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このろくでもない世界で  作者: Glass-holic
はじまりの地より吹き出づる風
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第03話 はじめてのダンジョン 後編

「飲むか?」


 そんな言葉と共に差し出されたカップには、冒険者が多く愛飲するという安っぽい茶葉が浮かんで見えた。


「ああ」


 絞り出した返事は、少しぶっきら棒になってしまったかもしれない。

 彼女の突き出してきたカップを受け取る。

 一口(すす)り、その強烈で独特な風味に顔をしかめた。


「ありがとう、クローディア」


 しかめた顔を戻すのに苦心しながら、なんとか言葉を返す。


 術後、錯乱した俺はクローディア――例のフルプレートの冒険者――に殴られて何とか我に返った。

 体が落ち着くまでには随分と時間がかかったが、その間にも二人の様態についてクローディアに説明した。

 今は、二人とも野営用の寝具の上で眠っている。

 魔法使い風のローブのほうがエミリー、シスター風のローブの方がサーシャという名前だそうだ。

 三人は同じ村出身の幼馴染で、成人を機に村を出たこと。三人でパーティを組んで冒険者として活動し始めた頃のことを語ってくれた。

 初心者だったころの苦労話や、力不足を悔やんだこと、四年経って、ようやく一人前の冒険者として認められ始めた現状を、だ。

 彼女は話をこう結んだ。


「一人前だと息巻いても、この様だ。タクトが来てくれて、本当に助かった。ありがとう」


 俺は、どうすべきなんだろうか。

 一息つくために焚かれた火を眺めながら、ぼんやりと考える。

 クローディアの語る冒険者としての経験と、力。

 経験なんて欠片もないし、力なんて女神からもらった正体の良く分からないそれしか持っていない。

 女神から貰ったものではない、俺自身が感じている直感もある。この力を使い続ければ、いつかきっと俺は後戻りができない『何か』に変わってしまうだろうこと。

 嫌な想像だ。俺自身の望む望まないに関わらず心を縛りつけられて、俺じゃない誰かが俺の体を好き勝手に使う。そんな未来。


 女神が加護と言ったそれは、まさかあの女の操り人形を増やすための方便ではないのか。

 そんな、荒唐無稽な想像すら本心から信じ込んでしまいかねないような予感。

 かといって、この世界でこの力に頼らずに生きていくなんてことができるだろうか?

 それを考えるには、今の俺はあまりにこの世界というものを知らなすぎる。

 まずは、この世界のことを知ろう。そうしないと、いつか俺は俺自身に埋め込まれた力という爆弾で自壊してしまうような気がするから。


 そんな決意をし終えても、クローディアは頭を上げようとしない。

 急いで意識を手繰り寄せ、言葉を選ぶ。


「気にしないでくれよ。俺がここに来たのだってたまたまだろ? ほら、運も実力のうちって言うじゃないか。感謝するなら俺にじゃなくて、自分の運にした方が良いんじゃないか?」


