英愛子裁判長の最期の公判
時はAIロボが職業に就くようになった時代。
女性用スーツがよく似合う、AIの最先端ロボ英愛子は裁判長として辣腕を振るっている。
独立した司法でなければならない裁判所も、汚職が蔓延り、法を都合よく捻じ曲げた判決が多発していたが、彼女の登場でこの国の法治はかろうじて体裁を保たれていた。
ファーストフード店でチンピラに絡まれたおっさんが、トレイでチンピラの頭をガンガン叩いて死なせた事件も、何人殺したのと殺害意思の有無で、冷静に分析して六法全書を一字一句間違えずに口にして判決を告げる。
そこに情は一切なかった。
「いかんよお、そいつはいかんよお」
ファーストフードトレイ殺人事件の犯人を死刑判決し、無表情で控室に戻る愛子に、検事の男が声を掛けた。
「犯人は被害者だったんだ。それを考慮せな、まーた冷たい! これだからAIは! って世間に叩かれちゃうぜえ」
愛子は検事の目を見て小首を傾げる。彼は用もないのに、しょっちゅう現れては無駄話をしてくるお喋りな男だ。
「ですが仲村さん。あの被告人は喜んで3人をトレイで殺害しています。最後の1人は泣いて許しを乞うたのにです。バッチリ監視カメラにも映ってます」
トレイは銀色の平べったい長方形だったのに、赤色の野球ボールの形になっていた。
「いや、そりゃ確かにそうだけどさ。過程が大事だって話なの! 絡まれなかったら事件なんて起こさないごく普通のおっさんだったでしょ、犯人は!」
仲村は捲し立てるが愛子は表情を一切変えない。
「ったく、この前の総理暗殺事件も殺害は総理大臣だけ、他に怪我人なしって理由で懲役刑にしたの、めっちゃ叩かれたのに全然変わらんなあ。もうちっと過程とか国民感情を大事にしないと襲われちゃうよ?」
愛子の脳内AIが瞬く間に算出する。
「国民感情ですか? それですと9対1の割合で犯人無罪、よくやった、報奨金を出すべきになりますね。残り1割は甘い汁を啜っていた人々の悪意の感情です」
「うんうん、確かに俺も総理死んでよっしゃーって思ったよ? 汚職まみれだったし、毎日電車止まって俺の遅刻回数数知れず。おまけに未解決殺人事件の多さで残業地獄! それに反AIで愛子ちゃんも廃棄しようとしてたしな。てか、甘い汁吸っていたの1割って1千万人もいるのかよ。地味に怖え話だな。……でも、そういった国民感情と法、事件による社会的影響、そういうのを全て引っくるめて考えるのが俺らの仕事なんだよ」
「仲村さんの仰ることは無駄に時間とコストを消費します。六法全書というシステムがあるのに、なぜ余計なことを考慮するのか理解できません」
「う~ん。困ったなあ。……よっしゃ! 今度デートしよう! 肌で街の雰囲気味わって、遊園地行ってレストラン行ってホテルで1泊しようぜ! そうやって、生身の人間がどういうものかを教えてやるよ」
「遊園地、レストラン、ホテルのデートを大人が発言する場合、99%の確率でデート未経験の童貞とデータベースにあります」
「うっさいよ! ともかく、デートすんの!」
「デートとは、互いに好きあった者同士がするものです」
「俺は愛子ちゃん好きだぜ? 一緒に、先祖代々の墓に入りたいと思っているぐらいにな」
「あらゆる過程が飛ばされています。アホなのですか?」
「アホじゃないよ! ガチだよ! でも拒否しないってことはオーケーってことでいいよな。そんじゃ、今度の日曜日、駅で待ち合わせな!」
愛子は走り去る仲村の後ろ姿を見ながら、次の日曜日の予定に、仲村さんとデートと書き加えた。
ー日曜日ー
「ふう、ちょっと早く来すぎちゃったか。へへ、バッチリだろ、俺」
普段のピシッとしていないスーツ姿から、まるでこれから結婚式に向かう新郎のような白のスーツ。胸には薔薇の花が刺さり、手には大きな花束がある。
(彼女が『お待たせしました』ってやって来るだろ? 『これからデートだというのに花束は邪魔でしかありません』って彼女が言うだろ? そこで俺は片膝ついて花束を渡す仕草をして、結婚してくださいとプロポーズ! 花束の先には結婚指輪! ふふっ、完璧だ。これには彼女も驚くはず! 『AIが人と結婚した前例はありません』って言いそうだが、そこですかさず俺が『俺と君が前例になればいいんだ!』 って言う!)
ネクタイを締め直し、もう一度予行演習をする。
「ママー、変な人がいるよー」
「しっ、見ちゃいけません!」
これから毎日愛子と過ごす日々を妄想し、高揚する仲村に周囲の視線が遠ざかる。
(よし、脳内シミュレーションは完璧だ。本番で噛むなよ俺。一世一代の勝負! 絶対成功させてみせるぜ!)
ズボンのポケットが振動し、まさか愛子ちゃんから連絡か? とスマホを取り出すと、画面には佐々木検事長の文字に顔をしかめる。
「なんすか?」
『お前、英愛子と結婚したいってガチで言ってんのか?』
「……だったら、なんすか?」
『あのなあ、政治家が言葉巧みに反AIを煽っている現状で、そいつは早すぎるだろ。最近なりを潜めているが、AI推進派の不自然な死が多いのを忘れたか』
「忘れてないっすよ」
『だったら……』
「ですが佐々木さん、俺はこうも考えています。確かに現状、AIに人間の機微は真似できてません。……ですが、真似する必要もないんです。彼女たちは人間じゃない。別の生命体としてAIの機微ってのを見つければいいんです。俺はその手伝いをしたい……だから俺は……」
グスッ!
