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ミーナの恋  作者: 酒田青
2/4

 新田君と一緒に教室に入ると、香澄がすごい勢いでやって来た。彼女はわたしの手を取ると、そのまま引っ張ってわたしを自分の席にすとんと座らせた。新田君がぽかんと立ちどまっている。ホームルーム前の教室は、喧噪に包まれていた。

「ミーナ、聞いた? 新田、また告白されたんだって」

 香澄はすごい勢いでそう言った。わたしは驚きながら、へえ、とつぶやく。香澄はポニーテールを揺らし、へえ、じゃないよとこぶしを作った。

「ミーナ、新田を取られるよ! 二組の川原さんとか、五組の三浦さんとか、六組の宮崎さんとか、そうそうたる顔ぶれが新田を狙ってるんだから!」

「そうそうたる、ってどういう?」

 わたしの呑気な質問に、香澄は声が更に大きくなる。

「全員かわいいの! 美人なの!」

「そうなんだ」

「そうなんだじゃないよ、もう」

 香澄は脱力したようにしゃがみ込む。わたしは申し訳なくなって、ごめんね、と言う。

「新田君が彼女を作っても、わたしは文句言える立場じゃないもん」

「何言ってんの」

「わたしは新田君の彼女じゃないし。おまけに新田君に似合うような美人じゃないし」

 わたしは笑った。わたしはいたって普通の顔立ちだし、おまけにぽっちゃりと評される程度には太っていた。醜いと言われるほどではないけれど、美しいとされるほどには痩せていないのだ。香澄が挙げたかわいくて美しい女子に対抗する気力なんかない。

「ミーナ、新田のこと好きならどうして親友ポジションで満足してるの?」

 わたしは力なく微笑んだ。香澄はじれったいと言わんばかりにまたこぶしを作る。今度は両手。

「告白しなさい!」

 わたしはまた曖昧に笑った。そんなの、無理だ。香澄は盛大にため息をつき、「駄目だね、二人とも」とつぶやいた。その意味を聞きただそうとしたら、ホームルーム開始のチャイムが鳴り、香澄はそそくさと自分の席に帰っていった。


     *


 夕方の部活が終わったので、新田君と一緒に下校する。今日も新田君はへの字の唇を真っ直ぐにして笑っていた。新田君の笑みは、これが一番上等なのだ。

 混んだバス停で話をしている。目の前を車がたくさん通り過ぎていく。新田君は野球の話ばかりする。メジャーリーグから国内リーグまで知り尽くしている新田君に、彼ほどではないが野球好きのわたしは話題に応じてうなずいたり一緒に興奮したりする。新田君は、本当に野球が好きだ。

「あ」

 不意に新田君が声を上げた。車道の隅を見詰めている。何だろうと思って、わたしもそちらを見る。子猫がいた。

「あっぶねーな」

 新田君は慌てて走り寄り、その猫を抱き上げた。黒い子猫は、弱々しくみゃあ、と鳴いた。わたしのところにその猫を運んでくると、猫は力なく彼を見上げた。

「おい、チビ、チビ」

 新田君は子猫を呼ぶ。子猫は、みゃあ、みゃあ、と鳴く。わたしは周りを見渡した。親猫らしい姿はなかった。

「野良猫かなあ」

「かもな」

「どうする?」

「おれんち連れて帰るよ」

 その言葉を聞いてほっとしたとき、バスが来た。人々はどやどやとバスに乗り込む。わたしたちも、猫を気遣いながらステップを上がった。子猫がみゃあ、と鳴いた。

「何か動物連れてるんですか?」

 バスの運転手が振り返って訊いた。わたしたちが肯定すると、中年の運転手は冷たく返す。

「駄目駄目。ケージに入ってないならバスには乗せられませんよ」

「え、でもこの猫弱ってるし」

 新田君が困惑したような声で言うと、運転手は駄目駄目、と繰り返した。

「規則だから駄目ですよ。他のお客さんの迷惑になりますから」

 わたしたちは言葉に困り、目を見合わせた。同じ高校の生徒を含む乗客は苛立ったような目でわたしたちを見ている。混んでいるから余計だろう。

「ミーナ、乗りな。おれ歩いて帰るから」

 新田君が根負けしたようにわたしに言い、バスを降りた。わたしは慌てて追いかける。新田君は振り返り、申し訳なさそうに片手を上げた。バスはわたしたちを置いて行ってしまった。

「考えたら、家まで連れて歩いたらもっと弱っちゃいそうだよな」

 新田君は困り果てたようにため息をついた。わたしたちはバス停のベンチに並んで座っていた。新田君のひざの上の子猫は、あまり動くこともなくみゃあみゃあ鳴いている。

「姉貴呼ぶよ。車で来てくれると思うから、ミーナも乗りな」

「いいの?」

「大丈夫。怒られるのはおれだけ」

 新田君は笑った。困ったときでも、新田君は笑って打開策を練ることができる。いいなと思う。彼は携帯電話で電話を始めた。短いやりとりのあと、新田君はわたしを見てうなずいた。