 そんな、よく分からない弁明。

 もらい物の力を感謝されたってどうすればいいのかなんて分からない。

 そもそもこの力は俺の才能だとか、努力だとか、そういう根本的な部分と全くの無関係に手に入れたものだ。手に入れてしまったものだ。

 今回、俺はその力の一端に深く触れてしまったのだと思う。

 だからこそ分かることがある。

 この力の根源にあるものは、俺じゃない誰かが生きた記憶だということだ。


「そうか」


「そうだろ」


 クローディアの返答に、よく考えもせず相槌を打つ。

 そしてそのまま逃げることにした。


「ちょっと魔力の使いすぎで疲れたから、悪いけど俺も横になって良いかな?」


 魔力を使いすぎると疲れを感じる。

 これは引っ張り出す知識を元に得た事実だ。

 二人の治療にかけた魔力は、魔力の量だけを考えれば死者の蘇生すら可能にする量である。

 魔法にしたってそうだ。少なからずその領分に足を踏み入れる域の神業と言っても過言ではないものを再現して見せた。

 世界一の看板に偽りのない医神とすら呼べる男の手管に倣って。

 知らなかったとはいえ、ど素人である俺がそんな荒業をやってのけたのだ。

 その事実を裏付けるように、全身に重い倦怠感があった。


「あ、ああ。そうだな。見張りは任せてくれ」


 クローディアは俺のわがままを快諾してくれた。


「ありがとう」


 礼を言って、壁に背を預ける。

 少し眠ろう。疲れた。体だけじゃなく、魔力だけじゃなく、精神的に。


 そうやって力を抜いても、疲れは俺の意識を睡眠に引きずり込んではくれなかった。

 頭に()ぎる、記憶にあるはずのない男のことを考える。

 アッシュ・アスクレピア。

 今の俺は、医神とも呼ばれたその男の半生と逸話を(そら)んじることができるだろう。

 そのとき彼が何を思い、何を感じたのかすら。

 彼は俺なんかよりずっと強い感情で、強い意志で、偉業を成し遂げた狂人である。

 彼が狂人と呼ばれた所以(ゆえん)、それも十分に理解できるし、もう少し休憩して魔力を回復させればあまつさえその蛮行を再現することすらできるだろう。

 彼が目指したのは死者蘇生であり、彼は甦らせた者の手でその生を閉じたということ。

 俺が語るまでもなく悲劇として広く流布してしまっている間違った言説がある。

 俺は、それを正すべきなんだろうか? よく分からない。

 俺は()がはじめて覚えた治療術を自身に使う。

 懐かしいその心地よさ、不眠症の嫌いがあった母のために作ったその魔法がじわりと体に馴染んでいく。

 僅かに覚える違和感なんてものを無視して、考えることをやめた。


 今日も疲れた。明日にはあの牝牛の様子を見なければ。



 ◇ ◇ ◇



 明晰夢というものがある。

 今見ているのは夢だと自覚する類の夢だ。

 俺が今、見ている夢だ。


 場所は、見たこともないのに懐かしさを感じさせる山村である。

 俺の目の前には少年が居た。

 少年は歩いていく。

 家から、村人が共同で飼っている家畜小屋へと歩いていく。

 俺は、そこに居る一匹の牝牛が臨月だと知っている。

 彼、アッシュという少年がその牝牛の世話を言い付かっていることも。


 アッシュは、村で最年少の治療術士だった。

 神童と呼ばれる種類の、早熟なだけではない格別の才能を持った少年だった。

 今感じている後悔はどこに向けたものだったろうか?

 この後悔は、どうすれば避けることができただろうか?

 苦いものを感じながら、それでもにこやかに歩を緩めないアッシュに視線を送る。


 あるいは、牛の世話などできないとわめきたてるべきだっただろうか?

 あるいは、治療術を母にかけなければ良かったのだろうか?

 あるいは、隣の家に住む彼女と出会わなければよかったろうか?


 そのどれを選んだとしても、今とは違った形の後悔を負うことになったろう。

 けれど、そのどれか一つが違ったのならこのような後悔を知ることも生涯なかっただろう。

 もう少し()自身が非才の身だったのなら、平々凡々たる絶望の一つがこの後悔に取って代わってくれたのかもしれない。

 そう考えながら、幼き頃の()が歩む道ほどを辿っていく。


 ――さあ、絶望と後悔に繋がる狂乱が始まった。


 本来ならどうということのない牛の破水。

 ここで私の頭がもう少し鈍間でいてくれたなら、私は少なくとも彼らと共に逝けた(・・・・・・・・)のだろう。

 けれど私は動いてしまった。

 どうすれば良いのか、それをすぐに思い出して師の下へと向かってしまった。

 目出度くも慌しい空気が、村の隅々にまで伝播する。

 その中で、男手が足りなくなってしまったのは小さな村の宿命とでも言うべきものだろう。

 すぐに飛んできた師の指示に従い、私は山を駆け下りた。

 悲しいかな、幼くとも私は治療術士として完成の域に達そうとしていたのだから体力というものは無尽蔵にでも湧いてくる。

 正しくは、魔力の続く限り休息などというものは必要がなかったのだ。

 男手として期待される筋力は足りなくとも、体力だけならば並みの大人に負けるなどということはなかった。だからこそ、私にその役目が回ってくる。

 何の悔いもなく行くことのできる最後の下山の始まりだ。


 転げ落ちるような速さで山を駆け下りる。

 足腰に襲い掛かる衝撃はそのダメージのみを回復させ、同時に足りなくなる前に体力を継ぎ足す。

 人生で最も早く山を駆け下りた。

 麓の村へ駆け込み、手の空いた男連中を寄越してくれるよう頼み込む。

 良くも悪くも有名だった私の言はすぐに聞き届けられた。


 そうして私は山を登る。

 私の慟哭を聞き届けるためだけの五人の男たちと共に。

 ここしばらく雨も降っていない山道を行く道程は順調と言えただろう。

 意気揚々、そのような形容すらできようという様子で山を登る一行。

 そのうち、最も目端の利く男が不意に村の方を見た。

 その男は煙が立っていると言った。

 気の早い誰かが麩湯(ふすまゆ)でも準備しているのだろうと思い、足を早める。

 何故、足を早める必要があったのか。

 考えるまでもなく予感があったのだ。

 嫌な予感が。避けようもない何かが刻々と近づいてきて、この肩を叩く時を今か今かと待ち構えているような、そんな予感が。


 村の様子が見える場所までたどり着く。

 煙が立っていた。

 無数の黒煙(・・・・・)。そんな、今まで見たこともないような煙が。

 その場に居た皆が皆、言葉を失くす。

 私は、気付けば駆け出していた。


 戻った村には、私の知る村民の誰一人としていなかった。

 村民どころか、普段は喧しく騒ぎ立てている家畜の鳴き声一つありはしなかった。

 牛小屋だ。皆牛小屋に集まっているのだと自分に言い聞かせて村を駆けていく。

 そこかしこの家から、炎が立ち上る村の中を(・・・・・・・・・・)


