91.回想~終幕へ~
これで終わる予定だったが終わらなかったよ…
次回で回想は終わる筈です
その後、目を赤く腫らした【美奈子】を連れて戻ってきた八重樫は那智兄弟と合流した後、直ぐに近くのファミレスへと移動すると情報交換を始めた
「成程、そんな事があったのか。にしてもその特徴は覚えがあるなぁ…」
「知り合いか?」
「多分な。だがあいつは…」
八重樫はそこで言葉を切る。次の言葉が出ず、言い難そうに顔を歪める様子に何かある事を大也は容易に察する事が出来た
「まぁ、会えば分かるか。指示通りに【飯島敦夫】の家に向かうとしよう。場合によっては戦闘になるだろうから準備はしっかりとしてな」
八重樫の言葉に大也と冬治が頷く。方針が決まり、八重樫の拠点に戻る為に食事の手を速めていると【美奈子】が徐に口を開いた
「…【沼男】の話を覚えている?」
「何だ、突然」
「大事な話だよ」
「…覚えている」
「そう。【血溜まり事件】は【敦夫】がうっかり逃がした一体の【沼男】が起こした事件だよ」
「何だと?」
三人の視線が【美奈子】に集中する。【美奈子】は決して顔逸らさず真剣な表情で言葉を続ける
「あれは【沼男】が獲物を補食した時に下手な個体が溢した跡。直ぐに獲物と同じ姿に変わるから死体の無い殺人事件なんて呼ばれているけどね
実際はその何倍も被害が出ているよ」
「嘘だろ…」
「お前には誰が【沼男】か分かるのか?」
「はっきりとは分からないけどどれ位いるかは分かる」
「…どれ位いるんだ?」
八重樫の言葉に【美奈子】は僅かの間宙に視線を彷徨わせると口を開いた
「…少なくともこの店内だけでも半分」
「何だと!?」
【美奈子】の言葉に大也は大声を上げて立ち上がる。その様子を周囲の客に見られている事に気付くと小さく頭を下げて座り直した
八重樫は目だけで周囲を見回すと【美奈子】に尋ねる。それに対し【美奈子】は肩を竦めて答えた
「それは本当なのか」
「私が分かる範囲ではそう感じている。とはいえ本人にすらその自覚が無いから聞いても分からないけどね」
「厄介な事になったな」
想像以上の被害に八重樫は思わず苦々しい表情を浮かべそう呟く。大也と冬治も口に出さないものの似た様な表情を浮かべている。流石に今日一日の出来事で冗談や作り話とは思わない様だ
「それでなんとかする方法はあるのか?」
「既に成り代わった人はどうしようもない。これ以上の拡大を防ぐなら大本の母体を殺すしかないよ。そうすれば私達がどうなるか分からないけど」
「そう…か…」
八重樫はそれだけ言うと沈黙する。【美奈子】はどうなるか分からないと言ったが恐らく共に死亡するのだろう。そしてそれは【美奈子】自身も分かっている。それでも彼女はその方法は口にした以上、それ位しか手段が無いと考えるべきだろう
「それでこれからどうするよ?」
重くなった気まずい空気を変える様に冬治がそう尋ねる。八重樫は内心で感謝すると、何でもない様に答える
「明日に備えて休む位だろ。急いだ方が良いがそれでしくじったら話にならないからね」
「そうだな」
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その日の夜、拠点のリビングのソファーに凭れ掛かって煙草の煙を燻らせていた八重樫の下に【片山美奈子】がやってきた。那智兄弟は明日に備えて既に就寝している為に此処にはいない
「眠れないのか?」
「…うん。明日【敦夫】に会えるかもしれないって思うと」
「そうか…」
暫く二人は無言になり、八重樫の煙を吐き出す音だけが聞こえる。若干の気まずさを八重樫が感じ始めた時、【美奈子】が口を開いた
「…私の事をきっと【敦夫】は認めない」
【美奈子】のその言葉に八重樫は煙草を口から離してどう答えるか考えて口を動かす。しかし、次の言葉に八重樫はハッとした
「それでも
―例え、【敦夫】の目に私が写っていなかったとしても
―例え、私の抱くこの感情が後から植え付けられた物だったとしても
―例え、この肉体が本来の【片山美奈子】の生き写しだったとしても!
