第八話 仲間
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いつからか降り出した冷たい雨が、血に染まった大地にいつまでも涙を落とし続けている。
紅い月影が遥か上空の雲間から覗き、まるで獲物の血肉を貪り嗜虐心を満たすように獰猛に微笑む。
足は血と骨と臓物が入り混じった泥濘に囚われ、極度の疲労感に動くこともままならない。両腕は意思を離れてもなお手にした狙撃銃を支持しており、その鈍い重みを意識に留め置くことで辛うじてここが戦場であることを覚えていられた。
「また、お前だけが生き残ったか」
その言葉はどこから誰が発したものなのか、失血による意識レベルの低迷は事象を正常に把握させてくれない。
唯一気付けたのは、多量の出血により足下にできた血溜まりの中に映る己の姿が、妙に小綺麗な恰好で自立して囁くように語り掛けてきていることだけ。やがてそのどこか目障りな別次元の自分とでも表現すべき存在は、地面に所狭しと散らばった無数の空薬莢の表面を反射してぬるりと移動し、やがて顕在化して私の隣に立ち並ぶ。
「何故そうまでして戦い続ける?それだけ高尚な理由もないだろうに」
底冷えする冷淡で酷薄な声音に、思わず後ずさりしたくなるほどだ。何か言い返さなくては、次の瞬間には存在そのものをすげ替えられて、私という人格としてのディアは消える。そう直感して重くかじかんだ唇を気力を振り絞って開く。
「...お前は、何だ?」
「さて、それはお前が一番よく知っているのではないかな。そしてそれよりも今は重要なことがあるはずだ」
怪訝に思って記憶を反芻してみれば、これまでの戦いで傷ついた姿の、私が最も信頼する戦士の幻影が眼前に像を結ぶ。
「...ジード」
「そう、彼だ。このまま戦い続ければ、遠からずお前を庇って死ぬぞ。お前の弱さがあいつを殺すんだ」
そう悠然と語る虚無の影の中性的な声を聞きながら、付近の戦場に打ち捨てられた亡骸の数々を目で追ってしまう。戦場に長く身を置き過ぎた者が最後にどうなるのか、これ以上ないほどに物言わぬ屍の山が雄弁に示しているではないか。
「...問い方を変えようか。どうしてお前は大仰な虚勢を張り続けているんだ?」
己の脆弱さから目を背け、逃げるように、縋るように強さを演じ続けるつぎはぎの日々に、避けられない破綻はその足音を近づけてきている。
「どうしても満たされない、過去の悔恨と喪失の恐怖に晒され続けて、一時も気が休まらないんだ」
己の虚像たる虚無に本音を告げても意味はないと頭では分かっていても、平静を保つ為には必要な吐露だった。
「それはその身に宿した呪いの正体が、お前自身には決して明かされないから」
虚無の空洞で底知れない真っ黒な瞳を見据えると、何度知っても忌々しい呪いの摂理の一端を聞かせられる。
「もっと焦燥に駆られて、猜疑に思案を曇らせ、精々お前を信じる戦士達を死地に導き、一人残らず惨たらしく死ぬまで捨て置くがいい。穢れに塗れた呪いの聖女よ」
その強烈な蔑みを最後に、虚無の影は吹き荒ぶ吹雪の奥へと消え去り、後には誰もが忘れ去った名もなき戦場に独り取り残された私が、血塗れの両手を眼前に広げて打ちひしがれるのみ。孤独と寂寥に蝕まれ、感情も記憶も積雪の中で白く薄れていくばかりだった。
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「......またあの夢か...左眼が妙に疼く...」
