59.報告と依頼
3章のプロローグの様な物です
ある程度の長さになる予感
【神怪課】【第十三支部】研究区画。そこに荒八木剛三郎はいた。その表情は険しく、纏う雰囲気も決して軽い物では無かった。専門的な計器や器具が乗った机や壁際に並ぶ装置の間を、忙しなく行き来する白衣を着た数名の職員とすれ違いながら奥に進む荒八木は、目的の人物を見つけると声を掛ける。
「【双頭の猟犬】が貨物船から回収した物の解析は済んだらしいな」
「えぇ、とは言え中々ヤバい代物でしたよ」
話し掛けられた長身のボサボサの癖毛と無精髭を生やした、くたびれた白衣を着た三十代程の男は、手に持ったファイルに綴じられた書類を見ながら答える。
「【アトゥロスタント】によって性質が変化した【生体アトゥロスタント】或いは【A・ウイルス】とも呼ぶべき代物でした。また、複数のサンプルはいずれも元の遺伝子情報が変質し、細胞活動が異常活性と言える状態です。そして――」
男はそこで一旦言葉を切ると、面倒事の気配やより専門的な支部との情報共有等に対する嫌悪に、僅かばかりに自身に作れなかった悔しさと可能性を知った喜びが混じった表情を浮かべ、眠た気な半開きの濁った灰色の眼を荒八木に向けて言う。
「――【特異体質者】特有の遺伝子配列が検出されました」
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母親との再会の二日後、アルベルトは【第十三支部】の訓練場にいた。壁際に母親とジャンヌが立って見守る中、シュレディンガーと融合して得た能力の確認と制御を行っていた。
アルベルトが瞑目して、前に突き出した袖を捲った右腕に力を籠めると黒靄が薄く腕を覆い、そこから無数の触手が生えてくる。脳内で触手に指示を出すと、触手は伸びて左腕に仕込まれたナイフの柄に絡み付いて抜いた。
「思ったより苦労しないな」
「お前の精神に適合したからな。全く、冗談じゃねぇ」
足元から聞こえる悪態に目を向けると、不快気に目を細めた黒猫の姿のシュレディンガーが座ってこちらを見上げていた。その大きさは以前と比べると些か小さく、以前と比べると子猫のようにも見える。
何故、アルベルトと文字通り一つになったシュレディンガーがいるのかと言うと、新たに得た能力と関係がある。
先ず、アルベルトが得た能力は今右腕に纏い、触手を構成している物質――【瘴気】を操る能力だった。【瘴気】はこの世界に存在するあらゆる物質から大きくかけ離れた物質で、その本質は【否定】にある。
触れた全ての性質を無効化して崩壊させ、あらゆる生命はその活動を強制的に終了させる正しく【否定】の力。もし自在に制限無く使用する事が出来れば核すらも無力化し、如何なる強固な要塞すらも容易に陥落させて世界の支配者となれるであろう。
しかし、当然だがそう都合よく気軽に扱える様な物では無く、その影響は使用者自身にも牙を剥き、多用すれば直ぐに自身の破滅へと繋がる諸刃の力だった。今も纏う靄の下で腕の表面が朽ちて少しずつ皮膚が消耗している。
因みにナイフの柄は何とも無い。触手等の形成物は【瘴気】の侵食をある程度制御出来るからだ。但し、黒靄状態の場合は出来ない。
さて、何故シュレディンガーがいるのかに話を戻そう。とは言えそう難しい話ではなく、触手と同じ様に憑代の肉体を構成して、そこにアルベルトの別人格となったシュレディンガーの意識を移しただけの話だが。
アルベルトは触手を動かしてしならせると絡めていたナイフを壁に投げる。投げられたナイフは上向きに緩やかな放物線を描いて飛び、壁に当たると弾かれて其のまま床に転がる。
初めてだからか思ったよりも使い勝手は良い訳では無いな、と思いながら能力を解除する。顕になった軽く爛れて赤くなった腕の状態が、ジワジワと逆行して元の傷一つ無い肌色に戻った事を確認してから、捲っていた袖を戻す。
「まぁ、こんな物か。後はゆっくり考えていこう」
そう呟いていると、外套のポケットに入れているスマホが鳴る。誰かと思って画面を見ると、そこには『お嬢』と書かれていた。
電話に出ると、スピーカーから若い女の声が流れ出す。
「Hello. 樋口。元気かしら?」
「あぁ、久し振りだな」
「あら、声変わった?まぁ、良いわ。六年も行方不明って聞いて吃驚したわ。今まで何処にいたの?」
「中身だけ異世界に飛ばされてな」
「···貴方、何言ってんの?」
呆れた様な問いに思わず苦笑いを浮かべて要件を尋ねると、電話の相手は思い出したといった様子で話す。
「そんな事言うなよ。それで?何の用だ」
「あぁ、日本に行くから護衛をお願いしたくてね。構わないかしら?」
「問題無いが今抱えている仕事と兼任で構わないか?」
「貴方が問題無いなら構わないわ。ということはかなりの人数で来るのかしら?」
「六、七人だな。護衛対象が二人だ」
「そう、分かったわ。じゃあ、今送る場所に明日の十一時までに来て」
ピロンというメールの着信音が聞こえ、確認すると横浜の中華街にある店の一つに目的地を示すピンが刺さった地図が送られていた。
「じゃあ、明日を楽しみにしているわ」
「あぁ、待て」
アルベルトはそう言うと一度電話を切ってカメラを起動させると、自撮りしてそれを添付したメールを送ってから再び電話を掛ける。
「見てくれが変わっちまったから送った。これで分かるだろ?」
「···他は随分と変わったのに目元は相変わらずなのね?」
「どういう意味だ」
「別に?じゃあ、待っているわよ」
会話を終えたアルベルトはスマホをしまうとジャンヌに顔を向ける。
「表の仕事だ。お嬢の護衛だと」
「条件は」
「明日の十一時に横浜中華街。アイツ等三人も連れて行く。お前はどうする?」
「お供します」
「了解。準備をしようか」




