思わぬ過去と覚醒
嘘でしょ…?
目をこすってみようとするけど、あたしは金縛りにあったかのように動けなかった。
だから、もうひとりのあたしに向ける目をそらすことは出来ない。
恐怖に怯えていると、奴はどんどん近づいてきている気がした。
「こ、来ないで!」
思い切り奴に向かって叫ぶと、そいつは歪んだ笑みを浮かべた。
「へぇ。あたしを否定するか」
ギロっと睨んでくるその目は獲物を捉えた蛇のような目をしていて、思わず足がすくんだ。
そんなあたしをあざ笑い、奴はこちらにさらに歩み寄ってくる。
「哀れだよな。全てをなかったことにして、忘れてここまで生きてきたのだから…」
「…何を言っているの?」
すると、影はあたしの真横でゲラゲラと笑い、あたしの顔をのぞき込んできて、思わず恐怖で息を飲んだ。
「本っ当に何も覚えてないのね!おっかしい!バカじゃないの!?」
「だ、だからなんだって言うの!?そもそもあんたは何なんだ!!!」
恐怖から反射的に叫んで遠ざけようとするが、そいつは笑って消えた。
「あたし?あたしはあんたの心。かわいそうなかわいそうなあんたの心」
今度は真後ろで声が聞こえ、また恐怖に震え上がる。今度はまたあたしの正面に現れ、真っ黒なリンゴのオブジェのようなものの上に座っていた。
怖い、逃げ出したい。
その事しか今のあたしの頭にはなかった。
それでも尚、奴は話を続ける。
「いいこと教えてあげるよ。ショックで記憶喪失になった哀れなアイリスちゃん。…いや、アイリス=イングレッド=アンネリーゼ姫」
その場で凍りついたように思考が停止した。
イングレッド、アンネリーゼ?
こいつの言っている意味がわからない。
あたしはアイリスだ。姫なんかじゃない。
どこかで聞き覚えのあるそんな名前なんて知らない。
あたしは昔インギュアを追放された身だ。
これは確証がある。だってその国の民は生まれ落ちた時に自分の腕に国のマークを掘らないといけない。
そのマークと同じものがあたしの腕にもあるから。
だけど、そんなわけない。
仮にお姫様だったとしてなんであたしは追放されたんだよ。
お姫様ならお茶をすすりながら、今頃優雅に暮らしているんでしょ?
こんな薄汚れた服を着て剣なんか振り回さない。
お姫様なんだったら。
そうだ、あたしは両親がいるじゃない。エルバとグレアのおっさんっていうさ。
あれ?あたしはまた捨てられたんだっけ?
また、裏切られたんだっけ?
痛む心を感じ、震える体を抱きしめることも出来ない。
なかった、事にする?
すると、奴は急に真顔になり、「お前、なんで自分が裏切られたか考えろよ」と言った。
その言葉に、急に冷静になれた。
そうだ、なんであたしは今更殺されかけたんだ?
おかしくなったのは、アザレアが来てから?
……本当に?
って、ダメダメ!こいつが言ってることに流されてしまっている!
落ち着け。落ち着け!
深呼吸をひとつすると、あたしは奴に冷静に告げた。
「変な事言ってあたしを混乱させるのはやめて。有り得ないから。あたしはエルバに拾われたの。一生懸命育てられたの。なのになんでそんな事言うの?あなたはあたしなんでしょ?なら、エルバのこともグレアのおっさんのことも見てきたでしょう?」
すると奴は疲れきったように肩を落とした。
「あたしってこんな面倒くさい女なんだな、本当に面倒くさい」
面倒くさいって、こいつ…!
エルバたちをバカにされた事で、もうあたしの頭はブチギレる寸前だった。
その時。
奴がパチンと指を鳴らすと、頭の中でよくわからない映像が流れだした。
「ねぇ、思い出してよ。いつまで逃げているの?あなたは、立ち向かわないといけないんだよ…?」
あたしは瞳を思い切り閉じた。
動かなかった体も動き出す。
体が拒絶反応を起こし出したらしい。
「な、なによこれ!やめて。こんなもの見せないでよ!」
その言葉に、奴は、悲しげに目を伏せた。
「エルバもグレアのおっさんもいい人ぶっていただけだ。あいつらはあんたを殺す機会をずっと待っていたんだ。その理由はあたしからは言えない。だけれど、これだけは覚えておいて」
奴は、どんどんと姿を変え、ひとりの小さな少女に姿を変えた。
ローレライ色の艶やかな髪を腰まで伸ばした、片目が緑、もう片方の目が赤色の少女。
それは、どこかで見覚えがあって…。
「あなたは一国のお姫様だった。でもね、物心ついた時に崖から落とされて殺されてしまったの。この目のせいでね。まぁ、もう一つ重要な理由があるんだけれど、それは自分で探して。それとね。崖から落ちてもあたし生きてたの。そして偶然王国兵のエルバに見つけられたの。あんたを見ていつか殺そうって思っていたの。それが今になったわけ」
その瞬間、あたしの中で何かが弾けて、繋がった。
…そうか。あたしは。
奴はあたしの額にキスをすると、すっと胸の中に消えていった。
そして。
「王国を恨みなさい。憎みなさい。そして、滅ぼすのよ」
目を開けると、あたしの右目には真っ赤な炎が燃えた切っていた。
憎んでやる…。その国にいる、笑って過ごしているであろう国民を、王を、国を。
壊してやる…!
あたしに死の恐怖を毎日味合わせようとする奴らなんて!捨てるやつなんて!!!
ここから、すべてが始まる。