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81.きっかけ

紀矢子が気絶から目覚めての話です

 紀矢子が目覚めると蛍光灯が中央に二本一組で設置されたコンクリートが剥き出しの灰色の天井が見えた。起き上がると上に掛けられていた白い毛布が胸から滑り落ちる


 「此処は…?」


 紀矢子はベットの横に小さな机と丸椅子が置かれただけの、碌に家具も置かれていない殺風景な見知らぬ部屋を見回し、直前までの記憶を呼び起こそうとして襲い掛かった頭痛に顔を顰める


 「起きていたか」


 声が聞こえて振り返ると、そこには簡単なシャツとズボンを履いた印象の薄い二十代位の優男が鉄扉を開いて、水の入ったペットボトルを持って入ってきた


 「あの、えっと」

 「落ち着け。先ずは名前を聞かせてもらえるか?俺は鈴木太郎だ」

 「あ、私は鬼瓦紀矢です。あの、他に無事な人はいませんか?」


 混乱した様子の紀矢子に鈴木は蓋を開けたペットボトルを差し出す。恐る恐る受け取った紀矢子は一瞬躊躇った様子を見せるも、眼を硬く瞑って口を付けた。多少の喉の渇きが癒された事と、鈴木の落ち着いた態度で緊張が解れたのか、紀矢子は自分の名を答える


 「さて、落ち着いて聞いてくれ。先ずはあの村の生存者は君一人だ。これは間違いない」

 「そんな!」


 紀矢子―紀矢は鈴木の言葉に絶望で顔を蒼白にさせる。鈴木は眼に憐れむような色を浮かべるものの、顔色一つ変える事無く言葉を続ける


 「だからこそ君の証言が欲しい。何か覚えている事は無いか?」


 突然の問い掛けに紀矢は必死に記憶を探るが、何故か朦朧とした記憶の所為でよく思い出せない。それどころか頭痛で余計に思考が鈍くなっていった


 「…では、現場では如何やら家族が纏まって死亡していたらしいが君は兄弟や姉妹はいないのか?」

 「…兄がいますが何故ですか?」

 「それらしい人物の遺体が何処にも見当たらなかった」


 その時、その言葉が鍵になったのかあの夜の記憶が蘇る。それと共に連鎖的にこれまでの記憶も濁流の様に脳の最奥から溢れ出す


 「ウゥ、ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」

 「どうした!大丈夫か!?」

 「ア、アア…!ガアッ!」


 一気に過剰な情報が脳内に溢れ出した事で負荷が掛かり、強い頭痛が起こり思わず体を丸めて苦悶の声を漏らす。暫くして痛みが引いていくと疲労感から荒い呼吸を繰り返した


 「ハァ、ハァ」

 「大丈夫か?済まない。もう少し君が落ち着いてから尋ねるべきだった。此処に呼び鈴を置いておくから用があったり、何か思い出したら鳴らしてくれ」


 申し訳なさそうな表情で長方形の中央に音符のマークが付いた丸いボタンが一つあるだけの小さな機械を枕元の机に置くと、退室しようと椅子から立ち上がる


 「…兄さん」

 「え?」


 その時、紀矢の気を抜いていると聞き逃しかねない程、か細く小さな呟きを聞いて鈴木が紀矢を見る。紀矢は俯いていた顔を上げると鈴木を真っ直ぐ見て、今度ははっきりと告げた


 「犯人は兄さんです。兄さんが村の皆を殺したんです」

 「何だと?だがそうか。確かに辻褄があう。そもそも可能性が一番高い仮説ではあった…」


 鈴木は顎に手をやってブツブツと一人思考の海に沈んでいく


 「あ、あの…」

 「……。あぁ、済まない。それで何か動機は分かるか?些細な事でも構わない」

 「…いいえ。しかし村に一人の青年が来てから良く何かを調べていました」

 「何だと?どのような人物だ?それと何を調べていたか分かるか?」

 「調べていた物は分かりません。その人は身長が高く痩せていました。良く笑みを浮かべていて村の皆と良好な関係を築いていたと思います。只、死んだ父は彼を胡散臭く見ており、余り良く思っていなかったですが」

 「そうか。こちらでも調べてみよう。尤も目撃者が君以外いるかは分からないが。所で君はこれからどうするんだ?」

 「どうとは?」

 「恐らく今回の件はかなり闇が深い。何も知らないまま平穏に過ごすか。私のいる組織に所属して知られざる真実を知り狂気に呑まれるか。君の好きにすると良い。だが一度飲まれると二度と戻る事は出来ないぞ」


 そう尋ねる鈴木の顔は真剣そのもので張り詰めた物を感じる。額から冷や汗を流れるのを感じ、唾を飲み込んだ時にゴクリという音が大きく感じる。暫くこれからどうするべきか考える。数秒間瞑目すると答えを出した


 「私は真実を知りたい。だからその組織について教えてください」

 「…分かった」


 そして紀矢―紀矢子は【神怪課】へと所属する事となった。それから数々と任務をこなしてきた彼―彼女が犯罪者が所属する支部である【第十三支部】に所属する事になったのは命令違反を起こし、仲間に甚大な被害を与えてしまったからだった


 兄らしき人物を見た紀矢子は感情が溢れ出し、衝動的にその人物へ襲い掛かった。しかし、それは囮で次の瞬間、仲間達のいる場所の地面が爆発し、死者は出なかったものの重軽傷者が多く出る事態となったのだ


 その結果、命令違反と被害を拡大させた罪(表向きは今回の事件の共犯者)で【東京第一特殊刑務所】に投獄された。とても謹慎や減俸で済ませる状況ではなかった上に、組織の特性上解雇や懲戒免職には決して出来なかったのだ


 その一年後、監獄内でとある人物に出会う事になる。猿轡を噛まされ、目隠しを付け、右腕を数本の太いベルトで体に拘束された二十代前半の若い青年が数人の刑務官に囲まれて向かいの牢獄へと入れられた


 刑務官達の合間から見える顰められた顔には幾つもの深い皺が刻まれ、低い呻き声が漏れる。放たれる殺気は空間が歪んでいると錯覚する程に濃密で、近付く全てを狩り付くさんとする獰猛さがあった


 突き飛ばす様に独房に押し込むと重厚な扉が閉められ、刑務官が去っていく。倒れていた青年は文句でも言う様に猿轡でくぐもった唸り声を上げながら転がって独房の奥の壁際まで行くと、体をくねらせて上半身を起き上がらせて、壁を背にして紀矢子と向かい合う様に座る。体を動かしていた際に目隠しがズレて隠されていた右眼が露わになる


 射抜く様な鋭い眼光を宿す視線が、向かい合う紀矢子を見据える


 数秒観察する様に紀矢子を見た青年は、周囲を威圧する様に撒き散らしていた殺気を霧散させると、眼を閉じて其のまま俯いて規則的な呼吸を繰り返す


 まさか寝たのか?と紀矢子は思ったが、さっきまで放っていた殺気に気圧されて、其れを口に出す事はしなかった


 それが最初の樋口圭吾との出会いだった

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