4 鬼のロウ
「はふ、はふ、はふ、うま……! おかわり!」
「いや、本当によく食べますね……」
「気持ちの良い食べっぷりではありますけれど……」
大きな口を開けて白飯をかきこむ鬼を、アズマとカエデは呆気に取られながら眺めていた。お行儀の良いものではないが、それだけ腹が減っていたのだろう。とりあえず何も言わずに見ていると「おかわりお持ちしましたチュン!」と、リンが大盛りの白飯を運んで来た。
「ありがとう!」
「どういたしましてチュン!」
鬼は元気にお礼を言って、リンからそれを受け取り、また食べる。
先ほどまでの粗暴さは鳴りを潜めて、今はただの元気なお兄ちゃんという様子だ。
そのおかげでリンも彼に対する恐怖心が薄れたらしく、ロウも正気を取り戻して直ぐに謝罪をしたため、普通に接客が出来るようになった。
(とは言え、店の方は何とかしないとですけれど……)
カエデはちらりと周囲へ目を向けた。
鬼に荒らされたすずめ食堂の店内は、片付けと掃除をカエデとアズマが行って何とか落ち着いたものの、テーブルや椅子の一部は破損し、壁にもヒビが入ったままだ。
ほとんどは鬼のせいだが、壁は鬼との戦いでカエデがつけたものもあるため、申し訳ない気持ちになる。
幸い貯金はそれなりにあるので、修理費は問題なく出せるな……なんてカエデが思っていると、
「はぁ……美味かった……。これなら最初から普通に飯を食ってりゃ良かったぜ。ごちそうさまでした」
何杯目かのおかわりを完食した鬼は、満足そうにそう呟いて両手を合わせた。思っていたよりもちゃんと挨拶はするタイプのようだ。
へぇ、と思いながらカエデは鬼を改めて観察する。
額に生えた二本の角に、黒色の髪、白目と黒目が反転した目。年齢は二十代半ばくらいで、筋肉質で大柄な体を持つ実に鬼らしい容姿だ。
着ている着物も洒落た柄で、明るい色合いだが派手ではなく品がある。食事の際の挨拶のこともあり、ただの乱暴者なモノノ怪という感じではない。
「落ち着いたなら、そろそろ君の名前を教えていただけますか?」
「ああ。俺はロウ。表の世生まれのモノノ怪だ」
「なるほど、表の」
ほう、とカエデはアズマと同じタイミングで呟いた。
モノノ怪は基本的には怪域で生まれ育つが、表の世で生まれて人の中に上手く溶け込んで暮らしているモノノ怪もそれなりにいる。
ロウが何歳なのかは見た目からは分からない――そもそもモノノ怪は容姿と年齢が一致しない――が、雰囲気的にはそれなりに長く生きているように感じられた。
だから上手くやっていたのではないかと思うのだが、それならば従属の術を掛けられた理由がよく分からない。
(モノノ怪を食べ過ぎたとか……?)
