虚ろだった瞳は怪し気な狂気の光を湛え不穏に昏く輝く。
「最初は上手くはいかなかった。お前も見たんだろ?表の出来損ないがそうさ。だが、数を重ねるうちに精巧度が高まる事が理解出来た
そう、【数】がいるんだ。【数】が多ければそれだけ試行錯誤を繰り返して、そうすればその分【美奈子】に近付く事が出来る!」
「まさか君は!?それならあの【片山美奈子】と名乗った女性が!?」
「ッ!あんな物っ、【美奈子】なんかじゃない!!」
八重樫の最後の言葉に飯島は激高して、大声を上げ立ち上がる。白い陶器のコップを片手に、空いた左手で髪を握ると一転して錯乱した様子でブツブツと呟きだす
「あぁ、駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だ。こんな所に引きこもっているから、あんな忌々しい存在に付け狙われるから何時まで経っても完成しないんだ。【数】だ。【数】なんだ。【数】が必要なんだ。【数】をこなさなくては…
そうだ。それでイス人にあの忌々しい【猟犬】を退ける方法を聞いたんだ」
次の瞬間、突然飯島はバッと八重樫を見ると手に持つカップを床に叩き付ける。カップは容易く砕け散り、その破片の一部が八重樫の足元にも飛び散る。
「悪いな。誰でもよかったんだが偶々あんたの名前が目についてな。まぁ、のこのことこんな場所に来ちまったお前自身を恨んで許してくれ」
嘲る様な笑みを浮かべてそう言うと、続けて不穏な揺れ方をする、現存するいずれの国の言語にも属さない特徴を持つ、不快で冒涜的な音律の言葉を紡ぎ始める。八重樫にはそれが【ティンダロスの猟犬】の標的を自身に移す、所謂マーキングの魔術である事を見抜いた。
八重樫は直ぐに詠唱を中断させるために飛び掛かろうとする。しかしそれよりも早く詠唱が完了し、それと同時に八重樫の左手の甲に焼き付く様な痛みが走った。手の甲を見るとそこには照準器から照射されたドットサイトの様な蒼い円形の文様が刻まれていた。
「じゃあな。精々逃げ回ってくれ」
その言葉と共に八重樫の脇を擦り抜ける様に駆け出すと、狂った嗤い声を上げて部屋から飛び出して消える。それと共に室内に漂っていた芳香剤の臭いも消えた。
直ぐに八重樫も部屋から出ようとしたその時、先程飯島が床に叩き付けて割れたコーヒーカップの破片の鋭角の一つから尋常ならざる気配を感じ取る。この世の悪意をその一転に集め凝縮した様な気配に、思考が極限まで冷え切る。
鋭角から蒼い靄が湧き出ると共に、死体安置所の様な死臭とも腐臭とも表現できるような悪臭が室内に漂う。次第にその体積を増やすそれの中に、一対の黄金に輝く卑しい双眸が現れると、其れは明確に形を取り始め、やがて四足獣の様な形態をとった。
それは蒼い膿の様な粘質の体液をポタリ、ポタリと滴らせ、正面の口と思しき突き出した部分に走る三日月の様な亀裂から伸びる細く先端な錐の様に鋭い長く伸びた舌を揺らして、まるで舌なめずりをする様な動作をして、獲物を狙う獣の眼をこちらへと向けていた。




