14 白い犬
カサイたちが門をくぐるのを見届けてから、カエデは篠塚邸へと戻ると、そのままロウが滞在している部屋へと向かう。
声を掛けてから襖を開ければ、彼は畳の上に座って新聞を読んでいた。
「おう、カエデおかえり。ずいぶん疲れた顔をしてんな。八森はもう帰ったのか?」
「ええ、つい先ほど」
苦笑いを浮かべて、カエデは彼の前に正座する。
ロウは新聞を畳むと横に置いた。
「それで、どうした? 俺に何か聞きたいことがあるのか?」
「話が早くて助かります。八森家について、些細なことでも良いので知っていることを教えていただけたらと思いまして」
ロウは表の世生まれのモノノ怪だ。怪域にいる自分には入ってこない情報を持っているかもしれない。
そう思って尋ねると、ロウは「うーん」と顎を撫でて、
「そうだなぁ。もう二、三年の間に当主が交代をするらしいとか、兄妹のどちらを当主にするか少し揉めていたとか、そんなくらいだな」
と言った。
「八森のお兄さん、体があまり強くないと聞きますもんね」
「そうそう。それで丈夫な妹をって話だったんだろうが……あれは無理だろ」
従属の術を掛けられたことを思い出したのか、ロウは顔を顰めて首をさする。
(まぁ、さすがに……)
モノノ怪から反感を買う行動を取る者を、当主にはしないだろう。
八森家が治安維持の役割を辞退するなら話は別だけれど。
「だけど小さい頃は普通だったらしいぜ」
「普通?」
「モノノ怪とも人とも上手くやれていたってさ。モノノ怪と人の間を取り持って、小さいのにすごいなってだいぶ慕われていたらしいぜ。知り合いの河童が小さい頃に遊んでやったことがあって、昔とだいぶ変わっちまったなって驚いていた」
「…………」
カエデは顎に手を当てた。
成長するにつれて性格や、趣味嗜好が変化するのはモノノ怪も人も同じだ。
ナデシコだってそうだったのだろう。
しかしカエデは引っ掛かりを覚えた。
小さい頃のナデシコは、八森家の当主と似ているように思える。
(そう言えばカサイさんは、何か事情があると言っていましたね)
その事情がナデシコの変貌に関係しているのだとしたら。
(……いや、やめよう)
そうだとしても、その辺りのことはカエデには関りのないことだ。
自分が彼女や篠塚家の事情について考えていても、篠塚家や怪域に影響がないならば、おかしな推測や結論は出さない方が良い。
とりあえず、これだけ教えてもらえれば十分だ。
「ありがとうございます、ロウさん。参考になりました」
「おう。……ああ、そうだ。なぁ、ちなみに俺は、あとどのくらいここにいることになるんだ?」
「そこはアズマさんとユキメさん次第ですので。それほど長くはならないと思いますよ。もしかして、何か急ぎのご用事がありました?」
「いや、タダで美味い飯が食えてありがてぇから、長ければ長いだけいい」
「…………」
この鬼、食事代を取ってやろうか。
美味い飯と言われて悪い気はしないが、何とも呑気な発言だったものだから、カエデは半眼になった。
食事の時にちょっと多めに盛ってあげようと思いつつ、カエデは立ち上がる。
そして部屋を出ようとした時に、
「ああ、そうだ」
ロウが何かを思い出したように呟いた。
カエデは振り返り首を傾げる。
「どうしました?」
「もう一つ思い出したわ。八森の次の当主、白い犬が欲しいって度々言っていたらしいぜ」
彼はカエデの頭に生えた犬の耳を見上げて、そう言ったのだった。
* * *
(初めてちゃんと会話が出来た)
表の世に戻ったカサイは、八森家までの山道を歩きながら、先ほどのことを思い出していた。
「かさいの きげんが よさそう」
「そうですか?」
一反木綿のモノノ怪――ヨナガから言われ、カサイは少し考えた後で「……そうですね」と頷く。
謝罪へ行っておいて機嫌良く歩いているなんて、さすがにまずいと思ったが、今この場にいるのはヨナガだけだ。
だから今だけはまぁいいか、とカサイは思う。
(それにしても、なかなか警戒心が強い)
自分の言動に無意識に耳を立てている様子が頭に浮かんで、カサイはくすくすと思い出し笑いをする。
犬のモノノ怪の血を引いているのが良く分かる。見れば見るほどにかわいらしい。
実のところ、カサイはずっと昔から彼女に注目をしていた。
モノノ怪と人の良いところが、上手く残ったような人物。昔は半妖を下に見る者たちもいたが、愚かだなとカサイは思っている。
人の器用さと、モノノ怪の丈夫さが、ちょうど良く出ている。
それはカサイにとって羨ましいものだった。
ただでさえモノノ怪と比べて体の脆い人間の中で、カサイは生まれつき体が弱い。
そのせいで八森家の当主を危ぶまれていた。
母もそうだ。いつからかカサイを見なくなり、妹のナデシコを溺愛するようになった。
そんな自分を見てくれたのは父親と妹とモノノ怪たちだった。
彼らのためにも頑張ろうと、色々と学び習得したが、それでも自分の体の弱さがいつもカサイの足を引っ張る。
そんな時に、父に連れられて参加した会合で、カサイは篠塚家が助けて引き取ったという半妖を見た。白い犬の耳と、ふさりとした尻尾の少女だ。
健康で頑丈な体を持ち、人の繊細さも持つあの半妖を見た時、カサイは衝撃を受けた。自分がなりたかったのはこうだったのだ、と。
気になって会合や懇親会など、父に頼んで連れて行ってもらい彼女を探した。
そして目で追っていると、彼女は自分の恵まれた体に驕ることもせず、篠塚家の主人たち従順で、控えめな態度で傍に付き従っていた。
たまに浮かべる笑顔も、見ていると気分が晴れやかになる。
――ああ、いい。
もしも彼女が傍にいたのなら、自分に足りない部分を補ってもらえそうだ。
(それに今、八森を守るために、彼女みたいな子がいてくれたら……)
カサイはそうも思うようになった。
「……やっぱり欲しいな、あの白いわんちゃん。アズマさん、手放してくれないかな」
ぽつりと、独り言を零す。
ヨンガはその呟きを聞いて、一瞬だけもの言いたげに動きを止めたが、結局黙ったまカサイの後に続いたのだった。




