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花嫁がいなくなれば、お互い幸せになれるでしょう?

作者: 夕綾 るか


 私には好きな人がいる。


 それに気がついたのは、王命によって決まった婚約者ができてからだった。


 ずっと記憶の片隅にいる少年は、年々靄がかかり、はっきりとは思い出せなくなっていた。

 しかし、あの時、感じていた胸の高鳴りは忘れていない。確かに、あれは――恋だったのだ。


「ルシアナ様と婚約することができ、恐悦至極にございます」


 テーブルの対面に腰掛け、微笑む婚約者様はこの国一番の騎士である。


 “この国で一番強い者が次期王配になるべき”


 その一言で決まった婚約者だった。


 この国では王の第一子が王位を継承する。男でも女でも、さらには婚外子であっても、だ。

 ただし、例外はある。

 王が第一子の継承を認めなかった場合、次期国王を直接任命することができる。

 他にも、第一子が継承不能となった場合、継承不能とみなす要件や、第二子以降の継承順位について、など細かく定められている。


 私はその第一子という立場にある。

 つまりは、次期国王ということだ。


 現国王には三人の妻がいて、私の下には四人の弟妹がいる。同じ母親から生まれたのは弟アスター。彼の継承順位は三位。

 私の母、ルクリアは一番最初に子どもを生んだことで第一妃となった。

 第二子であるフロックスを生んだマーガレット妃が第二妃、第四子アリウムを生んだモレア妃が第三妃となり、その後、第二妃が一番下の異母妹である第五子フリージアを生んだことで、現国王の王位継承者が五人となった。


 王位継承権第一位である私は、第二子が誕生して以降、国王とその側近数人しか知らない場所でひっそりと育てられた。

 近しい者に命を狙われる可能性が高いからだ。


 王城に戻ってきたのは王配となる婚約者が決定してからだった。


 今日は婚約者となったシオン・クラウス侯爵との顔合わせを兼ねた茶会が開かれていた。

 もちろん、私の母親や弟妹たちとも初めて顔を合わせることになる。


「まあ……あなたがルシアナお姉さまですのね!」


 胸の前で両手を合わせ、天真爛漫で可憐な笑顔を振りまきながら近づいてきたのが唯一の異母妹、フリージア。


 側近の一人がスッと一歩前に出る。


「何よぅ、危害を加えようとなんてしてないでしょ」


 プイッと頬を膨らませる姿はまだあどけなく、愛らしい。

 私を護るようにその背に隠した側近に「大丈夫よ、アーロン」と下がるよう伝えた。


「あなたがフリージアね? 私、皆様にお会いするのが初めてなので、少し緊張しているの。ごめんなさいね」

「ほら、フリージア。姉上もそうおっしゃているのだから」


 フリージアは膨らませた頬を実兄フロックスに突かれると、一瞬で機嫌を直し笑顔を取り戻した。

 微笑ましい兄妹のやり取りに寂しさが込み上げる。


(いけない! 心を強く持たなければ……! 私は次期国王なのだから)


 萎れていきそうな心にビシッと喝を入れていると、そこに国王陛下が姿を現し、茶会が始まった。


 各々決められた席に着き、父である国王陛下の言葉を待つ。


「紹介しよう、王位継承権第一位のルシアナだ」


 私は小さく頷き、微笑んだ。


「そして先日、決定したルシアナの婚約者、シオン・クラウス侯爵だ」


 向かいに座るクラウス侯爵は深く頭を下げた。


「婚約披露の場ではあるが、久しぶりに子どもたちが揃ったのだ。自由に談笑してくれてかまわない」


 国王陛下のその言葉であちらこちらから話し声や笑い声が聞こえてくる。

 私以外の弟妹たちの仲睦まじい雰囲気に、疎外感を感じる。それは当たり前だ。私だけ幼少期を共に過ごしていないのだから。


 いたたまれず、私は対面に座る婚約者に目を向けた。


(私はこの方と結婚するのね……)