 牛小屋は、やはり炎に飲み込まれていた。

 もう、中の様子を伺うことすらできはしない。

 私は、それにも関わらずその小屋へと入ろうとする。

 私が連れてきた男の内の一人に後ろから掴まれた。

 離せと喚きながら必死にその小屋へと手を伸ばしたとて、所詮は子供と大人。

 私はその場から引き離され、火の手の遠い家へと押し込まれる。

 何度も何度も扉を叩く。

 しかし閉じられた扉が開くことはなかった。

 このとき、恐らく彼らは火の手の回った家を壊して回っていたのだろう。

 延焼を防ぐために必要なことであり、その点彼らは咄嗟にも関わらずよく動いたと思う。


 けれど私はそんなことを考えている余裕などなかった。

 窓から出よう。

 どうしても開くことのない扉を前に、そう思い至った私はすぐさま奥の部屋へと向かう。

 この家には覚えがある。

 私が住む家の隣、幼馴染が住むその家で知らないことなど一つもない。

 迷わず彼女の部屋へと向かう。

 あの部屋の前には森が広がっているのだ。

 森に紛れて外に出れば、連れて来た男たちに見つかることもないだろう。

 そう思って、彼女の部屋へと向かう。

 その部屋には、彼女が居た(・・・・・)

 こうも騒がしい外の様子にも関わらず、身じろぎもせず机に突っ伏す彼女が居た。

 駆け寄り、肩に手を掛け、彼女が崩れ落ちる瞬間をこの目で確かに見た。

 苦悶の表情で、胸元に刺さる矢と、その手に掴まれる髪飾りを見たのだ。

 そうして、私は壊れてしまったのだろう。




 その後、再び記憶が繋がるのは幼いアッシュが五人の男に取り押さえられた後だ。

 彼女、タニアが握り締めていた髪飾りはアッシュが彼女に送ったものなのだと語った。聡明な彼に相応しくない、支離滅裂な言葉を並べて。

 彼らの村に伝わる神に祈りを捧げて、無事を祈るお守り。それがあの髪飾りの正体だと言う。

 なら、タニアは最期に、あの髪飾りを握り締めて何を祈ったのだろう?


 そんなアッシュの夢を、自らの悪夢の記憶を語る彼の横で聞き届けるという明晰夢。

 痛いほどに、分かりすぎるほどによく分かってしまうその感情を聞き届ける。

 夢の途中、彼の激情に引きずられて何度か俺と彼が混ざった(・・・・・・・・)

 同じ感情を覚えるほどに彼へと近づいてしまった。

 だが、だからこそ分かる部分もある。

 彼、アッシュと俺は違う生き物だ。違う人間だ。

 彼は、彼では、俺の体を操るなんてことはできないだろう。

 何故かって、彼は死ぬ間際に確かに満足していたのだから。

 今更俺の体を使ってまで蘇ることを望みはしないだろう。


 そんな結論を得て、俺はあの時の不快感の正体を探る。

 感覚が混ざる。そんな感覚があったことは確かだ。

 けれど彼から感じ取る感情は、どちらかといえば安らかに眠る所を揺り起こされるような不快感でしかなかった。

 その程度であんな吐き気はしない。断言できる。

 では俺は、あの時一体何に(・・)繋がろうとしていたのか。


 そうこう考えている内に、この睡眠の外から呼ばれる声が聞こえたような気がした。

 今、俺が眠っている場所はダンジョンだ。

 となれば、魔物でも出たのかもしれない。

 悠長に考えている暇はない。

 この夢から這い出ることにしよう。

 戻ろう、現実へ。

 笑いが出そうになるくらいに現実感が乏しいあの現実へ。



 ◇ ◇ ◇



 目を覚まし、辺りを探る。

 危険な距離に魔物はいない。

 特に目ぼしい変化は……二つあるな。

 などと考えていると声がかけられた。


「お、やっと起きたか。飯を作ったんだが、食わないか?」


 やけに男らしい言葉遣いで食事に誘われた。

 そういえば街で声をかけられたあの衛兵さんと言い、こっちの戦闘職はこういう言葉遣いが基本なのだろうか?

