54.対【八尺】戦 遭遇
vs. 【八尺】開幕!!
抱える【怪異対策班】の男を庇う様に背中から落ち、受け身をとって転がり、男から腕を外してから立ち上がると、落下地点を確認する為に外していた視線を二階の飛び出した部屋に戻す。しかし既に女の姿は其処になかった。
精神を研ぎ澄ませ【生命感知】を使って索敵すると、じっとりとした纏わり付く様な湿気と人では無い大きくなる気配を感じて未だ立ち上がる事が出来ていない男を背後に庇う様にして揺らぎの方へ向き直る。
目の前に不自然に縦長の白い靄の様な物がくねくねと揺らめきながら微かに吹く風に流される事無く其の場に立っている。其の白い物は徐々に人型へと形を変えていき、鮮明な輪郭を得ると共に色付きその姿を現す。
それは部屋に現れた女だった。
夏場に被る様な清涼感のある白い帽子と、同じく白いワンピースを纏った女は静かにこちらに向けて微笑みかける。一見して容姿は悪くない、むしろ整っていると言える。しかし、その微笑みは安心感など微塵も存在せず、何処か仮面じみた、不自然で言い知れぬ不安と悪意を感じさせた。
何より異常なのはその女の身長だった。横幅は通常の一般的な女性の平均程なのにも関わらず、見上げる程の高い身長はその名に違わず八尺(約2m40cm)もあり、その気が狂いそうな程恐ろしく異様な雰囲気と相まって実際の大きさよりも大きく、威圧的な物に感じられた。
そして理解する。
これは神格の化身だ。それも先日遭遇した【全ての鮫の父】の様な、強大ながらもこの宇宙の法則の内に収められた旧支配者等では無く、より上位に存在する外なる神に類する様な存在である事を!
周囲を息苦しさを感じさせる程の威圧じみた薄気味悪い重苦しさが包み込む。張り詰めた緊張感を感じながら、アルベルトは《倉庫》から【ダインスレイフ=グリム】と【蛇蝎】を取り出し構える。
「…ポポ、ポ?」
ノイズが混ざった様な罅割れた、妙に高く歪な機械的で無機質な声が【八尺】の口から零れる。次の瞬間、アルベルトは目の前にいる【八尺】が偉大な崇拝するべき存在であると云う思いが沸き起こり、両手に持つ武器を下ろす。
『旦那様ッ!!』
「うおっ!?…ッ済まん」
【ダインスレイフ=グリム】の焦りを感じさせる鋭い自分を呼ぶ声で驚く事で【精神支配】を振り払ったアルベルトは直ぐに状況を思い出して近付いて来ている【八尺】へと武器を構え直す。
体を揺らす事なく滑る様に男を目指す【八尺】に一瞬で肉薄すると【ダインスレイフ=グリム】で斬りつける。しかし体に当たったにも拘らず、蜃気楼か何かである様に刀身は【八尺】の身体を何の抵抗も無く擦り抜ける。
【ダインスレイフ=グリム】の攻撃が一切の痛痒を与えられなかった事に動揺する事無く【蛇蝎】を握る手に力を籠めると、全力で【八尺】の腹部目掛けて真一文字に叩き付ける。
【八尺】の無防備な脇腹にその一撃が当たると、今度は何らかのダメージを受けたのか一瞬脚を止めてから数歩後退り、放心した様に数秒間其の場で硬直する。その隙を見逃す事無く、更に先程の仕返しもかねて《ヨグ=ソトースの拳》を放った。
《ヨグ=ソトースの拳》は【八尺】の身体を捉えて更に後ろに飛ばして距離が空く。その隙に背後の男を横目に見ると銃を握り、ガタガタと震えながらブツブツと何かを早口に呟いていた。如何やら精神の均衡が崩れたらしい。今は対処する時間がないので放置する事にした。
【八尺】は危なげなく着地すると、それ以上下がる事無く体を大きく揺らしながらこちらを見る。
その顔に貼り付けた様な微笑みは全く崩れていない。しかし、細められた双眸には昏く燃える怒り、苛立ち、そして吐き気を催す様なドロドロとした汚泥やタールの様な粘着質の偏愛や執着の炎が灯っていた。そして後者の視線は背後に庇う男へと向けられている。
【八尺】は白い帽子の鍔やワンピースの裾等を靄の様に崩して漂わせながら近付いて来る。
「【双頭の猟犬】!」
