19 待ち合わせ
翌朝の五時。
朝露が草花や木々をキラキラときらめく中、カエデとアズマ、ロウの三人は、門をくぐって表の世へと向かった。
怪域と表の世を繋ぐ門は幾つも存在しており、場所によって繋がる門が違う。
今回カエデたちが通った門は、長野のとある山奥にある、小さな神社に繋がっている。
本殿の裏側に大きな桜の木が二本並んで立っていて、その間が怪域へ繋がる門となっているのだ。
桜は今はもう散ってしまって、爽やかな緑色の葉が風に揺れている。
桜の花が満開の時はそれはもう見事なもので、ユキメの提案でカエデたちはここへ花見に来ることもある。隠れた桜の名所、という奴だろうか。
しかし、美しい桜が生えているわりに、この辺りは人が来ない。
その理由は、普通の人たちはここまで辿り着けないからだ。
昔、この辺りに住んでいた妖力の強いモノノ怪が、山に迷いの術を掛けたまま亡くなってしまって、それが続いているのである。
もっとも一定の霊力や妖力を持っていれば、その術は効かないため、カエデたちには効果がないけれど。
「ふあぁ……いや、マジで早ぇな……すげぇ仕事頑張るじゃん……」
ロウが大きな口を開けて欠伸をする。まだまだ眠そうだ。
確かにこの時間に仕事に出るのはカエデでも久しぶりだ。見上げれば、薄い青空の端が金色に淡く染まっている。
「あちらから指定されたので……。それにしてもロウさん、制服のサイズ、合いませんでした?」
「制服のサイズ? 何で?」
「着ていないので」
怪訝そうに首を傾げるロウに、カエデがそう返した。
白色のスーツ。これが制服だと支給されて以来、カエデは同じものを数着購入している。
制服自体は話を聞いてから直ぐにカエデが用意したのであるのだが、彼は相変わらずいつもの着物のままである。
だからサイズが合わなかったために、着られなかったのだろうと思ったのだが。
「ああ、あれな……。いや、まぁ、着ても良いんだけどさ……」
ロウはちらり、とアズマを見る。つられてカエデも顔を向けると、アズマは半笑いの表情を浮かべ、
「ちょっと、洒落にならなかったんですよ。その服装で三人並んだところを想像してみてください」
と答えてくれた。
言われた通りカエデは頭の中に、その光景を思い浮かべる。
真ん中にサングラスで着物姿のアズマが立ち、その両脇を白いスーツの男女が固める。片方は犬の半妖、もう片方は鬼だ。
「職質を受けそう」
「そうなんですよ。だから今回は様子を見ました。まぁ今回、人のいる場所まで行くかは分かりませんけれど」
軽く両手を開いてアズマは言う。
これが怪域内ならば、多種多様な姿の者たちが住んでいるので、特に心配する必要はない。
けれども表の世は人間が圧倒的に多い上に、その装いで歩くと裏の仕事と勘違いされかねない。
「そもそも何で制服が白スーツなんだ? アズマもユキメさんも着物なのに」
「カエデさんに似合うからですよ。おばあ様と相談して決めました」
「お前は本当に本音を隠しもしなくなったな」
当たり前のようにしれっと答えるアズマに、ロウは半眼になった。
(そうだったんだ)
十年越しの事実が判明してカエデは少なからず衝撃を受けた。
それと同時に、普段のスーツ姿が似合うと思われていたこと知って嬉しくなった。
* * *
カサイと待ち合わせをしているのは、神社から山を少し上った先にある廃屋の前だった。
かつてここに、山に迷いの術を掛けたというモノノ怪が住んでいたらしい。
(前に見た時と様子は変わっていませんね)
建物と周囲の様子を見てカエデはそう思った。
前に――と言っても二年以上は経つが、八森家の当主に頼まれて廃屋周辺の様子を見に来たことがあるのだ。
あれは冬の初めの頃だった。八森家が見回りを予定していた頃に、風邪を引いて身内のほとんどが寝込んでしまい、どうしても手が回らなかったため、篠塚家に連絡が来たのだ。
門をくぐればそこまで移動に時間が掛らないので、ユキメが快諾し見回りをした。
こういう空き家には、人里に溶け込むのを拒むモノノ怪が住み着きやすい。
だからこそ治安維持の一環として、それぞれの管轄内の見回りが定期的に行われている。怪域の治安を任されている篠塚家も、そこは同じである。
(……あ、もしかしてその時のことを思い出したんですかね?)