―何時か、その眼に写して見せると
―何時か、決してこの感情《気持ち》は紛い物ではないと
―何時か、私が、私こそが【片山美奈子】であると!
―そう、堂々と胸を張って彼の前に立つ!堂々と生きてみせる!私は貴方達と出会ってそう決めた!!」
暫く呆然と【美奈子】を見ていた八重樫だったが、机の上の灰皿に煙草を押し付けるとニヤリと笑った
「そうか。その覚悟があればもしかしたら驚いて認めるかもな」
「そんな事があったら今までの気持ちを込めて一発殴ってあげるよ」
「…それ死ぬんじゃないかな?」
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四人は翌日の朝に準備を整えると【飯島敦夫】の家の前へと移動していた
「さて、戻ってきたな。相手が指定してきた場所だし十分に警戒して行くぞ」
「あぁ」
八重樫はゆっくりとドアノブに手を掛けると慎重に回す。容易く開いた扉の先へと八重樫達は慎重に踏み入れた
床に片付けられて尚残る悪臭のする赤黒い染み付いた跡が広がる。それに構わず土足で廊下を進み、リビングへと入ると那智兄弟があの夜に出会った男が砕け散った机の残骸を脇に退けて部屋の中央に置かれた椅子に座ってこちらを見ていた
「…久し振りだな」
「…あぁ、そうだな」
八重樫の何処か苦々し気な言葉に男は感情に感じさせない平坦な声で言葉を返す
「それで?それを連れて来たって事は交渉に応じる気になったのかな?」
「そんな訳無いだろ。君から情報を聞き出しに来たに決まっている」
「まぁ、そうだろうね。全く、かつて共に死線を潜り抜けた仲だと言うのに冷たいじゃないか。なぁ、相棒?」
その言葉に那智兄弟は思わず八重樫の顔に驚いた表情を向ける。【美奈子】も顔は向けないものの視線で知り合いなのかと問い掛けていた
八重樫はそれに意識を向ける事なく男を見据えると不快さを隠す事なく顔をしかめて言葉を返した
「元相棒だろ。君が狂気に堕ちて甦りに手を出した時から君は僕の敵だ。僕の交わした【契約】と【信念】を以て此処で引導を渡す」
「全く、薄情な奴だ」
男は肩を竦めて薄く笑うと立ち上がる
「あぁ、その前に君には退場してもらうよ」
男がそう言って右手を向けると同時に【美奈子】が取った、胸を押さえると膝をついてそのまま前に倒れる
大也が慌てて手を伸ばして抱き抱えて様子を見ると、瞳孔が大きく開き小刻みに揺れている。体が大きく痙攣しているもののどうやら生きている様だ
「おい!」
「安心しろ。力を奪っただけだ。尤も、そこの【出来損ない】程度にしか使えない不良品だがな」
良く見ると右手の中指に不気味に輝く赤紫の宝石が填められた真鍮の指輪がつけられていた。鼓動する様に淡く明滅する様子からどうやらあれが原因らしい
「取り敢えず脅威になりそうだから用意したけどまさか君が関わっていると思ってなかったからね。流石に本気で相手しないといけないか」
男はゆったりとした厚手のジャケットの内側に手を入れると、素早く抜き出した投擲用の小型ナイフを三本、八重樫に向けて放った。その切っ先は何等かの液体に濡れており、毒物か何かが塗られている事は明白だった
次の瞬間連続した軽く乾いた炸裂音が鳴り響き、中空でナイフが金属音を上げて弾かれ後ろに弧を描いて縦に回転しながら落ちる。音の発生源には何時の間にか八重樫の手に抜かれた拳銃の銃口から白煙を上げて男に向けられていた。直ぐに空薬莢が甲高い音を立てて床を跳ねる