仕事上の呼び名と共に数本の矢が【八尺】に向かって飛来する。矢は【八尺】へと真っ直ぐに飛んで行き、其の全てが透過する。
矢が放たれた方を見ると、先程迄いた民家の二階の窓から身を乗り出す【鬼闘化】した紀矢子が、苦々し気に顔を歪めてゴルフバッグに偽装した矢筒から次の矢を取り出して番えていた。
流石に鬱陶しかったのか、【八尺】の周囲の空間が歪んだかと思うと掻き消える様に姿が消える。次の瞬間、先程迄いた部屋を中心に爆発した様に二階が吹き飛び、紀矢子が瓦礫と共に外へと吹き飛ばされる。
「姐さん!」
「大丈夫よ!」
紀矢子は空中で体を捻ると部屋の跡地に佇む輪郭が靄の様になって朧気な【八尺】に向かって番えていた矢を放つ。ビュゥッ!!と云う鋭い風切り音を伴った渾身の一矢は【八尺】の胸を貫いた。
「ポポポポポポポポポポポポポポポォオオオオオオオオオオオオ!?!?」
【八尺】は先程迄のアルベルトの【ダインスレイフ=グリム】の一撃や紀矢子の矢を受けた時と違い、胸を両手で押さえてお辞儀でもする様に一瞬で輪郭を取り戻した身体を前に傾ぎ、明らかにダメージを受けた演技では無い驚愕と苦悶の絶叫を辺りに響かせて其の場から霧散する。
「仕留めた。…何て事は無いわよねぇ~」
地面に片手を突いて受け身を取り、転がった勢いを利用してアルベルトの傍で立ち上がった紀矢子がそう言って弓を畳み、腰の大刀を抜いた所で、目の前に人一人が収まる程の超局所的な霧が現れて直ぐに人型になり、胸元に朱殷の染みが広がっている以外は少なくとも見た目は無傷の【八尺】が現れる。
服装は白いワンピースと云うよりも簡素なドレスと表現出来る様な物へと変わり、両手の指先には小さくも鋭い鉤爪が生え、右手に握られた物は、柄尻にペンデュラムと呼ばれる様な涙滴型の青みがかった水晶と繋がった細長い鎖を付けた死神を想起させる銀の刃が僅かに弧を描く大鎌を携えている。
「ポ、ポポ、ゴポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポポォオオオオオオオオオオオオ」
一帯に【八尺】の水中から膨大な気泡が噴き上がり弾ける様な不気味な声が響く。
それは先程までの小さな呟く様な物では無く、明確な怒りと殺意、憎悪、敵意、それらのどす黒い暴力的な負の感情を混ぜ合わせ、煮詰め、濃縮した物を更に圧縮して人智を超えた悪意と狂気を混入させた様な、そんな唾棄すべき邪悪という言葉すら生温い、精神や魂の奥に冷たい猛毒の氷刃を突き立てられる様な錯覚すら覚える恐ろしい狂笑であった。
俯いている為、帽子の鍔に隠れて顔は見えないが、身に纏う気配は【八尺】の周囲の色彩が薄れ、歪んで見える程威圧的で、何より肌がひりつき、全身の毛が逆立つ様な感覚が、眼の前の存在の危険性を警告している。そして何より、【八尺】の視線が明確にアルベルトと紀矢子へと向いている事が眼が見えていなくとも嫌でも感じる事が出来ていた。
冷たく強い風がアルベルトと紀矢子の背後から吹き抜ける。湿った臭いが二人の鼻に届くと同時に、辺りの照度が下がり薄暗くなっていく事に気付く。天を見上げれば、青い快晴の空は一転して灰色の絵の具を流し込んだかの様に広がる暗雲が雷鳴を唸らせて暗く淀み、急速に低下する気圧と逆に高まる湿度と相まって、此れから一雨来る事を告げていた。
ポツリと足元の土の地面に水滴が落ちて湿らせる。其れを皮切りに夕立を思わせる強い雨が一気に降り出す。
其の時、二人の耳に付けているインカムからザザッと云う雑音が鳴ると、其処から【阿紫霊狐】の声が流れ出した。
『【双頭の猟犬】、【酒呑童子】!二人とも無事かいな!?』
「何とかな。こちらは保護対象を発見した。そちらは?」
『【火冶神社】に着いて色々調べ終えた所や。かなり荒廃していて大変やったけどな。
まぁ、そんな事はどうでもえぇ。よう聞くんや!簡潔に云うと、【八尺】は神代の国譲りの際に天津神に反抗して敗北し名を奪われた水流を司る国津神が、【赤の女王】を取り込んだ二柱の神性を持つ神格なんや!
