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刻界の魔術師は生まれ直して気儘に歩む【旧題・刻界の転生魔術師】  作者: 銀闘狼
4章【ファルス製薬医薬研究所】
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107.追走し強襲するは混沌の獣

遅くなりました

 通路を進む八重樫は焦っていた。一般的な人間と比べて毒物にある程度の耐性がある筈の紀矢子が、戦闘不能に追い込まれる程の毒を受ける事は想定外であり、時間が無いのに対処法が分からないこの状況は明らかに問題だった


 《癒し》の魔術は使えるが毒の強さから考えて大した効果は無く、覚えていない上位の《治癒》では軽減出来ても其の効果に対してコストになる魔力と正気、何より詠唱時間が大き過ぎる。集中出来ない上に走りながらでは不可能だった


 (不味い、不味い、不味い!不意打ちされた仲間を庇って負傷した事は兎も角、其れに鬼瓦さんが無力化される程強力な毒物で覆われているとは思っていませんでした!


 完全に油断して、魔力の温存と、効果時間と付与回数に制限があるからと言う理由で《肉体の保護》を掛けなかった!一刻も早くカナリアさんと合流しなくては!)


 通路に彷徨う研究員らしき人々の成れの果ての額を、脚を止めずに拳銃で撃ち抜くと、其れで銃弾が尽きたマガジンを外して腰のベルトのホルスターから取り出した新しいマガジンに入れ替える


 其の慣れた動作すらもどかしく感じながら進み、曲がり角が見えた時、八重樫達は通路のタイルを硬い物で打ち鳴らしながら急速に近づく気配に気付いた


 慌てて振り返った八重樫達が気配のぬしを視界に捉えるのと、飛び上がった気配の主が鋭い五本の爪の付いた右脚を振り下ろすのは同時だった


 最後尾にいた職員の一人が其れに対応する前に、前脚が職員の左肩と首の間に打ち付けられて其の勢いのまま前に叩き付ける様に倒される


 気配の主は体長が180cm程あり、複数の異なる種と思われる輪郭の面影を持つこの奇妙な四足獣は、細長い尾以外を覆う背部に向かう程長くなる硬質な逆立つ体毛を震わせてカラカラと音を立てて、八重樫達を威嚇している様にも感じる


 気配の主は倒された職員を踏み付けると、目の前にあった職員の左足に噛み付くが、道中で付与された《肉体の保護》によって、左足に口内に幾重にも重なる歯が届く前に、噛み付く口の閉じる動きが途中で止まる


 其れに構わず引き千切ろうと頭を左右に激しく動かす気配の主に、他の職員が拳銃やアサルトライフルを構えた瞬間、其れに気付いた気配の主が直ぐに口を離して職員達へと飛び掛かる


 急な接近に職員達は一瞬たじろぐが、直ぐに平静を取り戻し気配の主に向けて発砲する。しかし、全身を覆う体毛が砕けながらも銃弾の威力を弱め、軌道を逸らす事で気配の主に有効なダメージを与えている様には見えない


 肉薄した気配の主の右脚が職員の一人を打ち据えると、其の重い一撃で体勢を崩す職員を足場に近くの別の職員に飛び掛かり、其処から壁や天井を蹴って縦横無尽に暴れ回る


 「―《ヨグ=ソトースの拳》!こっちです!」

 「ガァッ!?グゥ…!」


 八重樫は天井を蹴って飛び掛かってきた気配の主を正面から《ヨグ=ソトースの拳》で吹き飛ばすと、近くの部屋の扉を開けて中に飛び込む


 紀矢子に肩を貸す職員を先頭にして、殿を努めた最後の職員が倒れ込む様に部屋に飛び込むと同時に扉を閉める


 追いすがる様に飛び掛かった気配の主が扉にぶつかり轟音を立てる


 暫く扉が所々歪む程、恐らく前脚を強く叩きつけられる音が鳴り響くが、諦めたのか音が止み、八重樫達は緊張を吐き出す様に大きく息を吐いた


 室内を見回すと大小様々な飼育用の檻や水槽が置かれ、中には実験に使われると思われる鼠やチンパンジー等の動物が入れられている


 「…諦めた、んでしょうか?此処は実験動物の飼育室?…いや、そんな事を考えている場合ではありませんね。一応、隣の部屋か何かに繋がる扉を探しましょう」


 八重樫の言葉で紀矢子の様子を見る者以外の職員達が室内を調べ始める。しかし、他の場所に繋がる様な物は鉄格子が嵌め込まれた天井近くの小さな通気口程度で、出入り口になりそうな所は八重樫達が入った扉以外になかった


 「…完全に袋小路ですね。どうした物か」


 八重樫が思わずそう呟いて思考に意識を沈め掛けた其の時、


 ―ズルッ、ズルッ、ガタリ


 何かを引きずる様な音が頭上辺りから聞こえた。其の音の発生源に気付くよりも早く通気口の鉄格子が外側に(・・・)外れたかと思うと、其処から無数の先端に爪の生えた触手が飛び出した


 触手の多くは見当違いの方向に伸びて虚空を搔くが、数本は運の悪い職員に向かって襲い掛かった


 先端の爪が、職員に掛けられた《肉体の保護》に其れ以上の進行を阻まれるも、其の手応えで位置を把握したのか、縮む様に引き戻された触手は明らかな意思を感じさせる動きで再度、職員へと向かう


 其の時、職員の一人の首に触手が巻き付くと、其れに反応するよりも早く、部屋中を探る様に蠢いていた触手が其の職員へと一斉に殺到して絡み付き覆い隠して、一回り大きな縦長の楕円形の、臙脂色の脈動する繭の様になった


 内側への力の強さを示す様に肉の繭からギシギシと締め付ける音が鳴っていたが、数十秒経った時、パリンッと何か硝子の様な物が割れる音が響くと同時に、硬い物が圧し折れ、水気を含む物が圧縮される生々しい音と共に、繭が一気に中にいる筈の職員よりも小さく縮んだ


 繭が解けて通気口へと戻っていく。繭があった場所には職員がいた痕跡すら無い、触手に円形に浅く抉られた床だけが残されている


 通気口からペタリペタリと言う粘着質な物が貼り付く音とズルズルと這いずる音が近付いてくる


 通気口から、指先に吸盤の付いた剛毛に覆われた脚と見覚えのある齧歯類に似た四つ目の頭部が姿を現す


 壁に貼り付く様に、家守の様に横に平たく細長くなった体で這い出ると、右前脚を真下の檻に置いて正面と側面の二対の双眸が室内にいる八重樫達を睥睨する


 今、混沌の獣が八重樫達に追い付き、再び襲い掛かろうとしていた

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