五
「くそっ、くそっ……!」
パソコンを開き、すぐさま退会した。ポイントは恐らく昨日の晩より膨れ上がっているだろうが、そんなもの、見たくなんてなかった。
「くそっ!」
俺がカスだと? 俺が凡人だと? ふざけるな……!
《本当は気付いてるんだろ?》
誰かの声が聞こえてきた。部屋を見回すが、誰もいない。
それもそのはずだ。さっきの声は紛れもなく、俺自身のものなんだから。
《自分がたいした人間じゃないなんて、本当は気付いてるんだろ?》
まただ。
気色悪い。醜い響きが油汚れのように耳にこびりついて取れない。
《お前は自分が凡人だと認めたくなくて、人の上に立ちたくて、自分が天才だと思い込もうとしてるだけだろ?》
うるさい! 黙れ! 俺は天才なんだ!
《いや、お前はただの凡人だ》
黙れ……!
《お前がいつも凡人扱いしてるやつ以下の、凡人だ》
やめろ!
《お前はカスだ。馬鹿だ。うぬぼれだ》
違う! 俺は……っ!
《じゃあ、証明してみろ》
は?
《お前が天才だと証明してみろ。誰の力も借りず、ひとりでやってみろよ》
上等だ。
やってやろうじゃないか。
腹の底から怒りとはまた別の感情が沸々と湧いてくる。
またパソコンのアドレスでアカウントを作ろうと、マウスを握った。
その瞬間、スクリーンに映るマウスポインタが小刻みに揺れ始めた。
なんだこれは。マウスのバグか?
そう思った時、自分の右手が視界に入った。
小刻みに震えているのだ。
なんだ、これ……?
震えは止まらない。それどころか、どんどん大きくなっていく。
まるで、キーボードに文字を打ち込むのを、右手が拒んでいるかのように。
「……!」
なんとかマウスポインタを検索窓に置くことはできた。
そして、『小説家になろう』のイニシャルの「s」を打ちこもうと左手薬指をsのキーに置くと、
sss
「はっ?」
一回しか押したつもりはない。なのに……。
おそるおそる視線を左手に下ろしていく。その目でさえお化け屋敷の扉を開ける小学生のように腰が引けている。
やはり、左手も大きく震えていた。
「ふざけるなよ……!」
俺は、何を恐れているんだ? 『小説家になろう』を恐れているのか?
《分かってるんだろ?》
まただ。
《お前は、自分が凡人だと認めざるをえない状況になるのを、恐れているんだろ?》
「うるさい!」
テーブルを拳で勢いよく叩いた。自分の震える手をテーブルに押し付けると、その震えが腕に伝わってくる。
「くそっ、くそっ……、くそっ!」
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
小説家になろう、って入力してアカウントを作って投稿するだけじゃないか。それだけやったら、あとは勝手に読者が増えてポイントが流れ込む。
それだけじゃないか!
なのに、どうして俺がそんな単純作業を恐れなければならない?
sをひとつ打ちこんでも一、二個余分についてくる。バックスペースを押したら全て消えてしまう。
どうすればいいだよ……っ。
《お前は天才なんだろ? 天才はキーボードも打てないのか?》
黙れ!
震える左手で震える右手を抑える。それぞれの震えが打ち消し合ってゼロになると期待したが、そんなことにはならなかった。
「クソッ!」
sのキーに穴を開けるように人差し指を叩きつけた。すると、
s
ん?
ssssssssss
一瞬sが一度だけ表れ、少し間を置いてからsの羅列が続いてきた。
そうか、思いっ切り押しつけるように押せば震えなんて関係がない。離す時はすぐに離せばいいのだから。
その方法を試すと、キーボードの方に不安はあるが『しょ』と打つことができ、検索候補に『小説家になろう』が現れた。
「ハッ……ハハハッ、やっぱり俺は天才だ……!」
この調子で俺はアカウント作成に成功し、小説を投稿する権利を得た。
前のものは中身がばれ過ぎている。ここはやむを得ない。最高傑作のファンタジーを出そう。
もちろん誰にもこのことは知らせない。今度はひとりで行ってやる。
天才とはいつも孤独なものだ。人に頼ろうとした俺が馬鹿だった。俺は、ひとりで戦わなければならない。
《お前、矛盾してるぞ》
なに?
