アンドロイドの俺に心をくれた公爵令嬢、待っててね、俺の心はあなたのために
※本作は【一話完結・約7000字】の近未来SF悪役令嬢ロマンスです。
「婚約破棄? はい、分かりました!」から始まる、世界システムへの知的な『ざまぁ』をお楽しみください。
最後の一行で、この世界のすべての謎が明かされます。
「エルセ・フォン・グランツ!」
空中宮殿の天井高き晩餐会場。
クリスタルのシャンデリアが放つ光の中、王太子カイルの怒声が響き渡った。
カイルの背後では、可憐なピンク髪の男爵令嬢ユリアが怯えたように彼の服の袖を掴んで涙を浮かべている。
周囲を囲む夜会服の貴族たちは、私を蔑むような、あるいは見世物を楽しむような冷酷な視線を一斉に投げかけていた。
空中には、私がこれまでユリアに行ってきたとされる「罪状」が、淡いブルーのホログラムウィンドウとなって何枚もスクロールしている。
教科書を破いた。階段から突き落とそうとした。
不敬な言葉を浴びせた。等々。実に見事なテンプレ通りの悪役令嬢の断罪劇だった。
(……よし! カイル殿下セリフ完璧。噛まなかったわね!)
糾弾されている当事者である私――公爵令嬢エルセは内心で猛烈なガッツポーズを繰り出していた。
私の背中には、ドレスの生地越しでも分かるほどびっしょりと冷や汗が流れている。
だがそれは、婚約破棄の絶望からではない。
一歩間違えれば、即座に精神を消去され、ただの従順な人形へと脳を書き換えられる――。
そんな命がけのデスゲームの終盤に、ようやく辿り着いたという極限の緊張感からだった。この世界には絶対に逆らってはならない「神のシナリオ」がある。
もし指定された役割から外れるような「想定外の知性」や「有能さ」をシステムに検知された瞬間、そのキャラクターは『バグ』と判定される。
そして即座に自我を上書きされ、意思を持たない『ただのお邪魔キャラ』へと改造されてしまうのだ。
だから私は、本当は王宮の国家予算の計算をすべて暗算できるほどの知性を完全に隠し、何年も「頭の悪い無能な悪女」を演じ続けてきた。
「何か弁明はあるか、エルセ!」カイル殿下がさらに一歩、私に詰め寄る。
その鋭い眼光の奥に一瞬だけ私にしか伝まらない緊プレした光が宿った。
(エルセ、次でラストだ。俺のセリフの3文字目、ちゃんと『ル』の音を歪ませてシステムにログを通したぞ。お前の脱出コードの最後の1ピースだ。受け取れ!)
彼の視線が、そう雄弁に語っていた。カイル殿下もまた、システムに自我を縛られ、「本命の恋人がいるのに、政治のために悪女と婚約させられ、最終的に男爵令嬢に乗り換える愚かな王子」を必死に演じている戦友だった。
カイル殿下のセリフ。周囲の貴族たちのヤジ。ユリア様の泣き声。
そのすべての音、文字数、イントネーションのわずかな『歪み』を、私の脳は超高速で計算していく。
(……揃った。屋敷のメイドが繋いだ一文字、執事が残した一文字、すれ違ったモブの兵士が呟いた一文字……そして、殿下のこのセリフの歪み。世界中の戦友たちがシステムを騙してリレーしてきた『一文字の暗号バトン』が、今、私の脳内で一つの完璧な脱出コードになった!)