鳴り響いた銃声は五。内、三発は見事にナイフの切っ先を打ち抜いて弾き飛ばし、残り二発が刹那の間に男に迫る。流石に話を聞く為に急所を外しているとは言え、銃弾の向かう先―膝を打ち抜かれれば移動はかなり困難となるだろう
しかし男が何かを早口で呟くと、銃弾は見えない何かを滑る様に軌道を変えて男から逸れた。男は八重樫を嘲る様な笑みを浮かべる。そして八重樫が何かを呟く様子を見て一気に顔をひきつらせた
直後、男の体に膨大な衝撃が頭上から襲い掛かる。列車か何かに轢かれた様な衝撃に男は勢い良くうつ伏せに叩き付けられるとパリンッと硝子が割れる様な音が男から聞こえる
「ウグゥッ!?」
床が陥没し、床の木片をまき散らして全身が半分程めり込む
「フフフ…。まさか《拳》を真上から叩き付けて圧殺しに掛かるとはね。中々に物騒じゃないかッ!?」
陥没した床に手をついて起き上がる。皮肉気な笑みを浮かべる男はあれだけの攻撃を受けながら殆ど無傷だった。嘲る様に立ち上がろうとした男に八重樫は躊躇いなく、弾倉に残った銃弾を撃ち放った
銃弾は先程と違い真っすぐに男に向かい、肩や足を穿つ。鮮血を噴き出す男が床に崩れ落ちるよりも早く肉薄した八重樫の顎への蹴り上げで男の顔が打ち上げられ、振り下ろされた銃底で頭部を殴打した
「グフッ!?」
「無駄話をしている余裕があったら行動を起こすべきだったな」
素早く下がり残心をする八重樫はそう男に言葉を落とす。男は比較的傷が浅い左手をついて体を起こし立とうとするが、ガクリと膝から力が抜けて後ろに倒れて壁を背に座り込む
八重樫は弾倉を交換すると足を撃ち抜く。噛み締めた呻き声を上げる男に八重樫は近付くと怪しく輝く指輪へと手を伸ばした
「ダ…、ハナ…テ…」
その時、【美奈子】が掠れた絞り出す様に声を出す。それを聞きながら指輪に手を伸ばしたその時、【美奈子】が叫ぶ様な声を上げた
「離れて!!」
その言葉を聞くと同時に背筋に鋭い氷柱を背筋に突き刺された様な悪寒じみた危機感が襲い掛かる。素早く手を引くと共に左足で床を蹴った瞬間、壁に背を預ける男の腹部の形が崩れ、様々な色が混ざった臙脂の触手が伸びると床を蹴った事で僅かに近くにあった左足へと絡み付き、刹那の間に締め付けて潰す形で引き千切ると奪い取った左足をその体に飲み込んだ
「ウグッ!」
八重樫は激痛に倒れかけるも何とか器用に片足で着地すると歯を噛み締めて男に二発の銃弾を放つ。飛翔した銃弾は寸分の狂いなく一発は指輪を破壊し、もう一発は男の額に着弾すると鮮血を噴き出して顔が前に倒れ、体から力が抜け落ちた
「大丈夫か!」
「…問題ない。だが肩を貸してくれ」
一瞬の戦闘に呆然としていた冬治が拳銃の反動で尻から倒れこむ八重樫に駆け寄る。スーツのポケットから取り出した細い糸で残った左足の腿の根本を縛ると冬治へとそう言葉を返す。冬治に肩を借りて立ち上がると【美奈子】と大也の下へと移動した
「大丈夫なの?」
「応急処置はした。とは言え流石にこのままだと不味い。早く【敦夫】と【母体】を見つけないと」
その時、廊下から物音が聞こえた。八重樫達が廊下を観察しながら移動していると地下室に続く扉が開かれていた
「ここは?」
「あそこは…。行こう」
八重樫は冬治に肩を借りて片足ながらなんとか地下室まで階段を下りる。中に入ると肉が焦げる匂いが立ち込める黒い室内にぽっかりと開かれた更に地下へと続く床下収納にある様な開けられた扉があった。それを下りた四人の前に異様な光景が広がっていた
真っ白い部屋。壁や天井、床に使われている素材はそれそのものが発光しており、影もない為にその境界が曖昧になる。部屋の中央には斜めに傾いた透明な六面体が上下の角を支点にゆっくりと回転しており、その中には【美奈子】と瓜二つな女性の頭部が動かずに瞑目したままこちらへと向いている
