94.交渉
ストックが遂に切れました。なるべく変わらない様に頑張ります
それぞれの戦闘から数日後、【第十三支部】内―
「…お早う」
「あぁ、起きたのか。調子はどうだ?」
心底疲れた声でそう声を掛けてきた孝義に共有スペースに設置されたソファーに座るアルベルトは飲みかけのコーヒーが半分程残るカップをソーサーに置いてそちらに顔を向ける
「…本気で聞いているのか?」
眼を細めて不機嫌にそう尋ねる孝義にアルベルトは竦めた肩を揺らし、ニヒルな笑みを浮かべて言葉を返す
「まさか、そんな訳ないだろ?想像以上にくつろいでいた様だがな」
「嫌味か大将?それにアイツの治療は色んな意味で疲れるんだよ…。世話にならない大将には分からねぇだろうけどなぁ?」
孝義は手術台の様な台に両手足や腰をベルトで固定され、こちらを照らす強力な三つの電球を三角状に取り付けた照明の下に台の横から身を乗り出して、怪しく輝く医療器具を持って覗き込む三十代に差し掛かった手術着を着た女性の、ぎらついた眼光と緑のマスクの奥から漏れる笑い声を思い出してげんなりとしながらアルベルトに胡乱な半眼を向ける
「何だ?皮肉か、孝義?」
「いや?勘違いじゃないか?」
アルベルトの問いに肩を竦めてニヤリと笑う孝義をアルベルトはジッと見返す。暫くやや張り詰めた空気を漂わせて黙って見つめ合っていると、近付いてくる聞き慣れない足音に同時にそちらに顔を向けた
「あら?確か貴方は孝義…だったわね」
「あぁ、あんたは確か…【銀の黄昏教団】のアンシャトレーヌ、だったか?」
「えぇ、それで貴方は…?」
黒を基調にした、精巧な刺繍で飾られた長手袋と裾の長いワンピースを上品に纏った17歳位の少女―アンシャトレーヌが優雅な歩みでこちらに向かってきた
アンシャトレーヌは孝義を見て微笑を浮かべて思い出す様にそう尋ねた後、アルベルトを見て困惑する様に笑みを曇らせるとそう尋ねる
「おいおい、酷いなアン。久し振りの出会いだって言うのによぉ」
「…会った事あるかしら?悪いけど全く覚えがないわ」
揶揄うアルベルトの言葉にアンシャトレーヌは首を傾げながら申し訳なさそうに返す。その様子を呆れた様な半眼をアルベルトに向ける
「だろうな。見て呉れが完全に違うのに一目で分かったら流石だよ。俺だってジャンヌから伝えられていなければ大将だって分からねぇよ」
呆れを多分に含んだ言葉にアンシャトレーヌは眼を僅かに見開く。その様子にアルベルトは悪戯に成功した悪ガキみたいな笑みを浮かべると肩を竦めて言う
「まぁ、そういう事だ。俺は樋口圭吾だよ。久し振りだな」
「…どうやら本当の様ね。どうしたの?イメチェン?」
「イメチェンで肉体改造どころか交換なんて斬新なアイデアだな。なんやかんやで体やらが変わっちまってね。まぁ、大した事じゃない。それでどうして此処にいるんだ?このどさくさで遂に捕まったか?」
「まぁ、敢えて詮索はしないでおくわ。それとそんな訳ないでしょ?今回の件でそちらと共同戦線を張る事になったのよ。家の子が一から作った会社の従業員がやらかしてくれたからその後始末は保護者である私がしないとね」
「裏でも表でも影響力を持つ社長様は違うねぇ…。ブラックな方々に聞かせたいよ」
肩を竦めるアルベルトの軽口にアンシャトレーヌは眉を軽く上げると尋ねる
「あら?今の仕事に不満でもあるの?」
「別に?昔っから良く聞くブラック企業って単語が頭に浮かんだだけさ」
アルベルトはそう言いながらソファーから立ち上がる
「何処に行くの?」
「お仕事だよ。お嬢様の相手は任せたぜ、孝義」
「分かったよ」
冗談交じりの言葉に孝義は半眼になってさっさと行けとでも言う様に小さく上げた手を下から上に払う様に動かす。アルベルトは最近、孝義の扱いが雑になっている様に思いながらも目的の場所へと向かった
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やや薄暗い廊下を進み、コンクリートが露出した寒々とした雰囲気の階段を下りて再び鉄扉が等間隔に並ぶ廊下を進むとその一つを開ける
裸電球が一つぶら下がっただけの狭い空間の先にある小さい格子窓の付いた鉄扉を引くと中に入った
空気が一変する。扉の間隔から考えて明らかに不釣り合いな広さの薄暗い地下室を思わせるひび割れたコンクリートと古ぼけた半ば朽ちた木の板の床が広がる。明らかに本来の部屋の広さよりも広がっている室内には幾つもの、札の張られた子供一人が膝を抱えれば入れる位の大きさの壊れた木箱が転がっている
異様な張り詰めた緊張感に満ちた室内の中央に蹲る若い男―高藤を中心とした床が液化した様に波紋が広がり、そこから罅や欠損のある仏像を模ったらしき子供程の大きさの動く木造が湧き出て蠢き、高藤の体をよじ登る物や、逆に外へと手を伸ばしては新たに湧き出た個体に圧し掛かられて沈むを繰り返していた
こちらに気付いたのか高藤が顔を上げる。それと同時に木像の首が一斉にアルベルトへと回って向けられると、周囲の波紋から間欠泉の如く木像が噴き上がり、アルベルトへと手を伸ばして津波の如く襲い掛かった