《天才とは孤独? 人に頼ろうとした自分がバカだった? 百歩譲ってお前が天才だと仮定しよう。お前は一度でも人に頼ったんだから、その理論で行けばお前は馬鹿だ。天才ではない》
うるさい! 黙れ!
《本当は分かってるんだろ?》
「喋るな! 消えろ!」
この声さえなければもっと順調に行けるだろうに……っ。
そのまま、俺は投稿した。この作品なら誰の力を借りなくてもこのサイトの頂点に君臨することくらい屁でもないはずだ。
パソコンをスリープさせ、ふうと息を吐く。肩が落ちる。横隔膜が下がる。鼓動だけが耳に残る。
早くパソコンを付けてアクセス解析を見たい。数字が伸びているのを見たい。しかし、それはもう少し置いておこう。一時間くらいしてから見た方が喜びは大きいはずだ。
それから何度もパソコンを覗きたくなった。PVはもちろん、佐古田たちにばれてないかと不安にもなったのだ。ばれているはずなどないのに。まるで、臆病ものになったようなうざったい気分だった。
風呂に入っても落ち着かなかった。心臓が縮んでしまいそうな不安を持ちながらの不思議な高揚感が体の中でこそこそと騒ぎ立てる。
その後、すぐにパソコンに向かった。もう、我慢などできるはずがない。
そして、ホーム画面へと飛ぶ。
感想などは来ていない。これは「あわよくば」くらいの感覚だったから、まあいい。
次に小説管理ページに飛んだ。そこで画面の下側に総合評価が書かれていた。
総合評価:0pt
「……まあ、まだ最初だからな」
PVはどうだ? こちらは最低でも100や200はあるだろう。
『アクセス解析』のボタンをクリックする。すると、
36アクセス。
「はっ……?」
何故こんなに少ない?
俺だぞ? 天才の作品だぞ? タイトル、あらすじ、全て完璧だったはずだ。
《簡単だよ》
また声が聞こえてきた。
《全てが完璧じゃなかったからだ》
……!
《完璧などとは程遠い、駄作だよ。つまらない》
黙れ!
《いい加減認めろよ。お前はものを面白そうに見せることすらできない凡人だ》
「うる、さい……っ!」
そんなわけはない……!
そんなわけは……っ。
そんなわけ……。
俺はそれ以来学校に行かなくなった。正確には行けなくなった。
そしてずっと小説を書いている。
あいつらに、あいつらにやり返すんだ。誰も力も借りずに自分ひとりだけの力で、このサイトのトップを取るんだ。
その一心で俺はひたすらパソコンに向かっていた。
総合評価だって十話も投稿したのにまだゼロ。
PVだって米粒ほどだ。評価をくれよ。せめてPVだけでも……。
その時、数日前の俺の言葉が頭から飛び出し、今の俺に真正面からぶつかってきた。
――「評価が欲しい」「PVが欲しい」などとわめいている凡人どもよ。お前らがどれほど馬鹿なのか、俺が見せつけてやろう。
そうか。
俺は、自分がどれほど馬鹿なのかを過去の自分に見せつけられた、ってわけか。
笑える話だ。笑えすぎて顎がへそまで落ちそうだ。
やっぱり俺は、天才なんかじゃなかったんだな。ただの凡人だったんだな。
もう、やめようか。
小説も、人生も。
一度部屋の窓を開けてみたが、また閉めた。
暗闇を背景に自分の顔が窓に写ったが、目を背けた。
あと一話だけ頑張ろう。それからのことはその後に決めればいい。
十一話目を投稿して、寝た。今夜はあの声が聞こえなかった。きっと必要がなくなったからだ。
あれは本当の自分。自分を偽って虚栄を張っていた俺の中の、本当の弱い部分。ずっと隠して無視してきた部分。それが今、表面に出てきて俺を支配しているのだから。
目覚めは悪かった。カーテンを完全に閉め切ることができていなかったのか、カーテンの隙間から入って来る日光が真っ先に目に刺さったのだ。
鼻にもツンとしたにおいが刺さる。ほとんど換気していないせいか、埃が鼻に詰まっているような印象でもある。
そういえば夢は見なかった。どうやら俺は夢にまで見放されたようだ。
部屋を見回すと、数日前まで学校に通っていた残骸が転がっている。
教科書、ノート、プリント。
別に散らかっているわけでもないのに、どうしてこんなに汚なく見えてしまうのか。