カエデは一瞬そう考えたが、それにしては匂いがそこまで酷くない。モノノ怪を日常的に喰らっていれば、もっと血生臭くなるのだ。
しかし、この鬼はそうではない。多少はそういう匂いは感じるがだいぶ薄いのだ。念のため、くん、と鼻を動かして改めて匂いを嗅いで確認したが、やはり間違いない。
モノノ怪は負傷すると、体を治すための妖力を得るため食欲が増すことがある。
その場合は普通の食事を摂れば問題ないのだが、それ以上に効率が良いのはモノノ怪を喰らうことだ。
モノノ怪は妖力の塊。それを喰らえばあっと言う間に怪我は治り、消耗した体力を取り戻せる。
そもそもモノノ怪は弱肉強食な種族でもあるため、それ自体は特別なことではなかった。
しかし穏やかな時代となった今、同族喰いをするモノノ怪もだいぶ減っており、どちらかと言えば忌避されるものになっている。
若い世代のモノノ怪には特にその傾向が強かった。
(となると彼は長生きしているモノノ怪ですかね)
モノノ怪を喰らうことに躊躇いがなかったことから考えても、ロウはそこそこ昔の生まれなのだろう。
「それで、君はどうしてそんな怪我を負っていた上に、従属の術なんてものを掛けられていたんですか?」
「あー、何か……怪域へ輿入れするために箔をつけたいとか訳の分からねーことを言われて襲われたんだよ」
「輿入れ?」
「何ですかそれ?」
何ともめでたい単語が聞こえ、カエデとアズマは首を傾げる。
輿入れ――つまりは誰かが怪域へ嫁に来るとのことだが、ロウが言った通り本当に訳が分からない。
ロウを襲って従属の術を掛けた理由が『箔をつけるため』とは、一体どういうことだろうか。
「アズマさん。ここ最近で、そんなに大きめの結婚話ってありました?」
「いえ、聞いていないですね。おばあ様も特に仰っていませんでしたし」
アズマは怪訝な表情になって首を横に振る。
「ちなみに犯人は知っている相手ですか?」
「いや、面識はねぇな。八森の家紋の髪飾りをつけた人間の女だったよ。モノノ怪も数匹連れていたな」
「えっ、八森家ですか?」
ロウの台詞にアズマが目を丸くした。
八森家というのは、篠塚家と同じく、表の世の治安維持を任されている家の一つだ。
術の腕に優れ、後方からの支援に優れた『表の守り手』と呼ばれる一族である。
そこの当主とは、カエデも表と裏の世の代表者による会合に護衛として同席しているため面識がある。
――しかし、妙な話だ。
八森家の当主はとても真面目な性分で、法律を守ることを重視する人間なのだ。
会合の際も「何も起きませんように……」と、ぶつぶつ呟き、始終ハラハラした様子で胃の辺りを押えているのが印象的だった。
「八森家のご当主様って、こんなに堂々と禁止されていることをするような方には思えないのですが……」
「そうですね、僕もそう思います。うーん……ロウを襲った人はどのくらいの年齢でした?」
「人間の年齢はよく分からねぇんだよなぁ……。たぶんお前らくらいか、もう少し若いんじゃねぇかな」
「なるほど……となると、ご当主のお子さんですかね。あそこには兄と妹の二人がいた…………あっ」
しばらく考えて、アズマが何かを思い出したように口をポカンと開けた。
「何か思い当たることでも?」
「いえ、そういえば……結構前に八森家から見合いの打診があった……ような……」
アズマは気まずそうに視線を逸らす。
カエデはぎょっと目を剥いた。
「どう考えてもそれじゃないですかっ」
「し、しかしですね、あれはすぐにお断りをしているんですよっ」
「あー、そういや、相手もモノノ怪を従えているから、これで気に入ってもらえるはずって言っていたような」
ぼそっとロウが呟く。カエデとアズマは絶句した。
これはほぼほぼ確定と見て良いだろう。
八森家の人間が、アズマとお見合いをするために、鬼のロウに目を付けて従属の術を掛けたのだ。
(いやいや……)
言葉だけを並べると理解出来ない流れになっている。何だか頭が痛くなってきて、カエデはこめかみを押えた。
「……アズマさん、どうします? これすっごく面倒な予感がしますよ」
そう言って、カエデはロウへ目を向ける。
「それにロウさんがここへ逃げ込んだなら、追いかけて来るんじゃありませんか? それでそのままお見合いを強行とか……」
「い、いや、さすがにそんなことは……」
しないでしょう、と動きかけたアズマの口は、そのまま止まった。だらだらと冷や汗をかいている。
「しそう……」
「しそうなんだ……」
「だから断ったんですよ……」
「ああ……」
カエデはアズマへ同情を込めた目を向けた。
お見合いの話が来た時に、アズマも彼女との結婚については一考したのだろう。
家柄も釣り合っているし、同じ仕事をしている者同士ということで分かり合える部分もある。だから理想的な相手だったんだろうなとカエデは思う。
アズマが相手のことをちゃんと調べる人間でなければ、スーッと結婚していたことだろう。危ないところだった。
過激な行動を取る相手と知らずに結婚していたら、怪域の治安維持に多大な影響を及ぼしていたことだろう。
(さすが私の主……!)