奴は正しく水の化身や。只でさえ【水】と云う物質が存在する限り不滅の存在なのに、こないな大量の水が雨として降っている中ではとても相手出来ん!見付かる前に撤退して、奴が出て来る前に道祖神を修繕するで!!』
「成る程、ね。だけど残念な事に貴女達だけしか無理そうよ」
篠突く雨の中、紀矢子は緊張で固くなった声で其れだけ返すと、二人は得物を強く握り直す。
『何を言って……真逆ッ!?』
「嗚呼、そう云う事だ。【酒呑童子】、其処で動けない奴を頼んだ」
「分かったわ」
やり取りを終えたと同時に、紀矢子は大太刀を仕舞って男の両腕を自身の両肩に回させると、両手で男の腿を支えて背負い此の場から離れる為に走り出し、足止めをするアルベルトは短く息を整えて丹田で魔力を練ると、雨で泥濘んだ地面を蹴って相対する【八尺】へと迫る。
無論、アルベルトも自分一人でどうにか出来る等と考えている訳では無い。寧ろ、勝率はかなり低いだろう事も重々承知している。其れでも紀矢子が男を連れて安全な場所へと退避する時間を稼ぐ為に立ち向かう事を選んだのだ。
『〜〜ッ!!……胸を狙うんや』
「胸?」
『奴は嘗て【双頭の猟犬】の先祖の【傲慢】と、【温羅】を名乗る人物によって【心臓】を抜かれとる。そして其の心臓は【赤の女王】の物や。
傷を抉る事で何とか【赤の女王】の貌を引き摺り出せれば勝てる可能性はあるで。【八尺】本来の貌よりマシって程度やけどな』
【阿紫霊狐】の助言を聞き乍ら無言で肉薄したアルベルトは右手に握る【ダインスレイフ=グリム】で【八尺】の左肩から袈裟斬りにする軌道で振り下ろす。其れに対する【八尺】が選んだ行動は、回避や防御では無く大鎌での迎撃だった。
先程の短い交戦で【ダインスレイフ=グリム】での攻撃は脅威足り得ないと判断したのだろう。迫る刃が近付く事等構わずに右手の大鎌の鋒をアルベルトの首の根本へと突き刺さる様に振るう。
「《ヨグ=ソトースの拳》ィイッ!」
間近で放たれた魔術によって【八尺】は後ろへと突き飛ばされて振るわれた大鎌がアルベルトの胸元を掠める様にして通り過ぎる。
「《練気術》【補強】ッ!」
アルベルトが魔力を全身、特に骨や筋肉に魔力を纏わせて補強し、より強く地面を蹴って大鎌を振り下ろした状態の【八尺】の背後に回り込む。アルベルトは【蛇蝎】を強く握る左手から伝う様に纏う魔力を更に伸ばして刀身に纏わせる。
「《副王の裁雷》」
左手から流れ出した銀の放電は本来ならば対象である【八尺】に向かう筈だが、アルベルトの意思によって柄を伝い【蛇蝎】の刀身を包む様に纏わり付く。アルベルトは下から掬い上げる様に腰、肩、腕と流れる様に無駄なく力を流動させ、銀雷を纏う大鉈の一撃は【八尺】の身体を透過する事無く、実体を捉えて肩甲骨の間辺りへと突き刺さった。
「ゴポポポポォオオオオオオオ!?」
常人離れした膂力で叩き付けた【蛇蝎】の刃はそうとは思えない程に浅く、殆ど刃先の辺りしか体内に到達して居ない。
其れでも食い込む刃から伝う超常の雷が【八尺】の身体に牙を剥き、傷口から朱殷の染みを広げさせて蝕む。行使したのが本家本元たるヨグ=ソトースでは無くアルベルトであるが故に劣化した其れは、其れでも並の存在ならば容易に【根源の塩】へと変質させる力を持つ神雷を受けても其の身の殆どを維持する【八尺】は、振り向くと共に構え直した大鎌を横薙ぎに振るう。
殆ど刺さって居なかった事もあり、【八尺】が動き始めた辺りから筋肉の圧力で押さえ込まれる事無く容易に【蛇蝎】を引き抜くと、後ろに下がって其の一撃を躱す。
