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初恋ショコラ


「これ、お前の分」

 休憩室のテーブルに向かい合って座ると、パスタの入った容器とミニサイズのポトフを渡される。副菜付きとはなんと豪華な。しかーも

「え、生パスタじゃん。わーん嬉しいー」

高瀬がくれたのはマンマミーアという名前で展開されている私の大好きな生パスタのシリーズのボロニェーゼだった。いただきまーすと声を弾ませながら早速蓋を開けると、トマトとお肉と香味野菜の混ざったおいしそうな匂いが鼻に届く。プラスチックのフォークでくるくると巻いて口に入れると、生パスタ特有のつるつるもっちりとした食感と強い小麦粉の香り、よく煮込まれたラグーソースの旨味が一体となって広がった。うん、久しぶりに食べたけど、やっぱりおいしい。生存競争の激しいコンビニデリで長いこと生き残ってるだけのことはあるなと納得してしまう。頬を緩めながら咀嚼していたら、相変わらず旨そうに食ってんなと意外なほど静かな高瀬の声がして、目を上げると視線が合った。

「だっておいしいんだもん。美味しいものは美味しく頂かないと失礼だし」

「ただのミートソーススパに大げさすぎだろ」

「違うよ、全然違うよ。とりあえず生パスタに謝れ」

 どこが違うんだよと言うが早いか、高瀬が箸を伸ばして私のスパゲティを2本ほどひょいっとつまむと口に入れた。もぐもぐ口を動かしながら、そんなに違うかねえと首を捻る。畜生、私の貴重な生パスタちゃんが! 次はいつ食べられるかわからないのに。恨みがましい目で私が睨みつけるのを歯牙にもかけず、奴は自分のチキン南蛮弁当を悠々と食べ続けた。

「高瀬、あんた全然サラダに手をつけてないじゃない。さっさと食べなよ、てか食料買い込みすぎ。あんたそんなに食べたっけ」

「これから食べる。そんで明日の朝飯の分も買ってきたから多いだけ。気にすんな」

 高瀬がサラダに手をつけてもりもりと食べ始める。私もそんな高瀬のペースにつられて喋ることも無く、ひたすらフォークを口に運んだ。ポトフの温かさが体の隅々までしみわたってほっとする。気持ちいい。お手軽にも簡単に気分が浮上してしまった。

 一足先に食べ終わった高瀬が弁当類をまとめるとコンビニの袋から小さくて黒い物体を取り出し、空になった容器を入れる。やはりそれは初恋ショコラ。そういえばマンマミーアも同じコンビニチェーンの商品だった。

「生パスタ少し食ったからやる」

 だから早くメシ食え、と初恋ショコラに目が釘付けになって動かない私に声をかける。その言葉に思わず何度も初恋ショコラと高瀬の顔を目で往復してしまった。だってこれ、あれですよ、いつも品薄な人気商品ですよ。ほんとにほんとに? いいの? くれるの? もらうよ? 今更ナシってのはナシだからね。

「さっさとメシ食わねえと俺がこれ食うぞ」

「わーっ、待った待った! 今食べるから!」

 慌てて食事を再開する。食べながらも正直頭の中は初恋ショコラで一杯で、味わうどころか味なんてどこかに飛んでいってしまった。生パスタに初恋ショコラ、何これ、今日ってば超ラッキーだよね。いや電車が止まって帰れないけど、その分を埋め合わせたみたいに嬉しいことが運ばれてきた――主に高瀬の手によって。

 妙に集中した食事を終え、震える手(強調表現)で初恋ショコラを手に取る。中に入ってるチョコレートケーキを見せるため透明プラスチックの本体と、チョコレートをイメージしたような黒い蓋。金のリボンの形をしたシールが、蓋が外れないよう蓋の上から左右に広がって本体に貼られている。慎重にシールを剥がし蓋を開けると、ココアパウダーが全体にかかった初恋ショコラが現れた。スプーンを入れると少し抵抗というか重さを感じるものの、すっと中に入って掬い取れる。

「いただきまーす。ありがとう高瀬愛してる」

「安すぎ、コンビニで買える愛かよ」

 どっかで聞いたような応酬が再現され、スプーンを口に含んだ瞬間カカオの華やかな香りがフッと鼻に抜けた。次いでチョコレート特有のコクが舌の上で融ける。生地のしっとりした食感、控えめな甘さ、生地の隙間から液体となって滲み出るような濃厚なチョコレートの味わい、薄っすらとしたほろ苦さを含んだ余韻が相まって、コンビニスイーツとは思えない高い完成度だ。しかも他の類似商品に比べてカロリーオフ。これは凄い、巷で評判なのも肯ける商品だ。感動のあまり興奮しながら高瀬に報告する。

