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第四話

 私達はその後、そのまま会話もなく静かに自宅へ戻った。

玄関先で夫のコートと上着を預かる。夫は束ねていた髪をとき、タイを緩めた。そして美しい金髪を無造作にかき上げながら書斎へと入っていく。その姿を見送りながら、私も羽織っていた薄手のコートを脱ぎ、続いて家へ入った。

 部屋着に着替え、衣服の整理と残った家事や雑用を済ませる。それからお茶を入れた。私は、ティーポットとカップを乗せたトレーをもって、夫のいる2階の書斎へと上がっっていった。書斎の扉の前に立ち、控えめに3回ノックして、お茶を持ってきたことを告げる。・・・が、中からは返事がない。もう一度強めにノックするが、やはり応答はなかった。仕方なく、扉の前から去ろうとすると、かすかなうめき声が聞こえた。私は一瞬迷ったが、急病ではないかと不安になり「失礼します。」と言って、書斎のドアを開け、夫が座っているソファへと近づいた。

 

 私がトレーを置いたサイドテーブルには、ウイスキーのボトルと、飲みかけのウイスキーが入ったグラスが置いてある。酒を飲んでいる内に、睡魔に襲われたようで、無造作にソファーへ倒れこんだようで、そのままソファの上で夫は眠っていた。

しかし、その表情は苦しそうだ。手は何かを求めるように伸ばされている。いったいどんな悪夢をみているのか?私は思わず両手を伸ばし、彼の手を優しく包んだ。すると彼は、ふっと安堵したように表情が和らぎ、薄く目を開いた。焦点があっていない。そして彼は私の方を見てつぶやいた。


 「・・・・リ・・アン・・・」


 私はそれを聞いて、私でない誰かの・・・夢をみているのを悟った。この夫の夢にまで出てきて、会いたい、と思わせるのは誰だろう?夫の呟いた言葉は、誰かの名前であるのは間違いない。


 私は苦しくなった。本当に彼が求める人は、夢にまで見る人で私ではないのだろうか・・・。


 夫はその後、またすぐ目を閉じて眠ってしまった。しかし、もうその表情から苦しさは消えてうせている。私はそっと手を離し、毛布を持ってきて夫の体にそっとかけてやる。そして書斎の明かりを消し、トレーをもって部屋を出て、静かに書斎の扉を閉めた。

 




 暗い小さな屋敷のとある一室。二人の人影が闇の中でうごめいている。一人は男で、闇の中顔はかくされており、見えない。もう一人は女で、床に膝を突いている。乱れた衣服の中から艶かしい肉体が顔をのぞかせ、男の目を楽しませていた。男はゆったりとソファに座りワイングラスを傾け、女に向かって言った。


 「お前の愛する男は、なにを欲しているか、考えたことはあるか?」


 女は答えることは出来なかった。なぜなら、男の膝の間に座り、彼のものを口いっぱいにほおばっていたからだ。そして、彼女が口を離して言葉をつむごうとすると、男の足先が彼女の内股に割って入り、下着の上から乱暴に擦った。そしてグラスを持ってないほうの手で、彼女の左胸を鷲掴みにし、摘み上げた。


 「口が留守になっているぞ。」


女は涙目になり、くぐもったうめき声を上げる。そしてまた男のものを喉の奥深くまで口にくわえなおし、舌で愛撫しだした。彼は気持ちよさそうに目を細め、言葉を続ける。


 「それがわかれば、あの男はお前のものになるだろう。・・・なぜ手を貸すか聞きたそうだな?」


女はかすかにうなずいた。しかし、男はニヤリと嗤っただけで答えなかった。かわりに、グラスを置いて、女の奉仕をやめさせ両膝に手を差し込み、いきなり抱え上げた。両足を大きく割り開いた状態で、自分の上に導き女の腰を下ろした。そしてすぐにリズミカルに動き始める。女はとたんに嬌声を上げ始めた。男は器用に腰を動かしながらワインに口をつけ、煙草に火をつけた。


 「そうだな・・・今晩満足させられたら、答えてやってもいい。」






 王宮夜会の日から一週間たった。あれから何事もなく日々が過ぎていく。夫は相変わらずの反応であったが、夜は少し早く帰ってくるようになった。とはいっても、そのまま書斎へ上がってしまうので、言葉は交わさないけれど。でも・・・これは私の勘違いかもしれないが・・・、あの夜会の日から、夫の視線をなんとなく感じるようになった気がする。本当に時々だが、彼と視線がかち合うことすらある。しかし、彼は決まって、無表情で視線をそらしてしまうのだが・・・。

 