 ジッと見つめていると、目が合い、微笑まれた。

 胸がドクンと小さく鼓動する。


(優しそうな方でよかった……)


 私は彼を見倣い、両口角を僅かに上げた。

 この時までの私は次期国王として、この結婚を受け入れていたのだ。


 あの話を聞くまでは。


「あなたには想い人がいると聞いた。その方のことはもうよいのか?」


 婚約者と親交を深めるための定期的なティータイムを過ごしに王城の庭園へとやってきた私は聞こえてきた声にピタリと足を止めた。


 そこには弟アスターと婚約者クラウス侯爵が向かい合い、立ち話をしていた。


(侯爵には……想い人が、いらっしゃる……?)


 クラウス侯爵が今、どんな顔をしているか、私の場所からは見ることができない。


「ええ。もうよいのです……」


 その切なそうな声に、私はぎゅっと胸を押さえた。


「しかし……貴殿は彼女のために鍛錬し、この国一番の騎士になって、侯爵を叙爵したのだろう?」

「……はい。もう、終わったことですから」


 クラウス侯爵の頭が項垂れるように下がった。拳を握りしめ、少し肩を揺らしている。


 国一番になってしまったがために、断ることのできない王命を受けてしまった。

 きっとさぞかし悔しいだろう。


「そうか。私で力になれることがあれば、遠慮せず言ってくれ」

「ありがとうございます、アスター殿下」


 アスターはクラウス侯爵を労うように、彼の肩にポンと手を置いた。


 話を終えたアスターがこちらに向かってきたため、私は今しがた到着したばかりを装い、歩き始める。


「ごきげんよう、クラウス侯爵。お待たせしてしまったかしら? あら、アスターも一緒にいたの?」

「ご機嫌麗しゅうございます、ルシアナ様」

「姉上……私はこちらで失礼いたします」


 先ほどまでの優しい声色は消え、真顔に戻ったアスターはそう言うと、足早に去っていった。


(そんなに私とお話ししたくないのかしら……?)


 先日、茶会で見たフロックスとフリージアの仲睦まじい光景が蘇り、胸の奥がズキリと痛む。実の姉弟であるのに、数回しか会ったことがなければ、仲良くできるはずもない。


 心の中ではガックリと肩を落としていたが、それを侯爵に見せず、私をエスコートするために差し出された彼の手を取り、誘われた椅子へ腰掛けた。

 流れるような美しい所作。騎士としても、侯爵としても、申し分ない。

 しかし、それは私のために身につけたものではなかったのだ。


 目の前で、何とか私の機嫌を損ねまいと、一生懸命に話しかける婚約者の姿を、ズキズキと痛む胸の奥を隠しながら、見つめていた。


(何とかならないものかしら……?)


 自分の屋敷に戻った私はベッドに横たわると、天井を見ながら考えていた。

 優しそうに微笑む侯爵に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 色々考えすぎたからか、私はいつの間にか眠りに落ちてしまっていた。





 懐かしい夢を見た。


『あなた、だあれ? わたしは、ルシェよ』

『ぼくは、シ……シュロ!』

『シュロ?』

『そう……ぼく、お父さんをさがしてて……』

『お父さん?』

『うん、ここにいるはずなんだ……あっ、いた! お父さん!!』


 シュロと名乗った少年は、私の護衛騎士の息子さんだった。緊急で連絡する必要があり、許可を得てここまで来たそうだ。

 それから、シュロは時々遊びに来るようになった。


『僕、お父さんみたいな立派な騎士になって、ルシェのこと護るから!』

『絶対よ! 約束ね』


 その日を最後にシュロと彼の父親は屋敷に来なくなった。屋敷に出入りする者に聞くと、船に乗り、隣国へ行ってしまったとのことだった。


 目を覚ました私の頬は涙で濡れていた。


(婚約者ができてから、こんな夢を見るなんて……)


 罰が当たったのかもしれない。

 愛する人と一緒になろうと懸命に努力した人の想いを無理やり断ち切らせたから。


(ん……? ちょっと待って? それなら、この結婚がなくなれば、お互い想い人と一緒になれるのよね……?)