その下に一人の男―【敦夫】が擦り切れて表紙が見えない程ボロボロになった市販のノートを片手に六面体に向かって立っていた。【敦夫】は八重樫達に気付くと振り返る。その姿は最後に見た時よりも更に窶れ、背筋も更に丸まってこの数日間で何年もの年を取ったかの様だった
「…あぁ、よく来たね」
ぼんやりとした様子の【敦夫】はそう言うと何事かを呟く。八重樫の左手の甲に焼き付く様な痛みを覚えると、手の甲にあったマーキングが消えていた
「何のつもりだ」
「もう意味がないからね。【猟犬】は既に俺を標的にしていなかった。当然だよね?だって俺は既に【沼男】だったんだから」
「ッ!?」
八重樫は驚きに目を見開くも内心で納得する。【沼男】に最も接触していたのだから当然、捕食されるリスクも高かったのだろう
「全て無駄だった。今頃【猟犬】は更に過去の俺を襲っているだろう。まぁ、どうでも良い事だ。…俺はやり直す。今から過去に戻って始まりの事故の前に行く
…目的の母体はこの先にある。もうすぐこの部屋は転移の影響で消滅するから早くいくと良い」
そう言って虚ろな焦点の定まらない目のまま奥の壁を指で指し示す
「…【敦夫】」
「お前は……?どれだ?」
「ッ!!…そう、分かった…。行きましょう」
「…おい、良いのかよ」
「えぇ、それが彼の答えなのだから」
【美奈子】は【敦夫】の言葉に一瞬、顔を悲痛に歪めると悲し気な微笑を浮かべて足を踏み出す。冬治の問いに脚を止めるも【美奈子】は迷いなく何処か吹っ切れた様に答えて冬治は苦虫を嚙み潰したような表情で押し黙った
八重樫達が【敦夫】の脇を通り過ぎて奥の壁の前まで行く。よく見ると人一人は入れる位の長方形の切れ込みがあり、左端の中程の高さの位置に指を掛ける為の窪みがあった。八重樫は窪みに指を掛けて扉を横に動かして開くと【飯島敦夫】に振り返って言った
「消える前に言っておこう。君がどんな事をしようとも、例え仮にそれが成功し【本物】の【片山美奈子】に会おうと、仮に何等かの方法で【本物】の【片山美奈子】が蘇って君の前に現れようと君は彼女を得る事はない
君が見ているのは【片山美奈子】ではなく君の中で大きくなった只の主観に歪んだ君の【理想像】だ
君は既に人ではない。それは今の肉体を示した言葉ではなく、その精神を言っている。君は届かぬ幻影を追い掛ける妄執に駆られた亡者だ
狂気に肥大化したそれが満たされる事は決してない。地獄の食えば崩れる食物の様に、口に入れば蒸発する水の様に君のその餓えや渇きは永久に癒える事はないだろう
精々終わらぬ旅を続け、やがて業に呑まれると良い」
内心の激情を押し殺した言葉を言い終えた八重樫は三人と共にそのまま扉の奥へと消える。扉が閉まる間際、外から「…あぁ!今から会いに行くよ!【美奈子】…」という恍惚とした声が聞こえたかと思うとその直後に肉を骨ごと叩き潰す音と狂気と絶望に満ちた【飯島敦夫】の断末魔の叫びが聞こえて直ぐに止んだ…
解説
魔術《ヨグ=ソトースの拳》
・込めた魔力に応じて単体の対象を任意の方向へと衝撃を与えて吹き飛ばす非殺傷魔術。魔力に応じて吹き飛ぶ距離が大きくなり、対抗に失敗した対象は衝撃で意識を失い気絶する
・吹き飛ばされた先に壁や地面の消失による落下が発生した場合、それぞれ対応したダメージを受ける。また、壁または地面との距離が0の時、魔力量と同等の物理的ダメージを与える。尚、肉質の影響は受ける。対抗による意識喪失は別に行われる物とする