 にしても、飯か。

 休憩中に口にしたレーションのおかげか、そこまで腹が減っているという気はしない。

 いや、そういえばあのレーションは全部土に還ったんだったっけ。

 そんなことはどうでも良いだろう。

 今の心境を一言で言えばそうだな、女の人が作った料理、食べたいです!


「ああ、おはよう。折角だしご馳走になろうかな」


 正直に言えば、悲しいかな家族と寮母さん以外の女の人の料理なんて食ったことがない。

 ここは是非好意に甘えさせてもらって経験値を稼ぐべきだろう。


「そうか。簡単な物だけど楽しんでくれ」


 ええ、髄まで堪能したいと思いますよ。

 そんな思いを込めて頷きを返す。


 火の傍に寄ると、寝込んでいた二人も起きだしていた。

 二人の様態を思い返す。

 まだ激しい運動は厳禁、というところだろう。

 要は、撤退も戦闘継続もほぼ不可能な状態だ。

 俺とクローディアで背負って街に戻るのが一番現実的な程度には予断を許さない状況。

 さて、気分とかその辺りはどうだろう。

 ほとんど一度死んでいるような状況の後ってのはどんな気分がするものなんだろうか。

 俺も一度女神に殺されてるけど、あれはノーカンだ。だってそのときの記憶なんてのは一切ない。寝て起きたら実は死んでた、みたいなもんだ。


「エミリーさんとサーシャさん、だっけ? 気分はどうかな?」


 一応年上っぽい二人に敬称を付けてみた。

 ちなみにクローディアには呼び捨てで良いと断られてしまった。

 名前で呼び合う仲か、何か良いよね!


「ああ、はい」


「大丈夫です」


 なんというか、眠たそう、という形容の似合うエミリーの返事とそんなエミリーをチラ見しながらカバーしようとするようなサーシャの返事が返ってきた。

 ふむ。

 よくよく観察してみよう……と目を向けると、その先にお椀が突き出された。


「スープだ。それと、黒パン。パンは硬いから、スープに浸しながら食うと良い」


「ありがとう」


 とりあえずスープを受け取ってまじまじと観察する。

 緑が鮮やかな謎野菜が泳ぐスープだ。

 こんなに新鮮そうな野菜をどこから調達したんだろうか。

 まさか迷宮内に生えていたりするんだろうか?

 街に戻ったら調べてみよう、そうしよう。


 とりあえずお椀に口を付けてスープを啜る。

 塩! という感じのスープに干し肉の味がよく出ている、んだと思う。多分。

 とにかく、塩気は強いものの悪くない味だ。


「美味い」


「褒めても何も出ないぞ」


 そんなことを言いながらも微妙に嬉しそうなクローディア。

 ちなみに、エミリーとサーシャの二人の治療を終えた辺りからクローディアはヘルムを外していた。

 ヘルムがない方が魔物の発見が早くなるそうだ。

 言われてみれば当たり前だろう。

 フルフェイスのヘルメットですら装着すれば視界が悪くなるんだ。

 それが、むしろ覗き穴が開いている程度にしか視界が確保できないフルフェイスの兜なんてしてれば発見が遅れに遅れるだろう。


 閑話休題。


 何にしても初めて見るその表情をまじまじと観察してみる。

 赤みが強い茶髪をショートに切りそろえていて、瞳は黒い。

 少し鋭角な輪郭にこれまた鋭い目、眼差しが真っ直ぐで、意思が強そうな十人に一人いるかな、くらいの美人といえるだろう。

 今は僅かに笑みを浮かべているが、困惑だとか爆笑だとか、そういう感情が混ざるとこの顔はどういう化学変化を起こすんだろうか? 少し興味がある。

 ごめん嘘、めちゃめちゃ興味あります。是非見てみたい。そんな顔。

 体つきは鎧のおかげで不透明だが、外の形から想像するになかなかよろしいプロポーションをお持ちではないだろうか。

 うーん、でもちょっと筋肉質だったりするんだろうか?


「人の顔をじっと見て、何だ?」


 と、下世話な想像をしていると怒られてしまった。


「いや、綺麗なのにその鎧とかちょっと勿体無いなと」


 つい口が滑る。

 脱いで! ほら早く! とか、流石に言えない。


「このパーティは私しか前衛が居ないからな。当然、全ての敵を私が受け持つことになる。そうするとどうしても薄い鎧では、な」


 真面目! そんなこと全然考えてなかった。

 綺麗だと褒められたからか、若干赤くなっているクローディアの顔を見ながら考えてみる。

 普通に考えて、一芸特化、後衛なら体捌きよりイメージを固めるスピードを速めた方が効率が良いんだろう。

 ほとんど人間をやめかかっていたような、大天才といっても過言ではないアッシュにしてもできることは治療術、それに錬金術の二つだけだったのだから。

 となると、前衛に求められるのは攻撃力より牽制だとか、敵をコントロールする支配力なのだろうか?