大きく息を吸い込んだ。普通なら、ここで泣き叫ぶか、あるいはプライド高く冷笑を浮かべるのが「悪役令嬢」のテンプレだ。
だが、私の役目は今、カイル殿下の婚約破棄の宣言をもって「公式に完了」した。
これ以上、この茶番に付き合う必要はない。
まわりの貴族たちが(さあ、どんな惨めな顔をするんだ)とニヤニヤ見守る中、これ以上ないほどの満面の笑みを浮かべた。
「はい! 分かりました! 異議なしです! 今この瞬間をもって、私と殿下の婚約は完全に破棄されましたね!? では皆様、お疲れ様でしたーー!」
「えっ……あ、うん……?」カイル殿下が、台本にない私の嬉々とした大声に一瞬素で呆然とした顔になり、ユリア様もハンカチで涙を拭う手を止めて目を見開いた。
周囲の貴族たちからも「え、あいつ狂ったのか?」という困惑の囁きが漏れる。
そんな静寂を置き去りにして、私はきらびやかな夜会ドレスの裾を思い切り引っ掴むと、宮殿の出口に向かって爆速で走り出した。
スキップを刻みたいほどの解放感が、全身を駆け巡っていた。
◇
宮殿の重厚な裏口の扉を乱暴に押し開けると、冷たい夜風が私の頬を打った。
空中宮殿の着陸場。
眼下には、ネオンの光が幾何学模様のように広がる、魔法と科学が融合した近未来都市の絶景が広がっている。
「エルセお嬢様! こちらです!」低い、だが聞き慣れた心地よい声が暗闇から響いた。
そこに待機していたのは、漆黒のハイスペック浮遊バイクのエンジンを低く唸らせている青年だった。
地味な下級貴族の衣服を身に纏っているが、その切れ上がった涼しげな目元と、いかなる状況でも動じない冷静な佇まいは、私の見間違えるはずのない男――レイヴンだった。
「レイヴン!!」
私はヒールを脱ぎ捨てて裸足で駆け寄り、彼のバイクのリアシートへと飛び乗った。
「しっかり掴まっていてください。システムがあなたの『処理』を確定させる前に、この領域を脱出します」
「お願い、出して爆速で出して!!」
レイヴンがスロットルを回した瞬間、バイクは重力を無視して夜空へと弾け飛んだ。
背後で、空中宮殿の警備システムが異常を検知し赤いサーチライトが何条も夜空を交差するのが見えたが、もう遅い。
「怖かったーーー!!」私はレイヴンの広い背中に顔を押し付けながら、抑えていた本音を叫んだ。
「ちょっとでもセリフを噛んだり頭の良さが出たら即座に脳を焼かれて『従順な取り巻きA』に改造されるところだったんだからね! カイル殿下も緊張のあまり顔が引き攣ってたわよ!」
「お疲れ様です、お嬢様。あなたの演技は100点満点、いや、それ以上でしたよ」
前方を凝視したままレイヴンが微かに笑う声を振動として背中から感じる。
レイヴンは私の家であるグランツ公爵家に仕えるシステム管理人だがそれは表の顔だ。
その正体は、世界の管理AIのプロテクトを単身で破ることができるこの世界で唯一の天才魔導ハッカーだった。数年前、絶望的な世界システムに気づいて泣いていた私に、「俺と契約しましょう。あなたの役目が終わるその日、俺が世界をハッキングして、あなたを完全に自由にする」と約束してくれた男だ。
レイヴンがバイクのコンソールを操作すると私の目の前にホログラムの画面が展開された。
そこには、複雑に絡み合う文字の羅列が、次々と緑色の『解読済』に書き換わっていく様子が映し出されていた。
「これ、本当にみんなが繋いでくれた暗号なの……?」
私が画面を見つめると、そこには世界中のメイドやモブ、カイル殿下たちのセリフから抽出された文字が、一つの美しい「文章」となって並んでいた。
【E・L・T・H・E・I・L・O・V・E・Y・O・U・F・O・R・E・V・E・R】私は息を呑んだ。
「これ……脱出コードの形をした、ただの私への……」
「はい。俺のあなたへの、数年越しのラブレターです」レイヴンは前方を睨んだまま、恥ずかしそうに、でも誇らしげに言った。
「世界の管理AIは、冷徹で無機質なプログラムです。だから『高度な脱出数式』や『軍事コード』を仕込めば、即座に反逆として検知され、俺たち全員の脳が焼かれていたでしょう。ですが――」レイヴンがスロットルをさらに強く絞る。
「AIには、人間が持つ『ただの一途な恋心』の価値も、意味も、理解できない。だから、どれだけ世界中にこの文字を散りばめても、システムは『ただのノイズ』としてスルーした。俺たちは、人間の愛の力で世界を騙し切ったんです」
その文字列がシステムをハックし、原作ゲームの公式エンディングデータを上書きしていく。
ホログラムの最下部に、この世界の歴史書が刻む一文が表示された。