 その日から私はこの国の法律を隅から隅までくまなく調べ上げた。

 元々、国王になるための勉強はしていたので、ある程度はわかっていたが、それを最大限に利用して、双方に不利益のない、そして、この国全体にも影響しない方法を見つけ出そうとしたのだ。

 

「あった……見つけたわ! これよ!」


 私はニンマリと笑い、急いで準備に取り掛かった。





 結婚式当日。


 まだ夜も明けていない薄暗い中、私は置き手紙を残して、屋敷を後にした。

 秘密裏に用意していた馬車を使い、一番近い港まで走らせる。

 そこからは船の旅だ。


 私の想い人であるシュロを探す、長い長い旅。


 手がかりは見つけてある。屋敷中を調べ上げたのだから。


 馬車に揺られながら、今日、これから王城で起こることを考えていた。


 花嫁がいない結婚式。


 花婿であるクラウス侯爵に非はない。そのために手紙を残してきたのだから。


 もう一つの問題は、王位継承権だ。そちらのことも手紙に記載した。

 この国の法律では『王位継承者は一様に同等の教育を受けること』となっている。

 要するに、私以外の弟妹たちも私と同じ教育を受けいているのだ。誰が国王になってもいいように。

 私以外の弟妹たちの様子や妃たちの様子を見る限り、不穏な空気は感じられない。

 むしろ、私がその輪に入ることで、不協和音を奏でている。


 すべてにおいて不要なのは、私なのだ。


 だから、私はいなくなることにした。


 馬車が速度を緩めた。まもなく港に到着するのだろう。馬車窓のカーテンから薄っすらと光が差し込んできた。


 馬車がゆっくりと止まった。

 御者が誰かと話をしている。

 しばらくしてノック音が聞こえ、ガチャリと扉が開いた。


「どういうつもりでしょうか、ルシアナ様」


 額に汗を浮かべ、少し荒くなった息遣いを押し殺すように丁寧に言葉を紡ぐ婚約者の姿があった。

 声色も表情も優しいのに、ゾクリと背が冷える。


「あなたには……想い人がいるのでしょう? 私にも想い人がいるの。だから、花嫁がいなくなれば、お互い幸せになれるでしょう?」


 目の前の端正な顔がみるみるうちに険しくなっていく。今まで一度も見ることがなかった、婚約者の表情に驚く。


「あなたに、想い人がいる、と?」

「そ、そうよ! あなたにもいるでしょう?」

「私の想い人は――あなただ、ルシェ!」

「え……?」


(ちょ、ちょっと待って。クラウス侯爵の想い人が私……? それに今、私のこと“ルシェ”って……)