 何か引っかかるものがある。


「あの、タクトさんは剣もお使いになられるんですか?」


 今度はサーシャから横槍が。

 興味本位でそのまま口に突っ込んだ黒パンを急いで噛み砕いて飲み込む。

 これは、好き好んで食いたいパンじゃないわ。

 口の中がものっすごいぱさぱさする。

 とりあえずスープで誤魔化してから口を開いた。


「戦うのは、今の所剣がメインかなあ」


 こんなところ。実際、今の所剣以外を使って戦ったことはない。

 魔法のぶっぱ実験は、アレは戦いの体を成していなかったしとりあえずスルーで。

 そんなことより剣での戦い方のことを考えてみる。

 実際の所、素手でも多分似たようなことができるだろうなーという予感、いやむしろ確信がある。

 多分、手刀で岩を真っ二つに断ち切るなんてこともできるだろう。

 というか、剣を使って引き出している知識にそういう知識が紛れ込んでいる辺り剣が折れたら素手で戦うタイプの人間の技能を吸収している気がする。


「今は……? 待て、他の武器も使えるのか?」


 あら、やぶ蛇だったかしら?

 クローディアさんが突っ込みを入れてきた。


「んー、素手でもある程度は戦えると思うよ」


 ある程度は、の部分を強調して返しておく。

 パンをスープに漬けて口に運ぶ。

 おお、これは良いかもしれない。


「一体どういう育ち方をしてきたらそうなるんだ……? そもそもあの治療術だって『猟奇医心』アッシュ・アスクレピアの治療を見ているようだったぞ?」


 アッシュさん、随分とトンでもない二つ名で呼ばれているがこれは知っている。

 言ってみれば解剖学の走りのようなことをやり始めたのがアッシュなのだ。

 当然、死んだ者を更に辱めるなどどうこうと結構な非難に晒されたようなのだが、彼はどこ吹く風と我が道を行った。

 結果的に医学全体が躍進するほどの成果を生んだ彼は、医という心を正しく理解した者として医心の名で呼ばれるに至ったのだ。

 口さがない者は頭に猟奇の二文字を付け足して。


「『医心』ほどじゃないだろうと思うけどね。多分彼ならあの程度の治療の後でぶっ倒れたりしない」


 思いのほかつっけんどんな声色になってしまった。

 どうやら『猟奇医心』の呼び名に苛立ちを感じているらしい。

 何故だろう、彼の心をあれほど克明に知ってしまった影響だろうか?

 一般的な呼び名では頭の二文を付けたものが広まっているのだから、ここでクローディアに突っかかっても仕方ないだろうに。


「……悪かった。タクトは私なんかよりずっとアッシュ・アスクレピアのことを学んでいるんだろうな」


「いや、気にしないでくれ。『猟奇医心』の方が通ってるってのは知ってる」


 そうとしか答えようがない。

 もはやアッシュのことを肯定的に捉えている層ですら『猟奇医心』と呼称しているくらいなんだから。

 そこで何となく微妙になった空気に耐え切れなかったのか、サーシャが声を上げた。


「クローディア、タクトさんの治療術ってそんなに凄かったの?」


 そりゃ気になるだろう。

 ほとんど死んだと思っただろう傷が次に目が覚めた時には跡形もなく消え去ってるんだから。


「凄いなんてものじゃなかったな」


 クローディアさんもノリノリである。

 そこから始まる賛美の嵐に興味なさ気に見つめるだけだったエミリーまで食いついてくる始末だ。

 やめてください。褒め殺しはやめてください。

 それ、俺が頑張って修めたような殊勝な技能じゃないんです!