だからカサイから、自分たちへ協力の依頼が来たのかもしれない。
そう考えていると、がさり、と背後の茂みが揺れる音が聞こえた。
「ああ、篠塚の皆さん。おはようございます」
振り向くと八森カサイが、数人のモノノ怪を連れて到着したところだった。
カエデたちの移動は直ぐだが、彼らの場合は麓からだ。そこまで険しい山道ではないが、早朝に出立したというのもあって、それぞれの顔には疲労の色がうかがえる。
「おはようございます。お早いですね」
「お約束をしておいて、遅れるわけにはいきませんから。ただその……お待ちする予定つもりが、到着が後になってしまい申し訳ありません」
「いえいえ、そんな」
アズマは仕事用の笑みを浮かべて首を横に振っている。
(先に到着した方が色々安心です、というだけなのだけど)
心の中でカエデはそう補足する。
今一つ八森カサイのことを信用出来ずにいるので、そうした方が良いだろうとアズマが言って、少し早めに出発していたのだ。
「それで、お話の件ですが」
手っ取り早く済ませたいと考えたのだろう。アズマがさくっと本題に入る。
内容は、八森家の管轄で暴れているモノノ怪退治の手伝いだ。
暴れていたモノノ怪は、カサイたちの追跡を振り払って、ここの山中へ逃げ込んだらしい。
「ここへ逃げ込んだのは、どのようなモノノ怪なんです?」
「泡です」
『泡?』
これにはアズマだけではなく、カエデとロウも怪訝な顔になる。
モノノ怪は様々な姿形をしているが、泡とは初めて耳にした。
(シャボン玉みたいな感じでしょうか)
頭の中で、ふわふわと宙を漂うシャボン玉を想像しながら、カサイの言葉を待っていると、彼は手のひらを天に向けて開き、ぶつぶつと呪文を唱えた。
すると手のひらの上に、ぱちっ、とシャボン玉と似た大きめの光の玉が現れる。よく見れば光がバチバチと迸っていた。
「これは霊力で雷を模して固めたものなんですが、これと似たものが集まって一つの姿を取っているのです」
「なるほどねぇ……。僕は覚えがないのですが、カエデさんとロウはどうですか?」
「私も怪域内で聞いたことがないですね」
「はーん、そうだなぁ……泡……雷の泡ねぇ……」
話を振られたロウは腕を組み、頭を捻る。
目を閉じてぶつぶつと呟きながら自分の記憶を探っていた彼は、少しして「あ」との言葉と共に、ぱちりと目を開いた。
「そう言や、京都の方から鵺の奴が越して来たって聞いたことがあるな……」
鵺とは雷の扱いに長けた、猿の体と狸の胴、虎の四肢に蛇の尻尾を持つモノノ怪だ。しかしある者は、怪鳥の姿をしていたとも言う。
これは鵺の力だ。鵺は人を不安にさせて弱らせる力を持っており、見た者が不吉と感じる姿を取る。
鵺は変化が出来るモノノ怪ではなかったので、幻を見せる類の術ではないかとカエデは思っていたのだが、そうじゃないのかもしれない。
「ちなみに件のモノノ怪はどんな風に暴れていたのですか?」
「雷をあちこちに落して、建物などを破壊していましたね」
「なるほど……?」
アズマの返答を聞いてカエデは、少々妙だなと思った。
鵺は確かに雷を操るが、基本的にそんな風に暴れ回る性質のモノノ怪ではない。じわじわと相手を追い詰めるような戦い方をすると、カエデは一緒に鍛錬をしているモノノ怪仲間から聞いたことがある。
「ロウさんも本人を見たことはないですよね?」
「ああ、ねぇな。だがなぁ……鵺がそんなことするかねぇ」
「同感です」
ロウは顎を手でさすりながら眉根をひそめた。彼も鵺の行動に疑問を抱いているようだ。
「暴れる理由については?」
カエデがアズマの方を見て訊くと、彼は口を開きかけて、
「――――」
そのまま一瞬固まり、曖昧に微笑むに留めた。
(何だ?)
カエデがそう思った時、犬の耳が、ちり、じじ、と微かな音を捉えた。
術が発動する時の複雑な音に似ている。
なるべく反応を見せないように、カエデは視線だけで音の出所を探す。
(……カサイさんの首の裏?)
聞こえて来るのはその辺りからだ。
何だろうと思いながらカエデは口を開く。
「そうでしたか。では、とりあえ捕まえるしかないですね」
カサイや彼と一緒に来た者たちの様子を見ながら言葉を続ける。
敢えて『捕まえる』と言ったカエデの言葉に、カサイや、一部の者たちの表情が若干ほっとしたものに変化した。
(そういうことか)
どうやらその鵺に何かあり、彼らはその事情を口に出来ない事情があり、そして退治するのは望ましくないと思っているようだ。
カエデはアズマとロウへ目くばせすると、
「……では、どう行動しましょうか?」
具体的な作戦について切り出した。




