8 初恋
時は、少し前に遡る。
用事があると言ってだんご屋から離れたアズマは、虹ノ小間物店を再度訪れていた。
先ほどカエデと一緒に商品を見ていた時に、気になるものを見つけたからだ。
藤の花をモチーフに作られた髪飾りである。淡い色で、連なった花弁が揺れて美しい。
それを見た時にアズマは、カエデに似合いそうだと思った。
カエデは普段、着飾ることがない。
いつも仕事用の白いスーツか、普段着の作務衣のどちらかで、それもよく似合っているとは思うが、たまに違う服装のカエデも見てみたいとアズマは思うことがあった。
(着物は絶対に似合いますし、フォーマル系も綺麗だと思うんですが……)
本人には言わないがアズマはそう思っている。
しかし、思うだけだ。
アズマが「見たい」と言えば、彼女は「では着ます」と承諾してくれるだろうけれど、そうなると命令して着てもらったという形になって、何か嫌だった。
そもそもカエデが着飾ること自体が嫌いだったら、無理にそれをさせる形になるのはもっと嫌だ。
だから指輪の話を出した時にアズマは少し心配だったのだが、カエデが「綺麗なものも、かわいいもの好き」だと聞いて安堵して――それならばと少し欲が出てしまったのである。
この髪飾りをつけたカエデを見てみたいと、いう欲だ。
しかも、それとなく訊いてみたら、ちょうどその髪飾りについてカエデが綺麗だと言っていた。
「これ、カエデちゃんに似合いそうよねぇ、ウフフ! がんばって!」
「あ、はい……」
髪飾りを購入すると、烏天狗の店主から応援されてしまい、アズマは若干引き攣った笑みを浮かべて返事をする。
相変わらず元気なモノノ怪だ。
先ほど彼が自分たちの結婚を言い触らしたものだから、店を出た瞬間に黄昏通りの住人たちがワッと集まってお祝いをしてくれたのだが、その勢いが激しくてアズマは少々気圧された。
自分とカエデは契約結婚。当主の座を他の人間に奪われたくないアズマの都合に、彼女が合わせてくれて夫婦になっただけだ。
だからあんなに祝ってもらうと、少なからず罪悪感を覚える。
(……まぁ別に、好きじゃないなんてことは、ないですが)
十年前にカエデと出会ってから、彼女とはずっと一緒に暮らしている。
従者として、護衛として、アズマの傍には常にカエデがいた。
嫌いな相手だったら、こうはいかない。
結婚するならカエデが良い。
――実際に、何度かそう言ったことはあるのだ。
実のところアズマの初恋の相手はカエデだ。
カエデはよく自分のことを「かわいい私が」と言っているが、確かにその通りだとアズマは思っている。
カエデはかわいいし綺麗だ。篠塚家で一緒に暮らし始めて、初めて彼女が笑顔を見せてくれた時に、こんなに綺麗な子が世の中にいるのかとアズマは衝撃を受けた。恋に落ちたのもその時である。
けれどもカエデは自分のことを、そういう対象として見ていない。
彼女から好かれているのは分かるが、恋とか愛とかそういう類ではない。たぶん、一度もそう思われたことはないだろう。
それを理解してアズマはちょっと落胆したものの――まぁ、好かれているならいいかと思うことにして、現在に至っている。
そこへ降って湧いたのが結婚の話だ。
祖母のユキメから「そろそろ結婚しないと、他の人に当主を交代しますよ」なんてことを言われてしまったのである。
篠塚家の本家の子は自分しかいないが、分家は幾つか存在している。
ユキメが当主を譲る話になった時に、分家の方からも手が挙がっていて、アズマにやる気がなかったら、そちらへ話が行っていただろう。
(他に渡すなんて、冗談じゃない)
アズマは亡くなった両親に、自分が篠塚家と怪域の治安を守ると誓ったのだ。
それを誰かに奪われたらたまったものではない。それに当主が変わったら、そのままカエデも、自分ではなくそいつの護衛役になってしまうではないか。
どうしよう。まずい。何とかしなければ。
しかし結婚相手なんていないどころか、誰かとお付き合いをしたことだってアズマにはなかった。
カエデしか目に入っていなかったからだ。そもそもカエデ以外との結婚なんて、正直に言えば考えたくなかった。
そんな焦りで頭が真っ白になったアズマは、カエデに「結婚しませんか」と伝えたのである。
意外とあっさり了承してもらえて驚いたが、しかし、やはりそこに甘酸っぱい何かは存在していなかった。
(咄嗟に契約結婚がどうのと、情けない言い訳までつけましたが……)
初恋の相手と結婚出来る。しかも嫌がられたりしなかった。
そのことを思い出すと、アズマは顔が緩んでしまう。今だって頬が少し熱い。鏡で見たら赤くなっているだろう。
この顔を祖母のユキメに見られたら「素直に伝えれば良いのに……」と呆れられるかもしれない。
(いや、もしかしたらおばあ様は分かっていて言ったのでは?)