 その呼び名は、身を隠して生活していたときのものだ。クラウス侯爵が知っているはずがない。


「そんなことより、ルシェに想い人がいることの方が問題です」


 クラウス侯爵は馬車に乗り込み、私の横に座ると、ずいと顔を近づけた。


「私との約束を反故にする気ですか?」

「……約、束……?」

「そうです。あなたを護るため、この国で一番の騎士になり、あなたの一番近くにいるため、侯爵という爵位を得て、やっとあなたの隣に堂々と立てると歓喜していたのに」


 眉間に深く溝を刻み、唇を噛み締めた。


「さあ、連れて行ってください。私をあなたの想い人とやらのところに」


 吹っ切れたように、クラウス侯爵は私に迫った。


「いや、えっと、あの……」


 まさかこれから探しに行くつもりでした、とは言えず、私が言い淀んでいると、クラウス侯爵の顔が悲しげに変化していく。


「私には会わせたくないでしょうね……」


 シュンと肩を落とし、小さくなってしまった侯爵に思わず、本当のことを口走る。


「今から探しに行こうとしていたので! あの……だから、私もすぐに会えるというわけではなくて……」


 きょとんと間の抜けた表情になった侯爵に既視感を覚える。


「この馬車は港に向かっていましたね? まさか海の向こうにいらっしゃるのですか?」


 私がコクリと頷くと、侯爵は怪訝な顔をした。


「海の向こうにいらっしゃる方に、どうやって出会い、恋に落ちたのですか……?」

「元々は私の屋敷にいたのです」

「なるほど? 出入り業者ですか」

「あ、いや……そうではなくて……一緒に遊んでいた子どもなんです」

「……は?」


 クラウス侯爵は口をあんぐりと開けた。


「私の護衛騎士の御子息で“シュロ”って名前だったのだけれど……侯爵?」

「……」


 突然、うつむき、黙り込んだ侯爵が心配になり、顔を覗き込んだ。

 侯爵は口を手で覆うと、肩を震わせた。


「……いつから……」

「え?」

「いつから、彼のことを……その、想っていたのですか?」

「一緒に遊んでいたときから。多分、初恋だったのだと思うわ。あれが恋だったということに気がついたのは、あなたと婚約してからだけど」

「なんだか、複雑な気分です……」


 侯爵は口元を隠していた手を外すと、姿勢を正した。


「私が“シュロ”です」

「へ?」


 侯爵からの突然の告白に、間の抜けた返事をしてしまった。


「私の顔、忘れてしまったのですか? 想い人なのに?」

「うっ……」

「どうやって、“シュロ”を探し出そうとしていたんです? 顔を思い出せないのに?」

「えっと、それは……」


 私があたふたしていると、侯爵の口元がフッと緩んだ。


「もういいです。私の想い人である大切な花嫁が無事に帰ってきたので」


 私がホッと安堵の息を漏らすと、侯爵は思いついたように顔を上げた。


「でも、約束を反故されそうになったのですから、ルシェには私の願いを一つ、叶えていただこうかと」

「え……」


 どんなお願いをされるのか、ヒヤヒヤしていると、侯爵はクスリと笑った。


「簡単なことですよ。私のことを名前で呼んでほしい。いつまでも“クラウス侯爵”なんて呼ぶので。たった今、過去の自分であるはずの“シュロ”にも嫉妬したくらいです」


 そのムッとした表情に、過去の記憶が蘇ってくる。

 今なら、子どもの頃の彼の顔を鮮明に思い出せる。


「シオン」

「……」

「呼んでみたのだけれど……シオン?」


 またもや先ほどと同じように口元を手で覆い、うつむいてしまう。

 私が覗き込むと、彼の顔は真っ赤になっていた。


 彼の照れ隠しが可愛すぎて、私は思わず彼を抱きしめてしまっていた。





「うえーん、お姉さまぁ」


 王城に到着し、シオンに手を引かれて馬車を降りた私にフリージアが飛びついてきた。


「ご無事でよかったです、姉上」


 異母弟アリウムがぎこちなく笑う。


「もう二度と、王位継承権を放棄していなくならないでくださいね、姉上」


 アスターが腕を組み、眉間にシワを寄せている。


「そうですよ、姉上。私は国王になりたくありませんから」


 王位継承権第二位のフロックスがふふっと笑った。


「ごめんなさい、お姉さま! 私たち皆、お姉さまと仲良くなりたかったのだけれど、いつも護衛がついていて一定の距離をあけなくてはいけないし、そもそもお姉さまが私たちのことをお好きでなかったらどうしようと……私、お姉さまに嫌われたくなくてぇ……ひっく」


 私の胸の中で泣きじゃくるフリージアの頭を優しく撫でる。


「姉上が寂しい思いをされていたこと、わかっていたはずなのに……正直、あの手紙を読むまで気づくことができず、申し訳ありませんでした」


 肩を落としたアスターに私は小さく首を横に振り、ニッコリと笑いかけた。


「私も、あなたたちとしっかり向き合おうとしなかったから。ごめんなさい」


 互いに皆、笑い合う。


「さあ、皆揃ったな。ルシアナとシオンの結婚式を始めるぞ」


 国王陛下の一声で色とりどりの花びらが舞う。


 互いの想い人と政略結婚することができた私たちは――今、心の底から幸せだ。


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