 十五分くらいして、車が目の前で停まった。赤い小型車の運転席には茶髪を高く結った派手な女の人がいて、あごを動かして乗れと指示を出した。わたしと新田君は大慌てで乗った。

「まーた猫拾ったの?」

 お姉さんは思ったよりかわいらしい声で新田君に訊いた。新田君はうなずく。

「今からじゃ動物病院開いてないじゃん。豆太たちに病気うつすかもしれないのにさ、ほんと無計画」

「ごめん。おれの部屋に隔離するから」

「明日も学校でしょ? 部活もあるし。ってことはあたしが動物病院に連れてくの?」

「部活サボるよ」

「いいよ、あたし休みだから」

 お姉さんは、荒っぽい口調だけれどこの子猫をすでに受け入れているようだ。助手席の新田君の腕の中にいる子猫を見て、心配そうにしている。

「ミルク、ちゃんと飲めればいいけど」

「うん」

「ところで、この子は誰?」

 お姉さんがわたしを振り向いた。わたしはどきっとして、ぺこりと頭を下げた。お姉さんは微笑んだ。

「クラスメイトの、瀬川美菜」

「あ、そう。家どこ? 遠い?」

「ミーナんちは家から少し行ったところ」

 わたしと新田君は同じ中学だったので、家は近いのだ。ただし、クラスが違ったので仲良くなったのは高校生になってからだけれど。同じクラスになり、部活も同じなので意気投合したのだった。

「ならうちに寄ってきなよ。猫の世話、手伝って」

 お姉さんが言う。わたしは喜んでうなずいた。車は薄暗い道路から細い道に入り、新田君の家に着いた。新田君はそっと猫を抱き、クリーム色の家の玄関ドアを開けた。猫が二匹、待っていた。新田君の足元にまとわりつく茶色いしま模様の猫と白黒のぶち猫は、構って構ってと彼に呼びかけていた。ボス猫のような白い太った猫も、廊下の向こうから新田君を眺めている。

「わかったわかった。チビを連れてったら遊んでやるから」

 新田君は猫たちを避けながら急ぎ足で廊下を行き、一階の部屋に入った。わたしも続く。どうやら新田君の部屋らしい。物が乱雑に散らかっていて、古いバットが学習机の横に立てかけてあった。

 彼は押入から籐のバスケットを出し、自分の薄い毛布を敷くと子猫をそっと中に入れた。

「よしよし」

 新田君は猫の様子を見てそうつぶやいた。そこにお姉さんがドアを開けてやってきて、

「ミルクできたよ」

 と小さなお皿を持って入ってきた。お姉さんは猫に皿に入ったミルクを見せた。子猫が少しずつ飲み始める。三人の中にほっとした空気が漂う。食欲があるなら、大丈夫だ。

「何とかなりそうだな」

 新田君は嬉しそうにわたしに笑いかけた。わたしはその笑みが嬉しくて、胸が一杯になった。新田君はそんなわたしをじっと見て、へへっとまた笑った。

 わたしたちは猫の体をウェットティッシュで拭いてやり、トイレも手伝った。猫はやがて落ち着いて眠り始めた。

「あ、もう帰らなきゃいけないでしょ」

 お姉さんが声を上げた。そういえば、もう七時だ。

「あたしが送ってあげるから、準備して」

 わたしはお姉さんと一緒に玄関に向かった。新田君はどうするか迷ったようだが、共働きの両親の代わりに夕飯の準備をしなければならないということで家に残った。猫たちの喧噪の中、わたしとお姉さんは外に出てまたあの小型車に乗った。

「ミーナちゃんは、うちの義矢の彼女?」

「いいえ」

 わたしは慌てて否定した。

「あはは。そっか」

「新田君、もてるんですよ。そう簡単には彼女にはなれないんです」

「へえ」

 お姉さんはわたしをちらっと見てまた運転に戻った。

「彼女になりたい?」

 あ、と思って、赤面して黙った。わたしは余計なことを言ってしまったらしい。

「なればいいじゃん。あいつ、多分ミーナちゃんのこと好きだよ」

「え」

 嘘だ、と思った。けれど、ちょっと期待してしまった。もしかして、本当だったら? だって新田君のお姉さんが言ったことだ。

 お姉さんはわたしの顔を見てからまた笑った。

「いいね。青春だね」

 想像で一杯のわたしをからかっているのだろうか。お姉さんはわたしを家の前で下ろし、手を振って帰っていった。わたしはマンションの中に入りながら、妄想だ、妄想だ、と自分に言い聞かせていた。


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