「高瀬、これ本当凄いわ。めっちゃ美味しい。やー、なにこれ信じらんない。凄すぎる。……あ、そうだ、一口食べる?」

 一口分を掬って持ち上げたが、高瀬は眉を寄せて首を振った。

「え、いや、俺はそういうのは……いいから、いいからお前全部食え」

「え、なに、私が使ったスプーンは嫌だと? てかあんた自分で食べるために買ってきたんじゃないの? 何を遠慮してんのよ」

「いや、スプーンは気にしてねえ。ってか、遠慮じゃなく、俺はいいから」

「ちょ、食べないならあんた何のために買ってきたのよ。ちょっと」

「や、それは……あれだ、評判だったから何となく」

 評判なら自分で試してみろ、と私も意地になって高瀬の口元にずずいっと突きつける。よく考えれば私の取り分が減ってしまうのに、私も馬鹿だ。自分で食べないのに買ってくるこいつも馬鹿だが。高瀬は観念したように口を開けてぱくっとスプーンに食いついた。

「どう?」

「甘い。重い。くどい」

 私の問いに高瀬はしかめっ面で答える。

「そりゃ甘さ控えめって言ってもチョコレートケーキだもん。甘くてどっしりしてないと逆に詐欺だって言われちゃうよね」

「これ甘さ控えめか?」

 高瀬が腑に落ちないという顔をした。

「一応甘さとカロリー控えめ、らしいよ」

 ふーん、と高瀬は机の上に転がっていた初恋ショコラの蓋をとりあげて、金のラベルの端っこに書いてある原材料を読み始めると、一人で納得する。

「なに、どうかしたの」

「カロリー控えめっつうからさ。ほら、ここんところ、砂糖だけでなく人口甘味料も使ってるのが書いてあんだろ」

 高瀬が細かく書かれた材料の名前の一部分を指差した。

「ほんとだ、で?」

 これがどうしたのかと聞くと、ちょっと考えてから

「砂糖ってガツンとストレートに甘さが舌に来るんだよ、鋭角的っつうか。でもこれに使われてる甘味料はカロリーとして吸収されねえんだけど、甘さが妙に鈍いんだよな。だから余計に重く感じるんじゃないかと」

 鈍い甘さ、というのが私にはよく分からなかったが妙に感心した。

「へー、あんたダイエットしてるわけでもなさそうなのに、やけに詳しいんだね」

 素直に感心したのだが、高瀬は不自然に焦っている。……おや?

「あ、別にこんなの、一般常識だろ? 横山が知らねえだけだって、マジ」

「いやいやいや、普通の女子は砂糖とその他の甘味料の味の違いについてなんて、後味の悪さ以外に語れませんよお。……で?」

 高瀬を見つめる自分の顔が、自分でも物凄く楽しそうなことがわかった。高瀬は諦めてふぅと息を吐く。

「ダイエットばっかりやってシュガーレスのチョコだの飴だのをやたらと買ってた女と付き合ってたときに、こういうのよく食ったから」

「ほう」

「もう随分前の話だって……ほら、いいだろ、とっとと食えよ」

「うん」

 お互いテンションが下がって何となく静かになった。窓の外の風の唸りを遠く聞きながら、二人の間に沈黙が落ちる。静かな空気、目の前にはオフモードの高瀬。私はスプーンを口に運びながら初恋ショコラを味わう。オフィスなんて日常の場所なのに、今のシチュエーションは全くの非日常だった。

「しかし初恋ショコラねえ……。初恋ってどんな味なんだろな。甘酸っぱい乳酸菌飲料のあれも初恋の味なんだろ? この初恋ショコラだと甘いけど濃厚ってなんのか? 全然わかんねえ」

「……あんたの初恋はどうだったの」

 口に含んでは消えていく、初恋ショコラ。

「俺? ……俺はどうだったかなあ、もう覚えてねえよ。お前はどうなんだよ」

「私? うーん、どうだったかなあ。もう忘れちゃった」

 消えていけば幻のように、輪郭のない「存在していたこと」だけ刻まれて。初恋と初恋ショコラはそんな不確かさで繋がっているような。

 高瀬と恋の話をしたのは初めてだった。彼女の話を聞くのも初めてだった。やけに胸が重く苦いのは初恋ショコラのせいかな。スプーンを動かす、もう初恋ショコラは最後の一口になってしまっていた――。



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