【八尺】は大鎌を振るう勢いを落とす事無く高く上げて頭上で一回転させると真っ直ぐに接近して、アルベルトがまだ間合いの外にいるにも拘らず大鎌を斧で薪でも割るかの様に振り下ろす。
当然大鎌の刃は空振り其のまま通り過ぎると、直ぐに柄尻の先程迄斬撃を阻害しない様に短くなっていて、今は反対に伸ばされて行く鎖に繋がれたペンデュラムが風を切りながら弧を描いて下ろされてアルベルトの足元の地面を強く打った。
次の瞬間、地面が只雨で濡れただけでは有り得ない、まるで田んぼの中へと脚を踏み入れたかの様な深く沈み込み、歩行を阻害する程の泥濘へと変化する。
「ウオッ!?…ウグァッ!!?」
踏ん張りが急に効かなくなった為に、当然の如く体勢を崩してアルベルトは明確な、そして致命的な程に大きな隙を晒してしまう。そして、其れを間抜けにも見逃す程に此の状況を作り出した【八尺】は甘く無く、直前の一撃も含めて高められた殺意は生半可な攻撃で済ませる気は更々なかった。
大鎌の柄を釣り竿で魚を釣り上げる様に持ち上げて地面を打ったペンデュラムを引き上げると同時に、肉薄して切り上げる刃がアルベルトの腹部と胸の間を切り付ける。辛うじて身体を反らして僅かながらも距離を取り、更に【ダインスレイフ=グリム】と【蛇蝎】を重ねる様にして防御した事でアルベルトは大鎌の刃に切り裂かれる事はなかったが其の一撃の重さに再び態勢を崩す。
【八尺】は其の場で追撃せずに身体を雲霧へと変えると、アルベルトの右後で姿を戻しながら、【八尺】の頭上で数回転既にしていたかの様に遠心力と速度が乗ったペンデュラムをアルベルトの首に目掛けて横薙ぎに飛ばす。咄嗟に掲げる様に割り込ませた右腕の手首に鎖が巻き付きペンデュラムが接触すると同時に其処から急速に水分が奪われる。
「なぁ!?グッ!!」
即座に左手の【蛇蝎】で右腕を肘から切り落とすと、切り離された右前腕は忽ちの内に木乃伊の様になり罅割れて影響を受けていない【ダインスレイフ=グリム】を残して粉々になる。
上手い具合に地面に突き立った【ダインスレイフ=グリム】をチラリと一瞥して【八尺】を探そうとして、周囲を濃霧に囲まれている事に気付いた。
(不味ッ!!?)
急いで息を止めて、【蛇蝎】を手放し鼻を塞ごうとしたが、其の判断は余りに遅かった。
霧が鼻の穴や口の隙間から体内に入り込む。直ぐに溺れて呼吸が出来なくなり、肺を満たす水を口から溢した所で、背後から胸部へと突き抜けるドスッと云う衝撃を受けた。
アルベルトが視線を下に向ける。見下ろした胸部からは赤く濡れた大鎌の刃が突き出していた。
「……ゴフッ……」
吐き出す水に赤い色が混ざる。アルベルトは直感的に心臓がやられた事を察する。其れだけでも充分に致命傷となる攻撃だが、其れだけで止める程【八尺】の殺意は温く無い。
大鎌を薄く覆う水を伝って肺に溜め込まれた水が変形し、雲丹や毬栗の様に全方向に外へと無数の針や刃となって伸びて、内側からアルベルトの身体をズタズタに切り裂き、刺し貫く。当然、肺は最早どんな名医でも一目見ただけで匙を投げる程に手の施し様の無い程に細切れ状態になり、周囲の器官も深い損傷を受けている。
アルベルトの双眸から光が薄れて行き、瞳孔が開いて散瞳状態になっていく。視界がぼやけて霞んでいく。
大鎌の刃が全身から力が抜けていくアルベルトの背中から引き抜かれる。立った姿勢で縫い止めていた大鎌の刃が無くなった事で、アルベルトは其のまま崩れ落ち――
伊斯許理度売命
温羅
篠突く