そんな部屋の暗い朝で、俺はいつも思う。今から何をしよう、と。
歯も磨かず、部屋も出ず、じっと部屋を見回す。しかし、パソコンしか目に入らない。
はっきり言って、パソコンなんて開きたくない。だが、それ以外にやることもない。まるで、自分の人生の果てに後ろ指を差されているようだった。
仕方なくパソコンを開き、立ち上げる。背中に嘲笑の視線を感じるようで気分が悪い。
本当に誰かが自分の背中を見ているなら、それは悪魔か、自分自身か。まあ、なんでもいい。正面を見られるよりはマシだ。
何故なら、きっと俺の目は、プールに入れば立ち位置を忘れて浮いてしまうくらい死んでいるだろうから。それはもう、窓に映った自分の顔に拒絶反応を覚えるくらい。
ユーザページを広げた。期待などしていなかったが、感想はやはりない。
そして、虚ろな目でまばたきをしながら小説管理ページを開いた時だった。
「えっ?」
思わず目を疑った。
え、えっ、なんだこれ。
何も不思議なことではないのに、手が震えた。
総合評価が2になっていたのだ。
「嘘だろ?」
嬉しいことなのに信じられない。そんな経験は初めてだった。
心に真っ赤な花が咲くような、目頭が燃えるような、体の芯から熱い波が皮膚の裏に打ちつけるような、湧きあがる感情が確かにあった。
なんだよ、これ……っ。
『お気に入り登録:1』
見間違え、じゃないよな……。
何度のパチパチとまばたきさせてみる。しかし、その文字は消えない。
なんだよ……、なんだよ、これ。たったひとりだぞ? たったひとりなのに、こんなにも嬉しいのか……!
気が付けば俺はキーボードを叩いていた。ワードを開き、次々と白い画面に黒い文字が埋まっていく。
楽しい。すごく楽しい。
小説を書くのは、こんなに楽しかったのか……。
そうか、忘れてたよ。
俺は小説を書くことが好きなんだ。たくさんの人の注目を浴びることより、自分だけの世界を自分だけの文章にするのが。
自分でも驚くほどのスピードだった。いつもは一時間かかる文字数を、二十分ほどで作りあげることに成功するほどだ。読み返すといくつか誤字が見つかったが、がっかりなどこれっぽっちもなかった。
それと同時に、自分の文章の安さに気付くことができた。多分、自分が凡人だと分かり、汚れたフィルターが消えたからだろう。
これまでよかれと思って、小説界に衝撃を与えるようなユニークな表現を使っていたが、それは全て安っぽく、読む気を失せさせるものだった。
そうか。これは俺しか思いつかなかった新しいものじゃなかったのか。
それを使うと安っぽくなるから、プロ作家は誰も使わなかったというだけだったんだ。
文を読むだけでその情景が頭の中に広がってきたのも、自分が作ったからだ。自分以外が読めばさほど伝わっていないかもしれない。
他の人の作品を読みたい。
色々と気付いていくうちに、そう思うようになってきていた。
他の人の文章を知って、自分を高めたい。
そんな純粋な好奇心だ。
そこで、この前読んでつまらないと思った作品を開いてみた。
文章に個性が少ないのは確かだが、それがしっかりとした文章であることくらい、今の俺には分かる。ストーリーもあまり興味を惹くものでないのは今も変わらない。しかし、ひとつ気付いたことはあった。
これは、俺の好みでないということだ。
でも面白い。
『好みでない=面白くない、つまらない』という考えは、最低だったんだ。この作品は俺の好みでなく、このサイトの多くのユーザの好みである。
それだけだ。
アクセスが少なくて当然。俺の作品は文章もストーリーもまだまだなのだから、尚更だ。
でも、読んでいる人がいる。その中のひとりは少なからず俺の作品をお気に入りしてくれた。
小説を書くのが好きだというだけで素晴らしいことなのに。俺はなんて幸せなんだ。
頬がほころんだ。口角が上がったまま、下がらない。
今すぐスキップしたい。このまま外に出て叫びたい。誰かにこっそり指を差されたとしても構わない。
この喜びをどうしようか。
そんなの決まっている。
小説に捧げるまでだ。
