6 婚姻届
翌日、カエデとアズマは怪域の役所に、婚姻届を提出しに行った。
ユキメに結婚の許しをもらったその日に出そうと思ったのだが、ロウやすずめ食堂のことがあって、間に合わなかったのだ。
書類自体は特に問題なく受理された。
担当者から「おめでとうございます」と祝福され、カエデたちは役所を後にする。
(なるほど、こういう感じなんですね)
知識としては知っていたが、実際に体験してみると何やらそわそわする。
例えこれが契約結婚であったとしても、誰かと家族になったことを正式な形で証明してもらえるのは嬉しいものだ。
「さて……それではカエデさん、この後はどうしますか?」
「そうですねぇ。ロウさんの尋問でもします? それともすずめ食堂の様子を見に行きますか?」
「あのね……さすがに籍を入れた日に、仕事の話はしませんよ。おばあ様からも言われたでしょう? ゆっくりしておいでって。ロウのことも、すずめ食堂のことも、おばあ様がやってくれるそうです」
アズマはサングラスのフレームに手を当ててため息を吐いた。
そう言えば確かに言われたなとカエデは思い出す。
「分かりました。でも、特にしたいことが思い浮かばないのですが……」
頬に手を当てて、カエデは困ったなと呟く。
そういうことにとんと疎いので、まったくアイデアが浮かばないのだ。
(だんご屋へ行く……? それともおめでたいことだから寿司屋……?)
悲しいかな、思い付くのは食べ物ばかりだ。たまにモノノ怪の知り合いから、お前は色気より食い気だなと言われるが、それは確かにと思う。
服だっていつも制服の白色のスーツだ。自分から着飾ったこともない。今日だっていつもと同じ装いだ。
(ユキメさんから渋い顔をされましたっけ。あれはもしかしなくても、そういう意味だったのでは……)
自分としては婚姻届を提出した後は、普通に仕事をするつもりだった。
だからユキメがどうして渋面を浮かべていたのか分からなかったのだが、今のアズマの台詞でカエデはようやく理解した。
新婚なのだからデートでもして来なさい、と言われたのだ。
(どうりで着物を勧められたわけです、うう……)
これはしまった。妻役をしっかり務めようと決意したのに、最初の段階で失敗してしまった。
いったん屋敷へ戻った方が良いだろうか――カエデがそう考えていると、アズマに左手を握られた。
「アズマさん?」
「急に黙って何を百面相しているんですか。いいから行きますよ。特に希望がないのなら、僕が決めていた場所があるんです」
そう言ってアズマは手をつないだまま歩き出す。
「どこですか?」
「虹ノ小間物店です」
虹ノ小間物店とは、指輪やネックレス、簪やブローチなど、宝飾品や装飾品を取り扱う店の名前だ。
カエデもたまにユキメの遣いで訪れることがある。
「アズマさん、何か買います? 会合が近いですもんねぇ。お洒落は大事ですよ」
「会合は確かに近いですが、そうじゃありませんよ。僕がお洒落しても仕方ないでしょう。それから買うのは僕だけではなく二人分です」
「二人分?」
「君と僕の指輪ですよ」
「え?」
「……予想外と顔に書いてありますが、いいですかカエデさん。僕たちは結婚したんですよ。祝言に結婚指輪は必要でしょう?」
きょとんとしたカエデに、アズマは複雑な表情でそう告げた。
カエデが、なるほどなーと思っていると、アズマは何度目かになるため息を吐いて、
「確かに僕が契約結婚と言いましたけどね……もう少しこう……」
なんて呟いている。
アズマが何を考えているのかはよく分からないが、落胆されているのは理解したカエデは、
「すみません。これから頑張ります」
と決意表明をした。
するとアズマから、
「そうじゃないんですよ……」
と言われてしまったのだった。
* * *
虹ノ小間物店は黄昏通りの中央――いわゆる「町のへそ」と呼ばれる位置にある。
美しい物好きの烏天狗のモノノ怪が営む店だ。
篠塚家が怪域の治安維持を任された大正時代くらいから、ずっとここにある。
中へ入ると、ガラスケースに飾られた宝飾品が、モダンなデザインのシャンデリアの明かりに照らされて輝いている。
いつ訪れても、どこか夢の中にいるような綺麗な店だ。
きょろきょろと見回していると、店主の烏天狗がカエデたちに気が付いて近寄って来た。
「あらー! アズマちゃんにカエデちゃんじゃなーい! 今日はどうしたの? ユキメちゃんのお遣い?」
「お邪魔します。今日は祖母のお遣いではなく、僕たちの結婚指輪を探そうと思いまして」
「結婚指輪っ⁉」
アズマが答えると、烏天狗は両手を頬に当ててポッと顔を赤くした。
「あらあらあら、やだー! 二人共結婚したの⁉ やだ、おめでとー! やっとなのね⁉ すごーい! あんなにちっちゃかった二人が結婚ー⁉ 素敵ー!」
そして野太い声できゃいきゃいと叫んだ。なかなかの声量である。
「素敵だわ、素敵だわ! あたし、ちょっと皆に言い触らしてくるから、ゆっくり見ていて!」
「えっ、あの、ちょっと」
「直ぐに戻るからー!」
言うが早いか、烏天狗は背中の翼をはためかせ、店を飛び出して行った。
カエデとアズマが結婚したと叫んでいる声が、ドップラー効果で小さくなって行く。
「…………」
「…………」
店主がいなくなってしまった。
呆気に取られるとはこのことだ。
あの店主は忙しない人なので、直ぐに戻ると言ったなら、本当に直ぐ戻って来るだろう。
ただ、それはそれとして不用心だなとカエデは思った。
もしもカエデたちじゃなかったら、店の商品を盗まれる可能性だってあるのだ。
「……とりあえず、戻って来るまで見ていましょうか?」
「……そうですね」
何なんだあの人……と言うような目を、入り口の方へ向けていたアズマだったが、カエデがそう声を掛けるとハッとして頷いた。
そうして二人はゆっくりと店内を歩き出す。
虹ノ小間物店は、それほど広い店ではない。
けれどもガラスケースの配置や照明の具合などしっかりと計算されていて、綺麗に並べられた宝石箱、というような印象をカエデは受けた。
品があって、美しい。
この空間をあの騒々しい店主が作り出しているのだから、不思議なものである。
「カエデさんは指輪の色やデザインに何か希望はありますか?」
「殴って壊れないなら何でも」
「聞いた僕が馬鹿でした」
訊かれたから答えたのにあんまりな言い様である。
けれども実際に、結婚指輪は常に身に着けるものだから、護衛の際の荒事で破損しないくらい丈夫な方が都合が良い。ただでさえカエデの戦い方は体術主体なのだから。
「あ、そうだ」
「何です?」
「そうなるとナックルダスターが片手しか嵌められませんね。どうしましょうか」
「警棒でも持ったらどうです? あれなら体術と併せて使いやすそうですよ」
「いいですね!」
それは楽しそうだと、カエデの尻尾がぱたぱた揺れる。
早急に仕入れて訓練しようと考えていると、
「指輪の話をした時より喜んでいる……」
アズマが半眼になってそう呟いていた。