ハッ、とそれに気が付いた時、
「ここに私の鬼が逃げ込んだのは分かっているわ。隠し立てをしても無駄よ。さあ、ほら、早く本当のことを話しなさい」
「やー! やー! ここにはいないチュン! いないチュン! わーん! 昨日の今日で何でこんな目に合うチュンー⁉」
そんな物騒なやり取りが聞こえた。
おや、とアズマは声の方へ顔を向ける。そこはすずめ食堂だ。
すずめ食堂で『鬼』の話ならばロウの件だろう。
ただ『私の』という部分が気になる。
アズマはすうと目を細め、すずめ食堂へと近付いて、入り口からそっと中を覗き込んだ。
そこには、牡丹柄の着物を着た長い黒髪にハシバミ色の瞳をした美しい少女が、リンの体を掴んでいるのが見えた。
(あれは八森の……)
昨日の話で出た八森家の二番目の子供で、名前はナデシコと言ったはずだ。アズマのお見合い相手として打診のあった相手である。
どうにも苛烈で我儘な性格のようで、彼女が怪域へやって来たら面倒なことになりそうな予感がしたこともあって、会う前にアズマはお断りをしている。
そもそも歳が七歳も離れているため、その時点でアズマはお見合いをする気はなかったのだが……。
(今の言い方だと、ロウに従属の術をかけたのは……やはり彼女か)
思わずため息が出そうになるのを堪える。
本当に、あの時にさっさと断っておいて良かった。
そう思いながらアズマは軽く息を吸うと、
「八森ナデシコさん。君はここで一体何をしているのですか」
大きな声で、強い口調で、アズマは彼女に声をかけた。
「え? ……あらっ! アズマさん!」
ナデシコはくるりと振り返り、アズマの姿をその目に捉えると、ぱあっと顔を輝かせる。そしてリンを乱暴に放り投げると、こちらへ駆け寄って来た。
あっ、とアズマはリンを心配したが、彼女はぱたぱたと羽ばたき、ゆっくりと椅子の上に着地する。彼女が空を飛べるモノノ怪で良かった。
安堵している間にナデシコは目の前までやって来た。
「嬉しい、こんなところで会えるなんて……! きっとこれは運命ね、運命だわ!」
ナデシコは胸の前で両手を組んで目を輝かせ、うっとりとアズマを見上げてくる。
うっ、とアズマは軽く仰け反って後退り、ナデシコから数歩距離を取った。
それから、もう一度リンを見る。
「リンさん、大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
「だ、大丈夫チュン! びっくりしただけですチュン!」
リンはそう言って、ぴょんぴょん跳ねて見せてくれた。確かに怪我はしていなさそうだ。
良かった、とアズマは呟いてからナデシコへの方へ顔を戻し、軽く睨む。
「お嬢さん、ずいぶん乱暴なことをしますね」
「乱暴? あらやだ、私は話をしていただけよ」
「話し相手を手で掴んだり、放り投げたりする行動のどこが『話しをしていただけ』となるのか甚だ疑問ですが……」
アズマは不快感を隠さずに言ってサングラスを押し上げる。
ナデシコは、まったく悪いことをしたと思っていないようで、アズマの言葉にもころころと笑って、
「だって乱暴って言うなら、こういうことじゃない?」
人差し指を天に向かって立てた瞬間、フッ、と彼女を中心に金い光の輪が現れた。
炎を固めたかのようにチリチリと、燃えるように揺らめく光を見てアズマは顔色を変えた。
(……従属の術!)
モノノ怪から蛇蝎のごとく嫌われるその術を、こんな怪域の中心で使うなんてあり得ない。
止めなければとアズマが懐から呪符を取り出した瞬間。
――アズマの頬を一陣の風が撫で、白い尻尾がふさりと揺れた。