うんうん、とカエデが自慢げに頷いていると、
「こうしてはいられません! カエデさん、今すぐにおばあ様のところへ話に行きますよ。今日明日の内に籍を入れますっ」
アズマはガタッと席を立ったと思ったら、サングラスの向こうの三白眼をカッと見開いてそう言い放った。
「カエデさんと結婚して当主の座が安泰となるはずだったのに、別の意味で脅かされてたまるかっ」
アズマは拳を握り、怒りやら恐怖心やらの感情を織り交ぜた表情を浮かべ、ぶるぶると体を震わせる。
「…………お前さ、こいつと結婚するの? 本気? いいの?」
それを見てロウが心配そうに訊いてきた。
カエデもアズマを見て「ん~」と苦笑いを浮かべ、
「これでもね、良いところが色々とあるんですよ。口は悪いですけれどね」
と答えた。カエデからすれば、口が悪い以外は良いところだらけなのだ。もちろん大事な主人ということで多少の贔屓目はあるけれど。
「はぁ、そうかい。物好きだなぁ」
「そこっ堂々と失礼なことを言うんじゃないっ!」
びしっと人差し指を突きつけて、アズマは目を吊り上げる。
それから彼は「あっ」と何かを思い出したように呟いて、
「……そうだ。ところでロウ、とりあえず君の身柄はうちで預からせてもらいますよ」
と言った。彼には同情する点もあるが、それでもすずめ食堂で暴れたことや、リンたちモノノ怪を食べようとした責任を取ってもらわなければならない。
怪域で騒動を起こしたモノノ怪をどう裁くかは、篠塚家に一任されているので、それが決まるまでは彼を拘束する必要があるのだ。
抵抗するだろうかとカエデが様子を見ていると、意外なことに彼は「ああ」と素直に頷いた。
「そりゃそうだな。分かったよ」
「おや、聞き訳が良い」
「……まぁ、悪いことしたなとは思ってんだよ。ここの女将さんに」
そう言ってロウはちらりと厨房の方へ目を向けた。そこではリンがチュンチュンと元気に料理をしている姿が見える。
「……あなた、結構素直ですね。良いことです。そのまま真っ直ぐに、すくすくと育ってください。きっとモテます。このかわいいカエデが保証します」
思わずカエデがそう言えば、ロウは怪訝な顔になる。
「俺よりも年下なのに何で親目線なの? そして自己肯定感が高いな?」
「かわいいは口癖みたいなものですよ。それからカエデさんはわりと変なことを言いますから、いちいち反応していたら大変ですよ。僕なんて、おかげでツッコミの才能が芽生えました」
「いや、お前はどう見てもボケ側だろ。ツッコミ役を舐めてんじゃねぇぞ」
「まだそんなに僕と言う人間を見せていませんよね⁉」
アズマはぎょっと目を剥いたが、言われてみるとそうかもしれない。
カエデと一緒だから彼はツッコミが多くなるのであって、一人でいたらこちら側だ。同類だ……という目をアズマに向けていたら、軽く睨まれてしまった。
「とにかく、いいですかカエデさん。結婚しますからね。言質は取っていますからね。今さら嫌ですよなんて言われたら泣いて駄々をこねますからね」
「良い大人が泣いて駄々をこねるのかよ」
「やかましいっ」
「んふふ。そんなに念を押さなくても大丈夫ですよ。嫌なんて絶対に言いませんから、ご安心を。結婚しましょう、アズマさん」
「よし」
アズマは満足そうに頷く。
やり取りを聞いていたロウは「これ本当に結婚の話……?」としきりに首を傾げていた。