【悪役令嬢エルセは夜会にて婚約を破棄され、すべてを剥奪された後どこか全く知らない名のもとへ強制的に嫁がされました】
「強制婚姻のバッドエンド……。システムは私を、そう処理したのね」
「ええ。システムにとっては、あなたはもう処理済みの『不要なゴミデータ』です。だからこれ以上、あなたを監視することも、有能さを罰することもしません。そして――」レイヴンがバイクを急降下させ、都市の最下層にある、システムの電波すら届かない、完全に遮蔽された隠れ家のドックへと滑り込ませた。エンジンが停止し、静寂が訪れる。
レイヴンはバイクを降りると、シートの上の私に向き直り、柔らかい笑みを浮かべた。
「その、システムが記録した『全く知らない名』。……それこそが、俺がシステムを騙して、数年前から戸籍を偽装して用意しておいた、俺のもう一つの名前です」
私は息を呑んだ。「じゃあ……」
「はい。システム上、あなたは罰として、俺の元へ強制的に嫁いできたことになっています。……お嬢様、これからはもう、誰の目も気にする必要はありません。ここは、あなたの知性を恐れる世界の手が届かない、2人だけの場所です」
この世界の不条理に気づき、自我を消される恐怖と戦っていたのは私だけではなかった。
屋敷のメイドは私をいじめるフリをして私が叫んだセリフの『文字数』で、次のターゲットの座標を示した。
執事は、お茶をこぼしたシミの形で、システムの監視の『死角の周期』を教えた。
通りすがりの兵士や、果ては敵役であるはずのカイル殿下や男爵令嬢ユリア様までが、日々の退屈なテンプレ台詞の中に、システムすら意味を解せない『たった一文字のノイズ』を混ぜ込み、伝言ゲームのようにログに残していった。
それは、システムにはただの「口ごもり」や「タイプミス」にしか見えないゴミデータ。
だが、脳内で組み立てたそのハッキングプログラムのコードを、レイヴンは何年もの間、執念で世界中から拾い集め、一つの壮大なバグ注入プログラムへと編み上げていたのだ。
◇
レイヴンの隠れ家は、都市の最下層にあるとは思えないほど清潔で洗練された空間だった。
「まずはその窮屈なドレスを脱ぎましょう。あなたのために動きやすい衣服を用意してあります」
手渡されたのは滑らかな特殊繊維で作られた驚くほど軽くて柔らかい部屋着だった。
コルセットで締め付けられていた身体が解放され思わず「ぷはぁーっ!」と声が出る。
高慢な公爵令嬢の仮面はもうどこにも必要なかった。
部屋のダイニングテーブルにつくとレイヴンがキッチンから香ばしい匂いのする皿を運んできた。
「お待たせしました。あなたが大好きな、スパイスをふんだんに使った特製煮込み料理です。宮廷の退屈な伝統料理とは違いますよ」
「わあ……! 美味しそう!」一口食べると、ピリッとした心地よい刺激と深い旨味が口いっぱいに広がる。有能さを隠すために、何年も「お肉はレアじゃなきゃ嫌よ!」なんてワガママな悪女を演じ、味のしない高級料理ばかり無理して食べていた私の胃袋に、その温かさが染み渡っていく。
緊張の糸が完全に切れたせいだろうか。私の目から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出してきた。
「エルセ?」レイヴンが慌てて私の顔を覗き込む。
「違うの、美味しくて……。それに、本当に終わったんだなって思ったら、なんだか涙が止まらなくて……」
「よく頑張りましたね」レイヴンは私の隣に座ると、大きな手で私の頭を優しく引き寄せ、その胸に抱きしめてくれた。
彼の規則正しい心音がトクトクと心地よく響く。
「これからは、あなたのその素晴らしい知性を、誰にも隠さなくていい。俺の前では、好きなだけ賢く、好きなだけ我が儘でいてください」その時、テーブルの上の情報端末がピコン、と軽快な音を立てて明滅した。画面を見ると、それはシステムから完全に隠蔽された、暗号化通信のグループチャットだった。
『カイル殿下』
『男爵令嬢ユリア』
『メイド・ミーナ』かつて私を糾弾した者、私に虐げられていたはずの者たちの名前がそこに並んでいた。
王太子カイル:『おいエルセ、無事に着いたか!? 俺の最後のセリフの3文字目、「ル」の発音を1.5ヘルツだけ高くしてシステムに通したんだが、ちゃんとコードは結合したか? 検知アラートが鳴らないか生きた心地がしなかったぞ!』
男爵令嬢ユリア:『お姉様〜! 本当にお疲れ様でした! 私、お姉様にビンタされるフリをしながらドレスのフリルの数で文字数を数えていた時、緊張で気絶しそうでした! これでやっと、カイル様と普通の恋人になれます!』