 ある朝、夫が出勤後に郵便受けを覗くと、夫宛てのいくつかの封筒の中に、タイプ文字で打たれた、私宛ての白い封筒を一通見つけた。裏表見ても差出人が書いていない。消印もない。私は首をひねりつつ、家へ戻った。そして、台所のペーパーナイフで、その差出人不明の白い封筒を開けてみた。

 封筒の中には、細い葉のついた小さな小さな青い小花が一本入っていた。入っていたのはそれだけである。花は見たこともない、名前も知らない種類のものだ。花を手にとって嗅いでみると、かすかに柔らかな甘い匂いがした。

 私は、近所の子供のいたずらかなにかだと考えた。しかし、タイプ文字を子供が打ったりするだろうか?多少引っかかりを感じつつも、その小さな花を、小瓶に水を入れて挿し台所のすみの日の当たるところ置いた。結局、花しか入っていなかった封筒のことは、誰かのちょっとしたいたずらだろうと結論付け、そのことは私の頭から追い出されてしまった。それから家事に取り掛かる。今日は天気もいいし、納屋の掃除をしなければ・・・


 


 午後になり、私は街の市場へ夕食の買い物に出かけた。街は活気があり、私のように買い物に来る人で混み合っていた。私は市場で野菜を買う。そして、いつもの精肉店によろうと市場を出てしばらく歩いていた時だった。


 「「きゃああーーーーーっ!!!」」


 女性達の甲高い悲鳴が、すぐ後の方で聞こえた。次いで、ガラガラと大きな音、馬の泣き声。ふりむくと、ものすごい速度で土埃を舞い上げ走ってくる馬車が、目に飛び込んでくる。私は、馬車がすぐ目の前に迫ってきているのがわかった。このままでは轢かれてしまう。しかし、私はその場から凍りついたように、一歩も動けなくなってしまっていた。目前に迫る馬車がスローモーションのように動いて見え、なぜか他人事のように自分がこれから轢かれるのだ、と思った。すると、すぐ横から鋭い声が耳朶を打った。


 「危ない!!!」


 私は気がつくと、誰かの腕に抱かれ、道の脇に転がっていたのだった。

私は、誰かに抱かれ倒れこむ瞬間に、思わず目を瞑っていた。道にたたきつけられる・・・と思ったが、誰かの逞しい腕が私を包み込んでいて、全く痛みはない。恐る恐る目を開けると、黒いフロッグコートが目に入る。ゆっくりと視線を上げると、黒髪に青い瞳の青年が心配そうに私を見下ろしていた。


 「オースデン様・・・」


 私を助けてくれたのはウィル=オースデンだった。彼は私の服についた汚れを払い、支えて立ち上がらせた。


 「大丈夫ですか?怪我はありませんか?」


私はその場で二、三回足踏みしてみたが、大丈夫なようだ。外傷も、たちくらみもない。私は答えた。


 「大丈夫みたいです・・・。本当にありがとうございました。貴方はお怪我ありませんか?」


彼はコートの汚れを軽く払って笑った。


 「平気です。これでも運動神経はいい方なんでね。それにしても・・・」


と、彼は馬車の通り過ぎた方向を見つめて言った。


 「恐ろしい。あんな暴走馬車が街中を・・・貴女は危うく轢き逃げされるところでしたよ。役人に連絡しておきましょう。」


 暴走馬車が去ったあと、歩みを止めていた人もまた歩きはじめ、騒ぎは収まりつつあった。私は道に転がっていた買い物かごを拾い上げ、彼に頭を下げた。


 「本当にありがとうございました。もしよろしければ、お礼に、お茶でも召し上がっていかれませんか?」


すると彼はすまなさそうに言った。


 「すみません。まだ片付けないとならない雑用がありまして。ここを通りかかったのもたまたま、通り道だったんですよ。家までお送りしたいのは山々なんですが・・・申し訳ない。それから、念のため病院にはいったほうがいいと思いますよ、クレイトン夫人。アルベールにも、連絡しておいたほうがいいでしょう。」


そして、馬車を呼ぼうとした彼の好意は気持ちだけもらい、お礼をもう一度言った。彼がそれでは、と軽く会釈し私に背を向けて歩き出し、私はその背を見送っていた。

 ウィルは歩き出したが、すぐ歩みを止め振り向く。そしてまたこちらに戻ってきた。私はどうしたのだろう、と声をかけようとすると、その前に、ウィルの大きな温かい右手が私の頬に触れた。がっしりとした硬い親指が、すっと私の頬を撫でる。私は驚いて身体を硬くした。ウィルは微笑んだ。


 「失礼。汚れていましたよ。」


 私は恥ずかしくなってうつむいた。彼は今度こそ振り向かず、去っていく。私はぼんやりと彼の後姿を見送っていた。夫以外の男性にあんな風に触れられたのは・・・初めてだ。私の鼓動はどきどきと、早鐘のようにうっていた。だから私は気がつかなかったのだ。倒れた道の脇にある、暗く細い路地、黒い人影があることに。私が気がつく前に、その黒い人影は、闇にまぎれて姿が見えなくなっていたのだった。