今度こそ本当に目を覚ますと、どうやら医療ポッドの中に長い間寝かされていたようだ。ひとまずは手元のデバイスを操作し、回復タンクから外に出て室内を見回す。寝起きで足元が覚束ない。両腕の傷も両眼の機能も、既にほぼ完治しているようだ。一安心。
「心配性だな、あいつは」
一目見ればもう十分に伝わってきた。部屋の椅子の上、壁掛け、机の上、思いつく限りのそこかしこに花が飾られている。否、飾られまくっている。やや過剰とも思えるほどの花々はその全てが銀白色に統一された私好みの品種で綺麗に揃えられており、純粋に快復を祈る願いが込められた営為であると判る。嬉しい、非常に。
丁寧に飾られた花々の中から思わず一本を手に取って、まじまじとその銀白に輝くような花の造形を観察して微かな芳香まで時間を忘れてゆっくりと嗜んでしまったほどだ。
「この花が好きだと言ったことなんて、忘れていたな...」
この粋なサプライズ?のお陰でかなり気分が良くなった。名残惜しいので花束を一束抱えたまま地下室を出て上階に向かう。...って、階段にも余った花飾ってある...。
「メッセージカードか、久しぶりに見た」
リビングのテーブルの分かり易い位置に録音式のメッセージカードが添えられており、その真横に私の装備一式が修復済みでやや几帳面に並べられている。丁重に手入れされているのがすぐに見て取れた。
「《ディア、これを聞いているということは、目が覚めたんだな。本当に良かった。俺はリアとナーラを連れて戦闘訓練と買い出しに行ってくる。今日だけと言わず、数日間は安静にして養生してくれ。夜にはディアの好物を買って戻る。それではまたな》」
...なんだろう。ジードの親しみの込もった声をこうして聴くだけで、自分でも驚くほどの安堵感があり、穏やかな気持ちになれた。綺麗に磨き上げられた私の装備一式を手に取れば、共に積み重ねてきた日頃の感謝と敬愛の念が感じられて。
「...本当に、ジードには助けられてばかりだな...」
いつの間にか珍しく柔らかで満ち足りた微笑みを湛え、今一度抱えていた花束に視線を落とせば、自然と涙もそこに落ちていく。
「嬉しくて泣くなんてことが、本当にあるなんて...」
花束と一緒にメッセージカードを抱きしめ、静かに肩を震わす銀髪の麗人は、とても幸せそうに見えたという。
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ジードの言いつけを守って静養した午後、流石に体がなまるというか、少し散歩でもしたい衝動に駆られる。あるいは留守番による一抹の寂しさを紛らわしたいのかもしれない。そう思うと堪らず、既に外に繰り出していた。
リアとナーラという同居人兼シーカー仲間が拠点に加わって、最近は一層賑やかで会話の絶えない日々が続いていた弊害か。
とりあえず市場に出ている弾薬でも物色しようかと、武器商店のメインストリートとでも呼ぶべき街路へ歩を進めた。
「――けど......その...が――」
二、三件見て回った頃だったろうか、遠くから馴染み深い声が聞こえてきた気がして、瞬時にその方向へと意識を集中する。狙撃手の研ぎ澄まされた集中力を舐めるなよ。
「やはりナーラはロングソード系列から一本選ぶべきだろうな、この辺なんか耐久性に優れた素材だぞ」
「そうですよね、訓練でも手に馴染んできてましたし」
「お姉ちゃん、ここにはダガーは置いてないみたい」
見つけた、と言うかまるで狙ったかのようなタイミングで三人とかち合ってしまった。どうしたものか、このままひょっこり顔を出したら「もう動いても大丈夫なのか?」などと三人に要らぬ心配をかけてしまうかもしれないではないか。って懊悩して逡巡してる隙にこっちに来てる!?
