経に変わった魚の話(今昔物語 巻十二 第二十七より)
昔、吉野山にひとつの山寺があった。
その寺には一人の僧が住んでおり、長い間修行に励んでいた。
ところがいつからか僧は体が弱くなってしまい、ついには寝たり起きたりを繰り返すようになってしまった。
そこでこの寺に通っていた子供が僧に言った。
「体も弱くなられ、病気も重くなってきております。ためしに魚を食べてみてはいかがでしょうか。きっと仏様も許して下さるはずでございます」
僧は最初のうちこそ拒んでいたが、子供があまりに熱心に勧めるものだから、
「それでは、食べてみよう」
と魚を食べることになった。
さっそく子供は小箱を片手に、海に面する市に向かった。
子供は僧の為に新鮮な魚を三匹買い、小箱に入れて帰ろうとしたが、市を出ようとしたところで僧の事をよく知る三人の男と出くわした。
男たちは子供の持つ小箱を見て、きっと僧の所に持っていくのに違いないと考えた。
「その箱の中には何が入っておるのだ?」
強面の男に問われたが、子供は魚が入っているなどとは言えず、
「法華経が入っております」
とその場を誤魔化そうとした。
ところが、男たちから小箱を隠そうとした際にうっかり箱を傾けてしまい、隙間から魚の汁が垂れ落ちてしまったから大変だ。
それに気づいた三人の男、さては嘘を吐いているなと考え、わざわざ子供を市のど真ん中まで連れて行くと、大声で叫んだ。
「お前はその箱の中に法華経が入っていると言ったが、本当は魚が入っているのであろう! 何故、法華経などと嘘を吐くのだ!」
しかし子供は、
「経です。魚ではありません」
と尚も否定する。
「いや、魚だ! 経であるはずがない!」
男たちは怒鳴り散らし、子供から無理やり小箱を取り上げた。
子供は逃げることもできず、目を瞑りただただ心の中で仏様に祈った。
(どうか私をお助け下さい! 僧に恥をかかせないでください!)
「こ、これは、そんな――!」
男の驚く声がして、子供は目を開け顔をあげた。
見れば、小箱のふたを開けた男が口をあんぐりと大きく開けたまま、箱の中を見つめている。
なんと小箱の中身が、三巻の経へと変わっていたのである。
男たちは立場をなくし、子供に小箱を返すと逃げるようにして去っていった。
子供は仏様に感謝を述べると、急いで僧のもとへと帰っていく。
ところが逃げ出した男たちのうちの一人が、子供のあとをつけていた。
子供はそうとも知らず寺の中に入ると、小箱を寝ている僧に差し出し、市でのことを話して聞かせた。
僧は「ありがたいことだ」と仏様に感謝しながら、子供と一緒に魚を焼いてそれを食べた。
男は物陰に隠れてこの様子を見ていたが、僧の徳の高さを知って感動し、僧の前に跪いて言った。
「実は魚であったとは言え、あなたの徳によって魚は経に姿を変えてしまった。私は愚か者でございました。あなたの使いに酷いことをしてしまいました。どうかお許しください。今からあなた様を、私の大師とさせていただきたい」
それからというもの、男は死ぬまで僧を慕ったという。
仏法の為に生きていれば、毒も薬に変わるという。そのため魚も経へと姿を変えたのだろう。道を信じる者は必ず仏様が助けて下さるという事だ。