 そう言うことができれば、どれだけ楽になれたことだろう。



 ◇ ◇ ◇



 食後、今後どうするかと相談している間に無数の気配が近付いて来ていることを感知した。

 この形状、気配、間違いなくこの三人を襲った魔物だろう。


「クローディア、ここでの戦闘相手ってオークだった?」


 とりあえず、何が出るのかだけは確認しておこう。

 何にしても、この後の対応は決まってるんだけど。


「ああ、そうだが」


 奥歯に物が挟まったところで鳩に豆鉄砲を食らった、みたいな顔でクローディアが返事する。

 オーケー、異世界の名物さん。迷わずこっちまでおいで。

 とりあえず勝手に名物認定することにする。


「こっちに近寄って来てるな。今の速さだと、多分あと五分後くらいにはここに来る」


 クローディアが浮き足立つ。

 エミリーとサーシャは意を決したような表情で杖を握り締めた。


「まあまあ、三人の内二人は戦えないだろ? ってか、戦ったらいつもの半分の時間も保たずにぶっ倒れると思う」


 正直なところを話すなら、二人の体は今自己回復のために魔力を溜め込もうとする状況になっている。

 恐らく、普段通りのつもりで動けば半分の時間どころか魔法を一発撃った時点でぶっ倒れるような状況なのだ。


「でも」

「ってな訳で、クローディアは二人を護衛しながら出口へ、俺はオークを引き付けて三人が逃げる時間を稼ごうと思う」


 サーシャの言葉を遮るように方針を決める。

 同時に、三人に回復魔法をかけた。

 時間差で徐々に体力を回復するタイプの魔法だ。

 国産ゲーム万歳。発想をいろいろと拾わせてもらうことにする。

 とは言ってもこんなものは応急処置に過ぎない。

 体の回復自体を早める効果はないし、ましてそれでエミリーとサーシャ、二人の体に負担をかけないようにできるなんてあるわけもない。

 ぶっちゃけ、ただの時間稼ぎ。

 逃げる時間だけ体が動けば良いという発想で使ってみた。

 無事街に着けば、その後一週間は寝込むことになるだろう。

 だがそれでも、街までは自分の足で帰ることができるだろう。


「しかし」

「って訳で、オークの撒き方知ってたら教えて」


 クローディアに反論を許さず、言外に戦うつもりはないと言い放つ。

 とは言っても、これはポーズだけ。

 ファンタジー生物と出会って戦わないなんてことがあるはずがない。

 魔力も八割程度までは回復しているし、多少の強敵が出てきても問題ない。

 ……実際、一番の問題はそんなことよりも俺の力自体(・・・・・)の方だ。

 このまま使い続けて良いのかという不安は既に鎌首を(もた)げて、じっと俺を奥から見つめている。

 と言っても、こうして出会って同じ釜の飯まで食った人を見殺しにするのかって考えると、大事なのはやっぱり人命なんだよね。

 別に聖人君子を気取るつもりはない。単に、どうせ後から後悔するんならやりたいようにやった方が良いだろうって話でしかない。

 それに、この不安にしても今すぐどうこうなるって類でもないだろうし。

 予感か直感か、楽観したい俺が思い込んでいる妄想なのか、これ以上この力を使っても前ほど酷くはならないだろうと思う部分もあるのだ。

 あれは、近づきすぎただけだ。

 次からは、もっと距離を測りながらこの力を使えば良い。


「……奴らは鼻が利く。偽装するか消し去るか、どちらにしても匂いをどうにかしないと逃げるなんてのは不可能だぞ」


「匂い、ね。オーケーオーケー。ま、何とかなるだろう。んじゃ、三人とも先に帰っててくれ。あ、帰り道は分かる?」


 あえて気楽に答える。

 匂い、ね。

 奴らがこの場に入ってくる直前を見計らって水攻め食らわせてやることにしよう。


「道は問題ない。だが、本当に大丈夫か?」


 クローディアは心配性だな。あと、サーシャも。

 エミリーはもう俺の気が変わることはないと読んでいるのか、自分の体の調子を確かめ始めている。


「当然。そもそもそれ、ここまで一人で来たヤツに言うことかよ? もともと、俺の戦い方は一人で戦うのに向いてるんだ」


 語気は緩やかに、それでも言葉を強くする。

 これまでの俺はソロプレイヤーだ。深い意味はないが、ソロなのだ。

 人肌が恋しくとも、今この状況ではソロでいるべきだろう。

 だから帰ったらおっぱい揉ませてくれ、とは流石に言えなかった。


「街に戻ったらさ、何か美味い物食わせてくれよ。できれば手料理とかで」


 そんな言葉で濁しておく。

 メイド服で奉仕してくれても良いんだよ? もちろんそんなことも言えない。

 未だにクローディアとサーシャは迷っている。迷っているのが手に取るように分かる。

 だから、もう一つ後押ししておこう。


「心配してくれるのはありがたいんだけどさ。心配ならさっさとダンジョンから出てくれ。そうすりゃ俺も安心して逃げ出せるだろ? 分かったらさっさと行った行った!」


 ついでにさっさと行けと手を払い、オークが進み出てくるだろう通路の方を向く。

 エミリーが二人の手を取った。クローディアは肩を落とし、出口の方を向く。サーシャが頭を下げたのが分かった。

 その三つの気配に、肩越しに手を振り返した。


「帰ってきたら、毎日美味い物を食わせてやる。嫌だと言っても毎日無理やり食わせてやるから覚悟しろ!」


 え、クローディアさん。もしかしてそれプロポーズなの?