「...そこで何をやってるんだ、ディア...?」
慌てて処分品の山に半分隠れてスクラップ品の小盾を気持ち程度に頭に被って偽装にならないかと奮闘していたのだが、上手くやり過ごすには致命的に時間が足りず、普通に恥ずかしい姿を見られてしまった。気まずい。なんとか取り繕わなくては。
「...いやぁ、その、何だ。たまには廃棄物の気持ちになって資源回収の大切さを再確認しようと...(あっ、ダメだこれ)」
リアとナーラの見てはいけないモノを見てしまった者特有の純粋な落ち着きのなさが、心に刺さる。ツラい。...さて、切り替えていくか。
「ゴホン。三人とも、看病と花束を沢山、本当にありがとう。世話になったな」
「どういたしまして。少しでも日頃の感謝の気持ちも伝えたくて、どうしたらいいのかリアとナーラに教えて貰ったんだ」
「とんでもないです、寧ろ喜んで頂けたようで良かったです!」
「ディア姐さんなら大丈夫だって、信じていました」
いつしか快復の喜びを分かち合う四人はひとつの輪を形成し、まるで出会う以前からずっとそうしてきたかのように肩を組んだり、握手を交わす。しばしの心地よい談笑の後、ディアも加わって装備調達の再開と相成った。
――二時間後――
「さぁてまずはナーラの装備から再確認だ」
拠点に帰還して夕食などを済ませた後、中庭に集合して調達した装備の再確認と試運転を行っている。
「このブレード、調整は完璧ですね。重心移動も思い通りにできてます」
ナーラの新武器は状況に応じて実体剣の表層にエナジーを纏わせることができ、その出力によってはエナジーブレードをロングソードよりも長く伸展させて間合いを変じる。変幻自在とまではいかないが、扱いに熟達すれば実体剣とエナジーブレードを使い分けて戦況を有利に運べるだろう。追加で投げナイフも四本装備させておいたので、そちらの訓練も毎日欠かさず行わせる。
「リア、そっちの武器はどうだ?」
「両方とも軽くて振るい易いです!」
リアの新武器はまずサブウェポンから紹介すると同種同規格の軽量型ダガー二本だ。通常の短刀としての扱い易さを高い次元で実現している他、各一回ずつ使える大技めいた機能を備えている。柄の部分に充填しておいたエナジーを刃の切っ先正面方向へ円錐形を描くように一瞬で集中放出する、強烈な破壊力を誇る爆発的な刺突攻撃であり、奥の手だ。今後この技の使いどころが勝敗を分ける場面もあるかもしれない。
そしてリアのメインウェポンである銃は、数ある銃種の中から中距離狙撃戦を重く見てマークスマンライフルを選択し、更にやや小柄なリアの体格に合致する型番を厳選した。実体弾マガジン換装式セミオートで、倍率可変式スコープにバイポッド(二脚型銃身支持機)まで備えたこの狙撃銃で、ディアに師事するそうだ。
「強化型パワードスーツベースの駆動も今一度確認しておけよ」
そして姉妹が全身に纏う新たなパワードスーツベースを見てほしい。以前のものとは大きく異なり、籠手、胸甲、プロテクター、ニーディフェンダーなどの軽量装甲が各部に付加され、左腕部にはエナジーバックラーという小型円形のエナジーシールドを生成できる携行性に秀でた盾を標準装備している。これらにより防御性能が大幅に向上しただけでなく、パワードスーツベースを構成する人工筋線維をより世代の新しい新鋭モデルに抜本的に更新し、膂力や機動力の底上げにも成功した。
「パワードスーツベースのシステムを戦闘モードに切り替えた瞬間、全身に力が漲るのを感じます!」
「身体が羽のように軽いです!」
費用は結構かかってしまったが、未来を担う前途有望なシーカー達への初期投資と考えることにする。姉妹が年相応に無邪気に喜ぶ姿は、戦災の絶えないこの灰色一色の世界に彩りを取り戻してくれるかのようだ。
「よーし、装備の性能に驕らず、しっかり訓練して使いこなせるようになるんだぞ」
「お前達の辿るべき道は長く険しいが、その先で常に戦い続け、道標を示し続けてやるからな」
俺とディアの言葉を真剣な面持ちで聴いていた姉妹の瞳には、既に闘志の炎が如何なる敵をも打ち破らんと猛っていた。
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