夢蝕
朝焼けは、淡水と鹹水が入り混じって溶け合い、混合水となりやがては取り込まれるような侵蝕感を感じる。だけどなんて清々しいんだ。混濁しまどろんだ頭を覚醒させ、神々しい朝日は気持ちを浄化して、また新たな一日の始まりを輝きで満たしてくれる。
どうにか三日目の朝を迎えた。こんな悲惨な生活を死ぬまで続けなきゃならないと考えるだけで発狂しそうだ。
世界は今、混乱の極みに立たされている。それもそのはず、レム睡眠時の夢が人体を滅ぼすのだ。一度寝て夢から覚めると、死んでいるかもしれない。天国か地獄で目覚めるって事だ。
もうあんまり覚えてはいないが、一番最初の犠牲者は確かアメリカの宇宙飛行士だった。宇宙から帰った彼が次の日、皮膚と内臓が裏返った状態でベッドの上に横たわっているのを発見したと、インターネットニュースでやっていたのを覚えている。死因はもちろん不明で、人間が寝ている間にそんな状態になるのは有り得ない。
そして翌日から、人類史上最悪の悲劇が始まった。彼の身内の人間が次々と原因不明の死を遂げていき、その事件から二、三ヶ月もしないうちにアメリカの人口の約四割が原因不明の死に方をしたのだ。その余波は世界各国に広がり、現在日本は人口の約二割がその病【Hopeless dream】で死んでしまった。
にわかには信じられるはずもないが、確信したのは他ならぬ息子[まさや]の死だった。
知的障害を持ったまさやは普段から大変鳥を愛でていて、よく『いつか僕は、鳥になって空を飛ぶんだ』と言っていたが、皮肉にもそれはまさやの死によって叶えられた。まさやの頭蓋骨以外の骨がすべて、かつての肩甲骨の位置に集まり、皮膚を突き破ってそれはそれは見事な骨の翼を形作っていた。
夢によって死ぬことが確信に変わった瞬間でもあり、私も【Hopeless dream】に罹った証拠でもあるのだ。ある意味では、まさやは幸せなのかもしれない。命と引き換えに夢が叶ったのだから……。
今は何とか微量の覚醒剤により眠気を抑えてはいるのだが、日に日に量は増すばかりだ。このままでは中毒症状で廃人になる事を選ぶか、眠って地獄で覚醒するかの二者択一しか残っていないが、もう私は疲れた。楽しかった事だけを考えて、少しだけ眠ることにするよ……。
もう、俺には必要無い物だ。沢山の思い出をありがとう。次はきっと輝く未来を見せておくれ。運が悪かったんだよ、きっと……。
夜の港はとても静かで、まるで自分がこの世界にただ一人取り残されたかのような寂しさを覚える。永遠にこの静寂の中を彷徨えるほど、人類は強い存在ではない。
よく「一人で無人島で暮らすとしたら何を持って行くか?」というくだらない問題を小さい頃に問い掛けられたことがあるが、その当時俺は『食料』だとか『ナイフ』だとか『ライター』だとか答えていたが、今は間違いなく『愛する人』と答えるだろう。人は一人では生きてはいけないのだ。
【Hopeless dream】での死者は、もう数え切れないほどにまで膨れ上がってしまった。朝日が地表を照らすかのように、発生から一ヶ月もしないうちに、瞬く間に【Hopeless dream】は蔓延していた。
ありとあらゆる死に様を見てきた俺は、毎日毎日【Hopeless dream】の脅威に脅かされてきた。なにしろ感染経路が全くと言っても過言ではないほど解明されておらず、その解明に当たった医師の多くもまた【Hopeless dream】の餌食になったのである。中には医師だけあって手術器具そっくりに変形してしまった者や、憶測ではあるが、質量が足りず何の物体か分からなくなった者もいた。出血が認められ、辛うじてそれがかつて人の姿であったと確認できるのだ。
四日ほど前、妻がこう言っていた。『私がもし死ぬとしたら、消えて無くなると思うの。それは肉体の解放なのよ』と。その時は蔓延している病気の事で疲れているんだと思っていたが、それは少し違った形で現実になった。
翌朝起きた俺は、横で寝ていた妻がいないことに気付いた。そして布団をめくって見てみた。
正確に言うといなくなったのではなく、体内の臓器、血液、骨といったありとあらゆる物が消失し、そこには妻であった人の全身の皮だけが残されていた。変わり果てた姿の妻もまた、【Hopeless dream】の餌食になってしまった。
ホープレスとはよく言ったもので、妻は俺の唯一の希望だった。当事者のみならず、その周りの人間までも絶望させる。
その日の夜、二人でよく行った港を訪れ、絶望で心を埋め尽くされた俺は、見る事を止めようと両の眼球を切除し、海に投げ捨てた。
これで良かったんだ。妻がいなくなった今、もう希望の光は無いのだから。
2009年10月