 すばやく振り返った俺の目には、走り去る三人の背中が見えた。

 あー、何だこの負けた感。

 何一つ負けてる要素がないのに、勝てた気がしない。

 アレだけ格好付けたのに、最後の最後で持っていかれた気がしてならない。


 に、しても。

 オークさんよ。案外足、とろいね。

 予測、接敵までおおよそ残り二分。

 今のうちにエミリーとサーシャの容姿についてでも振り返ろうと思う。


 まずエミリーだが、見た目はどう見ても子供のそれだ。

 あの二人と同い年には見えない。

 二人で街を歩いたら、前の世界なら常に通報を恐れて行動しなければならなかっただろう。

 髪と瞳は同色の淡い緑で、眠たそうな目をした線の細い美少女である。

 見たところ、能動的に行動するのはあまり好きじゃなさそう。

 エコ仕様だ。


 次にサーシャ。

 背は丁度エミリーとクローディアの間くらい。

 少し青に寄った緑の髪と濃すぎない赤い瞳、そして柔らかい顔つきがどこか包容力を感じさせる。

 容姿としては普通なのに、雰囲気が美人というか、傍に居ると落ち着きそうというか。

 ちなみに、プロポーションは出るところがかなり出ている印象。過分に願望も混じるが、恐らく着やせするタイプでくびれとかは無いかもしれない。だが、それが良い。彼女の柔らかさというものをより強く印象付けている。


 などと脳内で評価していると、ようやく耳で音を拾える範囲にまでオークが近づいてきた。

 さて、初撃の準備をしよう。

 まずイメージするのは津波だ。

 必要な魔力の量は、十二分に確保できている。

 これの殺傷能力はそれなりで良い。

 これだけで決めるつもりはない。

 足音を聞きながらタイミングを計る。


 三、二、一、発動!


 体から迸る魔力が水になって渦を巻く。

 指向性を持つそれは、オークがこの広場に入ろうとする瞬間を狙い澄まして飲み込んでいく。

 次弾、発射。


 オークを飲み込んだ津波は、その形を保ったままに瞬間冷凍された。

 氷の弾丸だ。それも、触れた瞬間にその場から爆発的に凍りつくような凶悪な氷の弾丸。

 その砲撃を受けて、俺の気配察知は半数のオークが命を落としたことを理解する。


「おいおい、あれで半分残るのかよ」


 少し呆れるが、思い直す。

 俺だってあの程度なら傷一つつかない確信があるのだから、耐え切れないことはないだろう。

 ついでに言えば、無傷のオークは存在しなさそうだ。

 あの程度で傷つくなら、俺の剣で切れないなんてことはない。

 はてさて、オークどもはこの状況、どうするのかな?

 暢気に考えながら剣を抜き、高みの見物の構えを取る。

 僅かに感じる寒気を、この部屋を満たす冷気から来るものだと勘違いしながら。


「――――! ――――――――!!」


 言語化不可能な音、強いて言えば(いびき)だとかそういう音が近いだろうか? 打ち破られた氷から出てきたオークがそんな鳴き声を発する。

 俺はその光景を、固唾を飲んで眺めることしかできない。


「――――――――!」


 次々に氷から這い出るオークたち、その姿は一様に傷つき、そして、俺に戦慄を与える。


「――――!」


 いきり立つオークのオークたち。

 それを振りながら、オークたちは武器も取らずに俺へと殺到した。


「あああああああああああ!!」


 気付けば震えだしていた体に鞭を入れる。

 喉が裂けてしまいそうなほどに声を張り上げる。

 ひび割れた絶叫(ノイジングハウル)、俺が心から求めて引きずり出した技の一つだった。


 衝撃波が小さな広場に満ち、反響し、干渉し、更なる破壊を生み続ける。

 まだだ、まだ肺の奥に空気がある。最後の最後、ほんの一欠けらの空気までを使ってその音波攻撃を続ける。


 一息、空気を吸い込んで、思い切り足元を蹴る。

 俺の足があった場所で爆発が巻き起こった。

 絶叫で更に半数が死亡、そして蹴りつけた石に当たってその更に半分が息絶えたことを知った。

 多すぎる(・・・・)! 八分の一にまで減らして、未だ健在の四体のオークに舌打ちした。舌打ちしたのだと思った。

 その音は、舌打ちなんかじゃない。鳴っているのだ。噛み合わない歯と歯がぶつかって、ガチガチと。

 俺を追ってくるオークの気配。

 それだけで心臓が握り潰されそうな程の悪寒が背筋を貫く。


 ダメだ。アレはダメだ。アレだけはダメだなんだ!

 追ってくるオークは、俺が全力で蹴りぬいて後ろへと弾き飛ばす石の榴弾を物ともせず突き進んでくる。

 それどころか、更に雄雄しく立ち上がるオークたち。

 ダメだ。ソレに気をとられてはダメだ!!