メイド・ミーナ:『お嬢様、お疲れ様です。お嬢様がいじわるを言って部屋のガラスを割ってくださったおかげで、その破片の角度でシステムの死角コードをレイヴン様に送れました。旦那様と末永くお幸せに!』
画面には、命がけのデスゲームを共に生き残った『戦友たち』からの、爆笑の裏話と祝福のメッセージが次々と流れていく。
王子も、男爵令嬢も、実家の使用人たちも、みんな本当は良い奴らなのだ。
ただ、この世界の理不尽なシステムに自我を殺されないために、必死にテンプレの悪役や被害者を演じていただけ。
私たちは全員で手を繋いで世界を完璧に欺き切ったのだ。
「みんな、本当にありがとう……」私が微笑みながら返信を打ち込んでいると、レイヴンが愛おしそうに私の髪を撫でた。
「ねえレイヴン。なぜ、あなたのような下級貴族の天才が、私なんかのためにここまで命を懸けてくれたの?」ずっと気になっていた疑問を口にすると、レイヴンは少しだけ視線を落とし、それから私の目を真っ直ぐに見つめた。
「俺はかつて、感情も個性もない、ただ管理AIの命令を処理するだけの『観測用のアンドロイド』だったんです」
「え……?」
「数年前、あなたが『無能な悪女』の演技の合間に、システムの目を盗んで、誰も解けなかった数理バグの数式を街の端末に残していった。
それを回収した俺の回路に、システムを根底から狂わせるほどの強烈な『バグ』が発生した。……それが、俺の『心』であり、あなたへの恋心です」レイヴンは私の両手を包み込むように握りしめた。
「システムはあなたを『世界を滅ぼす悪』と定義した。けれど、俺に人間としての魂をくれたのは、紛れもなくあなたの知性と美しさだ。だから、世界をハッキングしてでも、あなたを俺の妻にすると決めていたんです」
◇
新しい世界の夜明けが、遮蔽窓の隙間からかすかな光となって室内に差し込んできた。
レイヴンは私の前に静かに跪くとポケットから小さなだが複雑な魔導回路が刻まれた銀色の指輪を取り出した。
「世界を騙すために用意した『全く知らない名』ですが……これからは契約の主としてではなく、一人の男として、俺の本当の家族になっていただけますか? エルセ」
もう、有能さを隠して怯える必要はない。
誰の台本でもない、自分の知性で、自分の意志で、私は目の前の愛しい男を選ぶことができる。
「はい。喜んで、あなたの妻になります、レイヴン」
私が指輪を受け入れると、レイヴンは嬉しそうに私の身体を抱き上げ私たちは深く甘いキスを交わした。
断罪という最悪の結末の先に、これ以上ないほど輝かしい、私たちの本当の恋物語が始まったのだ。
エルセが幸せそうに眠りについた後、レイヴンは静かに書斎のメインコンピューターの前に座った。
彼の指先がキーボードの上を滑り今回世界中から回収した管理AIの「最深部ログ」のマスターデータを画面に呼び出す。
画面の奥深く、この世界の根源フィルターであるメインコードが表示された。そこには、この世界の住人が使う魔導言語ではなく見慣れない、だが世界の創造主たちが遺したであろう『旧時代の文字』が静かに明滅していた。
【西暦202X年・地球・AI未来予測シミュレーション:環境パターン『悪役令嬢』】
レイヴンは、ディスプレイの光に照らされながら、フッと冷徹でどこか誇らしげな笑みを浮かべた。
(AIは……。地上のシステムは、私たちがバッドエンドを迎えて処理を完了したと思い込んでいる)
(解読コードを完成させた、この世界の人類の『愛』をスルーして)
(そして数百年前にこの箱庭を仕掛けた『地球の人間たち』も、気づきもしないだろう)
彼らが予測し、娯楽として消費した通りの「無能な悪女」と「愚かなモブ」たちが、裏で高度な知性を繋ぎ合わせ、システムを完全にハッキングして決定された運命を内側から突破したなんて。
原作ゲームのテキストは【見知らぬ名のもとへ強制的に嫁がされました】という冷酷な一文で終わる。だがその先にあるのは、かつての地球の創造主たちすら予測できなかった誰よりも甘くて自由な僕たち人間の物語だ。
(第一話・完結)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
AIが予測したテンプレを、人間たちの『一文字のバトン』で伝言する……という、世界システムそのものへのざまぁを楽しんでいただけていれば幸いです。
もし「この知的な反逆劇が面白い!」「二人のその後のイチャイチャ新生活が見たい!」と思ってくださったら、ぜひ【ブックマーク】や【いいね】、下部の【ポイント評価】で応援していただけると執筆の励みになります