自分でも驚くほどのスピードで――もっと正確に言えば投稿してから驚いてしまうほどのスピードで――一話分書き上げ、投稿していた。ここで初めて驚き、次の瞬間には次話の執筆に取り組んでいた。
他の人を見ることによって、少しだが自分の悪い癖が分かるようになっていた。そこを修正しつつの執筆だというのに、どうしてこんなに早いのか。
今なら空だって飛べそうだった。いや、新幹線と並んで走れるかもしれない。
同時に時間も飛ぶように過ぎた。景色全てが後ろに流れ、人間の限界を超越してしまったかのような興奮さえもある。
十話分書き上げた時に、初めて手が止まった。
息が少しだけ切れている。胸が大きく上下する。
きっと、疲労と興奮のダブルパンチのせいだろう。
カーテンの隙間に黒い何かが埋まっているかと思った。もう夜が来ている。
俺は食事もしなかったのか。多分、親がドアをノックして俺を呼んだりもしたに違いない。
それにも関わらず、俺は気付かなかった。
胸の奥からカラフルな温泉が湧きあがるみたいな、不思議な感覚だった。もしかするとのぼせているのかもしれない。とにかく、自分が漫画みたいに集中していたことに嬉しくなった。
更にもうひとつ、喜ばしいことが起きた。ユーザページを開いた時だ。
『感想が書かれました』
本能を掻き立たせるその赤字が、俺の目から水分を奪い取った。
今まで何度も見た文字列なのに、全く違うもののように見えた。
禍々しい化け物の吐息のような音が聞こえたと思ったら、自分の息だった。
揺れるマウスポインタを必死にその文字の上に乗せ、クリックする。二度空振りしたが、三度目で『感想が書かれました』の中心に位置する『か』の字を綺麗に押すことができた。
-------------------------------------------------------
一言:
誤字を見つけたので報告させていただきます。
最新話の最後『競争』→『競走』。
もっと話が進んだら改めて感想書かせていただきますね。お互いに頑張りましょう。
-------------------------------------------------------
なにこれ。嬉しい。超嬉しい。
大好物の霜降り肉を頬張る犬になった気分だ。
「わけが分からない……」
数日前、佐古田たちにポイントを入れさせた時のことをふと思い出した。三桁にも及ぶ評価点を見て、町人が自分のために祭りを開くのを、王座から見降ろしているみたいに嬉しくなったはずだ。
なのに……。
「なんで数百ポイントより、たったの2ポイントと、ひとつの誤字指摘の方がこんなにも、嬉しいんだよ……! こんな、ランキングにも乗らないカスみたいなポイントが……っ!」
目頭が熱くなる。眼球が温泉に浸かっているみたいだ。
そして、視界のピントが狂ってきた。何か温かいものが頬を伝って唇に当たった。しばらく水分を取っておらず、干からびたような唇だ。その唇がその何かを吸い取り、息を吹き返したのを感じた。
すると、急激に喉が渇いてきた。同時に、思い出したように声が枯れ始めた。
「ああァ……なんだよ、これ……ッ」
その時、咳が出た。何度も出た。絶え間なく出た。
嗚咽にもよく似た苦しげな咳だ。喉を締め付け、その上針の束を突き刺されるような痛み。
そういえば、痛みというものすら長らく味わっていないかもしれない。
生きている。そう思えた。
俺は、生きている。
咳が止まらない。もう、嗚咽に似た、ではない。完全に嗚咽だ。
水が欲しい。その事実にやっと体が気付いてくれた。
俺はもつれた足で立ち上がり、バランスを崩して左腕からこけた。もう一度立ち上がり、ドアノブを掴む。とにかく、この部屋から出なければいけない。執筆はその後だ。
待ってろよ。いつか、見返してやるから。そして、狂喜的に笑ってやる。
お前らが馬鹿だクズだ罵倒した人間の、逆転劇を見せてやる。
待ってろよ。首を油で磨いて待ってろ。
いつか俺が、食ってやるから。
待ってろよ。
-END-
ご拝読ありがとうございます。
明日に後書きを投稿するので、よろしければそちらもお願いします。