 結局帰宅した後、病院にはいかず、夫にも連絡しなかった。時間がたっても特に症状もないし、問題ないと思ったからだ。そして、夫からいろいろ追求されるのも怖かったというのも内心ある。

 ふと・・・、ウィルの指の感触と、優しい表情を思い出す。思い出すだけでも気恥ずかしい。夫以外の男性に免疫がないからだろうが・・・。しかし、ウィルのような紳士が、興味のない女性、しかも人妻に、平気であんな風に触れるものだろうか・・・?

 勘違いしそうな自分を心の中で戒めながら、 私は夕方過ぎに夕食の支度を始めた。魚を焼き、サラダとスープを作る。夫は早く帰宅するようになったとはいえ、七時過ぎにしか帰らない。先に食事を済ませるようになっていたので、夕食を一人で食べた。食べ終えて、片付けをしているとき、夫が帰ってきた。手を拭いて出迎える。彼の上着を受け取った後、食事をとるか聞いた。彼は首を振って書斎へあがろうとしたが、私の方を振り返り告げた。


 「おい、一週間後実家で茶会がある。用意しておけ。母上たちも、顔をみせろと言っているからな。」


彼はそういうと、階段を上っていった。

 クレイトン家に行くのは結婚式以来だ。この間の夜会には、義父が風邪気味とのことで夫婦共に欠席しており、義兄が代理出席していた。義兄には簡単に挨拶をしたが、義兄も多忙にてゆっくり話すことはできていなかったのだ。私は憂鬱だった。正直、あの義父・義母をはじめとして、クレイトン家の人々は苦手である。よくある嫁姑舅関係といわれれば、それまでであるが・・・彼らは私をよくは思っていないようなので、言葉を交わす場合は、嫌味の一言二言は覚悟しなくてはならない。もちろん、夫はクレイトン家の人間なので、私をかばってはくれないのはわかりきっている。だが、出席しないわけにはいかなかった。仕方ないと、溜息をついて上着をかける。上着からはかすかだが、香水の匂いがした。また誰かと逢瀬を交わしていたのだろうか・・・。私は上着から離れ、台所仕事に戻ったのだった。



 次の日、用事があってまた街に出かけた。たまたま通りかかった装飾店の前で、一台の豪華な馬車が止まっている。私はその横を通り過ぎようとした。すると、装飾店から、一人の女性が出てくる。クリーム色のレースやタッグ・パールをあしらった、高そうなドレスを身にまとう美しい妖艶な女性―――フォレンティーヌだった。私を呼びとめ、彼女は目を細めると、勝ち誇ったように私を見下ろしている。


 「まあ、貴女は・・・。失礼いたしました。はじめまして。私、ミドー伯令嬢フォレンティーヌと申します。夜会でぜひご挨拶したいと思っておりましたの。なかなかお姿が見つからなかったものですから、あの日はご主人に挨拶をさせていただいて・・・。クレイトンの奥様、お会いできて光栄ですわ・・・。」


自分より身分も高く、本人に捕まった以上無視は出来ない。仕方なく立ち止まり、彼女へ向き直った。頭を下げ、失礼にならないように挨拶する。


 「こちらこそ、はじめまして。私オリエ=クレイトンと申します。」


するとフォレンティーヌは、持っていた扇で口元を覆い隠し、嫣然と微笑む。


 「やはり、ご主人からお聞きしている通りの方ですのね。私、いつも、ご主人には、良く、していただいて・・・とても、魅力のある・・・ご主人ですわよね・・・・・・。」


彼女はわざわざ、ゆっくり言葉を切って話した。私はうすうす、彼女が何を言わんとしているか理解していたので、「そうですか。」と答えるしかない。女には、こんな闘い方をする者もいるのである。

フォレンティーヌは、私の様子に満足したようにゆっくりと頷いた。私の心にダメージを与えたい彼女の心情があれば、その目論見は見事に成功しているだろうと思う。実際、夫の愛人と対面して平気ではいられないものだ。彼女の様子を見る限り、多分、私の心の中の動揺は手に取るようにわかったに違いない。


 「ええ・・・。そうそう、今度クレイトン家で茶会が開かれるそうですわね。私も招待をうけておりますのよ。出席いたしますと、お返事を差し上げたんです。一週間後にまた、お会いできることを楽しみにしていますわ・・・。呼び止めてごめんなさいね。それではまた・・・。」


彼女は優雅に馬車に乗り込んだ。馬車は土埃を上げて去っていく。私はそんな馬車を小さくなるまでぼんやり眺めていたのだった。


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