アルベルトは僅かの間瞑目する。再び開かれた双眸は油膜の様な揺れ動く虹色に淡く発光し、緩やかに前に伸ばした右手が何かを掴む様に僅かに指を曲げた時、空間に罅が入った
指が曲がるにつれて空間に走る罅が拡大し、ガラスと木材が軋み割れる音が室内から微かに、しかし段々と大きく響く
やがてボロボロの木像の津波が眼前まで迫った時、完全に手が握りしめられ、それと同時に木像が空間諸共砕け散った
室内が本来のコンクリート剥き出しの狭い部屋に戻る。蛍光灯の灯りで照らされた室内は簡素なパイプ椅子と引き出しのないスチール机、無地の毛布とシーツが敷かれたパイプベッドが部屋の隅に置かれ、部屋の中央には先程と変わらない姿勢で敵意に満ちた視線を向ける高藤がいた
「…何の用だ」
「手早くいこう。こちらに協力しろ」
「断るッ!こんな所に閉じ込めておいて何言ってやがる」
「それこそ何言っている?お前の能力と異常性から本来なら問答無用で【東京第一特殊刑務所】に投獄している。それが狭いだけの部屋で済んでいる分マシだろ」
苛立っている高藤が激昂した後直ぐに冷静さを取り戻してした問いに対する、アルベルトの高藤の荒んだ精神を逆撫でする様な軽薄な態度で告げられた尤もな言葉に高藤が押し黙る
「……」
「お前の能力。特に黒雷から推測するにアレと契約しただろ?本気で復讐をする気か?」
「…復讐は何も生まない無駄な行為とでも言いたいのか?」
高藤の言葉に、アルベルトは肩を竦めて懐古する様に此処で無い何処か遠くを見つめた眼で高藤を見て、言い聞かせる様に穏やかな口調で語り始める
「まさか、こう見えて俺自身が元復讐者だったんだぜ?まぁ、確かに世間に良くいる訳知り顔でご高説をしてくる様なお節介な奴等が言う様に『復讐は何も生まない』って云うのはある意味では正しいのかもな。敢えて増える物があるとすれば新たな復讐者位だろうよ
だが、嘗て復讐者だった俺はこう思うんだよ
復讐は確かに何も生まないかも知れない、其れは認めよう。だが、其れでも何もしないまま憎悪や殺意みたいな負の感情を抱えて、何時までも後悔し続けながら過去に囚われて、其の当時で時が止まったまま膝を抱えているよりも、復讐をする事で少しでも其れ等が吹っ切れて、明日を見て前を向いて歩き出せる様になるんなら其の復讐には確かに意味があるってな
復讐は0を1とか2のプラスにするんじゃないんだよ。マイナスにされた感情や人生を何とか自分の中で清算し、整理をして少しでも0に近付ける為に必要な事のさ。決して無駄な行為等ではない
まぁ、だからお前の復讐の手助け位なら協力するさ、可能ならな。取り敢えず今まであった事でも話せよ」
「……」
暫く黙っていた高藤はアルベルトの言葉を聞いてポツポツと話し始める
「…隊長は何かに気付いた。恐らくアイツが潜り込んでいた事に気付いたからだ。だから隊長は死んだ…。何かに内側から食い破られる様に。あの地獄から帰ってこれた筈なのに!
アイツは【両面宿儺】を探していた。学校の地下で初めてアイツと会った。【両面宿儺】は俺とアイツを自分の新たな依代にしようとしたが、俺の中で目覚めたアレが始末した。その時にこの契約を交わしたんだ
それから俺はアイツを探した嘗ての古巣から追われる事になったが些細な事だった。手に入れた能力で逃走は容易だったからな。能力を潜伏しながら理解し、情報を探っていた時、アレが起きた
アイツが仲間と起こした混乱に乗じて街中を駆け抜けていた時、アイツを見つけた。色んな奴が倒れる中で無事だった奴に何か言っていたが知った事じゃなかった。すぐさま襲い掛かったがアイツに逃げられた
探し回っていた時に情報を無理矢理聞き出す為にあんたの戦闘に乱入した訳だ。結果はこのザマだがな」
「成程。矢張り利害は一致していそうだ。復讐に協力しよう。だからこっちに手を貸せ」
「…ようは只で働けってか?ふざけているのか?」
苛立たし気に眼を窄めてこちらを睨む高藤にアルベルトは肩を竦めて答える
「まさか。同類同士仲良くしたいだけさ
身を焦がす様な復讐の炎を纏う刃を標的に邪魔される事なく届ける手助けをしようって言っているんだ。悪くはないだろ?どの道このままだとずっと独房暮らしだと考えたらよっぽどマシに思えるけどね。どう何だ?」
アルベルトの言葉に探る様な視線を向けると徐に尋ねる
「…それが上司の指示か?」
「いや?俺の独断だ。応じてくれるなら全力で説得するさ」
「そんな事して良いのかよ」
思わず小さく眼を見開いてそう尋ねる高藤にアルベルトは可笑しそうにクックッと笑って答える
「此処【第十三支部】は社会の逸れ物の集まりでね。多少の融通はきくのさ」
「…指示程度なら従う。だが、アイツを見つけたら勝手にやらせてもらう」
「結構。では失礼させてもらうよ。話がついたらまた来る」
アルベルトは満足気に笑ってそう言うと鉄扉を開けて部屋から出て行った