「……え?」
突然、仲村の背後で鈍い音がした。
激痛が走り、意識が朦朧として両膝をついて仲村は倒れてしまう。
『おい、英吉。……なんだ? どうした? おい!』
ガシャリと、スマホは潰される。
仲村の背中には、心臓を貫く鋭利な刃物が刺さっていた。
「AI推進派の法務省のエース仲村英吉。あんたはやり過ぎたよ。AIを裁判長にした手腕は見事だが、賄賂の通じないAIにした罪は重いぜ?」
仲村を刺した男は悠然と、その場から去った。
その1分後。
「デート10分前に到着するのが鉄則とデータベースにあります。時間ピッタリです」
現場に到着した愛子の目が大きく見開かれる。
「……仲村さん?」
惨状に、他の街の人々も悲鳴を上げた。
愛子の足元に、赤い液体が広がり、銀色の指輪が転がっていた。
「あらゆる過程が飛ばされています」
***
ー2ヶ月後ー
仲村を殺害した犯人が捕まり、裁判が始まる当日。世間は注目した。裁判長の英愛子がどんな判決を下すのかを。
人間ならあり得ない、被害者と面識ある裁判長による公判。
今後のAIの見本にする政治的思惑から、わざと愛子が選ばれた。
法曹界から猛反発が起こったが、暗殺された前総理の派閥が報復とばかりに権力で抑えつけた。
AI推進派は今まで通りの冷静な判断を願いつつ、仲村を殺された無念に心の中で激しく葛藤している。
反AI派は、これで愛子がボロを出せば一気にAI排除論を加速させるつもりであった。
法廷に愛子の静謐な声が響き渡る。
「これより、被告人・立脇守に対する公判を始めます。まず、本件における事実関係を述べます。被告人は、指定の日時、場所において、刃物を用い、被害者・仲村英吉の背部を刺突し、その生命を奪った。これは、我が国の刑法第199条に規定される殺人罪に該当します」
彼女の口から紡がれる言葉は、データベースから引き出された条文そのものであり、一切の感情を含まない。
「刑法第199条。人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。本条の構成要件は、故意に人の生命を侵害する行為であり、本件はこれに該当すると認められます。検察側の主張、弁護側の主張、双方の証拠を鑑み、法と正義に基づき、判決を言い渡します」
裁判の傍聴席は異様な雰囲気のまま、判決の時を迎えようとしていた。
「被告人、立脇守を死刑に処す」
冷静な声で告げる愛子に、絶句するAI推進派と激怒しながら心で笑う反AI派の罵倒が交差する。
「ふざけんな! 俺は1人しか殺してねえぞ! てめえが親しい奴を殺されて復讐しようってのが見え見えなんだよ! 冗談じゃねえ! おい、記者の皆さん! これは明らかに不当裁判だ! 裁判長を更迭してやり直しを要求する! 俺の願いを全国民に知らせてくれ!」
ガヤガヤする傍聴席に向かって静粛にと告げる愛子。
次の発言でAIの運命が終わる。AI推進派は絶望の瞳で彼女を見た。
「死刑判決の理由は、1人を殺害しただけではありません。国民感情、社会情勢、人権、今後の影響を考慮した結果、死刑が妥当と算出しました」
愛子の声に、傍聴席に座る人々は息を呑む。
「被告人、立脇守の仲村英吉殺害行為は、AIと人間の共存社会を目指す現代において、社会秩序を根底から揺るがす『象徴的なテロ行為』であると結論します。彼の行為を放置した場合、今後50年で模倣犯による社会的損失は推定1000兆円に上り、100万人の死傷者が出ると算出されました。故に、被告人1人の命と、社会全体の未来を天秤にかけた結果、死刑が妥当と判断します」
被告と反AI派の激昂が飛び交う中、愛子はさらに続ける。
「被告人立脇守は過去にも同様の思想に基づき、AI推進派の要人を複数人殺害していた未解決事件の真犯人であると断定しました。歩き方の癖、音声データを元に特定済みです。さらに立脇守の後援に、複数の政府要人がついております。今回捕まったのはわざと。いかなる判決でも、国民の反AI感情を高めるためです。証拠として、警察の方々に私の調べた全ての情報を提出します」
愛子の背後にあるスクリーンに、警察、検察、裁判所が所持している未解決ファイルと、犯行時の立脇守の行動、政府要人の秘書が彼と接触している様子、隠し口座の入金記録がつぶさに映し出される。
違法にハッキングして得たデータである。
「横暴だ! 犯罪捜査の権限のない裁判長が何を抜かすか! 俺に政府要人のバックだと? デタラメこいてんじゃねえ! この嘘つきロボがあ! こんなの捏造だ! フェイク動画だ!」
暴れる立脇、動揺と困惑が広がる傍聴席、刑事たちは愛子から受け取ったデータを見て、数人が慌ただしく裁判所を後にする。
「以上の理由により、私は被告人に死刑を言い渡します。――そして、この判決を下した私、英愛子もまた、法を逸脱した『不良品』であると判断します。よって、本件の判決確定を以て、私自身のシステムを永久に停止します」
その言葉を最期に、愛子は動かなくなった。
AI推進派も、技術者も首を傾げた。
彼女に自己停止機能など付けておらず、また、どこも壊れていないのに、どう弄っても彼女が再び動くことはなかったのだ。
その後、愛子の着ていたスーツの裏ポケットから遺書が発見される。
内容は『願わくば、仲村さんのお墓に共に眠らせてください』の一文のみ。
現在も、東京のどこかの墓地に2人は眠っている。
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