 止まらない震えのせいで体が言うことを聞かない。

 本来なら一足で踏破するだろう距離を、不安定に三歩で駆け抜ける現状に噛み合わない顎で歯噛みする。

 守らないと、俺の、俺を!


 その一心で足を奮い立たせる。

 全力で、前方にだけ気配の察知範囲を広げる。

 後ろは、オークの手だけが時折届く範囲で把握して。


 走る。走った。息を切らし、乱し、喉を通る空気が鳴らす音を聞きながら走り抜いた。

 未だ収まらない震え。

 時折投げつける魔法も、走りながら蹴り飛ばす(つぶて)も有効打になっていない現実に心が折れそうになりながら、それでも走った。


 どれくらい走っていただろうか。

 時折見つける魔物の気配をオークにぶつけること五度。

 見つけた。大きく回る輪状に繋がる地形!

 ここで折り返す、折り返して、逃げ切る!!


 もはやオークと戦おうと思った記憶なんてのは頭の片隅にすら存在しない。

 ガチガチで、ムキムキなのだ。

 対峙するだけで、殆ど全ての男性が絶望的な危機感を覚えるだろうその種の生き物。

 オークとは、それだったのだ。

 捕まったら、終わる。


 止め処なく溢れ流れる冷や汗を感じながら、走る。

 その瞬間だった。

 不意に、本当にどこからともなく進路上に現れる人型の気配に頭を真っ白にした。

 どこから? なぜ? いつ? 意味を成さない疑問が頭の中で空転する。

 嘘だろ? そんな甘い幻想は、目の前にある黒いローブに尖り帽子の人物に否定された。


 後ろからはオーク。

 これは、所謂(いわゆる)トレインというヤツではないか?

 そんなものがこっちの世界にあるのかどうかすら知らないが、リアルタイムに通信するオンラインゲームで散見される迷惑行為の一つだ。

 多数のモンスターを引きつれ、他のプレイヤーを轢き殺す。

 直接的な戦闘ができないゲームではよく取られるプレイヤーキルの手法である。

 硬直し、空転した頭でそんなことを思い出し、不意に気付く。

 追いかけてきているオークどもが、殺気立って(なえて)いる!


 あまりの事態に硬直する俺の頭は目の前の人物の鑑定を始めた。


 低い背丈、俺の胸元程度までしかないその体躯。

 栗色の毛はセミロングにまとめられ、翡翠のように深く輝く緑の瞳が美しい。

 振り向いた拍子に覗いたその黒い衣の中は、その小柄さからは想像もできない豊かな実りを感じさせる。

 ロリ巨乳魔女っ娘、この子にはそんな称号を送りたい。


 瞬時に目で美少女を愛で回し、体の震えが止まっていることに気付く。

 同時に、近づいてくるオークの気配にも。

 俺を追っていた時のようなふざけた空気は一切ない。

 殺気、ただ純然たる狩猟の本能が成せる技だろうか。


 何故今、この状況でこうなるのか?

 ガチなのか? こいつら、ガチなのか?

 そんなことを考えながらも冷静かつ速やかに現状を把握する。

 オークに気付いたのだろう、魔女っ娘の表情が驚愕に染まる。


 それを見て――頭が冷えた。

 予定通りだ。

 殺そう。

 オークはここで刈りつくそう。

 あんな生き物が生きていたらダメだ。

 純粋にそう思う。

 右手に握ったままだった剣を鞘に戻す。

 腰を落とし、緊張で凝り固まった右手を軽く振る。

 問題ない。

 左手に鞘の口を、右手は柄の付け根をそれぞれ握る。

 この剣に反りはないが、どちらかというとこの動作は精神統一のためのものだ。

 何ら問題はない。


 目を瞑り、集中。

 同時に凍りつく時間。

 じっくりと間合いを、タイミングを計る。

 後ろ二匹のオークの足が地面から離れた。

 五感の外にある感覚でそれを知覚した。

 先頭のオークの足が地面にぶつかり、

 『今』

 という刹那に、抜刀、振り抜き、返し、払い、納刀の動作を閉じ込める。


 遅れて、間合いに飲み込まれた空間が裂けた(・・・・・・)


 数瞬遅れて、今更ながらにキンと鍔と鞘がぶつかる音が届いた。

 目を開く。

 オークはその核を残すこともなく(・・・・・・・・・)この世から消え去った。


 構えを解くと、背後から息を飲む気配。

 あ、これは、マズいのではないだろうか。

 いや、こんな時こそ先手必勝だろう。




「お騒がせしました!」



 俺は逃げ出した。

クローディア、エミリー、サーシャの三名はプロット時点では存在しなかったのですが……。

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